いろいろなことが一段落したので、どこか旅行に行こうとSと話したところ
以前から平泉に行きたがっていたので、平泉を含めたお寺巡りを探して
初めて国内ツアーに申し込みました。連休の2週間くらい前のことです。
ツアーは連休初日というか4月27-28日を選びました。
探すと四寺廻廊(しじかいろう)という巡礼コースになっていました。
それは、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた
東北地方の四寺を廻る巡礼コースで岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、
宮城県松島町の瑞巌寺、山形県山形市の立石寺(山寺)をめぐるコースで
10年くらい前に名づけられたよう。
あの震災からまだ2年しかたっていないが、もうずいぶん昔のように
人々の意識から遠のきつつあるけれど、たびたびおこる原発の不安な
事故にまた原点に意識をちゃんと持っていかなければならないと思う。
政権が変わればこんなに時代が変わるのかと驚いています。
不安定要素が大きい国ですよね。
ツアーは福島まで新幹線でその後バスで回るというもの。
福島からは日本の美しい里山の風景が続き、まるで原田泰治の絵のようでした。
日本ってこんなに美しかったのだと思いました。
バスの窓から写真が撮れなかったのが残念でした。
桜の花が咲いていて、畑が続く風景です。

松島に近づくと道路より海沿いは建物がほとんど流され、松の木もまばらになってしまったそうです。
そして、以前は道路からは建物で松が見えなかったという話でした。

松島はその特異な地形で津波が緩和されて被害の最も少なかった地方です。








最初のお寺瑞巌寺に入っていきます。

ここもうっそうとしていたのですが津波で杉の木が塩で枯れて
木が少なくなったせいで明るく陽が差し込むようになったとのことです。



臥龍梅(がりゅうばい)
政宗が文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の命で朝鮮に出兵した折、かぶとを植木鉢にして持ち帰りました。
慶長14年(1609)、当寺落慶の時に政宗公自ら手植えしております。
中門より入って左が白、右が紅。その姿が臥せた龍に似ていることから臥龍梅と名付けられました。
紅白ともに八重咲きで、実は5・6個ずつ鈴なりにつきます。花期は4月中旬頃。











]




奈良時代から平安、鎌倉を通して、仏教を伝えようとした人が一番情熱的であったように
思います。中国に渡るだけでも大変だった時代。命がけで仏教を伝え、精力的に歩いて
地方に寺を建てていった僧侶たち。
瑞巌寺の写真はまだまだ続きます。
April 27 2013 Zuiganji
以前から平泉に行きたがっていたので、平泉を含めたお寺巡りを探して
初めて国内ツアーに申し込みました。連休の2週間くらい前のことです。
ツアーは連休初日というか4月27-28日を選びました。
探すと四寺廻廊(しじかいろう)という巡礼コースになっていました。
それは、9世紀に円仁(慈覚大師)が開山し、17世紀には松尾芭蕉が訪れた
東北地方の四寺を廻る巡礼コースで岩手県平泉町の中尊寺・毛越寺、
宮城県松島町の瑞巌寺、山形県山形市の立石寺(山寺)をめぐるコースで
10年くらい前に名づけられたよう。
あの震災からまだ2年しかたっていないが、もうずいぶん昔のように
人々の意識から遠のきつつあるけれど、たびたびおこる原発の不安な
事故にまた原点に意識をちゃんと持っていかなければならないと思う。
政権が変わればこんなに時代が変わるのかと驚いています。
不安定要素が大きい国ですよね。
ツアーは福島まで新幹線でその後バスで回るというもの。
福島からは日本の美しい里山の風景が続き、まるで原田泰治の絵のようでした。
日本ってこんなに美しかったのだと思いました。
バスの窓から写真が撮れなかったのが残念でした。
桜の花が咲いていて、畑が続く風景です。

松島に近づくと道路より海沿いは建物がほとんど流され、松の木もまばらになってしまったそうです。
そして、以前は道路からは建物で松が見えなかったという話でした。

松島はその特異な地形で津波が緩和されて被害の最も少なかった地方です。








最初のお寺瑞巌寺に入っていきます。

ここもうっそうとしていたのですが津波で杉の木が塩で枯れて
木が少なくなったせいで明るく陽が差し込むようになったとのことです。



臥龍梅(がりゅうばい)
政宗が文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の命で朝鮮に出兵した折、かぶとを植木鉢にして持ち帰りました。
慶長14年(1609)、当寺落慶の時に政宗公自ら手植えしております。
中門より入って左が白、右が紅。その姿が臥せた龍に似ていることから臥龍梅と名付けられました。
紅白ともに八重咲きで、実は5・6個ずつ鈴なりにつきます。花期は4月中旬頃。
















奈良時代から平安、鎌倉を通して、仏教を伝えようとした人が一番情熱的であったように
思います。中国に渡るだけでも大変だった時代。命がけで仏教を伝え、精力的に歩いて
地方に寺を建てていった僧侶たち。
瑞巌寺の写真はまだまだ続きます。
April 27 2013 Zuiganji