Reflections

時のかけらたち

歩き続ける、その先に   稲葉香  ・・・ Kaoru Inaba  keep walking and beyond

2025-02-10 23:51:32 | people

2月8日

友達から教えてもらったNHKEテレ「こころの時代」でリュウマチで歩き続ける女性の番組。
見逃し配信で期限ギリギリで見ることができました。

若いころから大きな苦しみの中にいて、ヒマラヤを歩く喜びを見つけたスケールの大きな女性の姿がありました。

老化による体力や関節の限界で、もうだめかもしれないと話すといつも友人はあきらめたらもうそこで終わりに
なってしまうと励ましてくれています。

 

 

【こころの時代】歩き続ける、その先に | 稲葉香 | NHK

YouTubeで見るをクリックするとみることができます。

初回放送日:2025年2月2日

重いリウマチを患いながら、ネパールの山々を歩き続けてきた稲葉香さん。去年、病状が悪化するなか、
まだ訪れたことがない山岳地帯に挑んだ。なぜ歩き続けるのか。 大阪・千早赤阪村で小さな美容室を営む
稲葉香さん(51)。関節の変形や痛みが生じる重いリウマチを患いながら、20年以上ネパールの山々を
歩き続けてきた。困難に挑み続ける功績が評価され、2020年「植村直己冒険賞」を受賞。酷使してきた
足首の病状が悪化するなか、去年、これまで以上に険しい中国国境の峠に挑んだ。いつ歩けなくなるか分から
ないという不安を抱えながら、なぜ歩き続けるのか。稲葉さんの歩みをたどる。

 

彼女の歩けるうちに歩いておきたいという思いは私と同じ。
あきらめたらそこで終わるから
あきらめなければ無限の可能性がある。

行かなくてはわからないことがある。
自分の知らない世界がどんどん見えてくる。
未知の世界を一歩ずつ踏みしめる。

言葉にならないほど、魂が震える場所を見つけた。 ネパール

歩くことでいろいろなことが見えてくる。
人生も一歩進むと変わってくる。
見え方も一歩進むだけで変わってくる。

 

アンドレ・プレヴィン モーツァルト ピアノ協奏曲24番 Andre Previn Mozart Piano Concerto No. 24

 

アンドレ・プレヴィンの包み込むような、滑らかなモーツァルトのコンツェルトです。
久々に聴くモーツァルトが新鮮でした。

 

生きることは歩くこと・・・

 

歩き続けて・・・
音楽の世界もどの世界も開けてくる・・・
生きることはアクションを起こし続けること。

 

長谷川きよし - 歩きつづけて

意味合いは違いますが、長谷川きよしのこの歌が大好きで、もう10年近くなるのか銀座のライブハウスに行ったことがあります。
今でも変わらない歌声でした。

 

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歌舞伎の世界へ ・・・ into the world of Kabuki

2024-04-12 23:59:00 | people

4月11日



仁左衛門と玉三郎を見るために行ったような今月の歌舞伎です。
悪役の二人の話も、次の華やかな祭りの舞台も何か息のあった二人の間の
愛情を感じるような素晴らしい舞台です。今見れる歌舞伎の最高峰ではないでしょうか・・・

 

四世鶴屋南北 作

渥美清太郎 改訂

一、於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)

土手のお六
鬼門の喜兵衛

  土手のお六
山家屋清兵衛
髪結亀吉
庵崎久作
油屋太郎七
鬼門の喜兵衛
玉三郎
錦之助
中村福之助
橘太郎
彦三郎
仁左衛門
二、神田祭(かんだまつり)
  鳶頭
芸者
仁左衛門
玉三郎

九條武子 作

三、四季(しき)

春 紙雛
夏 魂まつり
秋 砧
冬 木枯

〈春 紙雛〉








〈夏 魂まつり〉






〈秋 砧〉


〈冬 木枯〉

女雛
男雛
五人囃子






亭主
若衆
太鼓持
仲居
舞妓


若き妻


みみずく
みみずく
木の葉 男




木の葉 女



菊之助
愛之助
萬太郎
種之助
菊市郎
菊史郎
吉太朗



橋之助
歌之助

児太郎


孝太郎



坂東亀蔵

中村福之助
鷹之資
亀三郎



玉太郎

 

                      ©松竹 Yahoo ニュースより

 

最初の二つは2021年2月に一度見たものでしたが、細かいところの記憶がなかったので、新鮮でした。
お芝居そのものよりも80歳とは思えな五、何か超越した仁左衛門と立っているだけで美しい玉三郎との間の
空気を楽しみました。仁左衛門のなんとも言えない色気と玉三郎の愛情表現に男と女の一つの原型を
見るようでした。


  

あの年齢でこれだけのことができるなんて、何か勇気をいただきました。
玉三郎の後姿も美しすぎて。この二人を見れた熱気に包まれたような舞台でした。善と悪の二つの対比も
楽しめるものです。「白鳥の湖」の黒鳥と白鳥を踊り分けるように玉三郎の変化を楽しむことができ
私は結構悪の方が好きだったりして。

