Reflections

時のかけらたち

Queen - Love of My Life

2025-01-19 23:47:15 | music

1月19日

月に一回のイタリアを楽しみにイタリア語のレッスンに。
楽しい笹塚十号通り商店街を通り抜けて先生のお宅まで行くのだけれど、
先生の家近くでQueenの音楽が町に流れてきました。Love of my life ♪  フレディの歌声がのびやかに
響きました。私の好きなバラードで、何か懐かしい気持ちになりました。

旅行が近づいているのに体調がすぐれなくて、心配になっていたところですが、胸の痛みが消えて
今度は風邪の症状がぶり返し、昨晩は喉が猛烈に痛くなって熱が出たらどうしようかと思っていたら
葛根湯を飲んで熱いお風呂に入って、蒸気でのどのまわりが包まれたら、痛みが治まってきました。
昨日はベルカントのレッスンで空気も乾燥していて、その後、昼食をとりながら、いたたまれない話を
聞いて、心が重くなっていました。今の世の中、ハラスメントだらけで、優しい人が傷ついてしまうと
思いました。人間が作る世の中。

どうなるかと思った風邪の症状が葛根湯のおかげで引いてきました。旅行に行けなかったらどうしようかと
思っていたところでした。今週は出発までカーブス以外、何も予定が入っていないのでゆったりと過ごしたいと
思っています。奄美は20℃に近く、熊本の阿蘇近くの温泉は雪がちらつきそうで温度の変化がかなりあるところを
行くことになります。

 

 

Queen - Love of My Life

Queen - Ballads [1 hour long]

 

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ピアノが生まれ変わった日 ・・・ the day the piano was reborn

2025-01-17 21:57:32 | music

1月15日

昨年末に調理師の友人に相談して、何とか調律だけで行けそうというので、約束した15日に
調律に来てもらいました。この前もピアノの中を開けて見せてもらいましたが、今度は本番で
開けた時に写真を撮らせてもらいました。


ストレートな音にならないように、鍵盤に遊びを持たせることが大事と彼女は言ってました。

中を見ると、ピアノって本当にすごい楽器なのだということが、わかります。

 




ピアノの中身を見ることは感動的なことでした。とても美しかったです。
共鳴板に音を響かせるのですね。ただハンマーでたたく打楽器ではないのです。
ピアノって偉いねと思いました。高額なのも無理はないとも。

あまり使われない端の方の鍵盤は弾くと元に戻らないようになっていたので、その辺も直してもらって
中のフエルトも縫い直していました。これからは弾かないキーも触って動かすことが大切とのこと。
ランチタイムを除いて、ずっと立ちっぱなしで午後5時近くまでの作業が続きました。
私は居間でスマホのいらない写真の整理をしたりしていました。

そして調律がすんだらなんとも美しい音に生まれ変わっていました。ヤマハのこの時代のピアノはいい音だと彼女は
言っていました。
私は場所も狭いし、電子ピアノでもいいかと思ったと話したら、とんでもないことと返されました。
心が音に乗っかるのは生ピアノだけと。繊細な表現ができると。ピアノを教えてもらおうと思った友人も同じことを
言っていました。
娘のために買ってもらったピアノは私のピアノになりました。私が子供の頃に使っていたピアノも祖父母に買って
もらったものでした。今さら母に感謝です。調律して長い眠りから覚めたピアノは私のピアノになりました。

私くらいの年齢の人からの調律の依頼がとても多いそうです。新たに始める人も多いとか。


ランチはサンドイッチとミネストローネ。


おやつのために蒸していたデーツとクリームチーズを入れてホットケーキミックスで作った
蒸しパンもちょうどできあがり、出来立てを食べました。まぁまぁでした。山に行ったときに作るというレシピで
やってみた簡単なおやつです。

 

ピアノの鍵盤の上のフェルトが虫食っちゃったのか丸く切れていたのでかわいいフェルトをプレゼントしてもらいました 

調律がすんでやっとコーヒーブレイク。
彼女は昔私が言ったこととかよく覚えていて、昔の自分を再発見したり、宗教やいろいろな話をして、楽しかったです。
彼女が多くの困難を乗り越えて、今仕事に生き生きと携わり、まだまだ先を見て生きているのを嬉しく思いました。
江尻南美さんのシューベルトを聴きながら・・
今度またゆっくり会いたいねと話してお別れしました。

