Reflections

時のかけらたち

銀座で何年ぶりにか友人に会って若者のアートを見てお茶の時間 ・・・ seeing the art of young artists with friend

2025-01-12 21:47:17 | art

1月11日

10日は遅ればせの区の健診に行った日でしたが、その午前中に定年後近くの保育関連の場所でパートで仕事を
していた時に知り合った不思議な縁で友達になったYさんからラインが来て、ずっと会おうねと言っていたのに
会えなかったので今年は是非とのことで、私もそう思っていたのですぐ連絡して、時間がちょうど空いていた
その翌日に銀座で待ち合わせて会うことになりました。何年振りだったか‥ 3年ぶりくらいかしら・・・
お電話では近況を知らせていただいたこともあったけど・・


ちょうどお嫁さんのみなみさんが銀座Sixでのイベントに少し作品を出しているというので、銀座で待ち合わせ。
以前画家の息子さんが銀座の奥野ビルのすてきなギャラリーで展覧会をしたのでアップしたことがありました。

吉田卓矢Solo Exhibition へ

若い芸術家のご夫婦です。その時の展覧会の時にはみなみさんも姿を現していました。まだ大学を卒業したて
のようでした。

 

蔦屋の会場に入ると、全体的な雰囲気でなぜか奈良美智を連想してしまいましたが、
彼女は奈良さんとも交流があるとのことでした。

若手の作品がずらりと並んでいました。



みなみちゃんの作品です。

吉田みなみ

吉田みなみの彫刻展 〈地の上の人〉

 



 




しばらく見てから、屋上にでも行ってはどうかと思いましたが、どこかで座ってお茶を飲みながら話す方がいいということに
なりました。銀座の地下鉄を上って来た時に歩行者天国の道路に人があふれていて、これは探すのが難しそうと思いました。
観光客が膨れ上がっているという感じでコロナの頃の静まり返った銀座通りがなつかしいです。どこの国からかわからないほど
いろいろな国から観光客が訪れているように思いました。これこそオーバーツーリズムです。

ちょっと中心を離れようということになり、少し歩いていたときに、ここなら人が少なそうと地味な私の好きな教文館のカフェ
に行ったら、少ししか待っていなくてすぐ入れました。大正解でした。

銀座で唯一落ち着ける古い建物の中の本屋さんのカフェ。


私の高校の火事の捜査を担当した刑事さんがお父さんだったという不思議なご縁のYさん。
またその高校の先輩のすてきなモノづくりを定年後されているKさんを紹介していただいたり、
T高校繋がりが広がりました。

積もる話がつきませんでした。お互い年を取ってまた新たな苦労もあるけれどお互い何とか元気に過ごしていてよかったです。
私は前日の健診でまた身長が1センチ以上低くなってがっかり。どんどん小さくなって大丈夫かしら・・ 高い所にあるものが
年々取れなくなっていって、せつなくなってくる。

体調を崩されているというKさんに会いに行きましょうと約束してお別れしました。

 

Jan. 11  2025   Ginza

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茶の湯新年初稽古と草木染の色に洗われる・・・starting of this year's chanoyu lesson and purified by Shimura Fukumi's works

2025-01-09 10:51:56 | art

1月8日

 

今日は今年初めての茶の湯のお稽古でした。
ちょうど志村ふくみ展を見に行かなければと思っていたので、南青山から六本木は近いので
帰りによる予定としました。和服を着ていると入場料も安いしね。


米沢紬には大好きな越後染織工房の帯にしました。
志村ふくみ展をちょっと意識して、草木染の紬にしました。




床の間には掛け軸

春入千林処々鶯(春千林に入り處々鶯)

表千家のお正月の定番とのことです。
初釜ではなく、年初のお稽古です。

入った時に前の方たちが先生が点てられたお濃茶を飲み終わり、拝見も終わった所でした。

床の間の竹筒に入った侘助のつぼみがかわいくて、思わず泣きそうになりました。
花の力ってすごい。すごく癒された感じでした。

一輪の花の自然の力のすごさ。今になってウイリアム・ブレイクの詩が浮かびました。

拝見に出された茶杓の名前「さきがけ」も新年にふさわしいものでした。

生徒さんが点てたお薄をいただきましたが、窓の外の鳥の声に聴き入ってしまい、
「どうぞおしまいください」と言うのを忘れそうになりました。

外があまりにも晴れていたので、白く映ってしまいましたが、六本木方面のビルも見えます。
裏が青山墓地の飛び地のようなところです。

次に先生にお濃茶を点てて、お濃茶をいただきました。
キレがあって美しかったです。早くするところ、ゆっくりするところのメリハリがついていました。
お手本を見るのは本当に勉強になります。

膝もだいぶ良くなり、立ったり座ったりの動作は大変なのですが、ずっと座っていることができるようになりました。

1回お薄を点てて、今日の特別なレッスンは終了。先生が点てられたお濃茶がまろやかでほんとうにおいしかったです。
私は茶筅の持ち方が違っていたので、どうも点てるのがうまくできなくておいしそうに泡が立ちません。表は裏ほど
たてないのですが。おいしいお茶を入れるが課題です。

 

外苑前から地下鉄に乗って、溜池山王はすぐでした。オークラはいつもは六本木一丁目から行くのですが、帰りは南北線の方から
帰りました。


 

最初に見た「秋霞」の藍色があまりにも美しくて、見入ってしまいました。糸の結び目は星のようにキラキラして
まるで宇宙の様でした。

志村ふくみさんは母が取っていた「婦人之友」に何回か取り上げられていて、織物を習いたいと思っていた私には
憧れのようなものでした。その後40年近く前になりますが、資生堂ギャラリーの展覧会で本物を見ました。

