Reflections

時のかけらたち

上野奏楽堂で初めて観るロッシーニのオペラ ・・・ first time to see Rossini's opera

2024-12-23 22:55:22 | music

12月21日


歌舞伎やコンサートが続いてどうしようかと思っていたところですが、山畑先生が歌うロッシーニのオペラは
やっぱり聴いてみたくなり、秋の深まる上野の旧東京音楽学校奏楽堂に向かいました。

プログラムの山畑先生のプロフィール





朝、家で色々片付けて、大急ぎで12時半開演の舞台に向かいました。お昼のサンドイッチを買って
奏楽堂では飲食禁止なので、すぐ外で腰かけて小さなサンドイッチを食べました。

枯れ葉に温かい日差し。



Hさんから頂いた写真がすてきでした。





大好きなコンサートホールの一つです。

終演後、山畑先生と。
コンサート形式の演奏会でどこまで伝えられたか心配されていましたが
とてもドラマティックできめの細かい表現で素晴らしかったです。
ピアノとヴァイオリンだけの伴奏で、ピアニストはいつもイル・テアトロでも伴奏をされている
うえだ よう氏でスケールの大きな音楽でした。

ギリシア悲劇アンドロマケを題材にした、激情に流されるエルミオーネの悲しい物語。
山畑先生は気高さと気品も持ち合わせていてとても素敵でした。





ちよだオペラ座の仲間と・・・
なんと私の隣の方は中学校の恩師のお嬢さんで、驚きの出会いでした。


賑わっていた上野公園口も黄昏てきて人が少なくなって、風も強くなってきました。
3人で台湾スィーツのお店でお茶をして帰りました。

 

Uさんから頂いたつまみ細工のブローチをつけて行きました。

翌日の今年最後のイタリア語のレッスンの時は深い緑色のブローチです。
クリスマスシーズンにぴったりの手作りのブローチを有難く、つけさせていただいています。

 

Dec. 21 2024 Ueno

 

 

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スコットホールでの小さな贅沢なクリスマスコンサート ・・・ Concerto di Natale at Scott Hall

2024-12-21 23:59:19 | music

12月18日



今年も素敵なクリスマスコンサートが近くのスコット・ホールで開催されるので、歩いて出かけて行きました。
冬らしい季節になって夜は寒くなり、風が少しあって急ぎ足で歩いて・・・

早稲田奉仕園は音楽が好きだった亡き友人が日本語教育のヴォランティアをやっていて、私も一時やりたいと思い
コースを受けようと思っていたのですが、コロナで遠のいた場所でした。ヴォリーズの建築も魅力的です。

 



子供たちも一緒に輪唱の猫の二重唱もとても楽しかったです。ジュニアコーラスの
まだ小学生低学年くらいの顔が真ん丸でふっくらした男の子がまっすぐな声で歌っていて
かわいかったです。昨年も出ていた少女も透き通った声を聴かせてくれました。

ベルカントの先生たちのシューマンの二重奏曲、初めて聴けて良かったです。

ヴォカリーズはキャスリーン・バトルで聴きすぎました。声ってそれぞれ違うことを
あらためて思いました。

ゴメスのアヴェ・マリアも誰かで聴いたことがある曲でした。美しく清らかなこの曲はギタリストのウィリアム・ゴメスが
亡くなる直前に作曲した曲。2000年に61歳で亡くなられていました。名前だけは聞いたことがある人です。

Ave Maria (William Gomez) - Elina Garanca

「死の都」はすべてが夢だったという不思議なオペラとの説明があり、アリアが美しくて
魅かれるオペラです。

キリ・テ・カナワ コルンゴルト 「死の都」 から マリエッタの歌 『わたしに残された幸せ』


撮影禁止だったので終わった時に会場を撮りました。


帰りはさらに寒くなっていましたが、楽しくまた心洗われるクリスマス・コンサート。
こんな曲が聴けるなんて、ぜいたくすぎますが、来る人が少ないので残念です。
まるでファミリーコンサート。でも2階には外国の方が見えていました。

 

Dec. 18 2024  Waseda

 

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老いをみつめて + ボロディンのノクターン ・・・ Looking at myself growing old  + Borodin

2024-12-10 23:39:13 | music

12月9日

今の私って学生時代の生活に少し似ているかな?
日々は勉強していないけど、時々イタリア語、歌、そしてお茶、工芸・・ 本はなかなか読み進められなくて。あとは週3くらいの
軽いジムと。

今朝NHKの朝番組で「老いの始まり」と言うのをやっていたけれど、40代から感じ始めるらしい。
私は38歳で結婚、43歳でのまさかの高年齢出産。そしてフルタイムでの仕事がずっと続いたので、そういうことを感じる暇が
なかったように思う。難病の夫との暮らしで日々が戦いだった。

