親は無自覚「子どもハラスメント」の深刻実態 パワハラ、セクハラの構図と酷似している
うーん、記事を読んで、全く逆のことを思っていました。
確かに最近「パワハラ」「セクハラ」が新聞紙面やテレビを騒がせていますが、「マタハラ」「ドクハラ」極めつけに「子どもハラスメント」までくると、むしろこれは「ハラハラ」(あれもこれもハラスメントだとか言ってマウンティングを取ろうとするハラスメント)じゃないのかとハラハラしてしまいます(笑)大体ハラスメントって自分を中心にその行為をどう感じたかだけが問題なので、する方もされる方も相手を対等だとは思っていないわけです。本質は単に「自己中が増えた」だけのことなのではないでしょうか?
10年ほど前はモンスター・ペアレントという言葉が流行し、モンスタークレーマー、モンスターペイシェントといった具合に派生していきました。この時に思ったのが、「これは一方が相手を理解することを諦め、モンスターと線を引く行為」なのではないか、と言うことです。担任をしていると、毎日連絡帳に交換日記のような体でつらつら書いてくる保護者に出くわすことも多いですが、「モンスターだ」と切り捨ててハンコ1つで済ますか、時間を割いてちゃんと返事を書くか、どちらが正しい対応かは言うまでもありません。こちらも相手も人間なので、何か失敗しても誠意をもって対応していれば分かってくれることも多いのですが、時間的な制約もあり、コミュニケーション不足に陥ったり、面倒に思ったりしてしまうのが「モンスター化」の原因なのではないのか、と思っていました。日中は親のノートと向き合うよりは子どもと向き合いたいと言うのが教師の本音ですからね。まあ明日お返事しますとコピーとって放課後30分かけて返事を書くような親がクラスに4~5人もいたとしたら、とても1日24時間では足りませんが・・・
で、日大の監督までは行かないにしろ、教師という職業は往々にしてパワハラになりやすい面もあり、反省しないといけない面も正直多々あるのですけど、ひとくくりに「子どもハラスメント」だとするのは間違っていると思います。親にとって、教師にとって、もしも子どもが「どうでもよい存在」であったとしたら、わざわざ叱責などしないでしょう。叱るのはパワーがいりますし、血圧も上がり体にも良くありません。大切な存在であるからこそ、こうなって欲しい、こうなって欲しくないという思いを子どもにぶつけるのであって、その結果、子どもが泣いたり苦しんだりしたとしたら、それと同じ痛みを親や教師も感じて後で苦しんでいるのです。褒めたり共感したり、理想論だけで子どもがまっすぐ育てばこれほど楽なことはありません。間違った時に褒めると、間違った行為を「良い事」だと誤解したり、自分の行動を全て「良い事」に転換する言い訳術を身につけてしまいます。叱る時は「心を鬼にする」という表現もありますし、自分より優位な立場にいる人間にガツンとやってもわらないと道を踏み外してしまう状況もあるわけです。自分は間違っても子どもには間違って欲しくないと思う心は古今東西いつの時代にもあり、それが人類の道徳心や文化の進歩に繋がってきたのではないでしょうか。そういう親心を「ハラスメント」だとしか捉えられない筆者の心のさもしさが不憫でなりません。
一過性の苦しみに共感するだけなら誰でもできます。小さいうちは、親に叱られても祖父母に慰められるような「駆け込み寺」も時には必要でしょう。しかし、そうした甘い言葉で誘い出し、悪事に陥れようとする輩も少なくないのが現実です。世の中に出たら、叱責やストレス、嫌がらせに自分で対処しなければならず、いつまでも傷ついた、被害者だ、とは言っていられませんし、突然加害者と被害者の立場が逆転することも少なくないのです。先の日大の件についても、確かに監督が行ったことは広義の「子どもハラスメント」でしたが、そろそろ1ヶ月にも及ぶマスコミやSNSでの執拗な報道攻撃を見ていると明らかに「報道ハラスメント」に逆転しています。優位な立場を利用して、相手の苦しみを理解せず、相手のためだと勘違いし、みんなもやっているからと被害者を追い込み反論も許さない。・・・筆者の言う定義がそのまま当てはまるのは寒気がしますね。しかもマスコミは被害者だけでなく時に無関係な人も追い込みます。近所で殺人事件が起こると毎日子どもの登下校を撮影しますし、深夜にインターホンを鳴らされ断ると壁を蹴るとか(笑)地域の方々の負担は計り知れません。むしろ「報道ハラスメント」こそが最も悪質なハラスメントなのではないでしょうか。
大事なのは、相手を逃げ道がないほど追い込まないこと、次にどうするか正しい道を教えること、叱るのと同じくらい愛情を注ぐことですね。そして第三者から、どうして叱られたかを冷静に諭し、その人の気持ちを代弁するようなフォローがあれば、何でもハラスメントだとしか捉えられない自己中心的な人間は少なくなるのではないでしょうか。
この筆者、ペンネームのようですがひょっとして子どもを育てたことのない若い人なのでは・・・と言うのは何ハラなのかな?(笑)
うーん、記事を読んで、全く逆のことを思っていました。
確かに最近「パワハラ」「セクハラ」が新聞紙面やテレビを騒がせていますが、「マタハラ」「ドクハラ」極めつけに「子どもハラスメント」までくると、むしろこれは「ハラハラ」(あれもこれもハラスメントだとか言ってマウンティングを取ろうとするハラスメント)じゃないのかとハラハラしてしまいます(笑)大体ハラスメントって自分を中心にその行為をどう感じたかだけが問題なので、する方もされる方も相手を対等だとは思っていないわけです。本質は単に「自己中が増えた」だけのことなのではないでしょうか?