  

連日リフォームの準備で忙しくしていたので、何か和服を着て行くだけでも大変だったのですが、歌舞伎となると
やはり着て行きたくなります。前日のお茶はぎりぎりまで作業していたので断念しましたが。二日続けて着るパワーもなく。
ところが帯が何かなかなか難しく、うまくできなかったのですが、塵除けを着て待ち合わせには間に合いそうもない
時間にやっと出発。歩いていて何か違和感を感じて、気が付くと帯が下がってきていました。遅れるメールと共に
もう泣きそうで帯が変になっちゃったと送信。歌舞伎座でKさんに修正してもらってとても助かりました。
帯締めももっと締めなくてはいけないし、いろいろ勉強になりました。
帯自体もごわごわしていて締まりにくかったのかもしれません。何回着てもうまくなりません。やっぱりちゃんと教わった
方がいいのかしらね。伸びしろありすぎて。

 

K子さんは桜の花びらが散る春らしいお着物で帯がかわいくて、うさぎやリスが
音楽を奏でているものです。こういう遊び感覚の楽しい帯は私は持っていないと羨ましく
思ってしまいます。

お着物姿の人たちがごく自然に着ているのがうらやましく、私は末廣亭に続き、パニック状態が
続いて何かげっそり・・ 帰りには歌舞伎座の座席の階段を降りる時にふらついて危ない状態でしたが
セーフでした。でも今日は洗濯物を上を向いて干している時に、ふらついて滑って転んでしまいました。
幸い近くに置いてあった糸紡ぎの箱につかまって怪我無く済みました。この危険信号をきちんと受け止めて
注意して過ごさなければと思いました。

 

今日の着物は縞がいいと思っていたので、Kさんのお母さまのめくら縞で、帯は紀尾井アートギャラリーの
リサイクルの花の帯にしました。帯どめは着付け教室で一緒だったレースドールの先生の作ったものいただいていた
小さなバラの花を初めてしてみました。最初はグレーかグリーンの帯締めを選んでいたのですが・・


帰ってから鏡に映して撮ってみた組み合わせ。

 

 

April 11 2024   Ginza

 

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5代目小さん23回忌追善興行 ・・・Kosan the 5th’s 23rd anniversary entertainment

2024-04-05 23:57:47 | people

3月31日



初めての寄席です。伊勢丹の前の道を行くと別の世界が広がっていて驚きました。
新宿にもいろいろな顔があります。

今回の寄席は余一会といって特別のものです。その中でもさらに小さん23回忌興行というスペシャルな会だったので
末廣亭の前はとても混雑していて入場制限をしていました。

あまりの賑わいにびっくりしました。

中に入ると狭い会場に多くの人が来ていました。建物も古くてステキです。かなりお年寄りの方が来ていて
先代の小さんのファンだった人が多くいるように思いました。特別な暖かい空気は寄席ならなのでしょうか?
初めてなのでわからないのですが、すごくアット・ホームな感じがしました。

 

3月31日 新宿末廣亭
五代目小さん二十三回忌追善興行
昼夜ぶち抜き花緑独演会スペシャル

昼の部)

前座 入船亭扇ぱい たらちね
花緑 狸の鯉
市馬 粗忽の使者
権太楼 代書屋
小さん 長屋の花見 

座談 五代目小さんを語る
 広瀬和生、大野義弘、花緑

小菊 粋曲
花緑 猫の災難


前座も楽しく、もう次が花緑さん。いつものように枕が長くなくて残念。独演会でのいつ落語が始まるのだろうかという
枕がとても楽しくて。今回は大物が後に控えていますから長話はできません。狸の鯉はいつもながらのキュートな花緑さん
でした。

市馬さんは2回目です。ちょっと大人な感じでそれぞれの個性が楽しいです。
とても面白かったのは初めて聞いた権太楼さん。かなりお年かと思いますが、めちゃくちゃ楽しくてこういうの大好きです。
六代目小さんは最初は何を言っているのかよくわからなく、途中眠くなってしまったのですが、なかなか味がありました。

中入りの時に買ってきたのり巻きを慌ててつまんで、混んでいるトイレに向かったのですが、狭い座席の間をぎゅうぎゅうで
抜けたので、トイレに並んでいる時に帯が帯締めから外れて下がってしまっていたのに気が付きました。後ろの方に直して
いただけてとても助かりました。この日はあまりの暑さに綿か麻のショールだけを持ってきたので、隠して帰れなくて困る
ところでした。

中入り後の座談会。五代目小さんについて、小さんのマネージャーだった大野さんと落語評論家の広瀬さんとのトークでした。
その内容が下記のブログに詳しく書かれています。