定年後も地元で何か社会参加をしたいと思ってこども園でパートで仕事を続けたけれど70歳を前に辞めて
自由の身に。私には何か働いていないといけないような感覚があったけれど、やめてからやりたいことができることに
ほんとうに喜びを感じました。仕事をしているということはパートでも休みにくく、拘束力が強かったけれど
経済的にもあるだけでやって行けばいいと思うようになりました。ゼロで死ぬでも・・ 

でもここに来ての物価高と老いを感じることのダブルパンチで老いを生きるのは大変だと思うようになりました。
スロースターターだったのでだいぶ後ろにずれた感じがしましたが、いっきにやって来ますね。surviveするのは大変だ。


 

通っているジムとその周辺

 

NHKの名曲アルバムで流れた大好きな曲。久しぶりにハウザーで聴いてみました。
どこか懐かしくもせつない思いを感じるこの曲が人の心を引き付けてやまないわけがわかりました。

HAUSER - Nocturne (Borodin)

 

愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く 

1859年、26歳の若い熱心な化学者ボロディンは、恩師ジーニンの推薦により、医科大学からの公費留学生として、ドイツに
留学します。留学先は、「アルト・ハイデルベルク」で有名なハイデルベルク大学。化学実験室でおなじみのブンゼンバーナー
を作り、炎の色のスペクトル分析を行い、新元素ルビジウムやセシウムを発見したブンゼンや、ブンゼンの共同研究者だった
物理学者キルヒホッフらが教鞭をとり、同期の留学生には周期律を発見し周期表を作ったメンデレーエフがいる、という環境で
研究に没頭します。そして2年が経過した1861年の5月、イタリアからもどったボロディンは、たまたま結核の療養のために
ハイデルベルクに滞在していたロシア人の女性ピアニスト、エカテリーナ・プロトポポーヴァの、サナトリウムにおける演奏会
に出席します。プログラムの第1曲目は、まだ没後5年目のR.シューマンの「アルバムブレッター」だった(*)といいます。

演奏会の後、シューマンの音楽について彼女に問いかけ、二人は急速に親密になっていきます。ボロディンの研究室での仕事が
終わる夕刻に落ち合い、ネッカー河を散歩しながら、化学に明け暮れていたボロディンの生活の中に、再び音楽の灯火が灯った
ことでしょう。二人で出かけたマンハイムやバーデンバーデンへの旅行の後に、ボロディンは結局は未完に終わる「ピアノ三重奏曲」
に着手し、二人は婚約します。

ところが、エカテリーナの病状が急に悪化し、イタリアに転地療養を余儀なくされるのですが、ボロディンもまた同地の化学者の
研究室で働きながら、一歳年上のエカテリーナに付き添います。1年後の1862年、エカテリーナは回復し、結婚の準備のために
モスクワの母親の元に帰り、ボロディンもペテルブルクに戻ります。それから20年の年が過ぎた1881年、ボロディンは、愛を告白
した20周年の記念に、愛妻に「弦楽四重奏曲第2番」を贈る(*2)のです。 

                                            blog 電網郊外散歩道より

 

シューマン :アルバムの綴り Op.124
Schumann, Robert:Albumblätter Op.124

がエカテリーナとボロディンを近づけたのですね。

 

ボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。
最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキー
知り合い[2]シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。
26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学
医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。

                                                   ウィペキデアより

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ ボロディン:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

ボロディンの弦楽四重奏曲なんて聴いたことがないよと言う人でも、この第3楽章の「夜想曲」だけはどこかで耳にしたことがある
はずです。それほどに、これは魅力的で詩情豊かなメロディです。

それもそのはずで、この作品はボロディンが妻に愛を告白した20周年の日を記念して作曲し、その妻に贈った作品なのです。
ボロディンの妻はエカテリーナ・プロトポポーヴァというピアニストで、ボロディンが化学者としてドイツのハイデルベルク大学に
留学したときに知り合いました。知り合ったきっかけは、彼がたまたま訪れたサナトリウムでの演奏会でエカテリーナがピアノを
演奏していたからでした。

そして、二人はその時に彼女が演奏したシューマンについて話し合ううちに親しくなり、それがボロディンの中に再び音楽に向かう
気持ちを蘇らせたのです。
やがて二人は婚約をするのですが、エカテリーナは体調を崩ししてイタリアへの転地療養を余儀なくされます。ボロディンもまた、
イタリアの研究所に移り、そこで働きながら彼女の介護を献身的に行います。そして、一年ほどで体調を回復したエカテリーナは
結婚の準備のためにロシアに帰り、二人はペテルスブルグでめでたく結婚することになるのです。

