橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #328≪ホッピー族の格言≫

2016年05月20日 | EHAGAKI

お世話になります

SNSをやっていて面白い“遊び”が自然発生しました
フェイスブックで写真にインディアンの言葉をを添えアップ
してていました

たとえば

片足をカヌーに突っ込み、片足をボートに突っ込めば川に落ちてしまう。(タスカロラ族)

と、写真の添え書きに書くとある方からコメントが入るようになりました

片足を人形町に突っ込み、片足を門前仲町に突っ込めば墨田川に落ちてしまう。(ホッピー族)

数回繰り返しているうちに、これは面白いと思い「ホッピー族の格言」というコーナーをつくり、酒場を中心とした写真とともにアップしております
そんな写真が今では“231枚”となりました

インディアンの言葉も真理を言い得てますが、ホッピー族の言葉もなかなかの味わいであります
今回のお題は、はなはだくだけた内容ではありますが「ホッピー族の格言」であります


 ■  ■  ■  ■  ■

May the “IZAKAYA” be with you.
日本のホッピー族による珠玉の居酒屋讃歌。


1.酒飲みだと自分で思っているなら、本当はそうではない。飲み方が足りないと思っているなら、あなたは酒飲みだ。(ホッピー族)

2.ジョッキーはみな互いに一つ、そのことを見失うな。人は「ない」時に「ない」と嘆くが「ない」後は必ず「2杯目」だ。(ホッピー族)

3.酔者は素面の者に力と助言をさずける。助言はしばしば度を超し、堂々めぐりする。そして、素面の者の根源的な力を削ぐことさえある。(ホッピー族)

4.泥酔している人間は、ひとり残らず、なにかの夢を見ている。(ホッピー族)

5.私たちが酒場にいるのは、ほんのわずかな間だけ、だからその経験を楽しもう!(ホッピー族)

6.ホッピーとは自然との会話のこと。(ホッピー族)

7.酔うことを恐れるな。酔いはこころの痛みを、流し去ってくれるのだから。 (ホッピー族)

8.酔いは自分に盛る薬。(ホッピー族)

9.自分自身のジョッキーのことでも、自分の肴のことでもなく、来るべき待ち人の、私たちの友や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい料理に思いを馳せる。(ホッピー族の古老)

10.俺の心はポテサラとひとつだ。(ホッピー族)

11.酒場は奢ることと、奢られることの両方である。(ホッピー族)

12.あとどれくらい飲まなければならないのか、と尋ねるたびに閉店は遠ざかる。(ホッピー族店主)

13.少しずつ少しずつ行けるところまで飲む。(ホッピー族)

14.男女は平等だが、その酔いと支払は異なる。(ホッピー族)

15.ホッピーはビールと焼酎の中間だ、(ホッピー族)

16.ビールを忘れ、こころから日本酒を消し去れ、どんな美味いホッピーもそんな重荷に、耐え続けることは出来ない。(ホッピー族)

17.謙虚さがホッピーへの扉を開く。ホッピーが酒場への扉を開く。酒場が共感への扉を開く。共感せよ。共感がふたたび謙虚さへの扉を開く。明日も行け。(ホッピー族)

18.中なる焼酎は人生の目的と勇気である。外なるホッピーはやすらぎと満足である。目的とやすらぎの二つがあって、酒場で充実して生きれる。ホッピー族)

19.見下ろすがいい。泡から学べ。やわらかいのに、あの強さはどうだろう。(ホッピー族)

20.酒場の肴は持って入るものではなく、注文するものである。これがホッピー族のいう「お勘定」の真意だ。(ホッピー族)

21酒場や立ち呑みで注がれる輝かしいホッピーは、ただのホッピーではなく、われわれ酔客の命の水だ。ジョッキに映るどんなぼんやりとした影も酔客の心の出来事や財布の中身を語っているのだ。かすかな泡の音は酔客の心と懐の声なのだ。(ホッピー族の酋長)

22.常連さんは私たちの未来を織る糸。彼らを敬え。彼らを傷つけるようなことをしてはならない。(ホッピー族)