五代目柳家小さん二十三回忌追善興行

私は若い頃は(今も)小三治が好きなのだけど、小さんには特に興味がなくて、落語も聞いたことがなかったと思うけど
今回座談会で人柄がよくわかり、とても身近に感じられるようになりました。落語協会を築き上げた人。剣道の達人で
あったけど、人とけんかをすることが嫌いだったとか。談志破談も、直接破談を言ってなく、マスコミが騒ぎことを大きく
してしまって、最後までいい関係のようでした。話を聞いているうちに、祖父を思い出しました。祖父はlittle man, big heart
と言われていましたが、小さんもそのような人だということが伝わってくるいい23回忌でした。花緑さんが舞台の端から端までの
長さの小さん年表を書いて、弟子に持たせたのがとてもよかったと思いました。心のこもった追善となりました。
マネージャーだった大野さんも朴訥として、いい感じでした。広瀬さんも落語そのもので、他の噺家さんはその人のパフォーマンス
だったが小さんは暖かい落語の世界にそのまま連れて行ってくれたと話していました。
花緑さんも同じ家で育っていたので、きっといいところをいっぱい見ていたのでしょうね。

いろいろな人の芸を見て楽しい午後でした。
最後の花緑さんの「猫の災難」も楽しくて、帰りに友人が犬のバージョンをこの前の三鷹でやらなかった?と話して、私は全く
その記憶がなかったので、花緑さんの奥様にあとで尋ねたら、猫の災難は小さんの18番だったので、他の人がするときは
他の動物にして話すことが多く、たぶん古今亭が犬で話していたのではとすぐ教えていただけました。友人もきっと何か放送で
聞いたことを鮮明に覚えていたのかもと・・・お互い年を取って、記憶があいまいになってくる年頃なので、確認しました。
彼女は今だに責任のある立場で仕事をしているので決算時期は非常に忙しいのですが、私より前からの花緑ファンでもあり
一緒に楽しめて良かったです。

 

 

 

 

帰りに朝電話で抑えておいたメンデルスゾーンの無言歌集Ⅱを取りに丸井アネックスにある駿河屋に取りに
行きました。ネットでもなかなかなくてあると倍以上の値段だったりする希少価値のあるエッシェンバッハの
CDをやっと見つけたものです。

 

 

この日はまるで夏のような気温になってしまったので、急遽久留米絣にしました。
もともとは市松模様の本塩沢にしようと思っていたのですが、絶対に暑くなってしまうと思い木綿にしました。
博多織の帯が意外と似合いました。

March 31  2024   Shinjyuku

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緒方貞子のアナザーストーリーズと草刈正雄のファミリーヒストリー・・・Sadako Ogata’s Another Stories & Masao Kusakari's Family History

2024-04-01 23:59:05 | people

尊敬できる数少ない日本人の1人。緒方貞子さん。
録画だけして見れなかった素晴らしい番組2本、やっと見ることができました。

アナザーストーリーズ 運命の分岐点 小さな巨人 緒方貞子~命をつなぐ現場主義~


 ボスニア内戦、ルワンダ虐殺…世界で難民が苦しむとき、その現場にはいつもこの小柄な女性の姿があった。
UNHCR・第8代国連難民高等弁務官、緒方貞子。過酷な現場に自ら足を運び、解決のためならどんな相手ともきぜんと
立ち向かうその姿は“小さな巨人”と呼ばれた。緒方のかたわらにはいつも彼女に心を動かされ、ともに闘った人々がいた。
命をつなぐために、緒方はどんな闘いに挑んだのか? 黒柳徹子との知られざる交流も。  2023年10月6日放送 

 

あらためてこんなに素晴らしい女性がいたことを認識しました。

                                                                 

緒方さんが亡くなられてから、もう4年も経っていたのですね。
あらためて、アフガニスタンからボスニア、アフリカなどの隣人同士の争いの世界の歴史を思い出し、
今なおウクライナやガザでの非人道的な出来事に心が痛くなる世界が続いています。ますますひどく
なっていくような・・・
そんな世界の最先端で難民と共に生きてきた緒方さんには頭が下がります。彼女はいつも現場にいて
現場の人と共に難民の命を守るために協力し、世界に訴え続けて命を助ける仕事をしてきた人でした。
彼女は本当に解決できるのは自分たちではなく、政治力と言います。ヨーロッパ各国に働きかけて
援助を取り付けてくる実行の人でもありました。彼女の下で働いていた現国連難民高等弁務官や現場の人達
の証言で「小さな巨人」が浮かび上がってきます。

聖心女子大の同期に私の好きな作家の須賀敦子さんがいたことを初めて知りました。聖心女子大はあまり縁のない
大学ですが、美智子上皇后や渡辺和子さんをはじめ芯のある人たちを輩出しています。神谷美恵子さんも小学部だけ
行っていたが校風に違和感を覚えたとの記事がありました。

誇りに思える日本人を再び心に刻みました。

 

【平和構築】開発途上国支援に人生を捧げた緒方貞子のことば

ヒマ吉の散歩道 惜別 緒方貞子さん

 

 

ファミリーヒストリー

草刈正雄〜初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜

初回放送日: 2023年8月14日

 