10年ほど前はモンスター・ペアレントという言葉が流行し、モンスタークレーマー、モンスターペイシェントといった具合に派生していきました。この時に思ったのが、「これは一方が相手を理解することを諦め、モンスターと線を引く行為」なのではないか、と言うことです。担任をしていると、毎日連絡帳に交換日記のような体でつらつら書いてくる保護者に出くわすことも多いですが、「モンスターだ」と切り捨ててハンコ1つで済ますか、時間を割いてちゃんと返事を書くか、どちらが正しい対応かは言うまでもありません。こちらも相手も人間なので、何か失敗しても誠意をもって対応していれば分かってくれることも多いのですが、時間的な制約もあり、コミュニケーション不足に陥ったり、面倒に思ったりしてしまうのが「モンスター化」の原因なのではないのか、と思っていました。日中は親のノートと向き合うよりは子どもと向き合いたいと言うのが教師の本音ですからね。まあ明日お返事しますとコピーとって放課後30分かけて返事を書くような親がクラスに4~5人もいたとしたら、とても1日24時間では足りませんが・・・
で、日大の監督までは行かないにしろ、教師という職業は往々にしてパワハラになりやすい面もあり、反省しないといけない面も正直多々あるのですけど、ひとくくりに「子どもハラスメント」だとするのは間違っていると思います。親にとって、教師にとって、もしも子どもが「どうでもよい存在」であったとしたら、わざわざ叱責などしないでしょう。叱るのはパワーがいりますし、血圧も上がり体にも良くありません。大切な存在であるからこそ、こうなって欲しい、こうなって欲しくないという思いを子どもにぶつけるのであって、その結果、子どもが泣いたり苦しんだりしたとしたら、それと同じ痛みを親や教師も感じて後で苦しんでいるのです。褒めたり共感したり、理想論だけで子どもがまっすぐ育てばこれほど楽なことはありません。間違った時に褒めると、間違った行為を「良い事」だと誤解したり、自分の行動を全て「良い事」に転換する言い訳術を身につけてしまいます。叱る時は「心を鬼にする」という表現もありますし、自分より優位な立場にいる人間にガツンとやってもわらないと道を踏み外してしまう状況もあるわけです。自分は間違っても子どもには間違って欲しくないと思う心は古今東西いつの時代にもあり、それが人類の道徳心や文化の進歩に繋がってきたのではないでしょうか。そういう親心を「ハラスメント」だとしか捉えられない筆者の心のさもしさが不憫でなりません。
一過性の苦しみに共感するだけなら誰でもできます。小さいうちは、親に叱られても祖父母に慰められるような「駆け込み寺」も時には必要でしょう。しかし、そうした甘い言葉で誘い出し、悪事に陥れようとする輩も少なくないのが現実です。世の中に出たら、叱責やストレス、嫌がらせに自分で対処しなければならず、いつまでも傷ついた、被害者だ、とは言っていられませんし、突然加害者と被害者の立場が逆転することも少なくないのです。先の日大の件についても、確かに監督が行ったことは広義の「子どもハラスメント」でしたが、そろそろ1ヶ月にも及ぶマスコミやSNSでの執拗な報道攻撃を見ていると明らかに「報道ハラスメント」に逆転しています。優位な立場を利用して、相手の苦しみを理解せず、相手のためだと勘違いし、みんなもやっているからと被害者を追い込み反論も許さない。・・・筆者の言う定義がそのまま当てはまるのは寒気がしますね。しかもマスコミは被害者だけでなく時に無関係な人も追い込みます。近所で殺人事件が起こると毎日子どもの登下校を撮影しますし、深夜にインターホンを鳴らされ断ると壁を蹴るとか(笑)地域の方々の負担は計り知れません。むしろ「報道ハラスメント」こそが最も悪質なハラスメントなのではないでしょうか。
大事なのは、相手を逃げ道がないほど追い込まないこと、次にどうするか正しい道を教えること、叱るのと同じくらい愛情を注ぐことですね。そして第三者から、どうして叱られたかを冷静に諭し、その人の気持ちを代弁するようなフォローがあれば、何でもハラスメントだとしか捉えられない自己中心的な人間は少なくなるのではないでしょうか。
この筆者、ペンネームのようですがひょっとして子どもを育てたことのない若い人なのでは・・・と言うのは何ハラなのかな?(笑)