今回改めてその色のすばらしさに感動しました。なんという深い青なのでしょう。
それは宇宙のようでもあり、海のようでもありました。

花織の「花群星」も素晴らしかったです。

とても驚いたのは近年リルケについてまとめられたとかでリルケのイメージを織りにしたものもありました。
高校生の頃からドストエフスキーやリルケが好きだった私と接点があり嬉しかったです。

「悲歌(エレジー)」と言う作品の下には
リルケのドィウノの悲歌より引用がありました。

幸福とはまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ

 

源氏物語の「若紫」のなんという高貴な紫色なのでしょう・・
かわいいピンクの「初音」・・・

そして大好きなのが古裂の小さな格子の作品。草木染の色がとにかく素晴らしい。
デザインはまるでパウル・クレーの絵のようです。

美しい色で目が洗われた展覧会でした。

 

特別展「志村ふくみ百歳記念 -《秋霞》から《野の果て》まで」(大倉集古館) 開幕レポート
自然、物語、感情 すべてが染織になる  美術手帖



たまたまバルコニーに人がいたので、写真を記念に撮っていただきました。





帰るころには空に飛行機もどんどん羽田に戻るところでした。ちょっと写真を撮るには
間に合いませんでした。

 

 

 

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

今からトランプやマスクの不穏な発言いやですね。
プーチンと同じような領土拡大を狙うなんて。
時代逆戻りのこれからの世界はどうなっていくのか不安しかありません。
日本はもう領土のようなものですが、巻き込まれるのは必至です。
少しはウクライナを解決してくれるのかとも不幸中の幸いがあるのかなと思ったけど。

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玉三郎の美の世界へ ・・・ into the world of Tamasaburo's beauty 

2024-12-19 23:59:32 | art

12月17日

10月以来今年4回目の歌舞伎座でした。昨年12月にも天守物語を見ましたが、役がスィッチして、こちらが本来あるべき姿でした。
一つ一つの舞台がとっても大事です。
「舞鶴雪月花」との組み合わせもファンタジーがあり、よかったです。






 

第三部

萩原雪夫 作

一、舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)

上の巻 さくら
中の巻 松虫
下の巻 雪達磨






桜の精/松虫/雪達磨
松虫
    勘九郎
    長三郎

かわいい松虫の写真がないのですが、勘九郎見事に季節を演じていました。
雪が融けちゃうのがかわいかったです。見事なパントマイムでした。

 

泉 鏡花 作

坂東玉三郎 演出

今井豊茂 演出

二、天守物語(てんしゅものがたり)
  富姫
姫川図書之助
亀姫
小田原修理
侍女撫子

朱の盤坊
舌長姥
近江之丞桃六
    玉三郎
    
    七之助
    
    歌女之丞
    
    男女蔵
    門之助
    童へ



市川團子は香川照之の子供で祖父の二世市川猿翁も演じたことのある役に挑戦。
まだ二十歳ということで世代を超えての共演で多く学ぶことでしょう。
若いけれど一生懸命勉強しているという感じで新鮮でした。



PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA DECEMBER 14, 2024
The New York Times Style Magazine

玉三郎は舞台に登場するだけで輝き、オーラがあります。なんて美しいんでしょう。

前回も玉三郎の演出でしたが、また少し違っていました。不思議な泉鏡花の世界に連れて行ってくれました。

愚かな人間の世界で何があっても花は咲くという下界を見ての最後のメッセージがいつも心に響きます。

 

いつもお世話になっているK子さんのトータル・コーディネイトが決まっています。
赤の帯締めいいですね。



夢のある帯で、すてきですね。

 

 


米沢紬(筬園工房)に歌舞伎座うらの圓蔵さんの段ボールセールでセットの中に入っていた帯。初めて締めたものです。
この着物結構帯が難しくて、いつもクリーム色系に合わせていたものです。

なかなかうまく着れなくていつも時間ギリギリになって出かけています。

とても魅力的な歌舞伎の世界に浸った一時でした。

 

Dec. 17   2024        Ginza

*********************************************

この日にやっと借りていた本をお返しすることができました。
和田秀樹の70代からどう生きるか関連の本2冊です。
「大往生」の中からの言葉のメモ

入力でなく出力が大事
幸せな老後のためのヒントは「人」
幸せな老後は人生で出会った「人」で決まる。数ではなく。

お金より思い出

物忘れではなく、「出力障害」

 

フランソワーズ・アルディーを聴きながら書いています。
若い頃もたくさん聴いて、あの頃の思いを思い出しました。音楽は不思議と聞いていた時代の感覚を
思い出します。再会した若い時からの友人にもその昔アルディーを録音してあげたことがあったっけ。
20代の頃の私はヨーロッパに旅行したことで世界が広がりました。

Françoise Hardy - Let It Be Me

 

Let it be me

I bless the day I found you
I want to stay around you
And so I beg you, let it be me
 
Don't take this heaven from one
If you must cling to someone
Now and forever, let it be me
 
Each time we meet, love
I find complete love
Without your sweet love
Honey, what would life be?
 