ピアノが新しく生まれ変わって、コーフンした一日でした。

 

整理して出てきた娘の子供の時のおもちゃも、忘れていたけど飾ってあげました。
昔のものに再び命が吹き込まれて、みんないとおしくなってしまいます。
シルバニアファミリーはほとんど親戚の子供にあげて使ってもらっていたけど・・

 

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スコットホールに響く歌声 ・・・ voices filled Scott Hall

2025-01-14 23:48:33 | music

1月13日

イル・テアトロのピッコロコンサートがありました。
家から歩いて行ける早稲田奉仕園のスコット・ホールでクリスマスコンサートに続いての開催でした。
イル・テアトロ音楽院は九段生涯学習館のサークル「ちよだオペラ座」の先生が持っている音楽院で
ちよだオペラ座の中にもそこで個人レッスンを受けている方がいて、応援に行きました。
私はコーラスで歌っているだけでいいのですが、一人で歌うというのはまた表現力やらいろいろ必要で
それは大変なことです。まず声が出ない私。生徒さんの年齢の幅は広く、今回は人の声ってみんな違って
おもしろいと思いました。その声をどう育てて歌にしていくかが大変なこと。作り上げることの難しさも
感じます。でも誰もがいい声をしていて、歌うことが好きと言うことがよくわかるコンサートでした。
難しい曲に挑戦していました。スコットホールは音響がいいので歌っていて気持ちがいいのではと思いました。


十字架の前でうえだ ようさんのピアノで、一つ一つの世界観がある歌。Kさんの「奥様女中」はコケティッシュで
かわいかったです。演技力も必要な曲でした。Hさんのコーラスでは日本語になってしまったマダム・バタフライの
イタリア語版「ある晴れた日に」はドラマチックでこの曲の持つ魅力もあり、涙が出そうになりました。訴える力が
あり圧巻でした。先生からは反対されたそうですが・・ やりましたね。Hさんは私の中学校の恩師のお嬢さんで
不思議なご縁です。

いろいろな曲を聴きながら、私の「今、ここにある」世界を大切にしたいという思いを新たにしました。




 

だれもが歌いたくなるような名曲ばかり。中にはプロのような方や音大出身の方も
いらっしゃいましたが、それぞれ音楽を楽しむ、小さな家庭的なコンサートでした。

最後に素晴らしいピアニストにたくさんの拍手を送りました。


Kさんの2曲目はヘンデルの「アルチーナ」から、Hさんの2曲目はグノーの「ロミオとジュリエット」から
ワルツでした。

 

帰りに珈琲で一休みして、余韻を味わってから帰りました。

 

Jan. 13  2025  Waseda

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上野奏楽堂で初めて観るロッシーニのオペラ ・・・ first time to see Rossini's opera

2024-12-23 22:55:22 | music

12月21日


歌舞伎やコンサートが続いてどうしようかと思っていたところですが、山畑先生が歌うロッシーニのオペラは
やっぱり聴いてみたくなり、秋の深まる上野の旧東京音楽学校奏楽堂に向かいました。

プログラムの山畑先生のプロフィール





朝、家で色々片付けて、大急ぎで12時半開演の舞台に向かいました。お昼のサンドイッチを買って
奏楽堂では飲食禁止なので、すぐ外で腰かけて小さなサンドイッチを食べました。

枯れ葉に温かい日差し。



Hさんから頂いた写真がすてきでした。





大好きなコンサートホールの一つです。

終演後、山畑先生と。
コンサート形式の演奏会でどこまで伝えられたか心配されていましたが
とてもドラマティックできめの細かい表現で素晴らしかったです。
ピアノとヴァイオリンだけの伴奏で、ピアニストはいつもイル・テアトロでも伴奏をされている
うえだ よう氏でスケールの大きな音楽でした。

