Reflections

時のかけらたち

最後の最後は二王座歴史の道散歩  - 九州⑩ ・・・ Niouza Historical Road

2025-03-04 23:57:48 | wonderland

1月29日

バスで臼杵駅まで戻ったのですが、同じバスにはほとんど人が乗っていなくて、途中で降りた
2人組はバックパッカーで、城下町を歩いたのだと後から思いました。
私達は駅まで戻って、列車が来るまでに行けるところを考えて、計画時に二王座の道くらいと
思っていたので、やはりそこまで歩くことにしました。

あまりちゃんと調べていなかったので、道がわからなくなったりして、疲れていたせいか
ちょっとイラっとしてしまって友達と8日間も一緒にいると失礼な言動になったりして
後から反省したりして・・・



古い町並みが保存されている道です。





もっとベストショットな場所があったはずでしたが、残り時間も少なくゆっくりと回ることができません
でした。

柴睦巳備忘録より写真をお借りしました。↓
このお寺、旧真光寺からの眺めが素晴らしかったのでした。


カフェもやっていないもよう・・・

 

井戸が残されていました。


大急ぎできた道を戻りました。切通しの方を通ればもっと違う景色も展開されたかも
しれないけど、道に迷っても帰りの電車に乗り遅れると困るので安全を選ぶことにしました。

臼杵から特急を乗り継いで小倉駅から新幹線で帰るという長旅。


のどかな田園地帯を走り・・





別府近くを通り、そのせいか外国人観光客が多く乗っていました。



行橋とか、福沢諭吉の中津を通って行きました。

行橋海岸は家族が九州転勤になった時に、連れて行ってもらった記憶があります。

 

小倉で新幹線に乗りかえ、東京に向かいましたが、最初はトンネルだらけで景色をあまり見ることが
できませんでした。

中学・高校時代に父の転勤で九州に家族が引っ越して、私は東京の学校に残り、休みの旅に寝台列車で
九州に戻りましたが、その時の朝は瀬戸内海の海がずっと見えて輝いていたのを覚えています。


姫路通過

尼崎あたり・・

陸路九州から帰るとは思っていませんでしたが、それほど長く感じませんでした。

それでも帰ってからしばらくボーッとしていて、別の空間に行っていたのだと距離感を
感じました。今まであまり旅行をしたことがなく、せいぜい京都・奈良だったので、日本の中にも
素晴らしいところがたくさんあることを感じたのは難病の夫が亡くなってから娘と旅行してから
でした。今では同じ時間を生きる同年代の友人が意見が合えば一緒に旅する仲間になりました。
年代が同じだとシェアすることが多く、共感できるところがいいですね。一人で行きたい所に行くが
私の若い頃のスタイルでしたが、年を取ると二人旅もいいなと思います。おかげで一人では行けない
ような世界に行くことができます。

旅から戻りあっという間に1ヶ月がすぎ、2月が飛んで、3月になりました。お雛さまも2月の末に
やっと飾れました。花粉症の上に、風邪をひいて微熱が出てぼんやり過ごした月末でした。

帰ってからすぐセツブンソウだけは見なくてはと自然教育園や、庭園美術館などに出かけ、歌舞伎も
すぐ見に行ったり・・・あとは歌の練習やボビンレースをしてゆったりと過ごしていました。

3月末の娘との金沢・福井の旅行のアウトラインがだいたい決まって、今は6月ころの尾瀬の旅行を考えて
いたら、福島からあまり混まない尾瀬沼に入り、会津若松や憧れの只見線にも足が延ばせそう・・
等とハイキング+温泉のツアーが出来そうと構想中です。いつまで歩けるかと思うと四国お遍路ももう
タイムリミットに近づいています。

 

Jan. 29 2025  Usuki (Oita)

 

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旅の終わりに臼杵の石仏めぐり -九州⑨ ・・・ Usuki Stone Buddha tour at the end of the trip

2025-03-03 16:31:02 | wonderland

1月29日

成田を含めて8日間の旅の最終日。
南の島から冬の九州に入り、温泉三昧。
最初は奄美大島だけの予定でしたがせっかく九州に行くのだからほかにも寄ってみたらの友人の言葉で行きたかった場所の中から
選んで九州横断という私にとっては大旅行となってしまいました。