So never leave me lonely
Tell me you love me only
And that you'll always let it be me
 
Each time we meet love
I find complete love
Without your sweet, sweet love
Honey, what would life be
 
So never leave me lonely
Tell me you love me only
And that you'll always let it be me
 
 
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ボビンレース作品展のお手伝い ・・・ assisitance for bobbin lace exhibition

2024-11-25 09:09:45 | art

11月12日と15日 

12日は九段生涯学習館で千代田区文化芸術の秋フェスティバル作品展のためボビンレースの飾りつけのお手伝いへ。


今年はハートのモチーフの断続レースがテーマでした。


今までに作ったハートをひとつの額に入れていただきました。


次回はこのハートを作ってみたい。


私はもう一つブックマークコレクション。


鳥さんもかわいいね。


素晴らしすぎる先生のバンシュ

 

昨年の飾りつけの後でも行ったオリーブ・オイルというイタリアンのお店の
パスタランチ。

牡蠣のトマトソースパスタがおいしかったです。

 


そのあと神保町まで歩いて、翌日の散骨の時に持って行くお菓子を買いました。

和菓子もアートですね。


夜は一度家に帰ってから夕食を作って、シャンソンのお店へと言う忙しい一日でした。

 

作品展は翌日から始まり、15日には体験の人が来るのでお手伝いに行きました。
参加者は何十年も前にベルギーにいた時にしたことがあるというマダムと初めてのボビンレースをする好奇心のある方二人。
これを見ただけでなかなかやろうと思う人は少ないと思います。私もそうでした。まず作れないと思っていたので・・
でもあれから3年。不器用な目も見えない私でもそれなりにわかりつつあります。なんでも少なくとも3年はやらないとわかり始める
ことができませんね。まだまだこれからです・・

 

Nov. 12&15  2024  Kudan → Jinbocho

 

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何度行っても感動する一村展 ・・・Isson:an impressive exhibition, no matter how many times you go

2024-11-09 23:29:09 | art

11月7日

一つ一つの絵からまたパッションをいただきました。そこからあふれる芸術への想い。美の追求。
生涯かけてそれを追求できたことが幸せなことでした。それも時に他の労働もしながら人々の支援を得ながら・・
何回見ても絵から受け取るものも多く、また初めて見るような感動もありました。新しさも感じ、若い人たちも
ひきつけているようです。
毎回ほんものの絵から伝わってくるパワーのすごさを感じます。

これだけのことをなしうるってすごい。もともと神から与えられていた才能があっても、その努力の積み重ねが。

 

田中一村展へで10月24日に前期の展覧会に行ったときのことを書きましたが、今回は2回目。後期の展覧会です。
入れ替えがなければ2回も行かなかったけれど、何度見ても新鮮な驚きがありました。

2度目だと今まで気が付かなかったことにも気が付くし、前回見てそのあのペパーミントグリーンが効いているねと
思ったところを再確認したりしました。絵の変遷もさらうことができました。

最初に一村の名前のことが書かれていたことに、今回初めて気が付き、その漢詩の一部
「柳暗花明又一村  柳は暗く花は明らかに又一村」が心の中に広がって行きました。
なんてすてきなネーミングでしょう。一村の絵が光のように照らしてくれるような感じです。

陸游の七言律詩「遊山西村」(山西さんせいむらあそぶ)

山西の村に遊ぶ

  莫笑農家臘酒渾  笑ふ莫かれ 農家臘酒の渾(にご)れるを
  豊年留客足雞豚  豊年にして客を留むるに雞豚足る
  山重水複疑無路  山重なり水複して 路無かきと疑ひ
  柳暗花明又一村  柳は暗く花は明らかに又一村
  簫鼓追随春社近  簫鼓追随して春社近く
  衣冠簡朴古風存  衣冠簡朴にして古風存す
  従今若許閑乗月  今より若し閑に月に乗ずるを許さば
  拄杖無時夜叩門  杖を拄き時と無く夜門を叩かん

この詩は、第4句「柳暗花明又一村」がよく知られているとのこと。

  • 柳暗花明
    田舎の美しい春景色の形容 柳がほの暗く繁っている中に桃の花が灯をともしたように明るく咲いている風情

意味)
農家の師走じこみの酒は渾っていても笑わないで下さい。
豊年ですからお客をもてなすには、鶏も豚もたくさんありますと言って、招かれた。
山が幾重にも重なりあい、川がまがりくねって、路は行き止りかと思っていると、
柳がほの暗くしげる中に、桃の花がぱっと明るく咲いているところに、また一つの村が目の前にあらわれた。
春の祭りが近づいて来たのであろうか、笛や太鼓の音が、追っかけるように聞こえてくる。
着ている衣服は簡素で古風な昔ながらの風俗をのこしている。
 (まことにのびのびとしたこの山村の趣きは、私にはとっても楽しく、いい雰囲気なので)
これからももし月の美しい夜に訪れてよいといって頂けるならばいつとはなく杖をついて、
農家の門を叩いて訪れたいものである。

                        関西吟詩文化協会 中国の漢詩より

 

初めて見た時に、まだ初期の十代の頃の南画に漢詩が書いてあり、その書体も時代によって変わって行ったりして
いて面白いとも思ったけれど、まったく意味が分からない。中学生時代の一村は読書をよくして、成績もトップで
絵だけでなく秀でていたようです。特に漢詩が好きだったという。 「田中一村と漢詩」

いつもカタログは印刷で色が本物と違ってしまうので買わないのですが、今回帰ってから漢詩についてもっと
知りたくなり、解説を見たくなり、ネットで注文しました。それに今回ほど一村の作品が集まったことはないのでは
と思うくらい、個人蔵も含め、埋もれた絵画も公になっています。やっぱり会場で図録は買うべきでしたね。


 

