(株)カプロラクタム-blog

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テスト問題

2005年07月16日 | 時事
神奈川の中学教諭、昨年の前任校でのテストを7割流用
正直、「えっ、ダメなの!?」という感想。7割が多すぎるという話なのですかね。

学校で教える内容は、以前にも書きましたが指導要領によって決められています。
試験では、おのずとその範囲からの出題となり、試験問題の答えとなるものはある意味有限であると言えるでしょう。問われ方が違う程度で。
と言うわけで、問題を作る場合、どうしても過去に見たような問題になることは避けられません。しかし毎年試験はあるため、毎回なるべく違うようにしながら頭を悩ませて作るわけです。数学なら、数字を変えるだけで別の問題のように見えますけど、理科や社会などはより切実だと思います。

ちなみに小学校はというと、業者の作ったテストを使うことが多いです。自分の子どもの頃もそうでしたけど、カラーで写真や絵などが結構入ったあのテストです。ですが、中学ではかなりの確率で自作テストを使っていると思います。これは極端な話、どこの業者かが分かればそのテスト問題を一部購入するだけで毎回100点が取れてしまうからです。小学校でそこまで点数にこだわる親もいないでしょうから業者のを使っているのだと思うのですが、中学はシビアですからね。そうして点を取ってたとしても無意味なのですが。
仮に小学校でテスト問題を作る場合、学年で全教科作らなければいけないので、単学級の場合は地獄だと思います。小中のこうしたテスト事情の違いは、学級担任制か教科担任制かの違いであるとも言えるでしょう。そのため、僕はまだテスト問題を作ったことがありません。ですがもし作ることになれば、やはり過去の問題を参考にして作るだろうと思います。そのうち面倒になると、いつかの問題をそのまま使うこともあるかもしれません。特に学校が変わったらなおさらでしょう。本来は手に入るはずのない代物なので。
ですが、塾に学校の問題が集まっているとなると話は別です。この結果、「塾に行っている者とそうでない者に不公平が生じた。」と言われれば、確かにその通りですからね。この情報化社会の波に押し負けて、今後は全くのオリジナル問題を毎年作りつづけなければならないのでしょうか。唯でさえ忙しい中学が抱える新たな悩みです。

で、僕個人としては、今回の話はどうも塾の方が問題なのではないかと思うのです。
試験問題とは言えども、著作権はあります。これは、市販であろうと自作であろうと同じでしょう。普通、著作物の無断複製は違法ですが、教育機関には一定の条件下でコピーすることが認められています。(著作権法第35条)この教師の場合、自分で作ったものを違う場所で使っただけなので、法的には全く問題なし。
その点、塾はどうなのでしょう。自分では良く分かりませんが、“営利を目的としない教育機関”でないことは明らかですので、この特例は当てはまりません。ですから、受け持ちの生徒から学校の問題を譲ってもらい、複製して別の学校の生徒に転用する行為は、著作権侵害に当たるのではないか?と思います。塾が学校側に受諾をもらっているとは考え難いですし。

そこで、僕の結論は「塾が学校の試験問題を無断複製している事実が一部の生徒に不公平を与えた。」として学校側が提訴すべきだと思うのですが、意味不明のため、ここで吠えるに止めたいと思います。・・・まあ実際の所は、学校の条件外適用も少なくないのでね。


プレ夏休み

2005年07月15日 | Weblog
明日から3連休です。比較的最近できたばかりの「海の日」まで、祝日法により操作されてしまいました。

祝日については以前も触れましたが、「記念日」は言うまでもなくその日に意味があります。ちなみに「海の日」は、明治天皇が明治9年に東北ご巡幸の帰途、灯台視察船明治丸で、青森から函館を経て横浜にご安着された日に由来しているそうです。
・・・何がめでたいのか良く分かりませんが、とりあえず7月20日無事帰ってきて良かったねと言う日なのでしょう。今年の18日には、まだ船の中にみえる計算です。一体、何を祝えと言うのでしょうか。