生まれた時から母と二人だった草刈正雄。父は日本に駐留したアメリカ兵だが顔も知らなかった。
母は「朝鮮戦争で死んだ、写真は焼いた」と多くを語らず死去。制作班は正雄の記憶にあった「ロバートトーラ」と
いう人物を全米で探すが調査は難航を極める。半年後ようやく親族が判明。なんと父は朝鮮戦争から生還していた。
父の容姿や性格、母との出会いも明らかに。「なぜ父は母のもとを去ったのか」父の姉が70年ごしの秘密を告白。

 

草刈正雄さんはある時からとても素晴らしい役者さんに成長したと驚いたことがありました。確か真田丸以前の
大河ドラマで家老か何か演じていた時です。
モデルとしての登場は若い頃から知っていましたが、阿部寛と言いモデルから成長した役者さんたちも数少なく
ありません。

そんな彼を一人で立派に育て上げた女性がいました。二人の苦労は想像を超えます。
10年以上前にNHKからオファーがあった時は母親のことも考えて辞退したとのことです。今回は娘さんたちにも
押されて決心したとインタヴューで話していました。

バスガイドだった母親と米兵の父親との劇的な出会いから別れまで。そして一生この親子の幸せを心の中で
願っていた米兵の伯母。

 

父と母の別れを知る97歳の伯母ジャニタさんは誰にも話せずにいた甥の秘密を、高齢になり死ぬ前に家族の誰かに
正雄の存在を話さずにはいられなかったと語ります。甥ロバートの秘密を心の中に抱えて、生きてきた彼女。
草刈正雄の母から送られてきた手紙をどうすることもできず自分の中の秘密として抱えてきた伯母はドイツに
行かせた甥に手渡すことができず苦しみ生きてきました。
「必死に子供を守り、あなたを立派に育てたお母様を本当に尊敬する」と正雄宛の手紙には書かれていました。
「親子の無事を祈るしかなかった。70年間思い続け心配していた・・この出来事を心の中にしまっていた。
あなたのことで涙を流す日々はもう終わり、これからは笑顔だけ。」

草刈正雄はこの後、アメリカの家族と対面し、温かく迎えられます。伯母が私を許してと正雄さんを
抱擁するシーンで終わりました。

この後年末にアメリカでの特別編が放送されたのだけど、残念なことに録画していませんでした。

このジャニタさんという普通の女性のこの思いに感動しました。戦争が生んだ悲劇の一つ。正雄さんの母親も
素晴らしい人でした。

 

 

親父は朝鮮戦争で死んだはずが・・草刈正雄がNHKファミリーヒストリーで元米兵の父親と”初対面”を決意するまで

草刈正雄さんのファミリーヒストリー

 

March 29  2024

 

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ドリアン助川 ・・・Durian Sukegawa

2024-02-28 22:39:58 | people

2月の2回の旅行の間にドリアン助川の見逃し配信をNHK+で見ました。(2月8日)
なぜかというと友人が自分はドリアン助川と重なる部分があると話していたので、どういう生き方をした人なのかと
興味を持ちました。以前映画の「あん」の話をしたことがあって、いい映画だったと二人で意見があったこともあり。

積極的感受
初回放送日: 2024年2月2日

2019年に放送した「こころの時代~宗教・人生~ 積極的感受」を、一部再編集してお伝えします。 90年代後半
ロックバンド「叫ぶ詩人の会」のボーカルや、中高生向けの深夜ラジオのDJとして人気を博したドリアン助川。
2013年に発表した小説「あん」はフランスやドイツなどで翻訳、映画化もされ、カンヌ国際映画祭で高い評価を
受けた。生産性や効率が重視される現代、ドリアンは「積極的感受」という生き方を提案する。人は何のために生きるのか
新宿・ゴールデン街の酒場で対話を重ねた。

ところがこの番組を2019年に見ていて、2019年2月3日のブログに感想を書いていました。
途中から見ていたのでドリアン助川の現在に至るまでについては今回初めて知ったと思います。松尾芭蕉についても
あまり記憶は残っていませんでした。

助川氏は若いころいろいろなものに手を出しでもものにならず、自分の心にふたをしてしまったが、感じるという
最低限の才能だけは持っていたと語っていました。

40代の半ばにこの世から消えたいと思ったことが何回もあるというところが友人が共感を持ったところだと思うけれど
私は厭世的な感覚ではなく、存在が肉体を離れたような感覚というところに共感を持ちました。北海道の自然の中を
一人で歩いていた時に、まるで自分が風にでもなったかのように飛んでいるように歩いているような感覚でした。
自分というものは無になっていたような・・・
ドリアン助川は多摩川べりで太陽が沈むのを見ていたときに、太陽との距離がなくなって、太陽になったような感覚と
その奇跡のような気付きについて語っていました。

積極的感受については芭蕉を例として話していました。芭蕉は今私が住んでいる所の近くでも治水工事にかかわったり
していた人ですが、生産はしていなくて大自然と受けとめる人だったと。自分をアンテナのようにして、宇宙と対話した人。

