Reflections

時のかけらたち

オール・ショスタコーヴィチ プログラム  ・・・ All Shostakovich programme in Yokohama   

2025-03-18 23:17:09 | music

3月15日

半年以上も前に妹から横浜で北村朋幹のコンサートがあると教えてもらって、チケットを取ってもらっていた
みなとみらいでのコンサートに行きました。ショスタコということで好んで聴きに行く作曲家はなかったのですが、
ソリストが素晴らしいので行ってみることにしていました。

午前中は九段で今度のフェスティヴァルのリハーサルがあって、そのあとの練習を終えて急いで横浜・みなとみらいに
むかいました。それまで家でも時間があれば歌う練習をしたり、ボビンレースの日々でした。

パシフィコのホールには行ったことがあったのですが、みなとみらいホールは初めてでした。



たまたまNHK Eテレでのクラシック音楽の解説番組でショスタコ-ヴィッチの説明があったので録画しておいて
事前に見ておきました。ソヴィエト連邦の時代に厳しい環境の中で自分の音楽を表現してかなり危険な中
作曲活動をしていた人で、現代の不安定な社会状況を反映して、危機的な響きやはかなげな美しさを表現して
ただ美しさを求めるのでなく時代を反映する音楽でした。バルトークとかも同じ感じがします。
没後50年ということでなかなかない企画だと思いました。

娘が小さい頃,ピアノを習っていて先生が面白く、娘にはショスタコ-ヴィッチが合うと言って、弾いていたことが
ありました。子供のためのピアノ曲も書いていたのですね。



神奈川フィルハーモニー管弦楽団 華麗なるコンチェルト・シリーズ第27回
北村朋幹 林辰則 上野通明 山根一仁「時節到来、オール・ショスタコ!」

2025年03月15日()14:00開演
横浜みなとみらいホール 大ホール

指揮者: キンボー・イシイ / ピアノ: 北村朋幹 / トランペット: 林辰則 / チェロ: 上野通明 / ヴァイオリン: 山根一仁

ショスタコーヴィチ   ピアノ協奏曲第1番ハ短調Op.35
           チェロ協奏曲第2番Op.126
            ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77

 



 

ショスタコ-ヴィチのこれらの協奏曲は、それぞれ楽器の編成が面白く、いろいろな楽器を使い作曲していて
楽しんでいたように思いました。危機感と強烈な響きの後に時おり現れる美しいメロディにつかの間の安らぎを
覚えるような曲でした。ソリストたちは誰も難解な曲に挑戦しているように思いました。妹は昔神奈川フィルを
聞いたことがあるけどずいぶん上手になったと言っていました。私も日本のオケはどこもレベルが高くなっていると
思いました。コンサートマスターも後で知ったのですが、ソリストとしても有名な人でした。

 

どれも素晴らしかったけれど、圧巻はラストの山根一仁のヴァイオリン協奏曲だったかしら。
演奏後ブラボーの嵐でした。長いカデンツァがありました。

曲の参考までにヒラリー・ハーンの演奏を。

Shostakovich - Violin Concerto No 1 Hilary Hahn/Mariss Jansons BPO

上野通明のチェロの音も美しかったし、北村朋幹の繊細にして力強いピアノとのびやかな林辰則のトランペット
も良かったです。

 

帰ってからインターネットで嬉しいニュースを見ました。
北村朋幹の芸術選奨 文部科学大臣新人賞音楽部門受賞です。

リストの「巡礼の年」の演奏会もフォルテピアノの演奏会も行きました。地味だけどキラリと輝く
活動をする音楽家です。ロマン派から現代曲までの幅広い活動と探求心のすごさ・・

受賞者インタビュー~北村朋幹様~令和6年度芸術選奨 文部科学大臣新人賞音楽部門受賞

これからも音楽との関係は変わらないと話す北村朋幹がますます好きになってしまいます。

【2024年3月6日発売】北村朋幹(ピアノ)/リスト 巡礼の年 全3年 Tomoki Kitamura, piano/Liszt Années de pèlerinage

 

 

このコンサートでもらったフライヤーの中に魅力的なコンサートがありました。
さすがベルギーが後援なのでフォロンを使っています。
昨年フォーレの同じようなコンサートがありましたが、ちょうど旅行と重なり、行くことができませんでした。
妹に後から聞いたら行ってみたいというのでチケットを押さえましたが、10月のコンサートなのにいい席が
もう結構埋まっていました。今年は5月のムジカーザの北村朋幹のチケットを取ることができましたが、
年末にはムジカーザの30周年特別企画で北村朋幹と師である伊藤恵のデュオ・コンサートがありますが関係者限りでした。








妹とのランチは横浜ベイホテルの中の大志満で。


治部煮が食べたかった。

妹とも半年以上ぶりなのでゆっくり話せる場所にして、鰻のランチを奮発。




 