ギリシア悲劇アンドロマケを題材にした、激情に流されるエルミオーネの悲しい物語。
山畑先生は気高さと気品も持ち合わせていてとても素敵でした。





ちよだオペラ座の仲間と・・・
なんと私の隣の方は中学校の恩師のお嬢さんで、驚きの出会いでした。


賑わっていた上野公園口も黄昏てきて人が少なくなって、風も強くなってきました。
3人で台湾スィーツのお店でお茶をして帰りました。

 

Uさんから頂いたつまみ細工のブローチをつけて行きました。

翌日の今年最後のイタリア語のレッスンの時は深い緑色のブローチです。
クリスマスシーズンにぴったりの手作りのブローチを有難く、つけさせていただいています。

 

Dec. 21 2024 Ueno

 

 

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スコットホールでの小さな贅沢なクリスマスコンサート ・・・ Concerto di Natale at Scott Hall

2024-12-21 23:59:19 | music

12月18日



今年も素敵なクリスマスコンサートが近くのスコット・ホールで開催されるので、歩いて出かけて行きました。
冬らしい季節になって夜は寒くなり、風が少しあって急ぎ足で歩いて・・・

早稲田奉仕園は音楽が好きだった亡き友人が日本語教育のヴォランティアをやっていて、私も一時やりたいと思い
コースを受けようと思っていたのですが、コロナで遠のいた場所でした。ヴォリーズの建築も魅力的です。

 



子供たちも一緒に輪唱の猫の二重唱もとても楽しかったです。ジュニアコーラスの
まだ小学生低学年くらいの顔が真ん丸でふっくらした男の子がまっすぐな声で歌っていて
かわいかったです。昨年も出ていた少女も透き通った声を聴かせてくれました。

ベルカントの先生たちのシューマンの二重奏曲、初めて聴けて良かったです。

ヴォカリーズはキャスリーン・バトルで聴きすぎました。声ってそれぞれ違うことを
あらためて思いました。

ゴメスのアヴェ・マリアも誰かで聴いたことがある曲でした。美しく清らかなこの曲はギタリストのウィリアム・ゴメスが
亡くなる直前に作曲した曲。2000年に61歳で亡くなられていました。名前だけは聞いたことがある人です。

Ave Maria (William Gomez) - Elina Garanca

「死の都」はすべてが夢だったという不思議なオペラとの説明があり、アリアが美しくて
魅かれるオペラです。

キリ・テ・カナワ コルンゴルト 「死の都」 から マリエッタの歌 『わたしに残された幸せ』


撮影禁止だったので終わった時に会場を撮りました。


帰りはさらに寒くなっていましたが、楽しくまた心洗われるクリスマス・コンサート。
こんな曲が聴けるなんて、ぜいたくすぎますが、来る人が少ないので残念です。
まるでファミリーコンサート。でも2階には外国の方が見えていました。

 

Dec. 18 2024  Waseda

 

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老いをみつめて + ボロディンのノクターン ・・・ Looking at myself growing old  + Borodin

2024-12-10 23:39:13 | music

12月9日

今の私って学生時代の生活に少し似ているかな?
日々は勉強していないけど、時々イタリア語、歌、そしてお茶、工芸・・ 本はなかなか読み進められなくて。あとは週3くらいの
軽いジムと。

今朝NHKの朝番組で「老いの始まり」と言うのをやっていたけれど、40代から感じ始めるらしい。
私は38歳で結婚、43歳でのまさかの高年齢出産。そしてフルタイムでの仕事がずっと続いたので、そういうことを感じる暇が
なかったように思う。難病の夫との暮らしで日々が戦いだった。

定年後も地元で何か社会参加をしたいと思ってこども園でパートで仕事を続けたけれど70歳を前に辞めて
自由の身に。私には何か働いていないといけないような感覚があったけれど、やめてからやりたいことができることに
ほんとうに喜びを感じました。仕事をしているということはパートでも休みにくく、拘束力が強かったけれど
経済的にもあるだけでやって行けばいいと思うようになりました。ゼロで死ぬでも・・ 