23.私は酔っ払いで、そのうえオヤジだ。だが、私は常連だ。富を欲しいとは思わないが、酒場を正しく育てたいと思っている。我らは富を欲しない。平和と愛を欲している。(ホッピー族)

24.会社を忘れ、こころから怒りを消し去れ、どんな強い酒を呑んでもそんな重荷に、耐え続けることは出来ない。(ホッピー族)

25.酒場の常連には見えないものはなにひとつなく、聞こえないものはなにひとつない。(ホッピー族)

26.常連は外側からではなく内側よりもたらされるもの。(ホッピー族)

27.酒場には責任がある。商売があるわけではない。(ホッピー族)

28.酒場の人々に生命を与えたのはホッピー。ジョッキーを傾けた私たちはホッピーの来た道を知る。(ホッピー族)

29.はったりの飲み方はやめよう。強くないのに強いふりをすることで、身を滅ぼすことになるのだから。(ホッピー族)

30.大いなる乾杯の声を肴のさえずりに聞くことができる。ジョッキのさざめきに、酔客のかぐわしい息吹に聞くことが出来る。これを邪教と呼ぶのなら私は邪教徒である。(ホッピー族)

31.重要な宴会に際し、決して酔っ払うことのない人間となれるよう、奮闘ウコンせよ。(ホッピー族)

32.分かち合えば分かち合うほど、酒場はわしらに分かち合うものを与えてくれる。わしらは他人と分かち合うとき、本当は酒場と分かち合っているんだ。(ホッピー族)

33.神はすべての酒をシンプルに創った。酒場のホッピーはとてもシンプルだ。ホッピーは自由に飲んでいい。従うべきただひとつの法は酒場の法、神の法だ。わしらはその法にしか従わない。(ホッピー族)

34.まっすぐに呑めば光線のように胃袋に届く。(ホッピー族)

35.身構えず、ジョッキーからおのずと出る泡を信じるがよい。(ホッピー族)

36.おしゃべりに長けたものが酒場を制する。(ホッピー族)

37.店主は酔わせることでまた酔っている。(ホッピー族)

38.私たちが酒場にいるのは、ほんのわずかな間だけ、だからその経験を楽しもう!(ホッピー族)

39.宇宙はジョッキーひとつひとつのなかにある。(ホッピー族)

40.酔者は素面のものに力と助言をさずける。(ホッピー族)

41.ふたりの人間のあいだの友情は、 どちらかひとりの呑み具合にかかっている。(ホッピー族)

42.酒場とは、すべての酔者に向けられるもの。(ホッピー族)

43.死んだ酒場に座っていることに気づいたら、最善の策は酒場から出ることだ。(ホッピー族)

44.ホッピーとは、すべての肴に向けられるもの。(ホッピー族)

45.なにを呑むのであれ、今から七人後の客たちへの影響を考慮して呑まなくてはならない。(ホッピー族)

46.ホッピーの泡とは、深くこころに沈んでそこにとどまるもの。(ホッピー族)

47.朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、ホッピーの力とに感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それはおまえ自身の中に、アルコールがまだとぐろを巻いている証拠だ。(ホッピー族)

48.酒場にいることが長生きのもと。オフィスはあなたを病気にする。(ホッピー族)

49.あらゆるもののなかにナカとホッピーを見つけ出せ。(ホッピー族)

50.分かち合えば分かち合うほど、酒場はわしらに分かち合うものを与えてくれる。わしらは常連さんと分かち合うとき、本当は酒場と分かち合っているんだ。(ホッピー族)

51.酒場は、それが育むあらゆる肴とそのホッピーを共有していることを忘れないで欲しい。我々の祖父たちの最初の酔いを与えたホッピーは、また彼の最期の酔いを受け取る。(ホッピー族)

52.あなたが酔っぱらったとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう。だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような酒場人生を送りなさい。(ホッピー族)

53.人はそれぞれがホッピーを裁く。(ホッピー族)

54.酔いとは酒からの授かりものではなく、友からの預かりもの。(ホッピー族)