「紬工場で、五年働きました。紬絹染色工は極めて低賃金です。工場一の働き者と云われる程働いて六十万円貯金しました。
そして、去年、今年、来年と三年間に90%を注ぎこんで私のゑかきの一生の最期の繪を描きつつある次第です。何の念い残す
ところもないまでに描くつもりです。画壇の趨勢も見て下さる人々の鑑識の程度なども一切顧慮せず只自分の良心の納得行く
まで描いています。一枚に二ヶ月位かゝり、三ヶ年で二十枚はとても出来ません。私の繪の最終決定版の繪がヒューマニティ
であろうが、悪魔的であろうが、畫の正道であるとも邪道であるとも何と批評されても私は満足なのです。それは見せる為に
描いたのではなく私の良心を納得させる為にやったのですから。千葉時代を思い出します。常に飢に驅り立てられて心にもない
繪をパンのために描き稀に良心的に描いたものは却って批難された。私の今度の繪を最も見せたい第一の人は、私の為にその
生涯を私に捧げてくれた私の姉、それから五十五年の繪の友であった川村様。それも又詮方なし。個展は岡田先生と尊下と
柳沢様と外数人の千葉の友に見て頂ければ十分なのでございます。私の千葉に別れの挨拶なのでございますから。そして、
その繪は全部、又奄美に持ち帰るつもりでもあるのです。私は、この南の島で職工として朽ちることで私は満足なのです。
私は紬絹染色工として生活します。もし七十の齢を保って健康であったら、その時は又繪をかきませうと思います。」

 

自分を貫いて描きたい絵を求めた一村の生き方が、伝わってくる絵です。どの時代もそれぞれトーンが違っていていいのですが、
一村は紀州や九州に行って描き始めた後半に何か、ほんとうに自由に何にもとらわれないで描けるようになった感じがしました。
それが最後にたどり着いた地、奄美で彼の世界が花開いたと思います。自然の中でほぼ自給自足のような暮らしをしてもともと天才で
親思いで、自分の心に従って生きることしかできなかった彼の感性がますます研ぎ澄まされ、広がって行ったような感じです。
奄美の近隣の人たちにも支えられて暮らしていた晩年に心安らぎました。

 

永遠を見た一村の集大成「アダンの海辺」

 

前回の展覧会を見たあとにドキュメンタリーや日曜美術館など見て、絵から受けた感動が大きかったので、その生き方も知りたく
なりました。展覧会には一部書簡も置いてありました。



そういえばどこかの番組であのフクロウは自画像ではないかとのコメントもありました。私には岩の上で高らかに鳴いている
赤ひげやアカショウビンもそんな風に見えます。

今上野でこんなにすごい展覧会が開かれて、感慨深いものがありますね。
一村が応募した公募展が開かれていたのが、今回の大回顧展会場である東京都美術館。東京美術学校に入学したのと同じ年に
開館した都美術館に、生前彼の作品がかざられることはなく、家の事情で東京美術学校を退学せざるを得なかった地、上野。
「いつか東京で決着をつけたい」と思い続けた一村の夢が大回顧展となってかないました。

 


そして田中一村の絵は奄美で見るという友人と一緒に来年、奄美大島へ行くことを計画中。
一村の感じた空気の中へ。そして大島紬や自然に触れることが出来たらと思います。
以前から、大島紬の里に行ってみたいと思っていた場所です。
せっかく奄美大島まで行くのなら、帰りに屋久島に寄りたいとも期待が広がります。
問題は空路・海路・陸路も含めた交通手段。ちょっと今までになく大変な旅になりそうです。
できるうちにできることはするが今の私のスタンスです。

初期の鋭い線が最後の南国の植物にも生かされていました。

 

参考)

田中一村と漢詩

田中一村終焉の地、奄美大島。自分の良心を納得させるために描く

田中一村傑作選  

関西吟詩文化協会 遊山西村 中国の漢詩

プレビュー  田中一村 奄美の光 魂の絵画

 

Nov. 7 2024  Ueno

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芹沢銈介展の駒場と中目黒を結んだPerfect Day ・・・ "The World of Keisuke Serizawa"

2024-11-03 23:59:02 | art

11月3日

娘が私の誕生日祝いをしていなかったので、時間がある時にケーキを買ってくると言っていて、やっと
もう月も変わってしまったけれど、中目黒にカットに行くので、待ち合わせて一緒に買うことになりました。私も
中目黒のジオデシックにアクセサリーの修理に持って行くものもあり、それなら午前中に見たかった民藝館の芹沢銈介展か
山種美術館でやっている福田平八郎展を見てからと前日予定を立ててみました。どちらともなんと中目黒まで歩いて行ける
範囲でした! 娘にSTARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOでゆっくりしていればとお薦めもあり、日本民藝館に行って
芹沢銈介を見て、駒場のパン屋さんでパンを買ってから池尻大橋の氷川さくら公園でランチ、目黒川沿いを歩いてこの珍しい
スタイルのスタバに行ってゆっくり過ごしてから時間を調整して中目黒駅近くのジオデシックに行き、最後にケーキ屋さん
クリオロで待ち合わせという計画です。

  
白洲正子さんと 芹沢銈介美術館より


民藝活動のメンバーの芹沢銈介は子供のころからなじみのある作家でした。河井寛次郎や黒田辰秋と同じように
よく見ていました。母の影響かな? あの卓上カレンダーは大好きで名古屋で「くら」というBarをやっていた叔父が
いつも年末に送ってくれていて、好きで使っていました。叔父は雑誌「酒」の編集長の佐々木久子さんに勧められて
その雑誌にエッセイを連載していたことがありました。国立大学を出てバーテンダーをしていた異色の親戚でしたが
比較的若くして亡くなりました。