ところで、多くの学校は今まで1学期の終業式を7月20日に行ってきたと思います。平成7年にこの海の日ができたため、21日にしたり19日にしたりして学校によってばらつきがあったわけですけど、第3月曜日になった今は7分の5年の確率で3連休の後夏休みといったパターンになりました。
ちなみに、近い将来で海の日→夏休みへと連続投入する可能性があるのは2008年と9年のようです。
今年のような3連休は、夏休みの予行練習と言っていいでしょう。夏休みの宿題を始めるもよし。思いっきり遊ぶもよし。しかし重要なのは、この3日間の過ごし方がこれから始まる夏休みに多大な影響を与えるということです。それは、3連休後の火曜日の様子を見れば良く分かります。
夏休みが終わると、子ども達の学力に非常に大きな差がついていることも珍しくありません。やはり始めが肝心ですので、この夏休み前の3連休は是非とも有意義に使って欲しいものです。

ところで、自分の予定。
土曜→家でゴロゴロ(予定なし)
日曜→家でゴロゴロ(予定なし)
月曜→家でゴロゴロ(予定なし)

・・・これでは昨年の二のm(げふごふ

進路

2005年07月14日 | 自伝
前回のに関わって、自分が何故教師になろうと思ったか書きたいと思います。

と言っても、小さい頃に将来なりたいと思う職業はありませんでした。
これは若くしてプー太郎を夢見ていたわけではなく、自分の人生を1つに絞ることが嫌だったのです。何にでもなりたい。パイロットもいいし、ピアニストもいいし、医者もいいなぁと思っていました。
でも、そう何回も職を変わることはできません。中にはそういう人もいるかもしれませんが、やはり(自分の中で)普通の大人は1つの職でずっと行くものです。何か1つにしたいとは思っていても、その1つが決められない。・・・おそらく、子どもの頃こんな風に考えていた方も多いのではないでしょうか。

明確に教師になりたいと思ったのは、中学の時でした。学校の先生は、教え子によって自分がなれなかった別の夢をみることができる。そのことに気づいたからです。パイロットになりたい子にはパイロットになりたかった自分の夢を重ねて話し、ピアノの先生になりたい子にはピアノを習っていた頃の自分の経験を話し、医者になりたい子にはブラックジャックによろしく伝えてくれと話す。こんなことができるのは教師以外にはありません。しかも、それは試験によって振り分けられた高校・大学の先生ではなく、ピンからキリまで集まった小・中の先生でしか果たせないものです。塾講が範疇外なのは言うまでもありません。塾行ったことないし。

当時は中学校の方の教師になりたいという思いがありました。好きな数学だけを教えればいいし、将来についてより具体的な話ができると思ったからです。しかし、やはり人間の大元は小学校時代に作られることが多く、また努力次第でどんな選択も可能になるという点から、小学校にも行きたいと思っていました。
カリキュラム上、高校の免許も持っていますが、うちの県は小中←→高の異動がめったにないため、小か中で受かれば、間違いなくどちらも異動しながら様々な子ども達に会うことができるわけです。自分の知識を全て子供にたくし、自分のやりたかった事をすべてやってもらおう。自分の追えなかった夢の続きを見られるのををのんびりと待とう。・・・中学にして随分と黄昏た考えをもったものですが、こうして地元の教育学部がある大学に狙いを定め、そこに十分合格できるレベルの高校を受験することにしました。
鶏口となるも牛後となるなかれ。段々、口から胃を通って小腸、大腸へ流れゆくのは自然の成せる業でしょうか!?まあ、何だかんだで尻から吐き出されることなく大学にも受かり、採用試験では小学校を受けて見事に合格したというわけです。

しかし、まさか養護学校に来るとはこの時点では微塵も思っていませんでした。今の暮らしもそれはそれで楽しいのですが、ここの子たちは一体何になれるのだろう・・・?

交流

2005年07月13日 | Weblog
今日は、以前の登山の時とはまた違う中学との交流がありました。

この前の学校は非常に人数の多い学校で、うちの生徒1人に対して5~6人と交流しましたが、今回の学校は単学級20数名という少ない人数との交流でしたので、各学級に対して数名といった感じで交流しました。
考えてみると、我々大人でさえ、全く知らないグループに1人だけでポッと入れと言われれば、非常に緊張するものです。前回はそんなでかなりうちの子達に緊張が見られましたが、その点、今回は1対1より少ない人数での交流でしたので、比較的抵抗が少なく過ごせたかなと思いました。