55.酒場での嘘は相手の魂を傷つける。(ホッピー族)

56.ひとりのヨッパライは多すぎ、100人の飲み友は少なすぎる。(ホッピー族)

57.より偉大な酒場には、つねに畏敬の念をもて。(ホッピー族)

58.酔いとは自然との会話のこと。(ホッピー族)

59.良き酒場の廃業に備えよ。いつも希望を持っていよう。(ホッピー族)

60.酒はどれも人に帰る踏み台にすぎない。(ホッピー族)

61.ヨッパライはとかく妬みがち。(ホッピー族)

62.真実の言葉とは、深くジョッキーに沈んでそこにとどまるもの。(ホッピー族)

63.大いなるホッピーの声をグラスの水滴に聞くことができる。〆サバのさざめきに、もつ焼きのかぐわしい息吹に聞くことが出来る。これを邪教と呼ぶのなら私は邪教徒である。(ホッピー族)

64.私の前に飲むな、私が従うとは限らない。私の後で飲むな、私が酔っぱらわないとは限らない。私と共に飲め、私たちはひとつなのだから。(ホッピー族)

65.ワタシ達を取り巻く、もっと大きな街場で起きている変化に気づくことができなくなるほど、一つの小さい酒場に決して集中してはいけない。(ホッピー族)

66.素晴らしい酒場を求めてそれを行動に移せ。(ホッピー族)

67.ホッピーから離れれば 足が痛風になる 。(ホッピー族)

68.初めての客に語れば、常連が去った後にもその記憶は残る。(ホッピー族)

69.この酒場のあらゆるものには、一つひとつ目的がある。あらゆる酒には、それぞれに合う肴がある。おなじように、すべてのホッピーに役割がある。われらホッピー族は、生まれてきた理由をこのように説明する。(ホッピー族モーニング・ホッピー)

70.ホッピーとつきあう時間を持ちなさい。よそ見をせず、言い訳をせず、ホッピーをよく知りなさい。(ホッピー族)

71.ホッピーとは心との会話のこと。(ホッピー族)

72.葛飾の果てまで行っても 江戸川の向こうまで行っても 墨田の果てまで行っても 江東の向こうまで行っても 友達でないひとに 出逢ったことはない。(ホッピー族)

73.酒による行動には誤りがあっても、酒場による経験には誤りはない。(ホッピー族)

74.ジョッキーは中とホッピーを結ぶもの。酒場は素面という輪と酔っ払いという輪のかなめ。(ホッピー族)

75.酒の名は無意味、酔っ払いにとってほんとうの酒は愛なのだ。(ホッピー族)

76.成功している酒場では、ひとり残らず、なにかの夢を見ている。(ホッピー族)

77.酒場は生きてるものに力と助言をさずける。(ホッピー族)

78.大いなるホッピーはあらゆるところにやどっている。我らが呼吸する酒場の中にもやどっている。大いなるホッピーは我らの父。そして焼酎は大地、我らを育てる。我らはホッピーに還り、焼酎のもとに還る。(ホッピー族)

79.身構えず、ジョッキーからおのずと出る泡を信じるがよい。(ホッピー族)

80.呑みすぎる人間は酒の肴を侮辱している。(ホッピー族)

81..不思議な力とヴィジョンの酒場は、つねに準備の出来た訪問者を待ち続けている。(ホッピー族)

82.素直な言葉で語れ。おだやかな酒を連れて2軒目。(ホッピー族)


 ■  ■  ■  ■  ■

ということでした

朝に送信することが多いこのメールですが、さすがにこの内容ですから夕方にしました
さてと 一杯いきますか

ではまた


EHAGAKI #327≪アマルガムの国≫

2016年05月11日 | EHAGAKI

GWも終え、よい季節、良いこと考え、良いこと言いたい季節であります


3つの英文、習ったことがあるように思いますが、見比べて下さい↓

There is an old pond. A flog jumped into the pond. A made a splashing sound.(A)

An old quiet pond. A flog into the pond. Splash! Silence again.(B)