それ故に、この弦楽四重奏曲はボロディンとエカテリーナの親密で幸福な生活を想像させるような音楽になっています。
それは、時には二人の語らいを思わたり、大学教授として忙しく働くボロディンを思わせたりするのですが、なんといっても聞き所は
第3楽章の「夜想曲」でしょう。深い感情に彩られたこの静かな夜の歌は、二人の幸せな結婚生活そのものです。

人格破綻者の群れと言っても言い過ぎでないほどのクラシック音楽の作曲家の中で、ボロディンは稀に見るほどの人格者でした。
その様なボロディンが行ったもう一つの大きな業績が、彼が務める医科大学に女子課程を始めて作ったことでした。
21世紀の日本でも、平気で女性に対して差別的な扱いをすることが横行していることを考えれば、19世紀のロシアで女性が医学大学で
学ぶ機会と場を作りあげる為には、とんでもない苦労があったはずです。

つまりは、何が言いたいのかというと、ボロディンという人は必ずしも音楽だけの人ではなかったと言うことです。そして、それ故の
物足りなさも彼の作品にはあるのですが、それ故の魅力もまたあるのです。
この愛する妻に捧げた弦楽四重奏曲は、それ故の魅力が発揮された作品だと言っていいのでしょう。

 

 

グルジア貴族の血をひきながら非嫡出子として生まれたボロディンは農奴の子供として登録されたけれど、音楽やその他優れた
教育を受け、医学、有機化学の道に進み多大な業績を残したという。特に女性の人権に対しての業績(医大に女子過程を作る)
は素晴らしいかと思いました。

NHKの名曲アルバムで聴いて、初めてこの心惹かれていた曲「ノクターン」の曲の成り立ちとボロディンが音楽家としては
日曜音楽家であったことを知り、彼の人間性にもひかれました。このノクターンを完成後数年後に多忙なボロディンは53歳で
突然死で亡くなり、ずっとボロディンが支えてきた病弱な妻は4ヶ月後に後を追うように亡くなったとのことでした。
この曲が人々の胸を打つのはボロディンの妻への愛情にあふれているからだったのですね。

 

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ピアノ活動再開計画とMartin Fröst, Mozart Clarinet Concerto ・・・planning to resume piano lesson

2024-12-09 21:14:43 | music

今年のリフォームはまず必要な水回りの更新のためでしたが、二次的には自分のやりたいことをやりやすくするための
配置換えもあり、和服を着やすく、ピアノを弾きやすく、はた織りもできるようにとしたのですが、長い夏の猛暑のため
すっかり止まってしまっていました。

今年も終わろうとしたときに、やっとピアノの調律をしている中学校のクラスメイトに連絡をして、私のピアノの先生の
子供で小学校の時の親友にもやっと再度連絡しました。彼女には社会人になってから、中学の時やめたピアノを弾きたくなり
教えてもらいに少しだけ遊びに行ったことがありました。

問題はピアノです。娘が弾かなくなってもう18年くらい開かずのピアノとなっていて、少し前に見たら、鍵盤が下がって
上がらなくなっていたり、鍵盤の奥に貼ってあるフェルトか何かがボロボロしているみたいで・・かなり状態が悪いです。
調律できる状態かどうか一度見てからと言うことになりました。修理からだとかなり費用もかかりそうです。
ピアノにも虫がつくことがあると恐いことも聞きました。

弾きたい思いが強くなったのは、友人からメンデルスゾーンの無言歌のエレジーがいいと言われた時からだったと
思います。それまで漠然とまた人生の最後にはピアノを弾きたいと思い始めていました。

最近聴いた北村朋幹のフォルテピアノのコンサートでシューマンの子供のための曲やあまりひかれない曲が
アンコールで演奏されて、これも弾いてみたいと弾きたい曲も増えてきました。大人になってからシューマンの
トロイメライを小学校からの親友に習ったことがあり、やっぱりシューマンかと思いました。
メンデルスゾーンやシューマンのやさしい曲を弾いてみたい。ピアノが調律だけで済むことを願っています。

習いたいのは、メンデルスゾーンの無言歌からとシューマンのユーゲントアルバム、アルバムの綴りなどから・・

そういえばブーニンの八ヶ岳音楽堂での復帰コンサートはシューマンの色とりどりの小品 作品99でしたね。
「それでも私はピアノを弾く〜天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて〜」は録画して何回も見たけど、もう消してしまって。
若いころ弾いたシューマンが弾きたくなったと話していました。技巧の曲ではなくああいう優しい曲が弾きたくなったのね。

 

スタニスラフ・ブーニン ~再会~ より 「シューマン:色とりどりの小品」「ショパン:マズルカ」

 

Little Study (op.68, no.14) by R. Schumann

 