でもここに来ての物価高と老いを感じることのダブルパンチで老いを生きるのは大変だと思うようになりました。
スロースターターだったのでだいぶ後ろにずれた感じがしましたが、いっきにやって来ますね。surviveするのは大変だ。


 

通っているジムとその周辺

 

NHKの名曲アルバムで流れた大好きな曲。久しぶりにハウザーで聴いてみました。
どこか懐かしくもせつない思いを感じるこの曲が人の心を引き付けてやまないわけがわかりました。

HAUSER - Nocturne (Borodin)

 

愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く 

1859年、26歳の若い熱心な化学者ボロディンは、恩師ジーニンの推薦により、医科大学からの公費留学生として、ドイツに
留学します。留学先は、「アルト・ハイデルベルク」で有名なハイデルベルク大学。化学実験室でおなじみのブンゼンバーナー
を作り、炎の色のスペクトル分析を行い、新元素ルビジウムやセシウムを発見したブンゼンや、ブンゼンの共同研究者だった
物理学者キルヒホッフらが教鞭をとり、同期の留学生には周期律を発見し周期表を作ったメンデレーエフがいる、という環境で
研究に没頭します。そして2年が経過した1861年の5月、イタリアからもどったボロディンは、たまたま結核の療養のために
ハイデルベルクに滞在していたロシア人の女性ピアニスト、エカテリーナ・プロトポポーヴァの、サナトリウムにおける演奏会
に出席します。プログラムの第1曲目は、まだ没後5年目のR.シューマンの「アルバムブレッター」だった(*)といいます。

演奏会の後、シューマンの音楽について彼女に問いかけ、二人は急速に親密になっていきます。ボロディンの研究室での仕事が
終わる夕刻に落ち合い、ネッカー河を散歩しながら、化学に明け暮れていたボロディンの生活の中に、再び音楽の灯火が灯った
ことでしょう。二人で出かけたマンハイムやバーデンバーデンへの旅行の後に、ボロディンは結局は未完に終わる「ピアノ三重奏曲」
に着手し、二人は婚約します。

ところが、エカテリーナの病状が急に悪化し、イタリアに転地療養を余儀なくされるのですが、ボロディンもまた同地の化学者の
研究室で働きながら、一歳年上のエカテリーナに付き添います。1年後の1862年、エカテリーナは回復し、結婚の準備のために
モスクワの母親の元に帰り、ボロディンもペテルブルクに戻ります。それから20年の年が過ぎた1881年、ボロディンは、愛を告白
した20周年の記念に、愛妻に「弦楽四重奏曲第2番」を贈る(*2)のです。 

                                            blog 電網郊外散歩道より

 

シューマン :アルバムの綴り Op.124
Schumann, Robert:Albumblätter Op.124

がエカテリーナとボロディンを近づけたのですね。

 

ボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。
最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキー
知り合い[2]シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。
26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学
医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。

                                                   ウィペキデアより

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ ボロディン:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

ボロディンの弦楽四重奏曲なんて聴いたことがないよと言う人でも、この第3楽章の「夜想曲」だけはどこかで耳にしたことがある
はずです。それほどに、これは魅力的で詩情豊かなメロディです。

それもそのはずで、この作品はボロディンが妻に愛を告白した20周年の日を記念して作曲し、その妻に贈った作品なのです。
ボロディンの妻はエカテリーナ・プロトポポーヴァというピアニストで、ボロディンが化学者としてドイツのハイデルベルク大学に
留学したときに知り合いました。知り合ったきっかけは、彼がたまたま訪れたサナトリウムでの演奏会でエカテリーナがピアノを
演奏していたからでした。

そして、二人はその時に彼女が演奏したシューマンについて話し合ううちに親しくなり、それがボロディンの中に再び音楽に向かう
気持ちを蘇らせたのです。
やがて二人は婚約をするのですが、エカテリーナは体調を崩ししてイタリアへの転地療養を余儀なくされます。ボロディンもまた、
イタリアの研究所に移り、そこで働きながら彼女の介護を献身的に行います。そして、一年ほどで体調を回復したエカテリーナは
結婚の準備のためにロシアに帰り、二人はペテルスブルグでめでたく結婚することになるのです。

