(株)カプロラクタム-blog

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進路

2005年07月14日 | 自伝
前回のに関わって、自分が何故教師になろうと思ったか書きたいと思います。

と言っても、小さい頃に将来なりたいと思う職業はありませんでした。
これは若くしてプー太郎を夢見ていたわけではなく、自分の人生を1つに絞ることが嫌だったのです。何にでもなりたい。パイロットもいいし、ピアニストもいいし、医者もいいなぁと思っていました。
でも、そう何回も職を変わることはできません。中にはそういう人もいるかもしれませんが、やはり(自分の中で)普通の大人は1つの職でずっと行くものです。何か1つにしたいとは思っていても、その1つが決められない。・・・おそらく、子どもの頃こんな風に考えていた方も多いのではないでしょうか。

明確に教師になりたいと思ったのは、中学の時でした。学校の先生は、教え子によって自分がなれなかった別の夢をみることができる。そのことに気づいたからです。パイロットになりたい子にはパイロットになりたかった自分の夢を重ねて話し、ピアノの先生になりたい子にはピアノを習っていた頃の自分の経験を話し、医者になりたい子にはブラックジャックによろしく伝えてくれと話す。こんなことができるのは教師以外にはありません。しかも、それは試験によって振り分けられた高校・大学の先生ではなく、ピンからキリまで集まった小・中の先生でしか果たせないものです。塾講が範疇外なのは言うまでもありません。塾行ったことないし。

当時は中学校の方の教師になりたいという思いがありました。好きな数学だけを教えればいいし、将来についてより具体的な話ができると思ったからです。しかし、やはり人間の大元は小学校時代に作られることが多く、また努力次第でどんな選択も可能になるという点から、小学校にも行きたいと思っていました。
カリキュラム上、高校の免許も持っていますが、うちの県は小中←→高の異動がめったにないため、小か中で受かれば、間違いなくどちらも異動しながら様々な子ども達に会うことができるわけです。自分の知識を全て子供にたくし、自分のやりたかった事をすべてやってもらおう。自分の追えなかった夢の続きを見られるのををのんびりと待とう。・・・中学にして随分と黄昏た考えをもったものですが、こうして地元の教育学部がある大学に狙いを定め、そこに十分合格できるレベルの高校を受験することにしました。
鶏口となるも牛後となるなかれ。段々、口から胃を通って小腸、大腸へ流れゆくのは自然の成せる業でしょうか!?まあ、何だかんだで尻から吐き出されることなく大学にも受かり、採用試験では小学校を受けて見事に合格したというわけです。

しかし、まさか養護学校に来るとはこの時点では微塵も思っていませんでした。今の暮らしもそれはそれで楽しいのですが、ここの子たちは一体何になれるのだろう・・・?