1年に1回くらいしか会えない妹との久々の食事とコンサートでした。

 

March  15  2025   Yokohama

 

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日々の中に流れる曲 Schumann, Brahms and Satie

2025-03-12 23:57:30 | music

3月9日

やっと風邪のせいでの落ち込みから気持ちが取り戻せました。
午後買い物にでかけスーパー3軒を回り、氷川神社の河津桜を見て家に戻り、娘と金沢・福井旅行の計画を
つめました。







 

 

 

3月11日

用事があって目白に行き、食事をしていた時にかかっていた曲。よく聴いていた曲だけど誰のだったかなと考えていて
そうだシューマンの幻想曲だと気が付きました。最初はブラームスっぽいとかひょっとしてショパン?ちょっと違うか
なんて考えながら楽しい時間を過ごしました。なかなかパッショネートな曲です。私はポリーニのレコードでよく聴き
ました。LPの時代です。

しばらくお店で音楽を聴いて、過ごしました。食事が来る前には本がやっと少し読めました。

 

 

**♪シューマン : 幻想曲 ハ長調 Op. 17 / ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ) 1991年12月


家まで歩いて帰る途中に久しぶりに探検。




近衞家の邸宅があった場所に建てられた学習院高校の寄宿舎として建てられたもの。
さすがにおしゃれ。昭和28年より日立の目白クラブとなっている東京都の歴史的建造物。











 

ここ数日サティーの Je te veux をさらっているのだけれど、また人が歌っているのを聞いてみるのも最後の勉強に
いいかと思って、今まであまり聴かなかったジェシーノーマンのを聴いたら、なんて深みのある美しい声なのだろうと
改めて彼女の声のすばらしさを感じました。このような軽い曲でも気品を感じます。

 

Satie: Je te veux

 

 

3月11日
3.11 東日本大震災の追悼と災害を忘れないためのランタンナイト

多くの命が奪われたことを忘れない。
最近では能登の地震と大災害の多いこの私たちの生きている時代。台風や集中豪雨の被害も大きく、強風も多い
暴れる地球。

以前、阪神淡路 大震災の追悼のセレモニーの時にかかったのが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番の第3楽章でした。
よく聴いていたポリーニの演奏で。そしてアバドの若いこと。

 

Brahms - Piano concerto No 2 (Pollini, Abbado WPO)

 

 

 



 

 

 

3月12日
茶道表千家の稽古

柳緑花紅の掛け軸の下に小さな水仙の花が二輪。
自然から切り取った小さな宇宙。

禅語の意味はそれぞれ個性があって

前回は「好日」の書がかけてありました。

引き続きお濃茶。何が何だかわからないうちにお稽古が終わりました。思い出しながらやるのも
結構面白い。いつも時間ギリギリと言うか少し遅れめに到着。でも小間の中ではすべて忘れて
お湯が沸いている音を聞いて、周りの世界から切り離された空間へ。



 

私の居場所 音楽の中、茶室の空間の中、自然の中、大地を旅する中・・ 芸術の中、 筋トレのジム・・
こんなにあったと驚く。あと糸の世界の中も・・・

 

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なつかしい曲たち ・・・ Tchaikovsky: Mélodie

2025-03-09 23:59:53 | music

先週のN響の定期公演は珍しくリアルタイムで見ました。
ファビオ・ルイージの新しい世界を見ました。ワグナーやシェーンベルグです。ペレアスとメリザンドはドビュッシーやフォーレも
作曲したなかなか作曲家のイマジネーションを掻き立てるストーリーのようです。私が以前聞いたことがあったのは多分フォーレの
だったかしら・・・ 今回これらの重々しかったり、研ぎ澄まされた曲をもっと聴きたかったのですが、録画してなかったので、NHK
プラスで何回か聴いただけでした。クリスティアーネ・カルクは大分前に同じシュトラウスを聴きに行ったことがあったソプラノでした。

この番組の一番最後にあったコンサートαでのMINAMIの演奏に心が休まりました。

N響第2025回定期公演【曲目】1.ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」▽2.リヒャルト・シュトラウス/歌曲集から
「ばらの花輪」「なつかしいおもかげ」「森の喜び」「心安らかに」「あすの朝」▽3.シェーンベルク/交響詩「ペレアスとメリザンド」
【演奏】指揮=ファビオ・ルイージ、ソプラノ=クリスティアーネ・カルク、管弦楽=NHK交響楽団【収録】2024年11月30日NHKホール


MINAMIの曲目の大好きなブラームスのソナタ3番や、チャイコフスキーの「なつかしい土地の思い出」が私の心の中にも
なつかしさをよびおこしました。とてもふくよかな彼女からやさしく柔らかいメロディーが広がって行きました。
最近はよく音楽を一緒に聴きに行った義理の姉や母が夢によく出てきます。