民藝館には渋谷乗り換えでいきますが、ハチ公前は外国人観光客でいっぱい。私もちゃんと見たことがなかったので
記念撮影で賑わう中をどうにか撮ることができました。












芹沢銈介の洗練された色と形に見入ってしまいました。
ラッキーなことにいつもは全館撮影禁止の民藝館で、大展示室のガラスの壁面だけ撮影が許可されていました。



 




カルトンもいくつかあり、楽しかったです。






また芹沢氏のコレクションも同時に展示してありました。
「芹沢の目」として世界各地で収集した民芸作品は力強く生命力にあふれていました。
中にはかわいい鳥の絵のお皿があったり・・・

ネットに10年前のコレクション展の記事がありました。



1階の入れ替えのときどきある常設展も、欧米の木工の生活道具があまりにもすてきで繰り返し見てしまいました。
調理の道具や織物関係など・・生活道具でありながらそのデザインのすばらしさに民藝活動の原点にあるような
いい展示でした。いつもながら朝鮮の焼物にも魅入られます。

連休の中日でお天気も良かったせいか、賑わっていた民藝館でした。






『Le Ressort』で買ったカレーパンとピスタチオサンドのランチ。

最初は氷川さくら公園を予定していたのですが、おなかがすいちゃったので、駒場野公園で休みました。
木陰があり、あとから氷川さくら公園も通りましたが、ずっと良かったです。



この中で、子供たちが遊んだり、犬の散歩で休憩する人がいたりして、お弁当を食べているグループも少しいましたが、
まるで映画Perfect Daysのように木漏れ日の中で食べるお弁当は最高です。

しばらくのんびりしてからまた歩きだしました。

さくら公園だたと思ったら鷹狩の将軍が休憩した御用屋敷跡でした。この地域は戦後住宅地や文教地区に
変身したとか・・・ 古いものを残さないでもったいない。最近名古屋の町を少し知るようになり、
古いものが保存され、しかも活かされているのにうらやましく思っていたところでした。
機動隊の第3機動隊庁舎や東邦大学が近くにありました。

以前ブラタモリで駒場東大が将軍の狩場だったと紹介されていましたね。駒場池にも今度行ってみたいです。

そのあとすぐ、氷川さくら公園に着きました。






氷川さくら公園は公園というより単なるスペースで日影もなかったので、駒場野公園で休んだのは正解でした。
十月桜が咲いていたので、花を見てから、階段を降りて中目黒方面に曲がりました。
重たい一眼レフはおいてきたので、スマホだとピンボケの桜が残念。




目黒川緑道も整備されていました。






いよいよ中目黒方向にターンです。

後ろを振り返って


前を見る。

ここからがあの目黒川です。


外国人観光客がたくさん並んでいたお店。




こちらは日本人が列を作っていたお店。


意外とすぐスタバが見えました。STARBUCKS RESERVE® ROASTERY TOKYOは世界で5番目に
オープンしたお店で面白いと娘のお薦めでしたが、なんと列が延々とできていて、まず整理券を
スマホで読み込むため100mくらい先まで行かなければならないとのこと。待ち時間は?
と聞くと45分から75分との回答。日本人だけでなく、外国人も多く、こりゃだめだと思い、目黒川沿いを
歩いて中目黒方面に進みました。

この右側ですが、また今度来てみようっと。




川沿いのベンチで一休み。


対岸にあったお店が面白そうでした。


everything for the freedom

openしていないようでした。あとから調べてみたら、雑貨もある本屋さんでした。






歩いているだけで楽しい目黒川沿いです。


以前はよくヨハンのチーズケーキを買って来てくれましたが、最近はクリオロに乗り替えました。
甘さがちょうどよく、洗練されていて今の所、我が家のベストです。


目黒川地蔵尊


TSUTAYAのスタバでやっとラテを。
まだ読み終わっていない本と共に。

 


ジオデシックに着きました。 切れたチェーンを直してもらうよう頼んで、あとはパーツが外れたものなど
相談しました。




昆虫の中井君ワールドです。

存在感あるペンダント。お値段も存在感があり、とても手が出ません。
屋久島の神様をモチーフにしたとか・・・

中井君もジオのチーフデザイナーを引き継いでもう10年経つとか・・・時の流れの速さを思いました。

 

クリオロはラム・レーズン特集でした。




お菓子の芸術品と言ったところ。デリケートな味を楽しみます。

思わぬところを線で結んで歩いて意外な発見もあったまるでPerfect Dayでした。

歩いた距離は10kmくらい・・ 歩いて見ると東京の地理関係がわかります。電車や地下鉄を使うとすごく遠い所の
ように思いますが、広尾や駒場や中目黒は近かったのですね。以前目黒と恵比寿間は歩いたことがありましたが・・

娘のクリオロで待ち合わせようという言葉で民藝館とジオデシックを結んだ楽しい東京発見でした。まだまだ知らないところ
だらけの東京です。

 

Nov. 3  2024  Komaba → Nakameguro

 

メモ:
ネットで画像を調べていたら、志村ふくみの展覧会があることを知りました。これは必見です。
織を始める前から注目していた志村さんの草木染めと織。大好きだったけど人間国宝になっちゃったんですね。
「一茎有情」という職場の先輩のお父様宇佐見英治さんとの対談集を読んだ頃、資生堂ギャラリーで展覧会をされて
もう4~50年前の話ですが、会場でお話したことがありました。

