6月18日
家の中が大混乱におちいっている時に、いつものコンサートがありました。
2012年6月18日(月)東京文化会館指 揮: エド・デ・ワールト
チェロ: マリー=エリザベート・ヘッカー → ポール・ワトキンス*
管弦楽: ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー
【曲目】
シューマン: チェロ協奏曲 イ短調 作品129*
《アンコール》
J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第3番より「サラバンド」*
マーラー: 交響曲第5番 嬰ハ短調
ソリストの急病による変更がありましたが、もともとチェロの音が
大好きだった私はその落ち着きのある音にこれだった・・と思いました。
学生時代にアルバイトをして買ったロストロポーヴィッチのドヴォルザークの
チェロ協奏曲のコンサート・チケット・・そしてそのLPレコード
バッハの無伴奏も聴きに行きました。安田謙一郎です。今はどうしているのかな?
パブロ・カザルスも好きでした。
今もマーラーの曲が私の中を時々流れます。あのアダージェット・・
なんともいえない感情が私の中を渦巻くのです。
最後には父と母ががんばってと私を後ろから押してくれているような
そんな感じに包まれました。
マーラーの曲の中には不思議な動物が生きているようなそんな感じも
して時に面白くもあります。自然や底の深い絶望やかすかな希望や
いろいろな感情が入り乱れています。
私が聴きながら醒めていたのか暇なドラの奏者が頭を触ったり
落ち着きがないので目に付きましたが他でも「出番の少ないチェレスタ担当者
(ドラも演奏)の手持ち無沙汰の仕草にもちょっとがっかりしました」と書いてある
記事を見て私だけでなかったのだと思いました。退屈だろうけど
これはオケのまとまりを欠く行為ですよね。
マーラーを聴きながら、Sがまだ保育園の頃、スイミングに通っているのを
付き添って見ていたときを思い出していました。二人でそうやって育てて
来たのだと・・ つい最近もTVでやっていた「8日目の蝉」も子供の持つ
奇跡を描いていると思いました。小さな時の輝きと大人になってきて
自立して一人の人間となっていく・・
こうやっていつくしんで育ててきたことをいつかわかって欲しいと思いました。
私が図らずもなくなった後に父の思いを知ったように。
これからいさぎよく生きていけたらなと思いました。
出来ることとできないことをわきまえて、give up することも必要なのだと
瀬戸際で生きて思いました。
悩みが続いた後に、用事があった鎌倉に行ってイワタバコと紫陽花を
見て、その向こうに海を見ました。
写真は6月24日の鎌倉です。
東慶寺 & 成就院