初めて知ったヴァイオリニストはなかなかの経歴の持ち主でしたが、今度ベルリン・フィルの第1ヴァイオリン奏者と
決まった記事を発見。樫本大進についですごいですよね。

この度、弊社所属ヴァイオリニストのMINAMI(吉田南)は、
オーディションに合格し、来シーズン(2025年秋)より、
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者としてトライアルを開始いたします。
適任者不在のまま約4年間空席となっていたポジションに着任し、
ベルリンを拠点として活動して参ることとなりました。
引き続き国内外でのソロや室内楽の活動も行って参ります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

株式会社アスペン

MINAMI has won the audition to join the Berliner Philharmoniker and
will begin a trial period for the 1st violin (tutti) section
starting from the 2025 Fall season.
She will also maintain her solo and chamber music performances
both in Japan and internationally.
Please anticipate her remarkable achievements in the future.

Aspen Incorporated

 

 

Julia Fischer - Tchaikovsky: Mélodie in E-flat major, Op. 42 - Tatiana Chernichka

チャイコのこの曲はオケとのも多いのですが、ピアノの伴奏のが好きかな。

Hilary Hahn and Josh Ritter Paganini Cantabile

メロディーから連想したパガニーニのカンタービレ。 よくアンコールに弾かれる曲ですが、私も昔コンサートの
アンコールで聴いたリッターとのアンコールです。最近はヒラリー・ハーンのコンサートには行っていません。

 

Janine Jansen - Après un reve - Fauré (official video)

チャイコフスキーのメロディーを探していた時にみつけたジャニーヌ・ヤンセンのフォーレ「夢の後に」
これも若いころから大好きな曲。 ヤンセンのコンサートには2回行ったことがありました。

 

離れていても同じ時を過ごしていると感じられる友人とも音楽の話ができるのが嬉しい。
彼はクラシックにはあまり詳しくないけれど、こんな曲がいいと教えてくれると私にも新しい発見が
あったり、私も好きな曲だったりして。
こんな高齢者になるといたわりあうことができる若いころからの友人がいたなんてミラクル。
そんな人がいたことが嬉しい。同年代の友達たちは同じ時代を生きてきて、同じように年を取って
わかり合えるところがやはりいいですね。

 

追記)

「なつかしい土地の思い出」はロシアのことだと思っていたのですが、
前橋汀子さんの説明で下記のようにありました。

この組曲のタイトルにある「懐かしい土地」というのは、1877年にチャイコフスキーが結婚の破綻から逃れ療養していた
スイスのレマン湖ほとりにある風光明媚な小さな町「クララン」といわれています。この地ではチャイコフスキーの代表作で
あるヴァイオリン協奏曲も作曲されています。

 

チャイコフスキーは不幸な結婚とその果ての自殺未遂によって、スイスの湖畔の村クラランの別荘に逃亡します。それが可能
だったのは、彼の終生のパトロンとなったフォン・メック夫人の援助があったからです。
彼はその別荘に腰を落ち着け作曲活動に専念することになります。そして、そこで「交響曲第4番」や「エフゲニー・オネーギン」
さらには当地をたずねてきた友人のヴァイオリニストの助けを受けて「ヴァイオリン協奏曲」などを完成させることになるのです。
 この「瞑想曲(Meditation)」は、その「ヴァイオリン協奏曲」の第2楽章として書かれたものでした。
しかしながら、全体のバランスを考えればこの音楽は短すぎると判断して、チャイコフスキーは別の音楽「Canzonetta」に差し替えます。
 しかし、この短い音楽はとても美しく、それ故に捨てるのに忍びがたかったようで、ロシア帰国後に「なつかしい土地の思い出」と
題したピアノとヴァイオリンのための作品の第1曲として採用します。
この「なつかしい土地の思い出」の「なつかしい土地」とは言うまでもなくメック夫人の援助によって過ごしたスイスのことであり、
この作品はその事への感謝の気持ちを表したものでした。  クラシック音楽へのお誘い~Blue Sky Label  より 

この小品集はチャイコフスキーのパトロンであったナデーシュダ・フォン・メック夫人が所有していたウクライナの田舎町の領地
であるブレイロフで作曲され、完成すると夫人に贈られたと書いてあるものもありました。

チャイコフスキーは同性愛者であったとも書かれていました。そんなことも聞いたことがあったような・・
バレエ音楽や悲しくも美しい情緒に溢れた音楽を作った人です。

 

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今年のひな祭りはシャンソンで ・・・ Chanson for this year's Hinamatsuri

2025-03-07 23:37:31 | music

3月3日

風邪か花粉症かわからない状態が2月の末続いて、微熱もあるので体がだるく、のどが痛くなり、咳もひどくて
やっぱり風邪かと思い、病院へ行って咳止めやら風邪薬をもらって、3月3日のあみさんのシャンソンと5日の歌舞伎仮名手本忠臣蔵に
備えておとなしくしていました。体調が悪いと気分も落ち込み最悪です。雪の天気予報もあり、暖かくして出かけなくては。
カーブスもずっとお休みです。