R.シューマン アルバム綴り op.124-8 果てなき苦しみ Albumblätter "Leid ohne Ende" Op.124-8 #schumann #romantic


R.シューマン アルバム綴り op.124-11 ロマンス Albumblätter "Romanze" Op.124-11 #schumann


實川風の「秘曲喫茶」第10回 / シューマンの秘曲『アルバムの綴り Op.124』から、《ワルツ イ短調 Op.124-4》、《終わりのない歌へ長調Op.124-8》

 

 

モーツァルトのクラリネット協奏曲

最近よく聞いていたのはファビオ・ルイージのシューマン交響曲集とモーツァルトのクラリネット協奏曲。

クラリネットは図書館から借りて聴いたマーティン・フロストのがすごくいい。家で父の残したCDの中から探してカラヤン
指揮、カール・ライスターの演奏を聴いたりもしたけどやはりMDにとったフロストのが素晴らしい。

このしみじみとした感じがいいと思っていたのですが、ネットを見ていたら、モーツァルトが亡くなる1か月前に自分自身への
レクイエムを作曲するように作ったのではという記事をみつけて、納得しました。彼岸の音楽。

 

Martin Fröst

 

Martin Fröst, Mozart Clarinet Concerto part 2

 

モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調K622 名盤 ~彼岸の音楽~

モーツァルトが亡くなる一か月前に完成させた「クラリネット協奏曲イ長調K622」は、数々の名作が並ぶ彼の協奏曲の
中の最後の作品です。そして、この曲を最高傑作に上げる人も決して少なくは無いと思います。

この曲には良く言われるように、既に天国に旅立ってしまったかのような、現世から解脱した雰囲気が漂っています。
正に「彼岸の音楽」に他なりません。
若い頃の作品にも、天国的な曲は幾つも有りましたが、この曲の第2楽章は自分が黄泉の国へ旅立つことをはっきりと
予感して、”去りゆく自分自身のためのレクイエム”として書いたことは間違いないでしょう。まるで秋の青空のように
澄み渡った音楽は、そこに何とも深い哀しみをたたえています。モーツァルトが愛する家族や友人たち、それに音楽活動
に別れを告げねばならない、この世の無常さを感じていたからでしょう。

                                            ハルくんの音楽日記より

 

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HAUSER 再び ・・・ Hauser again

2024-12-03 20:53:43 | music

最近、和服をたたみながら久しぶりにモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴いたらなんとも気持ちが
良かったです。モーツァルトも久々だったのかしら?

そしてフランソワーズ・アルディ・・ 懐かしくて、もっと聴きたくて探していたら、なんとハウザーのツアーコンサートの
動画に当たりました。日本にも4月に来てソロ・コンサートをしていたのです。ちょうどリフォームで忙しい時期で
来日のことは全く知りませんでした。残念。

2024年のコンサートは最初クラシカルな美しいメロディーから始まって、だんだんヒートアップしてラテンやロックになり、
そしてハレルヤで終わりました。

でも今再びフランソワーズ・アルディも止まりません。

ハウザーのクラシックを聴いていたら、この一年の経つ速さを感じ、その中で歩いた美しい日本の風景や友達と歩いた
里山の道を懐かしく思い出しています。今私の心は奄美に飛んでいて、やっと大まかな計画が立ちました。帰りに九州を
とおり阿蘇の近くの温泉巡りをすることにしました。
行きたいところがお互いにフィットしたら、細かい計画は私がたてます。友人はいつも全く計画を立てないで旅するタイプらしく。
私は性格的に食事と泊まる場所が確保されていないと出かけられません。
簡単に考えていた屋久島は今回はあきらめたので、あまり大変な所は歩かないと思うので望遠レンズを持って行けたらと
思っています。今や普通のレンズでも重たく感じているのにね。奄美には冬でも蝶が飛んでいてもしかしたら鳥にも出会える
かもしれません。以前は大島紬だけで行きたくなっていた奄美大島ですが、今は一村が見た自然に心が向かいます。

 

HAUSER - REBEL WITH A CELLO - Live in Italy 2024 (Full Concert)

 

Françoise Hardy

 

Première rencontre (Remasterisé en 2013)

この曲も大好きだったけど、曲の始まる前にオーケストラが音合わせをする曲があったけど、この曲じゃなかったのかなと
記憶をたどっています。

 

INA | Françoise Hardy, le best of

なつかしすぎる。

 

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Françoise Hardy

2024-11-29 23:59:45 | music

今日、予定を変更して行った箱根美術館の紅葉があまりも素敵だったので、急に思い出したフランソワーズ・アルディの曲を
久々に聞いてクール・ダウン。今日は一眼レフを持って行ったので、撮った写真は100枚は超えて、スマホも50枚以上。 
今年紅葉を見に行けなかった私の最後のチャンスでした。硫黄のにおいがする冷たい空気の中、青い空に映える秋の葉を見て
歩きました。栗きんとんをいただいて飲んだお抹茶は最高でした。

