お世話になります
ここで“気候”にまつわる話題を書きそうになるんですが あえて控えておきます コントロール出来る訳でもありませんので
さて 今回のお題はラジオから
最近は朝にAMラジオを聞いております TVより広角な内容のニュースが聞けると思うからです
文化放送で一日数分の小さなコーナー「武田鉄也・今朝の三枚下ろし」で“失言問題”を取上げていました
■ ■ ■ ■ ■
文化放送(8/5~9)「武田鉄也・今朝の三枚下ろし」
以下 メモの羅列です
(8/5)
■失言する人は皆さんタイプが似ている
中肉中背の方が多い。大柄な人は少ないのでは?
雰囲気が似ている? = 性格が似ている?
いずれも高等教育を受けている
身長に関わらず 大股であるく方が多い?
■失言は思想的心情的なモノではなく体の使い方(身体的特徴)が失言をさせているのではないか?
失言した人は 難しい話を解りやすく話そうとする
簡単な話を難しくする人に失言はない
■ロラン・バルトの言語論
言語の共同体の中で生きている その言葉=「ラング」
個人に生起するゲ言語の感覚 =「スチル」
ラングとスチルから選抜された言葉づかいこそが「エクリチュール」
エクリチュール= 社会性、ローカル性
バルトは日本が好きな人だったんです
(8/6)
■言葉づかいは身体づかい
身体づかいが乱暴な人は 言葉づかいが荒くなる?
■「内田 樹」さんが指摘
橋下さんは睡眠時間が短いらしい 「4~5時間寝れば十分だ」
「そういう橋下さんの身体づかいが心配だ」
「疲れるっていう自分が許せなくなった、という人間は ちょっとしんどいんではないか?」
■失言はどうして生まれるか
(あくまで武田鉄也さんの考え)
(失言をする為には)
■失言の為には
私は無垢である
私は罪を犯していない
私は汚されていない
という純粋の主観をもっていないとだめ
「私は間違っていない」という考えをもっていないと失言は生まれない
=自分の考えに自信がある
「私は世界と人間を客観的に語れる」という あふれるような自信がないと失言は生まれない
■大人の言葉づかい とは?
=自分のバカさ加減に気づく それを知った言葉づかい
子供は絶対に自分が正しい 大人は自分が間違っているところから話す
自分が間違ったことを前提にした言葉づかい
■ある芸人さんの口癖
「いや さ オレもさぁ バカだから さ」と言われると大人だと思う
「オレも 人間が出来てないから つい カッとなちゃって さ」
「戯れた己のバカさ加減を枕詞にする」それに子供は大人を感じる ところが子供は自分のバカさ加減を絶対に口にしない
「バカさ加減を己にもってくるか 他人にもってくるか」で言葉づかいがポロッと変わる
■バルトのエクリチュール論で感動するのは
「ある言葉づかいをすると、その言葉からあなたは羽交い絞めにされる」
一旦不良言葉を使うとそれしか使えなくなる
思春期にボクからオレを語るとオレに拘る = 言葉から自分が使われる
オレ=「ふざけるんじゃねえよ」になってしまう
ボク=「やめてください」
そういう言葉に支配される
その言葉づかいからしか世界が見れなくなる 言葉の呪縛
■ロラン・バルト
ある言葉から羽交い絞めにされてしまう = 失言を生む
(8/7)
■ロラン・バルトのエクリチュール論
![]() |
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) 価格:¥ 1,050(税込) 発売日:1996-11 |
「ヨーロッパにおける言葉の解釈は意味を貫き強引に意味を挿入するだけのことなのだ。だからヨーロッパ的解釈には、けっしてあの日本の俳句には手が届かない。
というのも俳句を読むという日本での営みは言葉を「欲望」することではなく、言葉を「中断」することだからだ。」
日本人の言葉づかい=大人のエクリチュール
ヨーロッパ人の言葉づかい=子供のエクリチュール
ヨーロッパ人は解読 言葉の為に次々言葉を使う
■松尾芭蕉 を崇拝している
古池や蛙飛び込む水の音
例)
「静か」を創造させる為に「静か」という言葉を使わない=大人の言葉
言葉が指差すモノを見ないで その果(はて)向こう側を見る
■復興庁の人がツイッターで問題になったが たとえば俳句でやっていれば問題になっていなかったのでは?
また 病院で番号で呼ばれることで腹をたてた人がいたが
たとえば
「我が名をば 数で呼ばれる 侘しさや」
などにしてみればどうだったか?
■ヨーロッパ的解釈=真実を裸にしてすべてを露出させ、意味で充満させること
日本では好まない、つまり失言の主たちはヨーロッパ的言葉づかいであった為ではないか?
(8/8)
■『表徴の帝国』より
俳句においては言葉を惜しむということが、優先的に配慮される。これは私たちヨーロッパ人には、考えにも及ばぬことだ。
それは単に簡潔に語るということではない。逆に意味の根源そのものについて触れるということなのだ。俳句は短い形式に凝縮された豊かな思想ではない。己に相応しい形式を一気に見出した短い出来事なのだ。
■「内田 樹」氏は言う
バルトは、私たちの文化が見事に説明しきることや、何事についても、正しいことを明らかにすること、そういうことを目指さない。
無根拠に耐える、どこにも着地できない、宙吊りの感情をそのまま表現する。それが人間的な成熟なのだ、と日本の文化はみなしている。
物事をハッキリさせなくても、平気でいられるという民族的な奇妙な習慣をまだもっている民族として、日本人は世界でも非常に珍しい文明人である。
■正しいことを言う人を立派だという考え方は日本には根づいていない?
正しいコトを言う人 = 煩い人
猪瀬さん、石原さん、橋下さん、麻生さん、高市さん うるさい?
(8/9)
■失言から短歌
![]() |
短歌があるじゃないか。 一億人の短歌入門 (角川ソフィア文庫) 価格:¥ 700(税込) 発売日:2013-04-25 |
を紹介
<すいません この回はちゃんと聞いていませんでした>
言葉が指し示す方向に意味はなく
言葉の指し示す反対側にぽっかりと意味がある
■ ■ ■ ■ ■
ということでした
もう何年も前 1995年頃に「『客』という言葉はない 『お客様』という言葉を使おう」ということを徹底!そうすると営業に表裏がなくなり、組織としても無駄な力を入れずに、楽に営業活動が出来る様になった様に思います
ちなみに今回の
「ロラン・バルト」「言語論」「エクリチュール論」「表徴の帝国」 等々 もう少し掘り下げようかと思いましたが 難しそうでとても手に負えない と判断!そのうちにまた改めます
ではまた