チケットを無駄にすることなく出かけることができて良かったです。

お雛様も2月末にやっとこさ出すことができました。前日は避けたかったです。
今年からは小さなガラステーブルを捨てたので玄関に定着。白酒は2月26日に微熱が下がったので、医科歯科大の歯科に歯の治療で
きつくなって外れなくなったマウスピースを見てもらいに行ったついでに駿河台下の豊島屋さんに行って入手できました。
暖かかった日で、水道橋に事務所がある友人とランチタイムは久々に会って話をして。彼女はまだ現役の会計士だからすごいなと
思います。元気そうでよかったです。

 

従弟の幼馴染みの今は亡きシャンソン歌手高木涼太さんつながりで知り合いになった
あみさんのコンサートがあると知らせがあり、急でしたがタイトなスケジュールの中
雛祭りにシャンソンもいいと思い、一緒に行くことにしていましたが、ずっと風邪気味で
大事にして病院に行って頑張って治して、雪が降った日でしたが午後は止み、暖かくして
出かけました。

 

雛祭りっぽいカクテル。ロゼワインがメインでした。





あみさんが書きとったフランス語の詩。子供用の詩らしい。(子守歌?)
調べたら18世紀の民謡。不思議な歌。

Au clair de la lune,
Mon ami Pierrot,
Prête-moi ta plume
Pour écrire un mot.
Ma chandelle est morte,
Je n'ai plus de feu ;
Ouvre-moi ta porte,
Pour l'amour de Dieu[1].

Au clair de la lune,
Pierrot répondit :
« Je n'ai pas de plume,
Je suis dans mon lit.
Va chez la voisine,
Je crois qu'elle y est,
Car dans sa cuisine
On bat le briquet. »

Au clair de la lune,
L'aimable Lubin
Frappe chez la brune,
Elle répond soudain :
–Qui frappe de la sorte ?
Il dit à son tour :
–Ouvrez votre porte[2],
Pour le Dieu d'Amour!

Au clair de la lune,
On n'y voit qu'un peu.
On chercha la plume,
On chercha le feu.
En cherchant d'la sorte,
Je n'sais c'qu'on trouva ;
Mais je sais qu'la porte
Sur eux se ferma.

月の光に、
わが友ピエロ、
君のペンを貸しておくれ、
一言書きとめるために。
私のろうそくは消えている、
私にはもう火がない。
扉を開けておくれ、
どうか後生だから。

月の光に、
ピエロは答えた。
「私はペンを持っていない、
私はベッドの中にいる。
隣の家へ行きたまえ、
彼女がそこにいるに違いない、
なぜなら台所で
誰かが火打石を打っているから」

月の光に、
優しいリュバンは
栗色の髪をした女性の家(の戸)を叩く。
彼女はすぐに応じる。
「そんな風に戸を叩くのはどなた?」
そこで彼はこう告げる。
「扉を開けて下さい、
どうか後生ですから!」

月の光に、
二人はほんのわずかしか見えない。
二人はペンを探した、
二人は火を探した。
そんな風にいろいろ探して、
何を見つけたのやら私は知らぬ。
でも私は知っている、扉は
彼らの方に向けて閉まったのだから。


 


 



 

1. 二人でパリに行こう
2. Paris je t'aime
3.    Paris Violine
4.    恋は水色
5. ウィーンにて
6. そして今は
7. ムーラン・ルージュの歌
8. ラッセーヌ

9. 彼女のサンダル サンダリア
10.  シラキューズ
11.  夢見るシャンソン人形
12.  ラ・クンパルシータ
13.  ブエノスアイレスのマリア
14.  過ぎ去りし青春の日々
15.  オー・シャンリゼ
16.  上を向いて歩こう

 

バルバラの「ウィーンにて」を歌ってくれました。どの曲もアレンジがすごく素敵で、キーボードも
息があっていて音楽が溢れます。ブエノスアイレスのマリアもよかったです。今回ポルトガルの歌がなかったのが残念。
シャンソンの枠を超えて歌の世界が広がります。

Barbara - Vienne (Live 1973)

 

なんと杉田真理子さんの歌をみつけました。ピアソラの曲。

ブエノスアイレスのマリア 杉田真理子

 

お料理も楽しめます。ステージも料理も趣味でやっているとしか思えません。

春キャベツがとてもおいしくて、作り方を教わってしまいました。


赤ワインと一緒にいただいたので、しつこさが取れました。


デザートに金平糖とひなあられがちりばめられて・・・


ウズペキスタンの楽器。

 

外の世界のことは忘れて一時、音楽を聴いて元気になりました。
従弟も私もそれぞれの運命を背負って・・日常を離れたいい時間でした。

 