スターが頭の中でかかって、レコードは持っているけど聞く手段がなくて、YouTubeで探しました。そこでフランソワーズ
アルディが今年の6月に80歳で亡くなっていたことを知りました。すてきに年を取って行った人でした。

若い頃一番聴いたシャンソンがバルバラとフランソワーズでした。

今聞いていたら、胸を締め付けられるような感じ。私も今生きることがいとおしくて仕方がない。

 

Star

 

Berceuse (Remasterisé en 2013)

 

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Jacques Brel - Quand on n’a que l’amour ・・・ 久しぶりのシャンソン

2024-11-14 23:59:02 | music

11月12日

 

 気持ちのいい朝

午前中はボビンレースの作品展の会場設営。
家に戻ったら夕食を作って、今度は夕方からのシャンソンのライブへ。

 夕日が沈む


従弟に誘われてamiさんのバースディ・ライブへ。
従弟はコロナで亡くなられたシャンソン歌手の高木涼太さんと小学校から高校まで一緒で、高木涼太の
追悼公演のことでamiさんとかかわってきたとのことで、時々ライブを聴きに行っているよう・・

シャンソンのライブはブログつながりの杉田真理子さんと呉服屋さん繋がりの林美喜さんしか行ったことがなく
久しぶりに行ってみるのも悪くないと思いました。

食事をとりながら聴くコンサートで、前菜から・・・

鴨のサラダ


とてもポピュラーなシャンソン、オーシャンゼリゼやミッシェル・ポルナレフやフランス・ギャルなどの
なつかしいポップスが続きました。

お誕生日ということで、朝、まず自分にありがとうと言ったと話していました。頑張って生きている自分に
感謝の言葉。なんだかとてもかわいい性格の方です。

音大に行っていた彼女はドイツにしばらくいたようですが、その後シャンソンに転向したのですね。
ベルリンの壁崩壊近い時にライプツィヒの教会で我々は武器を持たないという静かな集会を思い出したという
ジャック・ブレルの「愛しかない時」が素晴らしかったです。日本語で歌ったので意味もすごくよくわかり
涙が出てきてしまいました。感動的な歌です。今この時に。

下にYouTubeを貼っておきました。

他にもヴィム・ベンダース監督の「リスボン物語」に出たというポルトガルの歌手、テレーザ・サルゲイロも
初めて知りましたが、とても素敵でした。あみさんは夢中になって今度はポルトガル語を習ったとのことです。


 

最初はスパークリングワイン、次は赤ですが、とてもおいしかったです。
ボルドーにちなんで、ボルドーは高いのでそれに近いものを・・

メインは羊のボルドーソース

 

小さなカヌレのデザートがおいしかったです。

11/12 Roso Nero

1部
1.   あなたに首ったけ
2. ジュ・トゥ・ヴー  Je te veux なんとサティが作ったシャンソンだった。
3. モンマルトルの丘
4. パダンパダン
5.最後のワルツ
6. 愛しかない時
7. シェリーに口づけ

2部
8. サンタルチア
9. キャバレー
10. トゥルリ
11. たとえ何があっても
12. ヴィ・ヴィオロス
13. 最後の珈琲
14. オー・シャンゼリゼ
15. 愛の讃歌

 



第2部の最後近くに。



辛口のおいしい赤ワインでした。

帰り道に不思議な神社?

 

鶯谷という不思議な所にあるお店でした。
芸大や国立博物館の裏なのに怪しげなお店もあるところでした。

どちらかと言うとかわいい歌声で、魅力的なパーソナリティの人でした。

 

 

Jacques Brel - Quand on n'a que l’amour (Live officiel Casino de Knokke 1963)

 

quand on n'a que l'amour  愛しかないとき


quand on n'a que l'amour
a s'offrir en partage
au jour du grand voyage
qu'est notre grand amour

愛しかないとき
僕たちの愛の
大いなる旅立ちの日に
すべてを分かち合うために...

quand on n'a que l'amour
mon amour toi et moi
pour qu'eclatent de joie
chaque heure et chaque jour

愛しかないとき
恋人よ 君と僕とが
いつの時間も いつの日にも
喜びにあふれるために...

quand on n'a que l'amour
pour vivre nos promesses
sans nulle autre richesse
que d'y croire toujours

愛しかないとき
僕たちの誓いを生きるために
他に何の豊かさがなくても
それだけを信じて...

quand on n'a que l'amour
pour meubler de merveilles
et couvrir de soleil
la laideur des faubourgs

愛しかないとき
素晴らしいもので満たされ
場末の醜さも
太陽の光で覆い隠せるとき...