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芭蕉通夜舟 ・・・ Basho Tsuyabune

2024-10-31 23:07:01 | art

10月15日

のものの時めいていた過去と、もう滅ぶしかない未来とを同時に匂わせるのです。
しかもそれをたったの十七文字でやってのけようとして、
わたしたちは骨身を削るのです。

40 年に わたる芭蕉の俳人としての人生を、一人語りを中心に富士三十六景になぞらえて全三十六景で描く。
ほぼ一人芝居とはい え、めまぐるしい舞台転換、さまざまな景(シーン)を支える黒子とも、芭蕉は絶妙な会話を重ね
その人生を彩り豊か にあぶりだす。苦悩する芭蕉がやがて到達した視点を描くだけではなく、人生の豊かさや
その可能性の大きさを伝え、 「“人はひとりで生き、ひとりで死んでゆくよりほかに道はない”ことを極めるために苦吟した詩人」
と称した芸術家の苦 悩を追体験する、井上評伝劇の快作となっている。

『奥の細道』の序文には、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也」とあります。芭蕉は旅する、ハイク する
というのが通り相場ですが、この旅は、おそらく人の一生の射程を超えて、月日とともにどこまでも、銀河の果 てまでつながって
行くはずだと思います。 そんな旅の道案内となるべく、アートがどんな役割を果たせるか、これがやはりわれわれにとっては
大きな関心事 です。

今回、内野芭蕉が、40 年来の旅のタスキを受け継いで、悠久の旅路の船頭をつとめます。 ・・鵜山仁(演出)コメント


あらすじ
1662 年春。後の大詩人である松尾芭蕉も、今はまだ料理人として召し抱えられたばかりの詩人の卵である。4 年後主君の
急死により武士として生きる道を絶たれてしまうが、主君の師匠に見いだされて俳諧の修行を積むことになり、その才能 を
開花させる。誰よりも早く出世を果たし、売れっ子になっていく芭蕉。しかし、周囲からもてはやされ、金銭的にも恵 まれて
いく日々に、なぜか虚しさを覚える。「私のこの道は、この才能は、こんなことのためにあるのだろうか…。」長い 苦悶の末
芭蕉はついに自分の人生の意味を見つけ出す…。



 

軽井沢から帰って翌日、サザンシアターに演劇を見に行きました。「奥の細道」を高校生の頃に読んだ時からこの少ない文字で
表す芭蕉の俳句の世界が好きでした。TVで内野聖陽がその舞台をするとのことを知って、チケットを買おうと思った時には
ほとんど売り切れていて、こまつ座に直接聞いて手に入れました。宇宙を貫くようなこの芭蕉の旅に期待が膨らんでしまいました。

そもそも演劇は昔からあまりなじみがなくて、若いころロイヤル・シェイクスピアと劇団四季を見たくらい・・最近は野田マップだけ。
そして歌舞伎の世界に入って・・・。こまつ座は昔TVでやっているところを見たことが1回ありました。樋口一葉の話でしたが、
コメディっぽかったことを覚えています。


 

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖
(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・

李白「天地は万物のげきりょにして光陰は百代の過客なり(天地はあらゆるものを泊めや宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である)」

時間を旅ととらえた李白の表現はすごいですよね。私はこの「奥の細道」の序文の出だしがとても気に入っていました。芭蕉は西行法師や
宗祇、杜甫や李白などにあこがれて、旅の人生を送りたいと思っていました。西行の行った場所をよく訪れているようです。


この舞台、内野聖陽もまだ旅の途中といった感じがしました。
まだまだこれから作り上げるかんじもして、もっと後の方がよかったかなとも思う。きっと回を重ねるごとによくなっていくのでは
と思いました。内野の台詞は演劇の大げさな感じがなくていいのですが、はっきりわかりにくいところがあったのが残念でした。
最近は歌舞伎ばっかりなので歌舞伎役者の声の通るのには驚きを改めて感じました。

モノローグの難しさ。落語も一人芝居だけどこれは一人で全員演じるところが生き生きした感じになります。この舞台では黒子のような
若手俳優が数名周りで進行を助けていますが・・・

舞台はめまぐるしく芭蕉の生涯を追い、知らなかったことがあったのでそれなりに面白かったところもありましたが、トイレのシーンだけは
どうもね。あれは芭蕉も普通の人間だったということを言うのに必要だったのかな? 役者も困るところですよね。内野はあまり下品には
できないと語っていました。

舞台を長く感じたのかよくわからないけれど、芭蕉の人生の長さを感じてしまいました。俗世間と芸術問題(大衆と文化)はそのまま
井上ひさしの問題だったのか・・

一生かけて一句を求めた人。芭蕉の孤独とその生涯の長い道のりを思いました。

「不用の用 人の用にならないけど神には役立つ」という言葉を舞台を見たあとメモしていました。もうだいぶ時間が経ってしまったので
芭蕉が絶対的なものを求めていたのだろうか・・ 田中一村が閻魔大王への手土産と言っていた大切な作品と同じように。

宇宙を感じさせる佐渡の天の川のシーンが一番すてきでした。チーム・ラボとか舞台に取り入れたらとも思いましたが・・

 artna[アートな]より

 

芭蕉は西行にあこがれていたようですが、今旅に魅せられている私達が行くところにもよく西行の跡が見られます。

 

その頃の家の近くのムラサキシキブの実

 