                                 

それで我が家のひな祭りは3月2日にしました。






 

3月1日

暖かかったので荻窪の旧近衞邸に散歩に行きました。
その時のお雛さまです。


 

March 3  2025   Uguisudani

March 1  2025   Ogikubo

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Queen - Love of My Life

2025-01-19 23:47:15 | music

1月19日

月に一回のイタリアを楽しみにイタリア語のレッスンに。
楽しい笹塚十号通り商店街を通り抜けて先生のお宅まで行くのだけれど、
先生の家近くでQueenの音楽が町に流れてきました。Love of my life ♪  フレディの歌声がのびやかに
響きました。私の好きなバラードで、何か懐かしい気持ちになりました。

旅行が近づいているのに体調がすぐれなくて、心配になっていたところですが、胸の痛みが消えて
今度は風邪の症状がぶり返し、昨晩は喉が猛烈に痛くなって熱が出たらどうしようかと思っていたら
葛根湯を飲んで熱いお風呂に入って、蒸気でのどのまわりが包まれたら、痛みが治まってきました。
昨日はベルカントのレッスンで空気も乾燥していて、その後、昼食をとりながら、いたたまれない話を
聞いて、心が重くなっていました。今の世の中、ハラスメントだらけで、優しい人が傷ついてしまうと
思いました。人間が作る世の中。

どうなるかと思った風邪の症状が葛根湯のおかげで引いてきました。旅行に行けなかったらどうしようかと
思っていたところでした。今週は出発までカーブス以外、何も予定が入っていないのでゆったりと過ごしたいと
思っています。奄美は20℃に近く、熊本の阿蘇近くの温泉は雪がちらつきそうで温度の変化がかなりあるところを
行くことになります。

 

 

Queen - Love of My Life

Queen - Ballads [1 hour long]

 

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ピアノが生まれ変わった日 ・・・ the day the piano was reborn

2025-01-17 21:57:32 | music

1月15日

昨年末に調理師の友人に相談して、何とか調律だけで行けそうというので、約束した15日に
調律に来てもらいました。この前もピアノの中を開けて見せてもらいましたが、今度は本番で
開けた時に写真を撮らせてもらいました。


ストレートな音にならないように、鍵盤に遊びを持たせることが大事と彼女は言ってました。

中を見ると、ピアノって本当にすごい楽器なのだということが、わかります。

 




ピアノの中身を見ることは感動的なことでした。とても美しかったです。
共鳴板に音を響かせるのですね。ただハンマーでたたく打楽器ではないのです。
ピアノって偉いねと思いました。高額なのも無理はないとも。

あまり使われない端の方の鍵盤は弾くと元に戻らないようになっていたので、その辺も直してもらって
中のフエルトも縫い直していました。これからは弾かないキーも触って動かすことが大切とのこと。
ランチタイムを除いて、ずっと立ちっぱなしで午後5時近くまでの作業が続きました。
私は居間でスマホのいらない写真の整理をしたりしていました。

そして調律がすんだらなんとも美しい音に生まれ変わっていました。ヤマハのこの時代のピアノはいい音だと彼女は
言っていました。
私は場所も狭いし、電子ピアノでもいいかと思ったと話したら、とんでもないことと返されました。
心が音に乗っかるのは生ピアノだけと。繊細な表現ができると。ピアノを教えてもらおうと思った友人も同じことを
言っていました。
娘のために買ってもらったピアノは私のピアノになりました。私が子供の頃に使っていたピアノも祖父母に買って
もらったものでした。今さら母に感謝です。調律して長い眠りから覚めたピアノは私のピアノになりました。

私くらいの年齢の人からの調律の依頼がとても多いそうです。新たに始める人も多いとか。


ランチはサンドイッチとミネストローネ。


おやつのために蒸していたデーツとクリームチーズを入れてホットケーキミックスで作った
蒸しパンもちょうどできあがり、出来立てを食べました。まぁまぁでした。山に行ったときに作るというレシピで
やってみた簡単なおやつです。

 

ピアノの鍵盤の上のフェルトが虫食っちゃったのか丸く切れていたのでかわいいフェルトをプレゼントしてもらいました 

調律がすんでやっとコーヒーブレイク。
彼女は昔私が言ったこととかよく覚えていて、昔の自分を再発見したり、宗教やいろいろな話をして、楽しかったです。
彼女が多くの困難を乗り越えて、今仕事に生き生きと携わり、まだまだ先を見て生きているのを嬉しく思いました。
江尻南美さんのシューベルトを聴きながら・・
今度またゆっくり会いたいねと話してお別れしました。

ピアノが新しく生まれ変わって、コーフンした一日でした。

 

整理して出てきた娘の子供の時のおもちゃも、忘れていたけど飾ってあげました。
昔のものに再び命が吹き込まれて、みんないとおしくなってしまいます。
シルバニアファミリーはほとんど親戚の子供にあげて使ってもらっていたけど・・