Old pond. flog jumping in. sound of water. (C)

Aは、説明っぽく余情が感じられない
Bはまだ賑やかな印象が
Cは、少ない言葉による表現が、芭蕉の句に似た質感が
Cは小泉八雲の英訳であります
言葉に依存しない感覚、言葉の向こう側に存在するものを表現されていると感じます

俳句! 角々しいデジタルではなく、多様性に満ちた曲線によるアナログ的世界であります
俳句に関係するの本を2冊読みました

笑う漱石
南 伸坊
七つ森書館
言葉で世界を変えよう 万葉集から現代俳句へ
茂木 健一郎,黛 まどか
東京書籍

 

今回のお題は「アマルガムの国」

「言葉で世界を変えよう」からその難しい対談をメモしてみました

俳句ではなく日本文化の話になってしまいました
細かいニュアンスは省略、誰の発言かも省略してます


 ■  ■  ■  ■  ■


アマルガムとしての国

※アマルガム (amalgam) は、水銀と他の金属との合金の総称である。広義では、混合物一般を指す。ギリシャ語で「やわらかいかたまり」を意味する malagma を語源とする。 Wikipediaより


明治維新以降、ヨーロッパの様式が日本に流入、我々の様式は西洋と東洋の板挟みになった感がある
洋服、和服という言い方
和と洋 日本史と世界史 と分ける概念?

古来日本と言う国は、時代時代で新しい価値観が外部から入ってくると、それまでの固有な形式がものの見事に寄り添い一体化を重ねてきた

このような民族は稀有だと言っていい

平城京は、大和の山河に中国が出現したようなもの

日本には古来神道があったが、平城京の象徴である東大寺にしてもインドからシルクロードをはるばる渡ってきた仏教の大本山であり、なんとも大らかな受け入れ方

日本はそうやって海外の影響を受けて呼吸してきた国であることころは、今も昔も変わらない
それも言語や生活様式の違う人々と付き合ってきた

いわば異なるものの融合体=アマルガムな国である
自由自在で柔軟、現代より外に意識が向いていたかもしれない

お互いの感性が、文化や知性の交わりを導いてくれる

たとえばアンパン
パンの製法 → 餡をパン種で包む → 桜の花びらの塩漬け添える と日本的なものに仕上げられた

人間の生命原理も同じような現象に支えられている

一国の文化が様々な影響を受けても最後にはうまく形成されているように、細胞の遺伝子配列の何らかの変化も、最終的には有機体として吸収されてしまうもの

だから我々はもっと思い切って未知の領域に飛び込むべき
有機的組織体の可能性が、目に見えないレベルで我々をしっかり支えてくれているのだから

一つの国の文化も、一人の人間の身体も生命原理に則った共通点があるということ?

どちらも本来、完成を持ったアマルガム
様々なものが混ざり合いながらも統一が失われない有機体だと思えばいい

リセット文化のもとで

世代の継承にリ・ジェネレーション(再生)が欠かせないように、生命には主体的な再生、及びリセットが必要
再生とリセットがセットになることで、命のつながりが見えてくる

この「生命」を「伝統」に置き換えてみればいい

遷宮はまさにリセット、水辺のお祭りもリセット、厄を水に流すのだから、
天神祭や雛祭り、灯篭流しや花火大会まで祭りにはリセット的な性質が象徴されている

そして旅、旅も小さな規模でのリセット
疑似的に生と死を体感しリセットするのが旅

これは日本の地質や風土にも関係している

というと?