それだけではなく、今回は前の学校よりとても良い印象を受けました。自分達で遊び道具を作ってきてくれ、うまくうちの子達ができると「おー!」とみんなで喜んでくれたりもしました。他にも積極的に関わろうとしてくれる姿もたくさん見られ、とても楽しい交流になりました。最初に聞かせてくれた「この星に生まれて」の合唱も、本当にみんな真剣な表情で歌っていました。
先生方の指導なのかな?田舎独特の雰囲気?どちらも同じ中学2年生だというのに、育つ環境によってこんなにも違うのだなという事を感じました。

思うに、障害者に接する時には、その人の感性が色濃く出るものです。
関わり方が分からないというのは、確かにそうでしょう。
しかし、何とかして仲良くなろうと思っているかどうかは、接し方を見ていると本当によく分かります。
嫌だなぁとか、少しでも負の感情を持っていると、どうしても表情や仕草に出てしまいますからね。ここの子達は、そういうのにとても敏感です。
障害者に限らず、損得勘定抜きで困っている人に手を差し伸べられる人間になりたいものです。

それにしても、早く中学行きたいなぁ。あと2年半の辛抱か・・・本当に出してもらえるのか!?

2005年07月11日 | Weblog
7月に入ってから、やたらと雨が続きますね。
これで少しは水不足が解消されたのかな?

うちの学校には児童生徒用の傘立てがありません。
登下校はスクールバスですので、校内へ入るのに傘の必要がないためです。
もちろん、家に帰るときは傘が必要ですが、バス停でちゃんと親さんが傘を持ってみえますから、やはり子どもが傘を持ち歩くことはないのだそうです。
このため、授業で畑へ行く計画をしていても、雨が降ってしまうと一切外出ができなくなってしまいます。「雨が降ったら傘を使う」というのも、一つの勉強だと思うのですがね・・・

さて、傘がないことで困ったことがあります。
普通の学校では、子どもが自分の傘が分からずに、結構“落し物”の傘があるのです。
自分で持ってきているのですから、自分のものぐらい分かりそうなものなのですが、自分の経験上、この現象は低・中・高学年でも分け隔てなくよく見られました。
そんな訳で、学校には持ち主不明の傘がかなりあるということです。
それを保管しておいて、突然の雨で困っている児童に貸したりするわけですが、この学校にはそれがない。
すると、そんな傘をアテにしている僕が非常に困るわけで・・・(爆)

自分の傘ぐらい分かるはずなのに、何故なくなるのだろう?
一体どこにあるのか、僕の傘・・・

成績煉獄脱出

2005年07月10日 | Weblog
やはり、人数が少ないのは何よりです。1人の清書に40分かかろうとも、「あと○人」と思う時に心にかかる負担がまるで違いますから。
初任の時は、20人見ても「あと半分以上」だったからなぁ・・・書いた文章量は今年の方が多いですけど。

さて、そんなこんなでいとも容易く脱出できた成績煉獄ですが、養護学校の指導要領はあっても個人の発達段階や到達目標ががまるで違うため、全ての教科・領域にわたって所見を書かなければならないことが違いました。確かに、算数で言えば「関心・意欲・態度」「数学的な考え方」「表現・処理」「知識・理解」のような4観点を起こし3段階で評価したとしても、この学校で全く意味をなさないことは間違いないのです。

自分は去年の子達に対して、算数だけ1年間全てのテストで1人1人が間違えた問題を全て記録し、毎学期通知表の評価とは別に一人一人「達成表」を作って渡しました。「あなたはここの理解が弱いため、このような問題で間違えやすいです」というようなことや、休み中に教科書のどの辺を見ておくと良いかアドバイスなどを書きました。これは、いかに「評価規準」が公開されるといえども、自分は何を分かっていないからこの成績なのか本当の所分からないだろうと思ったからです。思いついたは良いもののやりだすとかなり大変でしたが、結構楽しかったです。自分の好きな算数だったからでしょうけどね。他の教科で毎学期全てこれをやってあげたら、絶対学力がついていくだろうなぁと思っていました。しかし、その全てを紹介するのに、所見の欄は短かすぎるのです。時間も。
この学校の通知表が、まさにその不可能を可能にした評価の仕方です。通常学級では到底できない、少人数だからこそできることなのでしょうけどね。将来、人数の少ない学校に配属されたら考えてみたいと思います。