それ故に、この弦楽四重奏曲はボロディンとエカテリーナの親密で幸福な生活を想像させるような音楽になっています。
それは、時には二人の語らいを思わたり、大学教授として忙しく働くボロディンを思わせたりするのですが、なんといっても聞き所は
第3楽章の「夜想曲」でしょう。深い感情に彩られたこの静かな夜の歌は、二人の幸せな結婚生活そのものです。

人格破綻者の群れと言っても言い過ぎでないほどのクラシック音楽の作曲家の中で、ボロディンは稀に見るほどの人格者でした。
その様なボロディンが行ったもう一つの大きな業績が、彼が務める医科大学に女子課程を始めて作ったことでした。
21世紀の日本でも、平気で女性に対して差別的な扱いをすることが横行していることを考えれば、19世紀のロシアで女性が医学大学で
学ぶ機会と場を作りあげる為には、とんでもない苦労があったはずです。

つまりは、何が言いたいのかというと、ボロディンという人は必ずしも音楽だけの人ではなかったと言うことです。そして、それ故の
物足りなさも彼の作品にはあるのですが、それ故の魅力もまたあるのです。
この愛する妻に捧げた弦楽四重奏曲は、それ故の魅力が発揮された作品だと言っていいのでしょう。

 

 

グルジア貴族の血をひきながら非嫡出子として生まれたボロディンは農奴の子供として登録されたけれど、音楽やその他優れた
教育を受け、医学、有機化学の道に進み多大な業績を残したという。特に女性の人権に対しての業績(医大に女子過程を作る)
は素晴らしいかと思いました。

NHKの名曲アルバムで聴いて、初めてこの心惹かれていた曲「ノクターン」の曲の成り立ちとボロディンが音楽家としては
日曜音楽家であったことを知り、彼の人間性にもひかれました。このノクターンを完成後数年後に多忙なボロディンは53歳で
突然死で亡くなり、ずっとボロディンが支えてきた病弱な妻は4ヶ月後に後を追うように亡くなったとのことでした。
この曲が人々の胸を打つのはボロディンの妻への愛情にあふれているからだったのですね。

 

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ピアノ活動再開計画とMartin Fröst, Mozart Clarinet Concerto ・・・planning to resume piano lesson

2024-12-09 21:14:43 | music

今年のリフォームはまず必要な水回りの更新のためでしたが、二次的には自分のやりたいことをやりやすくするための
配置換えもあり、和服を着やすく、ピアノを弾きやすく、はた織りもできるようにとしたのですが、長い夏の猛暑のため
すっかり止まってしまっていました。

今年も終わろうとしたときに、やっとピアノの調律をしている中学校のクラスメイトに連絡をして、私のピアノの先生の
子供で小学校の時の親友にもやっと再度連絡しました。彼女には社会人になってから、中学の時やめたピアノを弾きたくなり
教えてもらいに少しだけ遊びに行ったことがありました。

問題はピアノです。娘が弾かなくなってもう18年くらい開かずのピアノとなっていて、少し前に見たら、鍵盤が下がって
上がらなくなっていたり、鍵盤の奥に貼ってあるフェルトか何かがボロボロしているみたいで・・かなり状態が悪いです。
調律できる状態かどうか一度見てからと言うことになりました。修理からだとかなり費用もかかりそうです。
ピアノにも虫がつくことがあると恐いことも聞きました。

弾きたい思いが強くなったのは、友人からメンデルスゾーンの無言歌のエレジーがいいと言われた時からだったと
思います。それまで漠然とまた人生の最後にはピアノを弾きたいと思い始めていました。

最近聴いた北村朋幹のフォルテピアノのコンサートでシューマンの子供のための曲やあまりひかれない曲が
アンコールで演奏されて、これも弾いてみたいと弾きたい曲も増えてきました。大人になってからシューマンの
トロイメライを小学校からの親友に習ったことがあり、やっぱりシューマンかと思いました。
メンデルスゾーンやシューマンのやさしい曲を弾いてみたい。ピアノが調律だけで済むことを願っています。