大火や地震による強制的なリセット
大地震や火事であっという間にそれまでの基盤がなくなってしまう、という歴史を繰り返してきた結果、潜在的な無常観というものを日本人は持つようになった

松尾芭蕉が旅をし始めたのは、大火で江戸の庵を失った後のこと
芭蕉は火事によって無常を痛感し、それが漂白の日々につながっていった

逆に考えると、それだけ自然が豊かであるということ、日本は
照葉樹林文化の国であり、砂漠のような風土とは違って絶えず変化を繰り返している

ヨーロッパの石の文化圏においては、伊勢神宮の遷宮みたいなことは思いもつかないこと

今回気づかされたのは、春日大社は国宝や重要文化財に指定されているから“遷宮できない”ということ

そうリセットできない

重文、国宝という概念自体がソフトウェアに至らない、という現れ
伊勢神宮がいろんな意味で特別

重要文化財にも国宝にも、そしてもちろん世界遺産にもなっていないのにあれだけ存在感がある
つまり、別のカテゴリー

日本で最高峰のものというのは、実は重文でも国宝でもなくましてや世界遺産にもならないところにあるのかもしれない
我々はそういうものを自分で探し出して大切にしていかなければならない

自分自身のものさし、自分自身の目が必要
日常とはまた別のもうひとつの目、私の場合はは、俳句を詠む目がそれにあたる

日本文化の精神

他者を受け入れ、共存しながらそれぞれの特長を選びつつ生かしていく
いわば「神仏習合」という概念が象徴するところの「日本化の精神」である

神仏習合の対局にあるのが、「廃仏毀釈」で、これはかなり深刻な爪痕

明治維新の時の仏教排斥運動?

そう
1868年の神仏分離令をきっかけに、寺や仏像が広域で壊された
1875年に信教の自由が保証されるまでかなり混乱し、結果的に宗教に対する政治上位というその後の政治姿勢をもたらしてしまったとも言える

もともと日本という国に馴染んでいた混合的な態度とは、異なる

我々が「和」と感じていた古来のものは、ある種混合的な文化の集まりでもある

日本語も文字における“神仏習合”というか外来語を日本化させたクレオール的言語
御物にしても、外国から海を渡ってきたものがたくさんあって、それが日本の国宝にもなっている、実におおらか

現存するのが日本のみといわれている曜変天目茶碗
これも国宝だが作られた場所は中国福建省建陽市

徳川家伝来の名器として今の時代に国宝として残されているが、発祥地である中国にはもう残っていない
これは象徴的
つまり、日本人の美意識が高い目利きとしてはたらいた現象でもある

日本文化の源はシルクロードを通り、中国や韓国を経由して日本に渡ってきたものがほとんどであるが、日本に伝わるとそこに「型」が生まれ「道」となり、独自の文化芸術まで高められる

中国伝来のお茶が茶道・煎茶道になるように
「よりおいしく飲もう」「より美しく飲もう」という意識

それが日本人の天性

日本が海に囲まれた島国で、その先に伝えるところがない、どんづまり
いわば、どんづまり文化
これ以上伝える必要が無いので、エネルギーが外側ではなく内側に向いていく
そしてより精密で美しいものを追究しようとする

俳句はその極致
万葉集にはまだ漢文の影響が見られるが、俳句はすでに日本語独自の境地に至っている


 ■  ■  ■  ■  ■

ということでした

この本でも取上げられている歌に触れ、数年前のある夜の出来事を思い出しました

タクシーの運転手さんと話していて、ある歌を詠まれたのです
そして運転手さん本を指しだし〇〇ページを開けろ、と

「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

その時のブログ↓
その運転手さん 和歌が好きで高校の時は「自分は天才だ」と疑わず
先生にも自作を自慢、先生もえらく関心し褒めてくれた、とか
ところが柿本人麻呂のこの歌に出会い「あかん、これは勝てん、これは越えられない」
と あきらめたとのこと

天~雲~月~星、海~波~船~林、そして人の動きと視線
地球と宇宙、自然の精神的なかかわりを言い得て、自分でもそんな表現をしたい衝動にかられます
でも運転手さんの様に自分には出来ないコトを思い知らされる、ちょっと羨ましい歌です
ブログ:橋長戯言:「Blue Moon」 2008.9.16

茂木さんも

天、海、雲、波、月そして星。僕はその文字列に釘付けとなり、しばらく目を離せませんでした。
小さい頃から追い求めているものが、歌の言葉となり、一つのリズムで流れていたのです。

と記しています

言葉という共有財産、自由に使える訳ですから大切に使っていきたいものです

ではまた