ドリアン助川の言葉で「対話は続いて行くから価値がある」という言葉は深いと思いました。

この世というものはおもしろすぎて、刺激的過ぎて、美しすぎて、ときに醜くすぎて・・
生きている間そこと不可分。そこを離れて生きて行くことはできない。

自然界とかこの世をあたえてくれているものはおもしろい。それを見るために生まれてきた。


私は友人も存在について深く考えてきた人だと思います。その内側に抱えて来たものの大きさを感じずにはいられません。

 



とても面白そうな本を見つけたので、図書館に予約してみました。


生産性と感じることの大切さについては、聖書のマリアとマルタの話を思い出しました。

山上の垂訓も最近思い出される言葉です。

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、
  天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
  その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
  その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
  その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
  その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
  その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
  その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
  天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは
幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように
迫害されたのである。」
(マタイによる福音書 5章1―12節)

こころの貧しいものの解釈が難しいけれど・・・
時に逆説的な表現もあるけれど、対極を経験しないと本当の意味がわからなかったりすることもある。

 

こころの時代のこの回の感想はたくさんネットに上がっていました。

ドリアン助川 積極的感受 
【感想】Eテレ こころの時代~宗教・人生~ ドリアン助川さん「積極的感受」

 

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KEW王立植物園公式画家の山中麻須美さんの講演会へ・・・lecture by Masumi Ymanaka

2022-04-05 23:59:09 | people

4月3日

小雨が降る小石川植物園でボタニカル・アーティストの山中さんの講演を聞きに午前中出かけました。
昨日は一日家にいたのですが、どうしても聞きたい講演会だったので、坂道、階段はできるだけ避けて
休みながら気を付けて歩きました。 

小石川植物園で植物画教室があり、申し込んだのですが、申込者多数のため抽選に落ちてしまい
山中さんが落ちた人を対象にして講演会を企画してくださり、人数が多かったので4回に分けて行われ
今日が初日だったと思いますがオンラインでも開催されていてたくさんの質問が届きました。

講演は植物画の歴史とかイギリスでの歴史が中心で、講演の後、簡単に描き方の
デモンストレーションがありました。サイエンスとアート、キューガーデンとボタニカルアートの
歴史など話が多岐にわたりワクワクが止まりませんでした。

 

私が桜の花に見とれてほんの数分遅刻して小さな会場に入ったら、空いていたのは一番前・・
そこに座ってお話を聞いていて、パッと頭の中に電気がついたのが、シドニー・パーキンソンの絵を見せて
いただいたとき。そこからメモを取り始めました。それまでのボタニカルアートの分類や、キュー王立植物園
(キューガーデン)の歴史とかメモを取っていればよかったと思いました。特に植民地時代のインドの画家による
カンパニースクールの絵やキューにまつわる人たちについても・・

カーティス・ボタニカル・マガジンのウィリアム・カーティス、ウィリアム・フッカーとジョセフ・フッカー親子、
ダーウィンも出入りしていたフッカーの家や、リヴィングストン、クックなどが持ち帰る珍しい植物。

ジョセフ・バンクスに仕え、キャプテン・クックとともにエンデヴァーで探検に行き、伝染病にかかり26歳で
ジャカルタで亡くなったシドニー・パーキンソン。

  切手にもなっているパーキンソン

 

 

シドニー・バーキンソンの絵はこちらへ

他に印象に残ったエピソードはベアトリックス・ポッターはキノコを専門に描いていてキュー・ガーデンに
絵を送っても見てもらえず、採用されなかったとのことで、もし採用されていたら、植物画の画家になっていて
ピーター・ラビットは生まれていなかったかもという話。

今キュー・ガーデンにギャラリーがあるシャーリー・シャーウッドという画家のことも紹介されました。
とても印象に残ったのはマーガレット・ミーという画家。彼女はアマゾンの自然を研究し、アマゾンの熱帯雨林の探検
を続け、地球環境の保護運動も行っていました。しかしイギリスに帰国中に交通事故で亡くなってしまったとの事です。
あんなに危険なアマゾンで生きていたのに。マーガレット・ミー財団では植物画の勉強がキュー王立美術館でできるという
恵まれた制度があるのだけれど、自然保護に尽くすことが義務化されているとのことです。

キュー・ガーデンはマダガスカルにも拠点があり、そこでの自然破壊もすごいとのことです。ものすごい勢いで
森林がなくなっているとか。先生もそこに滞在していたことがあるそうです。コロナのおかげでプロジェクトが
ストップしていて、今小石川に来て小笠原の絶滅危惧種の研究とかできるとのお話でした。

最後に先生がおっしゃったことは植物が地球環境を支えている、ひとつの植物が絶滅すればそれが昆虫や他の動物等にも
多くの変化が起こるので地球環境の破壊を食い止めることに少しでも役立ちたいと思うということ。
そして美しいだけでなく、植物の役割や科学性も表したいと。植物画という芸術と科学が重なったジャンルです。