 

qunad on n'a que l'amour
pour unique raison
pour unique chanson
et unique secours

愛しかないとき
ただ1つの理由
ただ1つの歌
そしてただ1つの救いのために...

quand on n'a que l'amour
pour habiller matin
pauvres et malandrins
de manteaux de velours

愛しかないとき
朝に
貧しい人々 家のない人々に
ビロードのコートを着せてあげるために...

quand on n'a que l'amour
a offrir en priere
pour les maux de la terre
en simple troubadour

愛しかないとき
この世の幾多の不幸のために
祈りを捧げる
一介の「吟遊詩人」として...

qunad on n'a que l'amour
a offrir a ceux-la
dont l'unique combat
est de chercher le jour

愛しかないとき
「戦い」だけが
「光明」を求める唯一の手段
そんな人たちに向けて...

quand on n'a que l'amour
pour tracer un chemin
et forcer le destin
a chaque carrefour

愛しかないとき
それぞれの岐路に立ったとき
運命を切り開くために
道を指し示すために...

quand on n'a que l'amour
pour parler aux canons
et rien qu'une chanson
pour convaincre un tambour

愛しかないとき
大砲に語りかけ
太鼓にも打ち勝つために
歌しかないように...

alors sans avoir rien
que la force d'aimer
nous aurons dans nos mains
amis le monde entier

このように 持てるものは
「愛する力」しかなくても
僕たちはこの手の中に
世界中の「友」を持つことができるだろう...

訳は「フランス専門専門さん(daniel-b)のなんでもブログ」より

 

Céline Dion - Quand on n'a que l'amour (Live à Paris 1995)

 

Teresa Salgueiro | #alegria | Video Oficial

Teresa Salgueiro | A Cidade [Official Video]

 

あみさんからまた素敵な人につながりました。

 

家に帰ってから昔買ったCDを探して、「愛しかない時」を何回も聴きました。
力強い歌です。

 

Nov. 12  2024  Uguisudani

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ホセ・カレーラスの歌声に ・・・ blissful time of Jose Carreras' voice reaches my heart

2024-11-08 23:47:47 | music

11月6日
サントリー・ホール
ホセ・カレーラス  ロレンツォ・バヴァーイ

 

ホセ・カレーラスの声を体全体に浴びて受け止めることができて幸せな一日でした。
初めて生でリサイタルに行ったときの驚きを思い出しました。生で聴く声にオペラとは違う、なんという声と
その声がまっすぐ届くのを感じました。もう77歳になるというその声は歌うほどに滑らかになって行き、
アンコールはいつものように絶好調。そこで大好きな歌は必ず歌われます。
最後は「カタリ・カタリ」が歌われるまでは帰らないという聴衆の想いもあったと思います。
いつも行く人だと「グラナダ」になるともう終わりが近いとわかると思います。でも最後は「帰れソレントへ」かなと
思いつつ、いやまだ「カタリ」は聴いてないぞと思いました。「忘れな草」か「カタリ」は聴いてみたいと思っていました。

SAISON NEWSより

 

聴きながら早くして亡くなった音楽の好きな友人のことや、昨年亡くなった親友のことが思い出されました。
友人とは一緒にカレーラスを聴きに行ったこともあり、シラグーサのCDをいただいたりしていました。
もっともっと一緒に楽しみたかった大切な友達たち。その友人とは最近夢で電話で話していて、その声が
ほんとうにリアルで驚いたことがありました。飼っていた猫も夢に現れたこともありました。

何年か前までは12月に開催の日本公演で1年の最後に聴くご褒美コンサートでした。
来年もまた聴きに行けるでしょうか? まだまだ歌えることを毎年思って翌年も楽しみにしています。
自分自身の健康も含めて、1年先のことを案じています。

 

第一部

コスタ 新月
ベッリーニ 優雅な月よ
プッチーニ 大地と海 プッチーニ
小さなワルツ*
トスティ 秘密(ひめごと)
トスティ 夢
トスティ 四月
ドビュッシー 月の光*
チレア フェデリコの嘆き

第二部
チオフィ 五月のある夜
ヴァレンテ パッショーネ
プーランク エディット・ピアフを讃えて*
チェザリーニ 夢見るフィレンツェ
デレヴィトスキー 心からのセレナータ
マンシーニ ムーン・リヴァー
チャップリン ウィズアウト・ユー*
ラマ 静けさに歌う
レンディーネ 望郷(ヴリア)  

*ロレンツォ・バヴァーイ ピアノ・ソロ

 

アンコール)

ファルボ:彼女に告げて
ディスポジト:アネマ・エ・コーレ
デ・クルティス:夜の声
ララ:グラナダ
デ・クルティス:帰れソレントへ
カルディッロ:カタリ・カタリ

 