最後の目的地は臼杵石仏です。子供の頃、たぶん土門挙の写真が印象に残っていた摩崖仏を見に。その時は仏頭が下に置かれて
何かとてもワイルドな感じがしました。 今はそれぞれ建屋に囲まれて自然の中にあるイメージとは違っていました。
でももともとは建屋があり、保護されていたと書かれているものもありました。とにかく平安や鎌倉時代からのもので
途中荒れ果てていて、それを土門拳が写真で広めたようです。

石で作られた仏さまはどっしりとしていますが、繊細でやさしさに溢れていて何か人々を包んでくれるような感じもしました。
石なのに暖かい感じがします。









 

国宝臼杵石仏

時の流れを映す摩崖仏

 





 
朝食は全く普通のタイプ






今回は朝温泉に浸からないで、石仏へと歩いて向かいました。
10~15分くらいで着いたと思います。

 

 

 






最初のホキ石仏第二群の一部は補修作業中でした。



ホキ第二群石仏









この横から急斜面が続き、平安時代の石造五輪塔があるというので、友人が見に行き、しばらく
1人で石仏を見ていました。

 

山王山はかくれ地蔵ともよばれて、とても和らいだお顔でした。


この仏さまはとてもかわいらしくてほっこりします。
この横に坂道が続き、私も頑張って登って行ったら先に行った友人が降りてきて、頑張っている私を
褒めてくれました。まるで子ども扱い。日吉神社からも五輪塔につながる道があり、そこなら険しくないので
行ってみることにしました。









最後に最高の古薗石仏へ

どの仏様も上からじっと心の中まで見透かすようなまなざしでした。
1人仏さまに対峙しているとそんな感じ。癒されるような救いの手を差し伸べてくれそうな
眼差しが届きます。

お経を読んでいる参拝者もいました。友人もお経の冊子を持ち歩いているので、何やら
唱えているようでした。漢字を見ていると落ち着くし、仏教思想が自分の考えに近いとも
話していました。




 

石仏入口から臼杵駅行のバスがあるのでそれに乗って駅周辺に行きます。

 

国宝臼杵石仏

 

Jan. 29  2025  Usuki (Oita)

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臼杵でとらふぐ -九州⑧ ・・・ Tiger blowfish in Usuki

2025-03-02 18:07:01 | dish

1月28日

三重野町駅を出て陽が落ちる前に臼杵に着きました。ここからでも1時間のバス旅です。


臼杵石仏の英語の看板が見えました。





「臼杵でとらふぐもいいね」と食べることにはほどんど興味のない友人の一言で最終地を臼杵に決めました。
石仏も見てみたかったので。九州では国東半島の石仏を見たいのですが、なかなかの秘境のようです。

ふぐなんて何十年ぶりに食べます。人生2度目のふぐフルコース。


さすが地元です。
ここでは肝をポン酢に溶かしながらそれにつけていただきます。


絶対に日本酒です! 友人はお酒をいつからか飲まなくなっていたので私だけです。



写真撮り忘れたふぐのから揚げもおいしかったです。



白子の焼きかてんぷらがこの時期の特別メニューだったのでひとつずつ頼んでシェアすることに。
私は焼き白子が好きでした。もう絶品。



締めはふぐちりと雑炊。

もうおなかがいっぱいでした。

 

食後休んでから、まったりした薬師の湯につかり旅の最終地の温泉を楽しみました。

夜つけたTVで歴史の番組で織田信雄(信長の次男)の話があり面白く見てしまいました。

 

Jan. 28  2025  Usuki (Oita)

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竹田城下町を少し歩いてから臼杵へ向かう -九州⑦ ・・・ walking around Takeda castle town

2025-03-02 12:16:14 | wonderland

1月28日

竹田駅に戻る手段がタクシーしかなくて、岡城址の入り口で荷物を取ってタクシー会社を聞いて電話をしました。
時間があれば竹田城下町をゆっくり歩きたかったのですが、本数の少ない列車に乗るためにカットしました。
タクシーの運転手さんが城下町のめいんの所を通ってくれて、車の中から静かな街を見ました。金沢の武家屋敷と
同じように人々が昔の環境を保存しながら暮らしている街です。観光客もいなくひっそりとしていました。

駅の近くで降ろしてもらって少しだけ歩くことにしました。

滝廉太郎関連を通りながら・・・
荒城の月が岡城がモデルとだけしか知りませんでしたが、
この若い才能あふれた音楽家のルーツが大分にあり、残念なことに
23歳という短い生涯であったことを知りました。←帰ってから調べて

