(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

生活の記録といじめ発見

2015年07月08日 | 時事
自殺ほのめかす生活記録ノート、学校で共有されず 岩手
学校で共有って・・・あれ思いっきり個人情報じゃないの?

「生活の記録」とは生活綴り方教育の一種で、主に中学校で使われる家庭での生活や学習スタイルの定着を狙った宿題のことです。その日のスケジュールや学習時間等の記録、一言日記のような欄もあって、毎日続けるのは結構大変なものですが、習慣化させることで基本的な生活習慣の確立のために有効な取り組みであると思います。しかしその性質上、子どもの家庭内環境やプライバシーが丸裸になり易く、担任に提出することにはなっていますが、少なくとも信頼がない人には本音を書いたり見せたりしたくない代物であることは間違いないでしょう。普通は面倒になり、当たりさわりのないことを書いたり、適当に書いて「もっとマジメに書きなさい」と指導されるような代物です(笑)
逆に先生側から見ると、毎日数十人に検印とコメントを返さねばならず、生徒以上にハードな日常業務です。自分は日記を毎日書かせる場合、ノートを2冊用意させ交互に提出させることで放課後ゆっくり読む時間を取っていますが、「生活の記録」はその性質上、朝出して必ず帰りまでに返さねばならず、限られた時間の中でじっくり内容を読む間もなく思いついたコメントを書くしかありません。日記でも30人児童がいて、1人の添削に2分かかるとしても1時間はゆうにかかります。その中で考えさせる内容はコピーして通信に載せたり翌日直接子どもと話したりしますが、その日のうちに返してしまうのでは中々そのピックアップも難しいでしょう。中学の経験はありませんが、担任を持つ先生の空き時間なんて1日1時間もあればいい所だと思うので、ほとんどは小学校と同様、給食時間に食べながらブワッとやっているのではないでしょうか。そして放課後は部活、終わってから会議、その後教材研究やら何やらで、その頃にはもう生活の記録の中身など頭に残っていないかもしれません。本当、教師は日中と放課後の仕事内容が違い過ぎ、体が2つないとやっていけないとつくづく思います。まあ、それが逆に守秘義務やプライバシーを守ると言う意味で丁度良いのかも知れませんが・・・

今回は生徒が自殺したことによってこの「生活の記録」が公にされてしまいました。おそらく親がしたのだと思いますが、もしこの生徒が生きていたらその事実だけで自殺しかねないでしょう。本当、この国には被害者の人権とかプライバシーって全くないのだなあと思います。内容は、確かにここまで繰り返し書かれていると、自分だったらそれとなく呼び出して事情を聞いたりはするかなあとは思いましたが、中学生の男子の文章なんていい加減なものですし、もし普段からこの調子の文面だったとすると、どこまでが冗談でどこからが本気なのか判断がつかなかった気持ちも分かる気がします。テレビでは鬼の首を取ったかのように不審な箇所をピックアップしていましたが、そんなこと後でだったら誰でも出来ますし、生活の記録はそれこそ毎日書くものなので、その流れの中で判断できるかどうかをちゃんと見極めてみないといけません。不謹慎かもしれませんが、嘘や誇張、思い込みが含まれている可能性だってありますしね。ただ、間違いなくこの担任は自ら相当悔いていることでしょう。
この生徒は、ふざけた文面でも担任にはちゃんとSOSを送っており、最後に感謝の言葉のようなものも記されていました。これだけでも、思春期の男子なりの表現で担任に対し信頼を寄せていたことが分かります。もしかしたら報道されていないだけで、個人的に何らかの対応はされていたのかもしれません。と言うか、先生が対応を全くせずに追い詰められたのだとしたら、わざわざ死の直前に感謝の言葉は記さないはずです。ちゃんと相談や対応がなされ、合意の上での「研修楽しみましょう」のコメントだったとしたら・・・報道とは様子が違って見えてきませんかね?事が起きてから「もっと何かできたのではないか」と言うのは簡単ですが、本人の無念さは察するに余りあります。熱心な教師ほど自分を責めてしまうものではないかと思い、今はそちらの方が心配です。

その悔いは本人の自戒であるべきで、何も知らない無責任な外野が騒ぐのは所詮結果論の岡目八目以外の何物でもないでしょう。ノートの公表によってTVやネットでは担任への非難が集中しているようですが、じゃあ親は家庭で息子の異変を察知し、このノートを事前に見たり学校に相談したりようとは思わなかったのでしょうか?被害者至上主義とでも言うべきか、同情されるべき被害者に落ち度はなく何をしても誰を貶めても正義と言うメディアの風潮は、かの国のソレを思わせます。また、もしも「生活の記録」の内容を共有して、校内体制を組んだり保護者に連絡したりすると、中学生ぐらいの頭ならすぐに情報源がどこから漏れたか察知してしまうでしょう。その結果、その場のいじめは止まったとしても、生徒は次から本音を書かなくなり、今後のいじめはより潜在化してしまいます。これは小学校のいじめ指導から気をつけなければいけないことかもしれません。しかし、はっきり言って教育でいじめをなくすのには限界があります。まず、その年の担任1人の責任では何も出来ないと言い切っても良いでしょう。子どもは小1ですら幼稚園からの見えない人間関係を引きずっているものですし、中学は特に担任と言っても小学校とは違って教科担任制ですから、自分の教室には半分以上いません。さらに生徒は思春期真っ只中でドロドロネバネバの自我の塊。親の育て方も人それぞれで、躾がなっていない親ほど無責任な態度を取る始末。結局、当事者の中で未成年であるいじめ加害者や個々の家庭を直接非難できないから、敢えて原因を模索すると消去法で叩きやすい学校や教育委員会が槍玉に上がってしまう宿命なのでしょう。しかし、昨今異常なほどの集団学校いじめだけでは、問題は全く解決しませんよ。

せめて「生活の記録」や学校の体制を問題にするなら、ちゃんとじっくり読める時間と心のゆとりを担任に与える所から始めて欲しいものです。