習いたいのは、メンデルスゾーンの無言歌からとシューマンのユーゲントアルバム、アルバムの綴りなどから・・

そういえばブーニンの八ヶ岳音楽堂での復帰コンサートはシューマンの色とりどりの小品 作品99でしたね。
「それでも私はピアノを弾く〜天才ピアニスト ブーニン 9年の空白を越えて〜」は録画して何回も見たけど、もう消してしまって。
若いころ弾いたシューマンが弾きたくなったと話していました。技巧の曲ではなくああいう優しい曲が弾きたくなったのね。

 

スタニスラフ・ブーニン ~再会~ より 「シューマン:色とりどりの小品」「ショパン:マズルカ」

 

Little Study (op.68, no.14) by R. Schumann

 

R.シューマン アルバム綴り op.124-8 果てなき苦しみ Albumblätter "Leid ohne Ende" Op.124-8 #schumann #romantic


R.シューマン アルバム綴り op.124-11 ロマンス Albumblätter "Romanze" Op.124-11 #schumann


實川風の「秘曲喫茶」第10回 / シューマンの秘曲『アルバムの綴り Op.124』から、《ワルツ イ短調 Op.124-4》、《終わりのない歌へ長調Op.124-8》

 

 

モーツァルトのクラリネット協奏曲

最近よく聞いていたのはファビオ・ルイージのシューマン交響曲集とモーツァルトのクラリネット協奏曲。

クラリネットは図書館から借りて聴いたマーティン・フロストのがすごくいい。家で父の残したCDの中から探してカラヤン
指揮、カール・ライスターの演奏を聴いたりもしたけどやはりMDにとったフロストのが素晴らしい。

このしみじみとした感じがいいと思っていたのですが、ネットを見ていたら、モーツァルトが亡くなる1か月前に自分自身への
レクイエムを作曲するように作ったのではという記事をみつけて、納得しました。彼岸の音楽。

 

Martin Fröst

 

Martin Fröst, Mozart Clarinet Concerto part 2

 

モーツァルト クラリネット協奏曲イ長調K622 名盤 ~彼岸の音楽~

モーツァルトが亡くなる一か月前に完成させた「クラリネット協奏曲イ長調K622」は、数々の名作が並ぶ彼の協奏曲の
中の最後の作品です。そして、この曲を最高傑作に上げる人も決して少なくは無いと思います。

この曲には良く言われるように、既に天国に旅立ってしまったかのような、現世から解脱した雰囲気が漂っています。
正に「彼岸の音楽」に他なりません。
若い頃の作品にも、天国的な曲は幾つも有りましたが、この曲の第2楽章は自分が黄泉の国へ旅立つことをはっきりと
予感して、”去りゆく自分自身のためのレクイエム”として書いたことは間違いないでしょう。まるで秋の青空のように
澄み渡った音楽は、そこに何とも深い哀しみをたたえています。モーツァルトが愛する家族や友人たち、それに音楽活動
に別れを告げねばならない、この世の無常さを感じていたからでしょう。

                                            ハルくんの音楽日記より

 

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HAUSER 再び ・・・ Hauser again

2024-12-03 20:53:43 | music

最近、和服をたたみながら久しぶりにモーツァルトのクラリネット協奏曲を聴いたらなんとも気持ちが
良かったです。モーツァルトも久々だったのかしら?

そしてフランソワーズ・アルディ・・ 懐かしくて、もっと聴きたくて探していたら、なんとハウザーのツアーコンサートの
動画に当たりました。日本にも4月に来てソロ・コンサートをしていたのです。ちょうどリフォームで忙しい時期で
来日のことは全く知りませんでした。残念。