 

音楽の街




このトンネルでは滝廉太郎のメロディが流れます。

 

早世の天才作曲家滝廉太郎とはその功績と生涯を紹介   Art Plaza Times



住居が記念館になっていましたが、入ることは時間の都合上できませんでした。
滝廉太郎の父親は大分の日出藩家老職を務めた名門の出で明治維新後は役人になり、内務省勤務後
地方を転勤で点々として滝廉太郎の少年時代をここ竹田で過ごしました。滝廉太郎は東京芝の生まれですが
結核にかかりドイツ留学から戻り、大分で最後を過ごしたとのことです。大分はゆかりの土地だったのですね。
親しみやすい曲を作曲した滝廉太郎。短い生涯を残念に思います。




 

豊後竹田駅に戻りました。
最初駅に着いた時に、バスのことを聞いたりしていましたが、岡城行きのバスが来るまでに時間が少しありましたので
臼杵へのルートを観光案内で聞きました。無人駅も多いのに観光案内があって助かりました。
とても親切で私が路線検索で探した中判田駅から路線バスで40以上の停留所があるところを行くルートに不安もあり
相談すると、三重町駅から臼杵へのバスがあるのでそれがいいとの勧められました。宿泊が臼杵の石仏近くなので
そこを通れば宿は近いです。ルート変更して宿に電話して、最寄り駅「望月」を確認しました。最初に調べたルートだと
多分臼杵駅まで行ってタクシーです。

とても親切に相談に乗っていただいて大変助かりました。

 

竹田駅からの車窓の風景


三重町駅に着いてまずバス停を確認しましたが、駅には誰もいなくて、
表示も聞く人もいなくて、やっとタクシー運転手さんに聞くことができました。

駅から少し離れた場所のバス停を確認してから、駅の前のコーヒーショップでおいしい
挽きたてのコーヒーをいただきまた。ペストリーの一つも食べたかったのですが、
夕食のふぐのコースが食べられなくなるよと友人に止められました😢


 


小さなかわいい駅でした。

 

Jan. 28  2025  Takeda → Miemachi

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古城の跡で聴く風の音 -九州⑥ ・・・ Oka Castle

2025-02-28 23:59:38 | wonderland

1月28日

竹田に寄ったのは岡城に登るためです。ただ私の中のイメージだけで行ってしまったのですが、どうも「天空の城」の竹田(たけた)城と
混同してしまっていたらしい。岡城は臥牛城(がぎゅうじょう)・豊後竹田城(ぶんごたけたじょう)とも呼ばれる。

「竹田の子守歌」は京都伏見の竹田と私の頭の中で竹田がごっちゃまぜになっていました。

明治維新後の廃城令により、明治4年(1871年)にすべて廃却され石垣だけが残っている。滝廉太郎が竹田市で少年期を過ごし、「荒城の月」
を作曲した城です。

明治維新は興味深い革命ですが、廃仏毀釈といい、廃城といい愚かしいことをしたものです。革命は文化の破壊を伴うことが多いのは
非常に残念なことです。

 

バスで岡城址について、チケット売り場でロッカーのことを問い合わせると、ないので受付で預かってくれることに
なりました。広いので後半早歩きをしたので、預かってもらえてよかったです。

訪れている人もいない、他に1~2名くらいしか出会わない場所でした。


ここでやっとステッキを組み立てました。










この城山の上では強風が吹き、吹き飛ばされそうなくらいでした。
この難攻不落の城も火災が多かったとどこかで読みました。よくこんな場所で暮らせたと
思います。そしてなぜ石垣しか残っていないのかは後から調べて分かりました。



このロウバイが咲いている屋敷跡で最後のレモンケーキを食べて、ブレーク。
とにかく少しでも風が来ないところで・・・

 


とても広大な城跡。三の丸からの景色と確かビュー・スポットがあったはずと急いで回りました。


その周りのさらに広大な九州の自然。


 

写真のトーンが違うので一眼レフの写真をまとめて


阿蘇山方向か?



