Oct. 15  2024   Shinjuku

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神楽坂でホームスパンの作品展  ・・・ exhibition of works made with homespun yarns

2024-10-28 23:58:51 | art

10月18日

moon tree ホームスパンとバッグ展

moontree2024-10-2.jpg
布と出会い
布と暮らす

ホームスパンの工房、清野工房で一緒に学び、制作活動している仲間による作品展です。

ホームスパンの楽しさは羊からもらった素材そのものから作るということにあります。
泥のついた羊毛を洗う。染める。ほどく。カーディングする(色を混ぜて紡ぎやすいようにブラシで梳く)。
紡いで糸にする。デザインを考えて織る。縮絨する。  
紡いで自分の糸を作り、織って自分だけの布を作る喜びばかりでなく、感じるのは羊毛が自分のところに来るまでに
たどってきた時間やそれを見守っている人や自然のことです。シェトランドウールなら遠いシェトランド諸島の断崖を
思い浮かべます。泥にまみれた羊毛を洗う時、枯葉や蕾、種などがついていると、この羊はどこを歩いていたんだろうと
想像してのんびりとした気分になります。
古代ギリシャから女性は糸を紡いでいたらしいので今、都会で紡毛機を回していることが不思議に感じられます。
織りあがった後の縮絨も羊毛の織物には一番大切な作業です。石鹸水の中で踏んだりかき混ぜたりした後、乾くと
柔らかく軽くそして暖かな羊毛ならではの風合いが生まれます。触ると優しく幸せな気持ちになります。
そしてそれぞれの羊の毛の特徴を味わうことができます。
特にその軽さにはみなさんは驚かれるでしょう。  

一本のマフラーから長い羊の旅を味わってください。

個性的で楽しい編みや革のバッグ、手織りのキッチン小物も並びます。

Moon Tree は清野工房で月曜と木曜に習っている生徒さんのグループ名とお聞きしてすてきなネーミングだと
思いました。

アルバトロスさんと久しぶりにお会いして、神楽坂フラスコギャラリーで開催が始まった明子さんの展覧会に
行きました。

始まったばかりの午前中に原毛から紡いだ糸を使って作る作品展にはもう人が集まっていました。









この私の大好きな黄色がFBに紹介されていた時に、これが作品展に出ていたらいいと思っていました。

コブナグサで染めたポロワス羊毛。
ちょっと緑がかった面白い黄色、刈安色、ライムグリーンというのかな。
ぐるぐるっとカジュアルに巻きたい。
・・・
コブナグサは黄八丈の黄色を染める草と言うと馴染みのある人も多いかもしれません。八丈刈安と呼ばれ椿の灰で
媒染します。また全然違う色ですね。
 
 
 
 
織物を習っていた私ができた作品を買うのはちょっと抵抗があるのですが、自分では作れない工程、糸から作るが入っている
この展覧会にはすぐ手が出てしまいます。前回のフワフワした小さなマフラーに続いて、このコブナグサで染めた軽いマフラーと
なんとも言えない感触のゴッドランドコリデールのナチュラルカラーに魅かれました。


 
後からFBで見たコースターに作品展の時には、感じなかったキュートさに思わず追加注文。


実際に使っているところを見るとまた違ってきます。
 
バックも楽しかったし、明るい色のショールも羽織って見たりしました。
たくさん遊んで、その糸の風合いを楽しみました。
 
 
 
お昼時になったので、神楽坂を少し歩いて、イタリアンのお店に入りました。
通りすぎたウィンドウには矢来能楽堂と書いてありましたが、この場所には能楽堂はありませんでした。

 

イタリアベネチア料理のステファノです。


 
アルさんの着物姿がとても素敵だったので、写真を撮らせていただきました。
このすてきな縞の帯はおばあさまのものだとのこと。お着物も大好きな感じです。
久しぶりにお会いしたのでいろいろ話がつきませんでした。
 
 


 
 


メインのパスタはカニとトマトのクリームソースのタリオリーニ
 
 
とてもシンブルなデザート
 
金曜日の午後のひとときをゆっくりとすてきな時間が流れました。
 
 
Oct. 18  2024   Kagurazaka
 
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田中一村展へ ・・・ Tanaka Isson: Light and Soul

2024-10-25 23:59:22 | art

10月24日


 

田中一村展の前期の最終日。作品の入れ替えがあるので、前期に行きたかったのですが、なかなか時間が取れず
無理かと思いましたが、午前中に和服の棚の配送がすんで、大方整理して午後出かけることができました。

若い頃の南画。
すばらしい。その筆のタッチ一つで描く。生き生きと躍動感のある枝や葉。とても十代とは思えない絵と書。
峻烈。描いているところが浮かんできそうなスピーディなタッチ。心に刺さるようなそんな線。それはゴッホの絵を見た時に
感じる感覚と似ていた。そして最後の奄美大島での暮らしはゴーギャンを思い浮かばせました。絵はルソーを連想させるものも。
出だしからパッションがほとばしり出ていて画壇から離れ、自己を貫いた生涯をたどりました。

エネルギッシュでパワフルな神童と言われた若いころの絵はあまり見たことがなかったと思いますが、素晴らしかったです。
古さを感じさせない色あいや個性的なフォルムや構図も。ペパーミントグリーンが光り、そして梅の枝や竹の葉の抽象画のような
描いている一村から直接何かが伝わってくるような絵画。とにかく毛筆のタッチが素晴らしいです。