 

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スコットホールに響く歌声 ・・・ voices filled Scott Hall

2025-01-14 23:48:33 | music

1月13日

イル・テアトロのピッコロコンサートがありました。
家から歩いて行ける早稲田奉仕園のスコット・ホールでクリスマスコンサートに続いての開催でした。
イル・テアトロ音楽院は九段生涯学習館のサークル「ちよだオペラ座」の先生が持っている音楽院で
ちよだオペラ座の中にもそこで個人レッスンを受けている方がいて、応援に行きました。
私はコーラスで歌っているだけでいいのですが、一人で歌うというのはまた表現力やらいろいろ必要で
それは大変なことです。まず声が出ない私。生徒さんの年齢の幅は広く、今回は人の声ってみんな違って
おもしろいと思いました。その声をどう育てて歌にしていくかが大変なこと。作り上げることの難しさも
感じます。でも誰もがいい声をしていて、歌うことが好きと言うことがよくわかるコンサートでした。
難しい曲に挑戦していました。スコットホールは音響がいいので歌っていて気持ちがいいのではと思いました。


十字架の前でうえだ ようさんのピアノで、一つ一つの世界観がある歌。Kさんの「奥様女中」はコケティッシュで
かわいかったです。演技力も必要な曲でした。Hさんのコーラスでは日本語になってしまったマダム・バタフライの
イタリア語版「ある晴れた日に」はドラマチックでこの曲の持つ魅力もあり、涙が出そうになりました。訴える力が
あり圧巻でした。先生からは反対されたそうですが・・ やりましたね。Hさんは私の中学校の恩師のお嬢さんで
不思議なご縁です。

いろいろな曲を聴きながら、私の「今、ここにある」世界を大切にしたいという思いを新たにしました。




 

だれもが歌いたくなるような名曲ばかり。中にはプロのような方や音大出身の方も
いらっしゃいましたが、それぞれ音楽を楽しむ、小さな家庭的なコンサートでした。

最後に素晴らしいピアニストにたくさんの拍手を送りました。


Kさんの2曲目はヘンデルの「アルチーナ」から、Hさんの2曲目はグノーの「ロミオとジュリエット」から
ワルツでした。

 

帰りに珈琲で一休みして、余韻を味わってから帰りました。

 

Jan. 13  2025  Waseda

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上野奏楽堂で初めて観るロッシーニのオペラ ・・・ first time to see Rossini's opera

2024-12-23 22:55:22 | music

12月21日


歌舞伎やコンサートが続いてどうしようかと思っていたところですが、山畑先生が歌うロッシーニのオペラは
やっぱり聴いてみたくなり、秋の深まる上野の旧東京音楽学校奏楽堂に向かいました。

プログラムの山畑先生のプロフィール





朝、家で色々片付けて、大急ぎで12時半開演の舞台に向かいました。お昼のサンドイッチを買って
奏楽堂では飲食禁止なので、すぐ外で腰かけて小さなサンドイッチを食べました。

枯れ葉に温かい日差し。



Hさんから頂いた写真がすてきでした。





大好きなコンサートホールの一つです。

終演後、山畑先生と。
コンサート形式の演奏会でどこまで伝えられたか心配されていましたが
とてもドラマティックできめの細かい表現で素晴らしかったです。
ピアノとヴァイオリンだけの伴奏で、ピアニストはいつもイル・テアトロでも伴奏をされている
うえだ よう氏でスケールの大きな音楽でした。

ギリシア悲劇アンドロマケを題材にした、激情に流されるエルミオーネの悲しい物語。
山畑先生は気高さと気品も持ち合わせていてとても素敵でした。





ちよだオペラ座の仲間と・・・
なんと私の隣の方は中学校の恩師のお嬢さんで、驚きの出会いでした。


賑わっていた上野公園口も黄昏てきて人が少なくなって、風も強くなってきました。
3人で台湾スィーツのお店でお茶をして帰りました。

 

Uさんから頂いたつまみ細工のブローチをつけて行きました。

翌日の今年最後のイタリア語のレッスンの時は深い緑色のブローチです。
クリスマスシーズンにぴったりの手作りのブローチを有難く、つけさせていただいています。

 

Dec. 21 2024 Ueno

 

 

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スコットホールでの小さな贅沢なクリスマスコンサート ・・・ Concerto di Natale at Scott Hall

2024-12-21 23:59:19 | music

12月18日



今年も素敵なクリスマスコンサートが近くのスコット・ホールで開催されるので、歩いて出かけて行きました。
冬らしい季節になって夜は寒くなり、風が少しあって急ぎ足で歩いて・・・

