10月15日
のものの時めいていた過去と、もう滅ぶしかない未来とを同時に匂わせるのです。
しかもそれをたったの十七文字でやってのけようとして、
わたしたちは骨身を削るのです。
40 年に わたる芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描く。
ほぼ一人芝居とはい え、めまぐるしい舞台転換、さまざまな景(シーン)を支える黒子とも、芭蕉は絶妙な会話を重ね
その人生を彩り豊か にあぶりだす。苦悩する芭蕉がやがて到達した視点を描くだけではなく、人生の豊かさや
その可能性の大きさを伝え、 「“人はひとりで生き、ひとりで死んでゆくよりほかに道はない”ことを極めるために苦吟した詩人」
と称した芸術家の苦 悩を追体験する、井上評伝劇の快作となっている。
『奥の細道』の序文には、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也」とあります。芭蕉は旅する、ハイク する
というのが通り相場ですが、この旅は、おそらく人の一生の射程を超えて、月日とともにどこまでも、銀河の果 てまでつながって
行くはずだと思います。 そんな旅の道案内となるべく、アートがどんな役割を果たせるか、これがやはりわれわれにとっては
大きな関心事 です。
今回、内野芭蕉が、40 年来の旅のタスキを受け継いで、悠久の旅路の船頭をつとめます。 ・・鵜山仁(演出)コメント
あらすじ
1662 年春。後の大詩人である松尾芭蕉も、今はまだ料理人として召し抱えられたばかりの詩人の卵である。4 年後主君の
急死により武士として生きる道を絶たれてしまうが、主君の師匠に見いだされて俳諧の修行を積むことになり、その才能 を
開花させる。誰よりも早く出世を果たし、売れっ子になっていく芭蕉。しかし、周囲からもてはやされ、金銭的にも恵 まれて
いく日々に、なぜか虚しさを覚える。「私のこの道は、この才能は、こんなことのためにあるのだろうか…。」長い 苦悶の末
芭蕉はついに自分の人生の意味を見つけ出す…。
軽井沢から帰って翌日、サザンシアターに演劇を見に行きました。「奥の細道」を高校生の頃に読んだ時からこの少ない文字で
表す芭蕉の俳句の世界が好きでした。TVで内野聖陽がその舞台をするとのことを知って、チケットを買おうと思った時には
ほとんど売り切れていて、こまつ座に直接聞いて手に入れました。宇宙を貫くようなこの芭蕉の旅に期待が膨らんでしまいました。
そもそも演劇は昔からあまりなじみがなくて、若いころロイヤル・シェイクスピアと劇団四季を見たくらい・・最近は野田マップだけ。
そして歌舞伎の世界に入って・・・。こまつ座は昔TVでやっているところを見たことが1回ありました。樋口一葉の話でしたが、
コメディっぽかったことを覚えています。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖
(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・
李白「天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり(天地はあらゆるものを泊めや宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である)」
時間を旅ととらえた李白の表現はすごいですよね。私はこの「奥の細道」の序文の出だしがとても気に入っていました。芭蕉は西行法師や
宗祇、杜甫や李白などにあこがれて、旅の人生を送りたいと思っていました。西行の行った場所をよく訪れているようです。
この舞台、内野聖陽もまだ旅の途中といった感じがしました。
まだまだこれから作り上げるかんじもして、もっと後の方がよかったかなとも思う。きっと回を重ねるごとによくなっていくのでは
と思いました。内野の台詞は演劇の大げさな感じがなくていいのですが、はっきりわかりにくいところがあったのが残念でした。
最近は歌舞伎ばっかりなので歌舞伎役者の声の通るのには驚きを改めて感じました。
モノローグの難しさ。落語も一人芝居だけどこれは一人で全員演じるところが生き生きした感じになります。この舞台では黒子のような
若手俳優が数名周りで進行を助けていますが・・・
舞台はめまぐるしく芭蕉の生涯を追い、知らなかったことがあったのでそれなりに面白かったところもありましたが、トイレのシーンだけは
どうもね。あれは芭蕉も普通の人間だったということを言うのに必要だったのかな? 役者も困るところですよね。内野はあまり下品には
できないと語っていました。
舞台を長く感じたのかよくわからないけれど、芭蕉の人生の長さを感じてしまいました。俗世間と芸術問題(大衆と文化)はそのまま
井上ひさしの問題だったのか・・
一生かけて一句を求めた人。芭蕉の孤独とその生涯の長い道のりを思いました。
「不用の用 人の用にならないけど神には役立つ」という言葉を舞台を見たあとメモしていました。もうだいぶ時間が経ってしまったので
芭蕉が絶対的なものを求めていたのだろうか・・ 田中一村が閻魔大王への手土産と言っていた大切な作品と同じように。
宇宙を感じさせる佐渡の天の川のシーンが一番すてきでした。チーム・ラボとか舞台に取り入れたらとも思いましたが・・
artna[アートな]より
芭蕉は西行にあこがれていたようですが、今旅に魅せられている私達が行くところにもよく西行の跡が見られます。
その頃の家の近くのムラサキシキブの実
Oct. 15 2024 Shinjuku