白い花が輝きを放つ空間。ヤマボウシだったのですね。今まで見てきた絵から急に視界が開けたような新鮮な絵でした。
心機一転して再スタートしたこの絵が入選したのは川端龍子主宰の青龍社展でしたが、川端龍子と意見が合わず画壇を離れてから
は不遇でした。この絵が見たくて前期の展覧会に滑り込みました。と思ったら「白い花」は何点もあり、大きなこの絵は
後期も展示されます。

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また、白い梅の襖絵ではまるで雪のように花が降って来そうでした。個人蔵とは贅沢な。
一村はお礼や、描いてあげたい人に絵を贈っていたようで今回はそういう作品も多く出されていて
とても貴重な展覧会でした。描いてあげる人が特定されていた全く商売とは違う絵の描き方でした。

一村の人生を映し出すように絵が流れて行きました。
神童と言われた子供時代。謎の芸大2ヶ月での退学。謎の多い生涯ですが、苦労も多かったようです。
別の仕事をしながら、スポンサーを頼りながら絵を描き続けたその後の生涯でした。

死後間もない頃初めて紹介された日曜美術館の番組はかすかな記憶があります。

自然、海や小石、里山、植物と鳥たち・・
この世界が描かれていました。鳥たちも幸せそう・・ 私は一村を孤高の画家とは思わない。何かそういう世界に
囲まれて生きていたと思います。たとえアカショウビンが岩の上に一羽ですくっと立っていても孤独ではないと
思いました。一村も寂しさはあったかもしれないけど孤独ではなかったような・・・
現代にこんな画家がいたとは・・

鳥や花の種類も多く見るのも楽しかったです。
軍鶏は若冲の方が迫力がありました。


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トラツグミもかわいくて・・

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うるさい尾長も楽しそう・・・


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南国のアサギマダラ・・・

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古さを全く感じない一村の絵。芸大の同期には東山魁夷がいたとのこと。

圧倒された展覧会でした。

 

参考)

画家田中一村が辿り着いた最果ての地、奄美大島

田中一村について

日本画家・田中一村、波乱の生涯と奄美大島の自然が育んだ傑作

決着の地 東京・上野で刻まれる新たな一村像 (Art Plaza Times)

「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館 着物でミュージアム Vol. 38  (ほとんどの作品が写っています。)

  

Oct. 24  2024  Ueno

 

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ユニークな花緑ごのみ ・・・ unique Karoku Gonomi

2024-10-24 23:59:56 | art

10月19日

バッハの平均律クラーヴィア曲集1集を第1巻をずっとキースジャレットで聴いていてその生き生きとした音に
驚き楽しんでいましたが、今は第2巻をアンデルジェフスキで聴いています。静かに深くそして躍動感もある
彼の連れて行ってくれる世界に浸っています。

朝はキース・ジャレット、夜更けにはアンデルジェフスキで・・
キースのバッハはまるで水の流れを聴いているようです。

 


10月19日の楽しみにしていた「花緑ごのみ」、今回はまた驚きの連続でした。
「老後とピアノ」の作者稲垣えみ子さんと出会ったことで、子供のころ習ったピアノに再トライすることになったとか。
ピアノを再開させようとリフォームついでに家の模様替えをして、ピアノを弾きやすい環境に置いたところで止まっている
私の背中を押してくれました。久しぶりに奥様ともロビーで会い、毎日練習することが大切みたいと話していました。
やっぱり花緑さんの集中力はすごいのですね。ショパンのあの有名なノクターンとドビュッシーの月の光をスタンウェイの
ピアノで披露。こういう世界も持っているのだと思いました。

この日はベルカントの発表会の前日の練習の後、お茶をしてから、一緒に行く年に数回会う元の職場の友人と日比谷公園
松本楼で待ち合わせて遅いランチ。そこから歩いてすぐのイイノホールへ。彼女の家の猫の具合が悪いという話からブルーの
最後を思い出して涙がこみあげてきてしまった。私にとってたった1匹のかけがえのない猫。




ビールとオリーブでランチはドリア。おいしかったです。


少し早めにイイノホールへ。事務所を持つ前にこの辺で働いていたことのある彼女は土地勘があり、ついて行きました。
いつも霞が関から行っていたイイノホールも、銀座や日比谷からも近いことがわかりました。







花緑さんは枕もとても面白いのですが、今回は短め。
「弥次郎」は最近、昨年くらいから噺すようになったとかでした。そういえば聞いたことがあると思ったら、昨年
三鷹での公演でやっていました。

「ぞろぞろ」は何かのおかげって思うことってとても大切なことではとの前置きでした。

「お坊ちゃんの部屋」では冒頭で書いたように、ピアノにまつわるお話と演奏。私も「老後とピアノ」を読んでみようかと
思いました。素人さんの発表会でしたが、一つの音の世界を作っていました。私の再開計画が中座しているのを押して
くれました。

仲入りでは小さんの二十三回忌に当たる年なので紹介がありました。小さんの人となりを簡単に紹介していました。
新宿の時はもっと詳しかったのですが・・

そして自身の創作落語「眠れる森の乙女」
ちょっと難解なところもありました。「100万回生きた猫」や「小さな恋のメロディー」のせりふや、輪廻転生や
いろいろなことを思い浮かべる落語でした。そんな中で、今この時代に生きて出会える人の奇跡というか
不思議を思いました。1時間近い大作で友人も私もびっくり。

この実験的な要素もたくさんの落語ワンマンショーを楽しみました。

 


翌日はコーラスフェスティバル本番なので笑いすぎないようにと思って見ていました。

 

Oct. 19  2024   Hibiya → Kasumigaseki

 

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