若草の妹
武蔵野
水鏡
昔、おとこ、女のもとに一夜いきて、又も行かずなりにければ、
女の、手洗ふ所に、貫簀(ぬきす)をうち遣りて、
たらひのかげに見えけるを、みづから、
我許(ばかり)物思人は又もあらじと思へば水の下にも有けり
とよむを、来ざりけるおとこ立ち聞きて、
水口に我や見ゆらんかはづさへ水の下にて諸声になく
梓弓
むかし、おとこ、片田舎に住みけり。
おとこ、宮仕へしにとて、別れおしみてゆきにけるまゝに、
三年来ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける
人に、今宵逢はむとちぎりたりけるに、このおとこ来たりけり。
「この戸あけたまへ」とたゝきけれど、あけで、歌をなんよみて出したりける。
あらたまの年の三年を待ちわびてたゞ今宵こそにゐまくらすれ
といひ出したりければ、
梓弓ま弓つき弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
といひて、去なむとしければ、女
梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにし物を
といひけれど、おとこかへりにけり。
女、いとかなしくて、後にたちてをひゆけど、えをいつかで、
清水にある所に伏しにけり。そこなりける岩に、およびの血して書きつけける。
あひ思はで離れぬる人をとゞめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
と書きて、そこにいたづらになりにけり。
東下り
駿河なるうつの山辺の うつつにも夢にも人にあはぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに雪の降るらむ
ゆき いと しろう ふれり
渚の院の桜
月に秋草図屏風 (俵屋宗達)
屏風は伊勢物語とは関係はありません。
月と秋草がなんともいえない美しさでした。
以前好きだったリアリズムのこの時代?の日本画家がいたのだけど宗達だったか
覚えていません。鹿島美術財団の講演会で昔話を聞いたのだけど・・・
現代の日本画家で一番好きなのは奥村土牛です。洗練された形と色がなんとも
いえません。
古典ですが、我が家では子供が小学校の高学年の頃から「百人一首」が大好きで、
お正月でなくてもやっています。今は学校での教材にもなっていて、子供用の解説
もたくさん出ています。(まぁ恋の歌が多いのですが・・) 声に出して何回も歌
を読んでいるうちにこの歌いい歌だと突然発見することもあります。
冬の歌 2首
かささぎの 渡せる橋に置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
心あてに 折らばや折らぬ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花
最近のお気に入り
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月を見しかな