くじゅう連山


 

Jan. 28 2025  Takeda     (Oita)

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再び阿蘇を通って竹田へ -九州⑤・・・ going through Aso again to Takeda

2025-02-27 23:53:10 | wonderland

1月28日

旅行前から黒川温泉が雪の天気予報になっていたので心配でしたが、やはり雪が朝降っていました。
時にはバスも止まってしまうと聞いてたので、公共交通手段がなくなったらタクシーしかないと宿で教えて
もらいました。

帰りの交通手段を聞かれて、8:25のバスと答えるとそういうお客様もいらっしゃるのでバス停まで送りますと言われました。
朝食も8時からなのですが間に合わないので10分くらい早めてくれるというので、帰る支度をして20分で朝食をいただき
チェックアウトして車に10分には乗ってバス停まで連れて行ってもらいました。雪だったので近いとはいえ、ほんとうに
有難かったです。ワゴン車を運転してくれたのはなんとあのテキパキした女将でした。


朝食もとてもおいしかったです。なんと馬刺しが納豆の上に刻んでトッピンッグしてありました。
なんという贅沢。






バスはゆうステーションで乗り替え、阿蘇駅まで向かいました。
杖立温泉に阿蘇から行ったときと同じ道です。

そして私たちは覚えていなかったのですが、ゆうステーションで乗り替えたら、杖立に行った時と同じ運転手さんで
来るときに乗せましたよと話しかけてきました。あの大観峰入口で降りて見てきていいと言ってくれたやさしい運転手
さんです。
いろいろ説明とか、ご自分のことも話すので、私と友人とで代わるがわるに答えました。
運転しているのでこちらからは話しかけられませんが、話してくるので相槌を打ったりして長い道中を行きました。

ここのバス停か何かは「男はつらいよ」のロケが行われたところとか。
寅さんもいい所に来ているよね。















ゆうステーションで乗り替えてから1.5時間くらいかかって阿蘇駅まで戻ってきました。

 

阿蘇駅から豊肥本線の九州横断特急に乗りますが、JR九州のキャラクター「くろちゃん」模様の列車は「あそぼーい」と言う名前らしい。

大分、別府方面のこの特急はほとんど中国人観光客でした。いちごの箱ひと箱持って、嬉しそうに写真を撮っている
中国人家族の旅行者がいました。

友人は今度からこの春節あたりに旅行は避けようと話していましたが、中国人の大家族が楽しそうにしているのを
見ているのは好きだとも言っていました。

この前、新大久保と言っても大分新宿に近い所にあるカフェで欧米の人たちがいちごパフェをおいしそうに
食べていました。日本のいちごっておいしいんだろうね。




くまもんと間違えそう・・・ 全然違うか(笑)


 

豊後竹田には40分くらいで着きました。竹田で降りたのは私たちくらい・・
静かな駅前でした。あまり待たずにバスが来たので岡城址には12時前に着きました。

 

青 バス 黒川~ゆうステーション~阿蘇駅
赤 JR  阿蘇~豊後竹田

車でまっすぐ行けば近い竹田ですが、公共の交通機関を使っていくと倍以上の距離を行くことになります。

 

Jan. 28 2025   Kurokawa → Aso → Takeda

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黒川温泉 -九州④ ・・・ Kurokawa Onsen

2025-02-26 23:25:57 | wonderland

1月27日

緑ゆたかな山々に囲まれ、三十軒の旅館が集まった「黒川温泉郷」。
高速道路からも駅からも遠い、田舎の温泉街です。
季節ごとに美しく表情を変える自然と、豊富なお湯が私たちの誇りです。

黒川温泉郷では、三十軒の宿と里山の風景すべてを、
「一つの旅館」として考えています。
それを表す言葉が「黒川温泉一旅館」。

                        黒川温泉のホームページより

 

12時少し前にバスで黒川温泉について、宿で荷物を預かってもらうことにして周りを散策することにしました。
選んだ宿御客屋は古い歴史を持った純和式の旅館です。最初に受付で対応された方が、とても感じがよく
この温泉のレベルの高さを感じました。

黒川温泉で三百年、半農半宿でつなぐ
 江戸中期、肥後細川藩の御用宿として創業した「半農半宿」の宿です。全13室に対して、軟らかな温泉が湧く湯処は7つ
 ございます。この地に300年根差してきたからこそ知る里山の魅力と、心尽くしのおもてなしで皆様をお迎え致します。
                       御客屋ホームページより

 

阿蘇のあたりまで来ると観光客はほとんど外国人です。旅館も90パーセントは海外からの旅行者のようでした。
街を歩いても・・ よくこんな奥地まで来ると感心してしまいます。

