1月28日
年を取ると自分のルーツを知りたくなるのだろうか?
父の部屋からは家系図の写しや、図書館で借りた本のカードや
親戚から教えてもらったお手紙が出てきた。
Sも興味があるようだけど、職場でも家紋とかそういうことに
興味を持つ時期があるという話が出た。
なんとなく祖先がどの地方で暮らしていたのかと
思ったりもするけど・・・
Sがおばさんに尋ねたら、過去帳やお寺やお墓などたどって
いたけれど結局宝暦(1751~1764 江戸時代)までしか
たどれていないよう・・・
こちらは主人のほうのF家の話で、私自身はあまり興味は
ないのだが、娘は知りたいみたい。
だけどどこを見ても、途中で養子を迎えたりしているので
血縁的につながっているわけではない。
私のほうの家系も同じようで、親戚関係での
養子縁組がすごく多い。
私の方も主人の方もすごく似ているところがあって、
私の家系は小倉市で旅館をやっていて、市長にもなった人が明治の初期に
いて、政治のおかげで貧乏になったよう・・
結婚前の本籍は元旅館のあった場所で今では井筒屋というデパートの番地
だった。
主人のほうも同様で、今治で旅館をしていて同じく市長になったとのこと。
塩田を持っていて、土木工事などをして地元のために尽くしたようです。
F家の話は本当に面白いことがあって、今主人が話せたら(聞き伝えのものですが)
すごく面白かったと思う。
主人のほうの家系では昭和初期の風刺漫画化柳瀬正夢がいる。
普通の絵も描いていたのでいつだったかマリオンのギャラリーで回顧展が
行われていた。戦前のプロレタリア美術運動で特筆すべき画家であり漫画家でも
あったと書かれていた。主人の兄がデザイナーでアートディレクター。
主人もテキスタイルを学んでいた。
今さっきもう少しで捨てられそうになっていた俳句の短冊を見ていたら
これは私の父かたの祖父縷々の追悼句会等のもののようだが
虚子や秋桜子、久女の自筆の短冊が出てきた。後誓子のもたくさんあった。
祖父の日記や、この短冊を読むのが難しいのがつらい。
祖父の日記の中の作家たちの名前や、美術の切り抜きにレベルの高い
知性を感じた。実業家であり、俳人であり、手先も器用で彫刻等もしていて自分の
蔵書の刻印を彫っていた。まれに見るハンサムで、祖母は男が惚れる男だとよく
言っていた。父なんか及ばないと・・(子どもと比較してどうするの?)
縷々の兄弟には日立製作所の社長 倉田主税、三井鉱山の社長 倉田興人、画家の庫田綴
(倉田哲介)がいて実業家か芸術家の家系であった。縷々が36歳で結核で亡くなってしまったので
父は飛び級などして学校を出て大変苦労した。祖母は旅館のお嬢さんだったので
おおらかに貧困にもめげず暮して行けたらしい。
縷々の血をひいたのは二男のように見えるが、自由奔放に生きた人で、地方の国立大学を
主席でどうしたとかそんな話を聞いたこともあるけど、酒を愛し、バーテンダーとなり
お店を経営していた。祖母より早くなくなってしまったが、「さけ」という雑誌に
エッセイを書いていたこともあった。早く父親に先立たれた父は超真面目に
生き、長男らしかった。三男は母親の愛にも飢え、祖母の家分お酒を飲んだと
聞いた。結局どんな素晴らしい祖父でも、その家族の行く末は悲惨だった。
年を取ると自分のルーツを知りたくなるのだろうか?
父の部屋からは家系図の写しや、図書館で借りた本のカードや
親戚から教えてもらったお手紙が出てきた。
Sも興味があるようだけど、職場でも家紋とかそういうことに
興味を持つ時期があるという話が出た。
なんとなく祖先がどの地方で暮らしていたのかと
思ったりもするけど・・・
Sがおばさんに尋ねたら、過去帳やお寺やお墓などたどって
いたけれど結局宝暦(1751~1764 江戸時代)までしか
たどれていないよう・・・
こちらは主人のほうのF家の話で、私自身はあまり興味は
ないのだが、娘は知りたいみたい。
だけどどこを見ても、途中で養子を迎えたりしているので
血縁的につながっているわけではない。
私のほうの家系も同じようで、親戚関係での
養子縁組がすごく多い。
私の方も主人の方もすごく似ているところがあって、
私の家系は小倉市で旅館をやっていて、市長にもなった人が明治の初期に
いて、政治のおかげで貧乏になったよう・・
結婚前の本籍は元旅館のあった場所で今では井筒屋というデパートの番地
だった。
主人のほうも同様で、今治で旅館をしていて同じく市長になったとのこと。
塩田を持っていて、土木工事などをして地元のために尽くしたようです。
F家の話は本当に面白いことがあって、今主人が話せたら(聞き伝えのものですが)
すごく面白かったと思う。
主人のほうの家系では昭和初期の風刺漫画化柳瀬正夢がいる。
普通の絵も描いていたのでいつだったかマリオンのギャラリーで回顧展が
行われていた。戦前のプロレタリア美術運動で特筆すべき画家であり漫画家でも
あったと書かれていた。主人の兄がデザイナーでアートディレクター。
主人もテキスタイルを学んでいた。
今さっきもう少しで捨てられそうになっていた俳句の短冊を見ていたら
これは私の父かたの祖父縷々の追悼句会等のもののようだが
虚子や秋桜子、久女の自筆の短冊が出てきた。後誓子のもたくさんあった。
祖父の日記や、この短冊を読むのが難しいのがつらい。
祖父の日記の中の作家たちの名前や、美術の切り抜きにレベルの高い
知性を感じた。実業家であり、俳人であり、手先も器用で彫刻等もしていて自分の
蔵書の刻印を彫っていた。まれに見るハンサムで、祖母は男が惚れる男だとよく
言っていた。父なんか及ばないと・・(子どもと比較してどうするの?)
縷々の兄弟には日立製作所の社長 倉田主税、三井鉱山の社長 倉田興人、画家の庫田綴
(倉田哲介)がいて実業家か芸術家の家系であった。縷々が36歳で結核で亡くなってしまったので
父は飛び級などして学校を出て大変苦労した。祖母は旅館のお嬢さんだったので
おおらかに貧困にもめげず暮して行けたらしい。
縷々の血をひいたのは二男のように見えるが、自由奔放に生きた人で、地方の国立大学を
主席でどうしたとかそんな話を聞いたこともあるけど、酒を愛し、バーテンダーとなり
お店を経営していた。祖母より早くなくなってしまったが、「さけ」という雑誌に
エッセイを書いていたこともあった。早く父親に先立たれた父は超真面目に
生き、長男らしかった。三男は母親の愛にも飢え、祖母の家分お酒を飲んだと
聞いた。結局どんな素晴らしい祖父でも、その家族の行く末は悲惨だった。