講演が終わってたくさんの質問が出ていましたが、私がふとデモンストレーションの準備のためにスタッフが作業
している間に、日本人がキュー・ガーデンの専属アーティストになかなかなれないと思うけどどうしてなったのかと
質問したら、その答えがすごくおもしろかったです。やっぱりなかなかなれるものではないらしい。まず居住していないと
だめで、以前は居住権を簡単に取れたとのことです。食器のデザイナーだった彼女はロンドンに駐在して、ガンを発病して
お見舞いの花に癒されたのが花との出会いで、再発した時にやりたいことをすることに決めて、仕事をやめて、家を買って
植物画の練習をしたとのことです。キューのデザイナーに絵を見てもらいたくて何度もトライして、とうとう彼女の家まで
行って見てもらい、勉強したかったらキュー・ガーデンの図書館の図録を見なさいと言われ、図書館に通いつめ、図書館の
引っ越しの時に手伝っているうちに図書館の不法滞在者となってしまったそうです。コンテストにも入賞して、先生たちに
依頼されるようになり、ついにキュー王立植物園の専属デザイナーの一人になってしまったそうです。チーフは最初に
絵を見ていただいた方です。

参考)
山中麻須美
コロナ禍のイギリスとドイツからのお便り
「キューガーデン 英国王室が愛した花々 シャーロット王妃とボタニカルアート」が東京都庭園美術館で開催
キューガーデン英国王室が愛した花々 シャーロット王妃とボタニカルアート 山梨美術館
博物画家シドニー・パーキンソン

山中さんがボタニカルアーティストになった過程が書かれていました。
今までキャプテンクック探検航海と『バンクス花譜集』や大英自然史博物館展とかいろいろやっていたのですね。
大英自然史博物館にはシドニー・パーキンソンの絵もたくさん保管されています。

いろいろな展覧会があったのに気が付かずに残念でした。キューガーデンはやっているのは知っていましたが、王立植物園を何やら
イングリッシュ・ガーデンのように軽く考えていました。昨年の科学博物館での植物展は少し期待外れでした。

山中先生は奈良でも万葉植物のプロジェクトを進行中で、展覧会のことも教えていただきました。
この展覧会はこの後昭和記念公園でも開催されるとのことです。

 

講演会に出席するため、正確な交通手段を使って、いつものバスはやめてJR+地下鉄で
茗荷谷の駅からゆっくり歩きました。

播磨坂は桜まつりの開催中。

 

 

長く続く播磨坂、この坂は帰りには登れないと他の交通手段を考えながら、下って行きました。

坂道沿いの家も花がきれいです。

 

 

 

 

 

久々の小石川植物園に入りました。

 

 

桜を見ながら、会場の柴田記念館へ向かいます。

 

 

April 3  2022  Koishikawa

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羽生結弦の北京オリンピックが終わりました ・・・ Winter game is over

2022-02-22 23:45:45 | people

今回の冬季オリンピックほど選手それぞれの個人のドラマを感じたオリンピックはありませんでした。
スポーツに向かう姿勢とか、奥行きを感じました。東京オリンピックの頃から選手間の国を超えた友情も
感じられました。
印象に残る何人かの選手がいましたが、羽生君に絞りました。

 

羽生の冬が終わりました。

そして「春よ、来い」

思いを込めてピアノと息の合った「春よ、来い」を美しく舞った羽生結弦でした。

 

NHK | 【実況なし】羽生結弦 エキシビション「春よ、来い」 | フィギュアスケート | 北京オリンピック

上のYouTubeをクリックすればエキジビジョンが見れます。

演技後に大会を振り返り「いろいろ深く考えさせられました。みなさんの記憶にある羽生結弦は成功している自分が多いかも
しれないですけど、ここまで競技をするにあたってどん底を何回もみてきました。今回、大人になって、人生って報われることが
全てじゃないんだなと。ただ、報われなかった今は報われなかった今で幸せだなと。少しでも前を向いて歩いていけるように
頑張っていきたいと思います」と語った。  2022年2月20日15時30分]日刊スポーツwebより

 

羽生結弦のこの大人になった言葉を聞いて、私が20代の頃出会った神谷美恵子さんの本の言葉を思い出しました。
私にとって考え方を逆転させる衝撃的な言葉でした。

・・・あるとくべつな心の境地になるということそれ自体を目標として生きることは、うっかりすると目的と手段とを
すりかえることになりかねない。人間の根本的な、じみちな生存目標は、あくまでも自己の生命を誠実に、いきいきと
生きぬくことであろうから。
 あるひとの生涯において一回または数回変革体験がおこったとしても、それはこの生存目標にむかっての歩みを方向づけ
力づけるという役割をになっているに過ぎない。歓喜と高揚の瞬間がすぎたあとにはまた忍耐と根気を要する時間がつづく
のである。ブーバーのいう通り、この「瞬間」は「人生の長い道の休憩所にすぎない」のであり、人間は矛盾と葛藤の中に
身をおき、苦しみながら光を求めて生きて行くべき存在なのであろう。その時、かの「瞬間」に垣間見ることをゆるされた
超越と永遠の世界は、うたがえない如実の体験としてつねにいきいきと意識の周辺にあり、生きなやみがちな現世の歩みを
支えてくれるのである。 神谷美恵子 生きがいについて より