2024年のコンサートは最初クラシカルな美しいメロディーから始まって、だんだんヒートアップしてラテンやロックになり、
そしてハレルヤで終わりました。

でも今再びフランソワーズ・アルディも止まりません。

ハウザーのクラシックを聴いていたら、この一年の経つ速さを感じ、その中で歩いた美しい日本の風景や友達と歩いた
里山の道を懐かしく思い出しています。今私の心は奄美に飛んでいて、やっと大まかな計画が立ちました。帰りに九州を
とおり阿蘇の近くの温泉巡りをすることにしました。
行きたいところがお互いにフィットしたら、細かい計画は私がたてます。友人はいつも全く計画を立てないで旅するタイプらしく。
私は性格的に食事と泊まる場所が確保されていないと出かけられません。
簡単に考えていた屋久島は今回はあきらめたので、あまり大変な所は歩かないと思うので望遠レンズを持って行けたらと
思っています。今や普通のレンズでも重たく感じているのにね。奄美には冬でも蝶が飛んでいてもしかしたら鳥にも出会える
かもしれません。以前は大島紬だけで行きたくなっていた奄美大島ですが、今は一村が見た自然に心が向かいます。

 

HAUSER - REBEL WITH A CELLO - Live in Italy 2024 (Full Concert)

 

Françoise Hardy

 

Première rencontre (Remasterisé en 2013)

この曲も大好きだったけど、曲の始まる前にオーケストラが音合わせをする曲があったけど、この曲じゃなかったのかなと
記憶をたどっています。

 

INA | Françoise Hardy, le best of

なつかしすぎる。

 

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Françoise Hardy

2024-11-29 23:59:45 | music

今日、予定を変更して行った箱根美術館の紅葉があまりも素敵だったので、急に思い出したフランソワーズ・アルディの曲を
久々に聞いてクール・ダウン。今日は一眼レフを持って行ったので、撮った写真は100枚は超えて、スマホも50枚以上。 
今年紅葉を見に行けなかった私の最後のチャンスでした。硫黄のにおいがする冷たい空気の中、青い空に映える秋の葉を見て
歩きました。栗きんとんをいただいて飲んだお抹茶は最高でした。

スターが頭の中でかかって、レコードは持っているけど聞く手段がなくて、YouTubeで探しました。そこでフランソワーズ
アルディが今年の6月に80歳で亡くなっていたことを知りました。すてきに年を取って行った人でした。

若い頃一番聴いたシャンソンがバルバラとフランソワーズでした。

今聞いていたら、胸を締め付けられるような感じ。私も今生きることがいとおしくて仕方がない。

 

Star

 

Berceuse (Remasterisé en 2013)

 

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Jacques Brel - Quand on n’a que l’amour ・・・ 久しぶりのシャンソン

2024-11-14 23:59:02 | music

11月12日

 

 気持ちのいい朝

午前中はボビンレースの作品展の会場設営。
家に戻ったら夕食を作って、今度は夕方からのシャンソンのライブへ。

 夕日が沈む


従弟に誘われてamiさんのバースディ・ライブへ。
従弟はコロナで亡くなられたシャンソン歌手の高木涼太さんと小学校から高校まで一緒で、高木涼太の
追悼公演のことでamiさんとかかわってきたとのことで、時々ライブを聴きに行っているよう・・

シャンソンのライブはブログつながりの杉田真理子さんと呉服屋さん繋がりの林美喜さんしか行ったことがなく
久しぶりに行ってみるのも悪くないと思いました。

食事をとりながら聴くコンサートで、前菜から・・・

鴨のサラダ


とてもポピュラーなシャンソン、オーシャンゼリゼやミッシェル・ポルナレフやフランス・ギャルなどの
なつかしいポップスが続きました。

お誕生日ということで、朝、まず自分にありがとうと言ったと話していました。頑張って生きている自分に
感謝の言葉。なんだかとてもかわいい性格の方です。

音大に行っていた彼女はドイツにしばらくいたようですが、その後シャンソンに転向したのですね。
ベルリンの壁崩壊近い時にライプツィヒの教会で我々は武器を持たないという静かな集会を思い出したという
ジャック・ブレルの「愛しかない時」が素晴らしかったです。日本語で歌ったので意味もすごくよくわかり
涙が出てきてしまいました。感動的な歌です。今この時に。

下にYouTubeを貼っておきました。

他にもヴィム・ベンダース監督の「リスボン物語」に出たというポルトガルの歌手、テレーザ・サルゲイロも
初めて知りましたが、とても素敵でした。あみさんは夢中になって今度はポルトガル語を習ったとのことです。


 