ちょうど春節を前倒しして休暇を取っている中国人が多かったです。若い人たちにも人気で香港からもかなり来ていて
おしゃれでかわいい若い女の子もいました。インスタか何かで知ったのか、黒川温泉のPRが上手なのかわかりませんが・・





昼食は前日の朝に熊本駅で買ったパンの残り・・
東京から持ってきたレモンケーキやフィナンシェもまだ残っています。
川を臨む東屋で。



多くの外国人がここで写真を撮っていたので私も撮ってもらいました。





いろいろなお店があるのですが、陶器のお店に入ってみました。








 

少し雨もパラついたり、やんだりの天気でしたが、友人は奥のハイキングコースを偵察に行って、どうってことない
道らしくぐるっと一回りして宿に戻ることにしました。

 

雨もパラつくし、早めにチェックインして部屋でくつろぎました。
お部屋はなんと申し込んだ時は眺めのない6畳でしたが、8畳のゆったりした部屋に変更してくれて
いて、ラッキーでした。






各部屋にお風呂はなく、お湯も出ませんが洗面用のお湯をポットに入れて運んでくれて
いました。清潔感があり、お茶のお香が焚いてありました。

持ってきたお茶を点てて、午後のお茶の時間です。

 

夕食も早めの時間にしてもらいました。


どれも美しくておいしかったです。





どうしても天井のライトがは写ってしまいます。

馬刺しはずっと昔の熊本出張の時以来です。
かわいそうだけど、おいしかったです。






熊本は牛肉もおいしくて・・




食事は個室でいただけますが、BGMがうるさかったので音を下げてもらおうと思ったら、友人も感じていて
なくてもいいというので切ってもらいました。

贅沢な夕食でした。

 

夕食後は宿で「湯あかり」を見に寒い中出かけました。



イルミネーションの幻想的な世界でした。


















散歩が終わり、あとはたくさんある温泉をゆっくり楽しみました。

立ち湯があったのは杖立でなくこちらでした。間違えて書いてしまっています。
細川の殿様や代官、参勤交代の一行などが旅の疲れを癒したお湯です。お肌もすべすべになりました。

のんびりと過ごした温泉宿の一日でした。

翌朝は早いバスに合わせて食事も少し早めにしていただいて、しかも車でバス停まで送ってくれることに
なりました。近いのですが、坂道で雪でも降ったら大変です。

 

杖立と黒川と両方行くことができて良かったです。それぞれの良さがありました。昭和のまま佇まいが残る杖立と
Uターンした人たちや若い力が加わって、歴史の中にも洗練された温泉地を作り上げて行った黒川温泉。

 

Jan. 27  2025   Kurokawa (Kumamoto)

 

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杖立から黒川へ(修正・追記あり) -九州③ ・・・ from Tsuetate to Kurokawa

2025-02-24 23:53:36 | wonderland

1月27日

ゆったりしたスケジュールの九州2日目の朝



前夜、食後に話し込んでしまって、また友人の過去の話を聞かされてしまいました。知りたくなかった話でした。
若い頃の彼からその軌跡がすごすぎてどんな人生をおくって来たのか、今の孤独で静かな生活からは想像できません。

 

朝食も8時からでのんびりでしたが、朝早く起きて、6時くらいから美の壺で橋のことをやっていて女性の橋のデザイナー
大野美代子さんを知りました。熊本の美しい橋の写真が出ていました。友人は橋も仕事でかかわっていたせいか知っていて
ピンク色を使って斬新だったと話していました。

気になったのはこの温泉卵用の器。特別に作ってもらったものということでした。


軽めで程よい朝食でした。



よく覚えていないのですが、バスが10:40だったので、たぶん食後に温泉に浸かりました。
スィッチしたお風呂に入って違いがあって面白かったです。前日は立ち風呂と言う深いお風呂もあり
蒸し風呂も違う形のものがありました。→ 立ち風呂は黒川温泉でした。
お風呂も食前に入ったのか食後だったのかもう覚えていません。

部屋の掛け軸はこの温泉のことを書いたものでした。


 

バスまで時間があったので、また街を一巡り・・・

川沿いからも入れるようになっている温泉。


北里柴三郎生誕の地です。


お気に入りの小道に入りました。





小さな祠がありました。








泊まった温泉宿を対岸から・・

早咲きの桜が咲いていました。

バスでゆうステーション迄まず行きます。


ここで黒川温泉行に乗り替え。





杖立よりももっと山奥に行くような感じでした。

 