私はそれまでこのすばらしい「瞬間」のために生きているのかと思っていましたが、その「瞬間」は人生の長い部分を占める
じみちな忍耐力のいる日々のためにあることを知りました。

学生時代から社会人になるころ、神谷美恵子やマルティン・ブーバーをよく読みました。この文章は目から鱗でした。

 

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大谷翔平と栗山英樹 ・・・Shohei Ohtani & Hideki Kuriyama 

2022-02-03 21:00:17 | people

 

 

タモリ・ステーション

MC:タモリ
ゲスト:王貞治 栗山英樹 天海祐希

大谷翔平“二刀流”の原点「夢への道しるべ」にタモリが感動 『タモリステーション』でドラフト舞台裏

オリコン
28日放送の大型スポーツ特番『タモリステーション~二刀流 大谷翔平の軌跡~』テレビ朝日
 

この番組は録画しておいて翌29日に見ました。

この番組で大谷誕生の秘話が公開されましたが、当時の日ハムのスカウト、そして栗山監督の熱意に驚きました。すごい人がいたのですね。
大谷のあの若さでの大人を驚かせる強い意志。そしてそれを自分たちの損得とは関係なく実現させてあげようと思った大人たち。
特に栗山前監督、素晴らしい方ですね。野球にはほとんど興味がありませんが、大谷の人柄や夢をかなえさせようと努力した人たちが
いたことを思いました。確かに今までに存在したことのない選手になった大谷。それを誰よりも喜んでいるのは栗山前監督なのだと思いました。

 栗山英樹

いま日本ハムは全く違うタイプの監督になりました。チームを盛り立てるのに全く違うアプローチで彼なりに考えているのでしょうが・・
スポーツのスピリットを改めて感じました。コロナが地球を覆った昨年を明るくしてくれたニュースでした。

あまりスポーツ番組には興味がなくて、にわかテニスやサッカーファン、ラグビーファンになったりする私で、一番好きなのはフィギアスケートなの
だけれど、この番組はちょっと見てみたくなり、録画していました。

Jan. 29   2022

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玉三郎のお話と素踊りの会 ・・・ Tamasaburo on stage

2021-07-05 23:19:30 | people

以前コンサートに数回来たり、最近も新日本フィルのゲネプロや本コンサートによく行くようになったすみだトリフォニーホールに玉三郎さんのトークと素踊りを見に行きました。

 

すごい雲行きの天気でしたが、何とか雨は上がりました。熱海で土石流が発生した日です。

 

ホールに入るのにも長い列ができていました。

 

このチラシは最初にチケットを買った時にはなかったのですが、その日のお話で皆様からの質問に答えるというコーナーがあって、質問を募集していたことを知りました。

最初にプログラムにある素踊りについて語っていました。素踊りは以前MOA美術館でしたことがあるが、めったにしない。歌舞伎役者がお化粧をしないで舞台に上がるなんてありえないというようなことでした。

でもこの前の吉右衛門さんの能舞台での熊谷直実をみて、私は素の吉右衛門さんが演じるほうが好きでした。今回も玉三郎さんはこの会場は大きいのでお化粧していてもしなくてもあまり関係ないのではないかと思ったと話されていましたが、私は前の方の席を今回選んだので顔の表情がはっきりわかってよかったです。前回歌舞伎座で見た時よりも、歌も思いも伝わってくるような感じでした。灯りが二つで雪が舞う舞台芸術は同じでした。富山清琴さんの地唄が心にしみました。

玉三郎さんの年齢を超越した佇まいや話し言葉の美しさに感動しました。会場はこのホールで今までにないほどの盛況さと熱気がありました。玉三郎の魅力に引き込まれている人が多いのですね。

家で過ごす時間が多い時はWOWOWで今までのご自分が出た映画やシネマ歌舞伎をご覧になっていたとかで、映画を吉永小百合さんを使って撮っていたことなど知りませんでした。

仁左衛門さんとのエピソードなども語っていましたが、今回の桜姫の早変わりよくやられたと感心していました。舞台に出てないところの方が大変で舞台の上で休憩するような感じだと早変わりのことを話していました。

毎日の習慣についての質問には 「朝は小松菜を含む野菜と果物のジュースを飲んで、舞台の前は発声練習、寝る前は体操くらいかな?」と答えられていました。私もヨガでよくやっていますが、ねじる運動が必要だということです。

舞台での役作りなどについては「感動や感情をしっかり受け止めて、それを思い出して舞台で表現する。台詞を言わない時も心はその役になっている。舞台で、毎日新鮮な思いを伝える。」などの言葉がありました。

どうしてもお話ししたいこととしては「マイクロプラスチックと海の汚染」についてでした。私もNHKのドキュメンタリーを見て危機感を強めた一人です。美しい地球を残すことは今生きている私たちの使命です。

