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2012年04月25日 | 震災

昨年の漢字騒動で一気に安い言葉に成り下がってしまいましたね。ちなみにこれは松島で買った絆Tシャツです(笑)絆は最早商売道具?

岐阜県の教員の中?では、県外交流といって、宮城と鹿児島の教員と、毎年一定数の人事交流があるそうです。鹿児島は昔、岐阜県南西部の木曽三川分流工事の際に、私財を投じて尽力した薩摩義士という存在がありますから、岐阜にしてみれば多大なる恩のある県であり、鹿児島にとっても恐らく忘れ得ぬ特別な県なわけです。しかし、宮城はというと、実は良くわかりません。可能性として、岐阜市のシンボルに織田信長が治めた金華山という山がありますが、その山にまつわる伝説に、あるドラ息子が家を追い出され、放浪した末に宮城県の金華山にたどり着き、そこの石を無断で持って帰った所、父親に怒鳴られてその石を裏に投げたところ、翌日そこに山ができていたという伝説があり、そういう縁なのかな?と思っています。ちなみにこれは金華山が火山でなく、土地が隆起してできた山であることから、ある日突然出現したみたいな言い伝えからできた伝説ではないかと考えられます。あと、金華山の別名を一石山と言い、山の神様の怒りを感じたその息子は、その後はマジメな青年になったとさ・・・というオチですが、それはまあどうでもいいか(笑)宮城側にメリットがないのでこの説は微妙ですが、まあとにかく交流があるのは事実です。

そんなわけで、7年前に岐阜に交流でみえていた宮城の先生と、幸運にも飲む機会を得ることができました。そういう人事のお約束か、戻られてからは教頭先生になったそうですが、震災に遭い、1ヶ月ぐらい何の情報もない中、電気も水道もガソリンもない生活を強いられていたそうです。幸い先生の勤務校は内陸地で津波の被害を受けず、また家族親族も全員無事で避難生活の必要まではなかったそうですが、岐阜に来る前にみえた名取市の小学校と連絡を取り、一時的に校舎を貸して一緒に勉強をしていたそうです。震災後の1ヶ月間は、自分の生活で精一杯で、とてもじゃないけど回りに気を配れる状況じゃない中、前任校にまで救いの手を差し伸べていたとは・・・毎日報道漬けになり、呑気に安否確認サイトで何回か名前をググっていた程度だった自分はなんて幸せだったのだろうと思いました。当事者の話を聞いて感じたのは、何とか自分達で立ち直ろうという「地元」のエネルギーです。逆に、「外側」の人間である自分に何ができるのか・・・恐る恐る尋ねてみた所、「7年も経っているのに、こうして俺を忘れないでいてくれたことが一番嬉しい。」という答えでした。一緒の学校だったときの先生からも何人か電話があったらしく、嬉しそうに話してくれました。家族を失い、悲しい思いをされている方も、こうした遠方からの励ましの声や支えなどが力になっているのでしょう。また、こちらの方でも同規模の地震が想定されているわけで、そのときには是非この震災を教訓に、1人でも多く生き延びて欲しいと、逆に言われました。

逆に困ることは、1にマスコミ、2にお金だということでした。お金はまあ納得ですが、大川小などは、しばらく誰も取材に来なかったくせに、1周年を前にマスコミがどどっと押し寄せてきて、学校近辺は満員。遺族が撮影されないよう一時的に避難していたという話も聞きました。静かに弔うことすらさせてもらえないなんて・・・ヤツラは何か楽しい記念日と勘違いしている様子だったそうです。多分これから毎年そうなのでしょう。そこまでひどいとは・・・思っていたけど(笑)やはり、相手の気持ちになって考えるという常識が、今のメディアには圧倒的に欠けていますね。

今回の旅で、安っぽい言葉だけの絆でなく、本当の絆を結べたような気がしました。

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