ところで、養護学校はこんな感じですが、小学校でも学年によって結構通知表の手間が違います。
1年生は、1学期のみ別項目でそれぞれ「できた・もう少し」の2段階評価をします。2学期以降は普通になり、2年生まで同じ観点で評価していきます。
3年生からは、生活科がなくなり理科・社会科の項目が増えます。さらに「総合的な学習の時間」の評価も始まるのがこの学年からですね。前任校は所見のように文章で評価する所だったので、大変苦労しました。
5年生からは家庭科も増えます。これで、評価しなくてはいけない観点は40を越えます。
・・・そう、学年が上がる度に通知表の手間は増えていくのですね。
だからといって低学年がいいかというと・・・自己評価させにくい分、判断に迷うこともしばしば。
ちなみに、中学は教科担任制のため、数学なら4観点だけ評価すれば良い事になります。その代わり、人数が半端でないですけどね。「あと100人」なんて考えたくもない・・・。

う~ん、やっぱり養護学校が一番成績つけやすいなぁ。号が上がりボーナス(期末・勤勉手当て)もさくっと増えた手前、何だか申し訳ないですね。

第4次接近遭遇

2005年07月09日 | Weblog
今日は、前任校へ行く計画をしています。またかよ!というツッコミはなしの方向で。

1回目は4月の土曜参観をジャックしに行きました。2回目の廃品回収ジャックは断念しましたが、3回目の野外合宿ジャックは大成功。本当に月一ですね。
さて、今回の目的は、ズバリ「HPジャック」です。

以前にも書きましたけど、前任校にはHPを更新できる人がいません。こればかりは能力云々ではなく、校長が熱心かどうかの問題に尽きます。このご時世ですので、市のサーバー等に学校用のスペースは間違いなく取れると思うのですが、やはり上からの伝令がないと重い腰は上がらないものです。作ってしまった以上は更新も必要になりますしね。少なくとも、年1回はやらないと地域から要望メールが届くこともしばしば。本当、そんなに難しい作業ではないのだから、職員研修などをしてやり方を教え、分担すれば大した手間にはならないはずなのに。1人でやっているからこうしていなくなってから困ることになるのですよ・・・まあ、自分が好きでやっていることですから文句はありませんが。

というわけでアポを取り、今日なら誰ぞが仕事をしているから来ても良いということで、侵入を計画しました。今年度の子ども達の様子なんて全く分からないのに、無謀にも1学期の学年のページを作ってきます。
まあ何故に人がいるかというと、もちろん成績シーズンだからで、自分も例外ではないのですが。・・・持っていって一緒にやろうかな?

追記:
無事任務を終えてきました。5時間もかかった・・・
学年のページは広報用に行事等をまとめたデータを参考に作ろうと考えていたのですが、思うように揃わず苦労しました。4年生なんて1から作るはめに。さらにパソコンの状態も悪く、すぐにフリーズするので3台をフル稼働させて作りました。
まあ、これで2学期末までは大丈夫なはずです。
2学期末・・・行くのか!?

仮題

2005年07月08日 | 重禾
ふと気づくと12時近く。これはやばい!しかし今から速攻でネタを書き込んだとしても数分でまとまるとは考えられない!どうする・・・そうだ!とりあえず更新し、後から修正すればいいのだ!よーし、それ!
ぽちっとな・・・

2005-07-09 00:00:08

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アクセス

2005年07月07日 | 自伝
本家HPが8500ヒットしました。

HPを初めて作ったのは、2000年の10月6日の事です。当時は大学生で、インターネットも爆発的に広まった時期でした。
見ているうちに自分も作ってみたくなり、友達にタグの存在とHPの作り方を教わって、試しに数ページリンクさせたのを大学のサーバーにアップロードさせたのが始まりでした。その名残が赤やら青やらのページです。その後、高校時代に授業の暇つぶしとして友達と書いていた「宇宙完全大百科」をアップロードさせる事を思いつきました。空想の言葉にコメントをつける、当時「すごいよ!マサルさん」で流行ったネタです。また、“うんちく”のような項目の起こし方にバスタが背景にあることは言うまでもありません。
授業中なので、もちろんプリントの切れ端に青ペンで書いていたのですが、高3の夏に何故かデジタルデータとして保存しておこうと決意し、10万文字にも及ぶ全ての文章をテキストとして保存していました。それにタグをくっつけて、見事に大百科ネット化を達成させたのです。余談が長くなりましたね。

