8月24日
和服の好きな友人から展覧会のおすすめが来ました。彼女が30年前からあこがれていたという、私にとっては
初めて聞く名前の甲斐荘楠音です。和服好きのSさんのおすすめならと和服好きのKさんをお誘いして
一緒に行ってきました。Kさんが浴衣ならどうかしらと言うことなので、私も頑張ってきものを着て行くことに
しました。浴衣なら気が楽です。前日慌てて見つかったもので合わせて見ました。
妖しい世界の絵が多い画家ですが、彼の才能は多方面に伸びていて、日本映画にかかわる部分も
たくさんありました。派手な衣装ですが、時代考証も担当していたことが多かったので
その時代に即したものだったのでしょう。時に能装束のようでもあり、色が素晴らしかったです。
ああいう時代劇の時代もあったのだとその後の黒澤とか映画の変遷を感じました。
でも何より圧倒されたのはそのデッサン力の素晴らしさ。またその奥に流れるレオナルド・ダ・ビンチや
ミケランジェリの影響。「白百合と女」はまるで受胎告知のようだったし、最後まで手元に置いて書き続けて
いた「畜生塚」はピエタのようです。
印象に強く残ったのは文楽の絵なのですが、写真がどこにも見つかりませんでした。人形がまるで生きているようで
使い手のまなざしも迫力があって、文楽をまた見に行きたくなりました。他デッサンも素敵だなと思いました。
歌舞伎の一場面の絵も、女性の表情がその指先から、かしいだ首、体全体で気持ちを表現していて
魅力的でした。
甲斐荘が唯一愛した女性を描いた「青衣の女」
どの絵も手が大きくて表情が豊かです。
画家のスクラップブックがものすごくおもしろくて、三島や横尾忠則がらしくて、60年代のサブカルを感じさせる
物も多くありました。
丸の内ウォーカーより
アカデミー賞の衣装デザインにノミネートされた「雨月物語」の着物がとても素敵でした。
力作「畜生塚」は未完でなくなった後物置からみつかったとか・・・
顔が少しだけ色を付けかかったのがありました。これを見た時にピエタだと思いました。
ゲルニカとか・・人間が人間に対して行う残虐な行為。現代も繰り返される悲劇が身近に感じられます。
豊臣秀吉の行ったこの残虐な行に対して、数年前に京都高瀬川に行ったときに、角倉了以が荒れ果てた
塚をきれいにして手厚く弔ったという記事を見て少し救われたような気がしました。
その時調べた記事には
「悪逆塚」が荒れ果てていたのを憐れみ、「悪逆」の2文字を削って塚を修復し、供養のために瑞泉寺を建てた
となっていました。
丸の内ウォーカーより
最後まで手元に置いていたと思われるのが「畜生塚」とこの「虹のかけはし」。
顔を晩年描き替えていたとか。本人の顔そっくりです。まるでモナ・リサがダ・ヴィンチそっくりであったように。
トランスジェンダーだった甲斐荘の多彩な芸術を知ることができました。
ステーション・ギャラリーは初めてだったので、キョロキョロ。
レンガが当時のもので素敵でした。
軽快な浴衣と帯がすてきなK子さん。
私の浴衣は池田で初めて買った浴衣。えんじの帯が見つからなったので大好きなつゆ芝の帯。
ちょっぴりレトロ。
見終わった後で、冷たいお蕎麦をいただいて休憩しました。K子さんとはMさんのお茶会で
お会いしたのが最後でしたが、そのあと入院されて、今はすっかりお元気になられて
よかったです。
その帰り道、新宿で用事を済ませて3時までには家に帰らなければならなかったのですが、
まだ時間に余裕があったのでアイスクリームを食べようとコロンバンに行ったところ、
なんと最近思い出していたS真珠のNさんにそっくりな人を見て、さすが声はかけることができず
帰ってから電話したらその人でした。最近は真珠もあまり売れないので、1週間に一度しか出社してないとか。
最近歯のかぶせ物が取れて、歯医者に通っていて、はずした金のかぶせ物を売却したいと、以前お世話になった
アクセサリーの商社のNさんを思い出したいたところでした。以前、金を売却してもらったことがあり
タイミングよくその人に会うなんて、なんという偶然。
席も一つおいて隣だったのでよく見れて、手元のPCで南太平洋の画像を見ていて、なんと彼は文化人類学が
専攻でパプア・ニューギニアでの先生の調査の画像を見ていたのでした。
Aug. 24 2023 Tokyo Station