黒川温泉に着きました。


なんだか素敵な予感がします。


明日のバスをチェック。実はまた道に迷って、最初のバス停近くに出てしまったのです。
宿の「御客屋」はバス停からは近い場所にありました。



宿への期待感が高まる町の佇まい。それでも坂が多いので翌日雪が降ったらどうしようかと思いながら
あるいていました。

 

Jan. 27 2025  Tsuetate → Kurokawa (Kumamoto)

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これからのコンサートなど ・・・upcoming schedule

2025-02-23 23:59:10 | art

もう2月も終わりに近づいているなんて、なんと時のたつのが早いのでしょう。
またお雛様を出す季節になりました。去年も出したばかりなのにまた出すの?と思ったけど
今年も同じような感覚です。

今年の予定はまだ何も入っていなかったのにあっという間にいろいろ入ってきました。

 

3月3日

シャンソン歌手の高木涼太さんのクラスメートだった従弟より、高木さんつながりで
知り合ったあみさんのライブのお知らせがあり、また行ってみることにしました。
明るくてとても素直な歌声が楽しいです。

 


慌てて取った来月の歌舞伎、仁左衛門の人気のすごさに驚かされるチケットのなくなり方。
ギリギリ買える席が1日やっと見つかったので、3月5日の夜の部に行くことにしました。
昼は一幕見に行けたら行きたいと思っています。

松竹株式会社が創業130年を記念して、歌舞伎座にて三大名作の一挙上演が決定
3月には元禄時代に起こった赤穂浪士による仇討ちを描く『仮名手本忠臣蔵』、9月には平安時代の菅原道真の失脚事件
を中心に、道真の周囲の人々の生き方を描く『菅原伝授手習鑑』、10月には源義経を軸に平家滅亡後生き残った平家の
人々を描く『義経千本桜』を通し上演。

 

 


3月15日

妹と一緒に行こうと半年以上前にチケットを取った若手がショスタコーヴィチに挑戦する
プログラム。

なんとこの日の午前中にコーラスのリハーサルが入ってしまいました。

 


3月23日

娘と金沢・福井の旅行の翌日、九段フェスティバルのコーラス発表の後、西荻で
落語を聞いた後で中学の同窓会の打ち合わせがあることになってしまいました。前回も
旅行で行けなかったので、今年は何とか・・

 

5月27日のムジカーザで北村朋幹のコンサートがあることを知ったのは何と昨日のKAJIMOTOからの
メール配信でした。それで今日からチケット発売。はじめてこのReal Timeのコンサートを知った時
チケットがその日のうちに売り切れてしまったので、今日は売り出し開始とともに申し込みました。
やっぱり昼の分は今日中に完売して、夜の部も残り僅かでした。あの小さなコンサートホールでの
北村朋幹の挑戦的なコンサートを聴くのは楽しみですね。

 

こちらはART NIKKEI のメール配信で知った、芸大美術館の企画。
相国寺に行ったことのある小学校の同級生からいいと以前聞いたことがあり・・

若冲の名前を見ると行きたくなります。

 

私は積極的に情報を集めている方ではないので、気がついたら行くくらいなのですが・・

 

スマホの写真が容量いっぱいになってしまって作業ができなくなり、写真の整理してたところ、中にベニシアさんと
中村明久さんの動画があり、見ていたらとても懐かしく既に他界されたベニシアさんを偲びました。
中村さんの「その人にしかできないことがある」と言う言葉も好きでした。

5年前にブログでもアップしていました。ベニシアさんと陶芸家中村明久氏との友情がすてきです。

ベニシアさんのエッセイ(追記あり)

中村さんが作ったお茶碗でお茶を点てて、視力も弱くなっていたベニシアさんにお茶を点ててあげる
シーンにグッと来てしまいました。

掛け軸は「夢」 夢のように終わる人生。一時一時を大切に。
二人の気持ちがいっしょになる時間。一服のお茶で繋がる時間。

 

今年の予定としては混雑を避けて尾瀬にも行ってみたいと思っているところです。
老人にいいコースがあったら情報をいただけたらと思っています。ちょっと調べたところ福島側から
入るのがいいと書いてありました。登山はしないでひたすらハイキングで無理なく行けたらと思っている所です。
若いころから行ってみたい場所ではありました。
四国のお遍路は一部分でもいいので行ってみたいのですが、そろそろ限界が近づいているような感じです。
最後の夢、イタリアはどうなっちゃうのだろう? 私の最初の機織りの先生は80歳を超えてから一人で東欧にお孫さんに
会いに行っていたけど・・・