早稲田奉仕園は音楽が好きだった亡き友人が日本語教育のヴォランティアをやっていて、私も一時やりたいと思い
コースを受けようと思っていたのですが、コロナで遠のいた場所でした。ヴォリーズの建築も魅力的です。

 



子供たちも一緒に輪唱の猫の二重唱もとても楽しかったです。ジュニアコーラスの
まだ小学生低学年くらいの顔が真ん丸でふっくらした男の子がまっすぐな声で歌っていて
かわいかったです。昨年も出ていた少女も透き通った声を聴かせてくれました。

ベルカントの先生たちのシューマンの二重奏曲、初めて聴けて良かったです。

ヴォカリーズはキャスリーン・バトルで聴きすぎました。声ってそれぞれ違うことを
あらためて思いました。

ゴメスのアヴェ・マリアも誰かで聴いたことがある曲でした。美しく清らかなこの曲はギタリストのウィリアム・ゴメスが
亡くなる直前に作曲した曲。2000年に61歳で亡くなられていました。名前だけは聞いたことがある人です。

Ave Maria (William Gomez) - Elina Garanca

「死の都」はすべてが夢だったという不思議なオペラとの説明があり、アリアが美しくて
魅かれるオペラです。

キリ・テ・カナワ コルンゴルト 「死の都」 から マリエッタの歌 『わたしに残された幸せ』


撮影禁止だったので終わった時に会場を撮りました。


帰りはさらに寒くなっていましたが、楽しくまた心洗われるクリスマス・コンサート。
こんな曲が聴けるなんて、ぜいたくすぎますが、来る人が少ないので残念です。
まるでファミリーコンサート。でも2階には外国の方が見えていました。

 

Dec. 18 2024  Waseda

 

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老いをみつめて + ボロディンのノクターン ・・・ Looking at myself growing old  + Borodin

2024-12-10 23:39:13 | music

12月9日

今の私って学生時代の生活に少し似ているかな?
日々は勉強していないけど、時々イタリア語、歌、そしてお茶、工芸・・ 本はなかなか読み進められなくて。あとは週3くらいの
軽いジムと。

今朝NHKの朝番組で「老いの始まり」と言うのをやっていたけれど、40代から感じ始めるらしい。
私は38歳で結婚、43歳でのまさかの高年齢出産。そしてフルタイムでの仕事がずっと続いたので、そういうことを感じる暇が
なかったように思う。難病の夫との暮らしで日々が戦いだった。

定年後も地元で何か社会参加をしたいと思ってこども園でパートで仕事を続けたけれど70歳を前に辞めて
自由の身に。私には何か働いていないといけないような感覚があったけれど、やめてからやりたいことができることに
ほんとうに喜びを感じました。仕事をしているということはパートでも休みにくく、拘束力が強かったけれど
経済的にもあるだけでやって行けばいいと思うようになりました。ゼロで死ぬでも・・ 

でもここに来ての物価高と老いを感じることのダブルパンチで老いを生きるのは大変だと思うようになりました。
スロースターターだったのでだいぶ後ろにずれた感じがしましたが、いっきにやって来ますね。surviveするのは大変だ。


 

通っているジムとその周辺

 

NHKの名曲アルバムで流れた大好きな曲。久しぶりにハウザーで聴いてみました。
どこか懐かしくもせつない思いを感じるこの曲が人の心を引き付けてやまないわけがわかりました。

HAUSER - Nocturne (Borodin)

 

愛妻に捧げる夜想曲~ボロディン「弦楽四重奏曲第2番」を聴く 

1859年、26歳の若い熱心な化学者ボロディンは、恩師ジーニンの推薦により、医科大学からの公費留学生として、ドイツに
留学します。留学先は、「アルト・ハイデルベルク」で有名なハイデルベルク大学。化学実験室でおなじみのブンゼンバーナー
を作り、炎の色のスペクトル分析を行い、新元素ルビジウムやセシウムを発見したブンゼンや、ブンゼンの共同研究者だった
物理学者キルヒホッフらが教鞭をとり、同期の留学生には周期律を発見し周期表を作ったメンデレーエフがいる、という環境で
研究に没頭します。そして2年が経過した1861年の5月、イタリアからもどったボロディンは、たまたま結核の療養のために
ハイデルベルクに滞在していたロシア人の女性ピアニスト、エカテリーナ・プロトポポーヴァの、サナトリウムにおける演奏会
に出席します。プログラムの第1曲目は、まだ没後5年目のR.シューマンの「アルバムブレッター」だった(*)といいます。

演奏会の後、シューマンの音楽について彼女に問いかけ、二人は急速に親密になっていきます。ボロディンの研究室での仕事が
終わる夕刻に落ち合い、ネッカー河を散歩しながら、化学に明け暮れていたボロディンの生活の中に、再び音楽の灯火が灯った
ことでしょう。二人で出かけたマンハイムやバーデンバーデンへの旅行の後に、ボロディンは結局は未完に終わる「ピアノ三重奏曲」
に着手し、二人は婚約します。