最初はスパークリングワイン、次は赤ですが、とてもおいしかったです。
ボルドーにちなんで、ボルドーは高いのでそれに近いものを・・

メインは羊のボルドーソース

 

小さなカヌレのデザートがおいしかったです。

11/12 Roso Nero

1部
1.   あなたに首ったけ
2. ジュ・トゥ・ヴー  Je te veux なんとサティが作ったシャンソンだった。
3. モンマルトルの丘
4. パダンパダン
5.最後のワルツ
6. 愛しかない時
7. シェリーに口づけ

2部
8. サンタルチア
9. キャバレー
10. トゥルリ
11. たとえ何があっても
12. ヴィ・ヴィオロス
13. 最後の珈琲
14. オー・シャンゼリゼ
15. 愛の讃歌

 



第2部の最後近くに。



辛口のおいしい赤ワインでした。

帰り道に不思議な神社?

 

鶯谷という不思議な所にあるお店でした。
芸大や国立博物館の裏なのに怪しげなお店もあるところでした。

どちらかと言うとかわいい歌声で、魅力的なパーソナリティの人でした。

 

 

Jacques Brel - Quand on n'a que l’amour (Live officiel Casino de Knokke 1963)

 

quand on n'a que l'amour  愛しかないとき


quand on n'a que l'amour
a s'offrir en partage
au jour du grand voyage
qu'est notre grand amour

愛しかないとき
僕たちの愛の
大いなる旅立ちの日に
すべてを分かち合うために...

quand on n'a que l'amour
mon amour toi et moi
pour qu'eclatent de joie
chaque heure et chaque jour

愛しかないとき
恋人よ 君と僕とが
いつの時間も いつの日にも
喜びにあふれるために...

quand on n'a que l'amour
pour vivre nos promesses
sans nulle autre richesse
que d'y croire toujours

愛しかないとき
僕たちの誓いを生きるために
他に何の豊かさがなくても
それだけを信じて...

quand on n'a que l'amour
pour meubler de merveilles
et couvrir de soleil
la laideur des faubourgs

愛しかないとき
素晴らしいもので満たされ
場末の醜さも
太陽の光で覆い隠せるとき...

 

qunad on n'a que l'amour
pour unique raison
pour unique chanson
et unique secours

愛しかないとき
ただ1つの理由
ただ1つの歌
そしてただ1つの救いのために...

quand on n'a que l'amour
pour habiller matin
pauvres et malandrins
de manteaux de velours

愛しかないとき
朝に
貧しい人々 家のない人々に
ビロードのコートを着せてあげるために...

quand on n'a que l'amour
a offrir en priere
pour les maux de la terre
en simple troubadour

愛しかないとき
この世の幾多の不幸のために
祈りを捧げる
一介の「吟遊詩人」として...

qunad on n'a que l'amour
a offrir a ceux-la
dont l'unique combat
est de chercher le jour

愛しかないとき
「戦い」だけが
「光明」を求める唯一の手段
そんな人たちに向けて...

quand on n'a que l'amour
pour tracer un chemin
et forcer le destin
a chaque carrefour

愛しかないとき
それぞれの岐路に立ったとき
運命を切り開くために
道を指し示すために...

quand on n'a que l'amour
pour parler aux canons
et rien qu'une chanson
pour convaincre un tambour

愛しかないとき
大砲に語りかけ
太鼓にも打ち勝つために
歌しかないように...

alors sans avoir rien
que la force d'aimer
nous aurons dans nos mains
amis le monde entier

このように 持てるものは
「愛する力」しかなくても
僕たちはこの手の中に
世界中の「友」を持つことができるだろう...

訳は「フランス専門専門さん(daniel-b)のなんでもブログ」より

 

Céline Dion - Quand on n'a que l'amour (Live à Paris 1995)

 

Teresa Salgueiro | #alegria | Video Oficial

Teresa Salgueiro | A Cidade [Official Video]

 

あみさんからまた素敵な人につながりました。

 

家に帰ってから昔買ったCDを探して、「愛しかない時」を何回も聴きました。
力強い歌です。

 

Nov. 12  2024  Uguisudani

コメント
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