 

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杖立温泉 - 九州② ・・・ Tsuetate Onsen

2025-02-22 23:59:27 | wonderland

今日はベルカントの体験の日で、その後追加のレッスンもあり、体調もあまりよくないのでグッタリでした。
大分歌いなれてきたのですが・・・

写真は熊本県の山奥のひなびた温泉からです。

 

1月26日

阿蘇を回って、杖立て温泉についたのはもう4時近くになっていました。
山奥の風情のある歴史のある温泉です。杖立温泉は私の最初の計画には入っていなかったのですが
友人が良さそうだよと薦めてくれました。昭和レトロ感の漂う温泉は、人影も少ないのですが、面白い場所でした。

 

数多くの神話や伝承が物語る1800年の由緒ある歴史

湯に入りて、病なおれば
すがりてし、杖立ておいて
帰る諸人

弘法大師

杖立温泉で愛されるこの一句。
平安時代の初めに旅で訪れた弘法大師空海が、
温泉の効能にいたく感銘して詠んだと言われるもの。
持っていた竹の杖を立ててみたところ節々から枝や葉が生えてきたことから、
「杖立」という地名もついたと言われています。

そもそも、ここ杖立温泉のはじまりは1800年以上前の仲哀天皇の時代に遡ります。
仲哀天皇の御子をみごもっておられた神功皇后が、筑前の宗像で産気づきます。
その時現れた白髪の老人が「これより東南に川をさかのぼると霊泉がある。
これを汲み産湯に用いれば皇子は千歳の寿を保たれるであろう。」と告げたそう。
それを聞いたお付きのものが、険しい山々を越え一筋の湯気を見つけ皇后のもとへ持ち帰り、
産湯として奉ったこの霊泉こそが杖立温泉。
そして生まれたのが後の応神天皇だったと伝えられています。

数多くの文化人が常宿として親しんでいたり、
映画や音楽のロケ地として愛される絶好の雰囲気をもった温泉街です。

---------------------------------

・・・これほど独特の雰囲気をもった温泉集落の景観が楽しめる町は珍しいでしょう。
山道を抜けて杖立川の渓谷が見えると、川を挟んだ町のあちらこちらからのぼり立つ湯けむり。美しい川のせせらぎが
旅情をかきたてます。はるか昔から泉質の良さが評判となり「湯治の街」として愛され、昭和のはじめには「九州の奥座敷」
として歓楽街としてのにぎわいを見せました。

平成に入るとその華やかな盛り上がりは衰退していきますが、いまもその名残をあちこちで感じることができます。そしていま
さまざまな歴史を受け継ぎながらも由緒正しい温泉街として静かに息づいています。

杖立温泉のホームページより

 

 



翌日の交通をチェック
私たちが行くのはいつも交通手段もほとんどないひなびた場所ばかりなので一つ逃すと
大変なことになってしまいます。

創業140年以上の泉屋旅館に宿泊。荷物を預かってもらって近辺を散歩しました。















対岸にかわいい鳴き声のジョビ男を発見。




ハクセキレイも・・・


ジョウビタキやハクセキレイに会えてよかったです。



「背戸屋(せどや)」と呼ばれるノスタルジックな路地裏散策へ







パンフレットで見たプリン屋さんは閉まっていました。









路地があちらこちらへ・・・




友人はこの先へ探検に行っていました。私は上る気がせず・・・


夕食も程よい量でおいしかったです。旅館の料理は盛りだくさん過ぎてもう入りません。
てんぷらがついていなくて良かった。



熊本の牛肉は柔らかくてとてもおいしかったです。阿蘇の方の赤牛と言われているものらしい。



ほうじ茶プリンもおいしかったです。プリンが有名な場所らしい。湯布院とかのプリンも時々東京でも
売っていたりします。




温泉は古くからの蒸し風呂があったり、いろいろあって面白かったです。
露天風呂は寒かったけれどたくさんの星が輝いていて、星空のもと宇宙を感じて入る
温泉はとても素晴らしかったです。

地元の人たちに会い、黒川温泉より、杖立が好きと話していました。黒川温泉は観光地としては
成功している場所ですが、この古いままの温泉も素敵でした。

 

Jan. 26  Tsuetate (Kumamoto) 

 

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