昨年も歌っていたMoon River

歌詞も大好きな曲です。

Two drifters, off to see the world
There’s such a lot of world to see

We’re after the same rainbow’s end,
waiting, round the bend

 




 


森麻季さんのツィッターより3日のコンサートの出演者と。
3日に立川でオケとのコンサートがあるなんて知りませんでした。

毎年会場には来年のコンサートの先行予約の用紙が置いてあります。11月25日に決まっているのですが
なかなかその場で申し込むことができません。いつも翌年の5月くらいの先行予約で申し込んでいます。
一年一年、来年も行けるかなと思っています。1年の区切りとなっているコンサートはとても貴重です。

今年も事前にカレーラスの写真を見た時に、ずいぶん年を取ってしまって、大丈夫かと思ってしまいましたが
変わらぬ歌声にどれだけケアしているのかと感心してしまいます。来年もまた私も元気でいて、会場で
聴けたらと思います。

昨日7日は立冬でした。季節ははっきりと変わって行って寒くなってきました。
1年のなんと早く過ぎ去ることか・・・ 暑い夏が長すぎていろいろなことに取り掛かれない時期が長かったように
思います。

 

José Carreras performs Tosti's Segreto

 

Nov. 6  2024  Roppongi

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北村朋幹 ピアノフォルテ演奏会 ・・・ concert to bring out the sounds of beyond

2024-10-27 22:41:03 | music

10月26日 北とぴあ さくらホール

北村朋幹 フォルテピアノ・リサイタル  - シューマン《幻想曲》をめぐって

内 容:「卓抜な詩的感性、そして哲学的叡智を具えた芸術家」と評されるピアニスト、北村朋幹が初めて日本で行う
     ピリオド楽器でのコンサート!

使用楽器:ヨハン・クレーマー 1825年ウィーン製(タカギクラヴィア所蔵)

Program
ベートーヴェン/リスト:
ミニョン S.468-1 《ベートーヴェンによる6つのゲーテ歌曲集》より     
連作歌曲集《遥かなる恋人に寄す》S.469

シューマン:
管弦楽のない協奏曲 op.14(1836) より
“変奏曲風に”(後に削除された2つの変奏曲を含む、自筆譜に基づく版)

リスト:
オーベルマンの谷 S.156-5 《旅人のアルバム》より   
   
***  
 
シューマン:
幻想曲 ハ長調 Op.17

※使用する版の変更に伴い、曲名表記を以下のとおり変更いたします。(2024.10.3追記)
【変更前】
シューマン:
ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調 Op. 14 より 第3楽章
“変奏曲風に(クララ・ヴィークのアンダンティーノによる)”
↓↓↓
【変更後】
シューマン:
管弦楽のない協奏曲 op.14(1836) より
“変奏曲風に”(後に削除された2つの変奏曲を含む、自筆譜に基づく版)

Encore
シューマン: アルバムの綴り Op.124より  Ⅷ. 終わりのない痛み  Ⅺ. ロマンス
     こどものためのアルバム Op.68より  ⅩⅣ. 小さな練習曲  XXXV. ミニョン   隠れているカッコウ


初めて行く王子にある 北とぴあ さくらホール。2階はわからないけど1階はほぼ満席でした。

 

遥か彼方からひとすじの光が差し込んでくるような北村朋幹の演奏でした。
稀に聴く演奏会。
生きている音。「フォルテピアノが一緒に室内楽をしている相手のように感じる。ものではなく。仲間。」
と北村朋幹が最後にコメントしていました。

 主役はこのピアノですと紹介されたヨハン・クレーマー

フォルテピアノをメンテしているタカギクラヴィアでの練習が楽しい時間だったと最後にコメントがあり、
アンコールが1曲終わった後で、そこで小品を弾いているのが幸せな時間だった話して、その場で思いつく曲を
数曲弾いていて、それが美しくて、今回のコンサートでは彼自身が一番楽しんでいるように思いました。
まるでタカギクラヴィアにでもいるように・・リラックスしたとても素敵なアンコールでした。
幻想曲では泣いているようにも見えました。今回は前から4番目の中央に近い席でした。

フォルテピアノはデリケートな楽器で、日によって違う音が出て、生きているようだったと。
家に帰ってアンコールを確認するためにYouTubeで聴こうと思ったらピアノだと音が強すぎて聴けなかった。
同じ曲とも思えなかったし。

その音はギターのようでもあり、ハープやハープシコードのようでもありました。曲の聴き始めは全くピアノと違うと
その優しい音色を思ったのですが、聴いているうちに慣れてきてしまいます。幻想曲も同じ曲かと思ったくらいでした。
古楽器の音色の豊かさは深いですね。低い音はモヤモヤっとして、高音はキラキラしていました。何か新しいものの
創造のようでした。軽やかでもあり・・