ところが、エカテリーナの病状が急に悪化し、イタリアに転地療養を余儀なくされるのですが、ボロディンもまた同地の化学者の
研究室で働きながら、一歳年上のエカテリーナに付き添います。1年後の1862年、エカテリーナは回復し、結婚の準備のために
モスクワの母親の元に帰り、ボロディンもペテルブルクに戻ります。それから20年の年が過ぎた1881年、ボロディンは、愛を告白
した20周年の記念に、愛妻に「弦楽四重奏曲第2番」を贈る(*2)のです。 

                                            blog 電網郊外散歩道より

 

シューマン :アルバムの綴り Op.124
Schumann, Robert:Albumblätter Op.124

がエカテリーナとボロディンを近づけたのですね。

 

ボロディンは、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。
最優秀で卒業後、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパに長期出張した。この頃、ムソルグスキー
知り合い[2]シューマンの曲を紹介され、興味を持つ。ピサ大学では臭化ナトリウムを用いた有機窒素の定量法を発見した。
26歳の時、ハイデルベルク大学(化学)入学。元素理論を確立したメンデレーエフと知り合う。卒業後はサンクトペテルブルク大学
医学部生化学の助教授、教授と進み、生涯有機化学の研究家として多大な業績を残した。

                                                   ウィペキデアより

クラシック音楽へのおさそい~Blue Sky Label~ ボロディン:弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

ボロディンの弦楽四重奏曲なんて聴いたことがないよと言う人でも、この第3楽章の「夜想曲」だけはどこかで耳にしたことがある
はずです。それほどに、これは魅力的で詩情豊かなメロディです。

それもそのはずで、この作品はボロディンが妻に愛を告白した20周年の日を記念して作曲し、その妻に贈った作品なのです。
ボロディンの妻はエカテリーナ・プロトポポーヴァというピアニストで、ボロディンが化学者としてドイツのハイデルベルク大学に
留学したときに知り合いました。知り合ったきっかけは、彼がたまたま訪れたサナトリウムでの演奏会でエカテリーナがピアノを
演奏していたからでした。

そして、二人はその時に彼女が演奏したシューマンについて話し合ううちに親しくなり、それがボロディンの中に再び音楽に向かう
気持ちを蘇らせたのです。
やがて二人は婚約をするのですが、エカテリーナは体調を崩ししてイタリアへの転地療養を余儀なくされます。ボロディンもまた、
イタリアの研究所に移り、そこで働きながら彼女の介護を献身的に行います。そして、一年ほどで体調を回復したエカテリーナは
結婚の準備のためにロシアに帰り、二人はペテルスブルグでめでたく結婚することになるのです。

それ故に、この弦楽四重奏曲はボロディンとエカテリーナの親密で幸福な生活を想像させるような音楽になっています。
それは、時には二人の語らいを思わたり、大学教授として忙しく働くボロディンを思わせたりするのですが、なんといっても聞き所は
第3楽章の「夜想曲」でしょう。深い感情に彩られたこの静かな夜の歌は、二人の幸せな結婚生活そのものです。

人格破綻者の群れと言っても言い過ぎでないほどのクラシック音楽の作曲家の中で、ボロディンは稀に見るほどの人格者でした。
その様なボロディンが行ったもう一つの大きな業績が、彼が務める医科大学に女子課程を始めて作ったことでした。
21世紀の日本でも、平気で女性に対して差別的な扱いをすることが横行していることを考えれば、19世紀のロシアで女性が医学大学で
学ぶ機会と場を作りあげる為には、とんでもない苦労があったはずです。

つまりは、何が言いたいのかというと、ボロディンという人は必ずしも音楽だけの人ではなかったと言うことです。そして、それ故の
物足りなさも彼の作品にはあるのですが、それ故の魅力もまたあるのです。
この愛する妻に捧げた弦楽四重奏曲は、それ故の魅力が発揮された作品だと言っていいのでしょう。

 

 

グルジア貴族の血をひきながら非嫡出子として生まれたボロディンは農奴の子供として登録されたけれど、音楽やその他優れた
教育を受け、医学、有機化学の道に進み多大な業績を残したという。特に女性の人権に対しての業績(医大に女子過程を作る)
は素晴らしいかと思いました。

NHKの名曲アルバムで聴いて、初めてこの心惹かれていた曲「ノクターン」の曲の成り立ちとボロディンが音楽家としては
日曜音楽家であったことを知り、彼の人間性にもひかれました。このノクターンを完成後数年後に多忙なボロディンは53歳で
突然死で亡くなり、ずっとボロディンが支えてきた病弱な妻は4ヶ月後に後を追うように亡くなったとのことでした。
この曲が人々の胸を打つのはボロディンの妻への愛情にあふれているからだったのですね。

 

コメント (2)
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