重い質問もありました。不登校で日本舞踊をやっている少女の投稿でした。玉三郎さんは言葉を選びながら、今の型にはめようとする教育には懸念を持っていて、自分のやりたいことをやって大丈夫だと思いますと答えられていました。玉三郎さんも幼稚園を1日しか行かなかったことや学校は近くですぐ帰れる場所にしたとかそんなご自身のことを話されていました。高校生になると役がいっぱいついて学校に行けなくなったが、世の中でどんな人たちに出会うかが大切ではないかと。

玉三郎さんがご自身のことを語り、素で舞い、なんと贅沢な時間だったのでしょう・・・

 

10年前の国立劇場での玉三郎の素踊りの記事をみつけました。私の言いたいことが書かれていました。

10㎏もある衣装を着ての想定なので、浴衣に身体を叩きつけるように、あるいはいっぱいいっぱいに外に込めて踊っておく。その時の踊りの潜在力というのは、歌舞伎の衣装を着けるとさすがに見えにくい。玉三郎の素踊りの良さは、そうした重い衣装から解放されて、軽く手や身体を振っても綺麗に決まるという逆の感じだった。少し首を振りぎみな、微妙に中心の決まらない感じが歌舞伎の舞台ではあるが、それがまったくぶれず、すっとしている。その軸がまっすぐすらっとしているところから、オーラがダイレクトに客席に向って放たれている感じがして、深く、深く見入ってしまった。

 

歌舞伎座で見た地唄舞、7月は京都での公演があります。何度でも見たい玉三郎の舞です。

 

July 3  2021  Kinshicho

 

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皆川明さんの物づくり  ・・・ Akira Minagawa , designer

2020-12-02 23:03:36 | people

日曜美術館の録画を8月にしておいたのを今頃見る。この時すでに再放送かと思うけど。

2月に現代美術館での展覧会 つなぐ を見に行ってからあっという間の1年が流れています。展覧会を見ていたので、番組を見なくてもいいかと残してしまっていましたが、本人のインタヴューがあり、改めて皆川さんの物づくりやあのおっとりとした人柄を思い出しています。ファストファッションの真逆にいるデザイナーだったのですね。

日曜美術館「デザイナー 皆川明 100年つづく人生(デザイン)のために」

東京都現代美術館・兵庫県立美術館と巡回する
展覧会「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」を紹介しながら、
皆川明の仕事とそこに繋がるもの、そこから繋がっていくものたちを追います。
(2020年8月2日に再放送しました)

2020年1月5日の日曜美術館
「デザイナー 皆川明 100年つづく人生(デザイン)のために」

放送日時 2020年1月 5日 午前9時~9時45分
再放送送 2020年1月12日 午後8時~8時45分
放送局 NHK(Eテレ)
司会 小野正嗣(作家) 柴田祐規子(NHKアナウンサー)

ファストファッション全盛の今、流行にとらわれない独自の生地作りで注目されるデザイナー・皆川明。若い頃は長距離選手として活躍、魚市場でも働いた異色の経歴を持つ皆川は、服、絵画、さらには人生100年時代の幸せな生き方そのもののデザインを目指す。キャリア25周年を記念した大規模な展覧会から、異色のデザイナーの頭の中に迫る!
(日曜美術館ホームページより)

ゲスト
皆川明 (デザイナー)

出演
深井 晃子 (服飾研究家 キュレーター)
糸井 重里 (コピーライター ほぼ日刊イトイ新聞社長)
谷川俊太郎 (詩人)
佐藤 敏博 (刺しゅう職人)

 

 

番組のメモです。↓

皆川さんの作る服は「特別な」日常服。日々繰り返しているような毎日を特別な日にする。自分を高揚させるもの。

何気ない日常の大切さを気づかせてくれる服。

長く大事に着た服が思い出の貯蔵庫になる。 ものが長く一緒にいることで記憶に変わる。

デザイナーの創造力 → 形(物) → (使用者の)記憶    ・・・  感情と物の循環

糸井重里氏は皆川さんのことを倒れかかった時に受け止められる強さがあると言っていました。現実的に力になると。

自分の人生では持ち時間が足りない。繋ぐことを考える。次の人に考えを伝えたり、土壌を作って行く。

やろうとしていることには時間をかけよう。そして土を作って、そこから何か育って行くことに希望をつなぐ。

谷川さんとのコラボで意識下の自分を出した絵画もおもしろかった。考えつくされたデザインと潜在意識の中の自己表現と。

 

物を長く大切に使う今までの自分の方針でいいのだと思いました。皆川さんの服はシンプルで着心地が良く、長く着たくなるのでしょうね。いつまでも古くならないものっていいですね。

 

forest parade

刺繍職人との出会いが、皆川さんのデザインを具現化するのを助ける。日本にはものつくりの伝統が脈々と流れている。

 

 

 

 

 

forest parade   mina perhonen HP

今も昔も、そしてこれからも…   から 写真を転載させていただきました。

 

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