演奏を聴きながら人が生きていることを考えさせられました。何のために。何を一生かけて追及していたのか・・・  
一村や北村朋幹や芭蕉(最近舞台を見たので)等その人生において目標がはっきりしている天才や普通の人々の。
自分は生きていてこれをやったとかやり遂げたというものはあるのか・・

父や母の顔も浮かんで・・ 子供の頃貧しかった家にピアノが来たのは祖父のおかげ。音楽にそんなに興味はなかった祖父
だったけど。ピアノほど高価なものはなかった子供時代。今またそのピアノをやりたいと思ってリフォームで弾きやすい環境に
したのだけど。子供の頃、母が頼んだのだと思うけど、今改めて祖父に感謝の想いです。シューマンのこどもための曲を
弾いてみたくなりました。

あらためて自分は何のために生まれて来たのかと思ったり。そんなことをいにしえからの光の中の音楽会で思い起こさせられました。


休憩時間中も念入りな調律が行われていました。
制御するのも難しそうな楽器です。

 

― 北村朋幹さんからのメッセージ ―

なにか古いものに触れる時、いつもよりもそっと手を近づけてみたりするのは、長い時間の香りのするとても繊細そうなそれを
壊してしまわないように、という無意識な心のはたらきだろうか。

そんな風にして、しばらく鍵盤に触れていると、指先を通して、楽器の内部にある1つ1つの部品の動きが敏感に感じられる気が
してくる。実際にピアノという楽器の巨大な躰の中では、鍵盤が下ろされてハンマーが弦を叩き、我々の耳に音が届くまでに
いくつものとても細かな運動が行われている。

そういったからくりの全てを、かつては人が手作業で、作っていた。

その楽器を作った人の“手”、そしてその楽器が歩んできた”道”、それら全てが楽器には完全に染み付いているから、かれらは唯一無二
の個体である。

という風に考えれば、それは人間にも少し似ているのかもしれない、という事が許されるくらいに、今、我々は彩り豊かなそれぞれの
道を歩むことが、果たしてできているのだろうか?


ピアノという楽器が一気に華やいだ19世紀に作られた音楽もやはり、それぞれが手作りで、それゆえに個性的で、一筋縄ではいかない。
それらと向き合うことは、古い楽器と触れ合うやり方ととても似ている。
そっと触れて、耳を傾け、理解しようと試みて。


 

ピリオド楽器、指揮、現代曲、リストの追求などいろいろなことに挑戦して、これから先も目が離せない
音楽家です。

この日は私の大好きなシューマンをたくさん弾いてくれて大満足な一日でした。

 

ピアノ 時の流れに心澄まして

 

Oct. 26   2024    Ohji

 

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秋のコーラス・フェスティバルではじけた ・・・  bursting with joy at the Chorus Festival in Autumn 

2024-10-21 23:56:30 | music

10月20日

今年の秋の心配だった二大イベントが終わりました。
運転免許更新と、このコーラス・フェスティバルです。
この後はホセ・カレーラスのコンサート、ボビンレースの作品展で今年もエンディングを迎えます。
あとリフォーム後の最終レイアウト完成ですか・・ ピアノも織機もまだやり残しています。


 

・私を泣かせてください  オペラ 「リナルド」より ヘンデル
・ある晴れた日に (日本語ヴァージョン)オペラ「蝶々夫人」より プッチーニ

対照的な2曲。1曲目は天に向かって歌い、2曲目は遥か彼方の愛する人に向かって歌いました。
蝶々夫人の気持ちに寄り添って歌えたかなと思いました。力強く・・・
とにかくとても難しい曲です。日本語の難しさも初めて経験しました。

他のグループもそれぞれ特徴があり、歌うことを楽しんでいました。
谷川俊太郎の詩の歌も多く、日本の歌も意味がダイレクトにわかるのでいいかと思いました。
今回の蝶々夫人日本語版もそれが狙いでした。


終わった後のやり切った感はありました。
解放感です。とにかく無事に終わったことを感謝です。
人数が当初よりずっと減ってしまったので、危機感で声が今までより出るようになりました。


療養中のS子さんも聴きにいらしてくれて、再会を喜びました。
歌はいいね, "I’m happy" と言ってくれたとのこと。このグループを紹介してくれたのも
S子さんで私にとってとても大切な方です。

 

今年もScott Hallでのクリスマス・コンサートがあります。
あのすてきなホールで贅沢なコンサートです。



翌日の朝、撮った写真ですが、発表会の朝も同じように秋が輝いていました。


オンラインで買ったCDがコンビニに届いていました。

 

Oct. 20  2024  Otemachi

 

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