そんなこんなで、知ったタグやJavaScriptを片っ端から使い、知らずに踏み込んだ者は大百科に辿り着けず涙をのむ者がいたかどうかは定かではありませんが、そんな妖しいサイトを誕生させました。最初はどこにも紹介せずに細々とやっており、1000ヒット記念として某公式HPにリンクを貼った所、急激に伸びていきました。・・・と言っても2ヶ月で500程度ですけどね。その効果も徐々に切れてきましたが、8000ヒットを記念しココを始め、今回は7ヶ月ぶりにトップだけ更新してきました。向こうはこのまま細々と1万ヒットを目指したいと思っています。
・・・こちらが毎日更新できているから許して下され。

ところで、このブログにもしカウンタがあれば、おそらくすでに本家を越しているような気がするのですが、調べる術がありません。管理画面では1週間の詳細と、3週間分の統計しか見ることが出来ず、累計でどれぐらい行っているのか非常に気になる所です。本家のカウンタをココにも貼れれば良いのですが・・・。この辺、ヨソのブログではどうなのですかね。

黒電話

2005年07月06日 | 重禾
サザエさんで有名なやつですね。
実際の所、受話器は飛びませんが・・・

携帯が流行り始めた頃、着メロを自分で作れるようになり、爆発的な着メロブームが訪れました。今では着うたまで進化を遂げたわけですが、現在、果たして携帯ユーザーのどれほどがあの機能を使いこなしているのでしょうか。進化はしていても、やはり一時のようなブームはすでに去ってしまっているように感じます。
僕も、最初は目新しさから色々と曲を作って着メロにしていました。ですが就職してからは面倒になり、ここ3~4年は専ら「黒電話」設定です。

それにしても、意外なのは周りに黒電話設定の多いこと。人間、戻るべきはやはり昔聞き慣れた音だということでしょうか。同じ着信音が嫌で始まった文化ですが、行き着く先も結局同じとは皮肉なものです。
そう。今日も隣の家で黒電話がじゃんじゃん鳴っています。

・・・いや、あれはまさしく、リアル黒電話。

ふんわりラテ

2005年07月05日 | 重禾
最近、CMでよく見かけますね。僕も先日購入してみました。
正式名称は「明治ミルクと珈琲 ふんわりラテ」です。

味は、かなりクリーミーな感じで非常に満足しました。以前もコーヒーゼリーの時に話しましたが、僕はコーヒーにかなりフレッシュを入れるタイプです。ファミレスでは必ず2つ入れますし、もし容器で出て来ようものなら、むしろフレッシュにコーヒーが浮いているような状態で飲んでしまいます。(使いすぎ)
ちなみに、コーヒー牛乳にも牛乳を入れて飲んだりもしますね。今回はその味に似ていたかな?
表記は「乳飲料」で、コーヒーというよりどちらかといえば牛乳寄りに位置する製品ですし。

外見は、ペットボトル型の容器にストローつきでした。
ストローつきといえば、森永の「カフェラッテ」が思い浮かびますが、あれは上容器にストローを突き刺して飲むようになっています。
しかし今回の場合、ストローを入れるためにはキャップを外すしかなく、外したキャップをずっと手に持ったまま飲まないといけないのです。さらに途中で飲むのを止めたい場合は、ストローが邪魔でキャップが閉まりません。仮にストローを抜いてキャップをすると、ストローをずっと手に持っていなければならなくなるのです。これは余りにもカッコワルイ。
キャップをオロナミンCのように、開けた後もくっついているようなデザインにすれば良いのですが、ペットボトル型でそのような仕掛けを見た事がありません。
これはまさしく重大な構造上の欠陥です!さっそく消費者センターに苦情を送らないと!

・・・          ↓



フタしたままストローさせたのか・・・orz

採血検査

2005年07月04日 | 自伝
この学校で毎年ある検査のようです。
B型肝炎の検査だとか。前の学校にはなかったのに・・・それにしても、強制イベントで血を抜かれるのは非常に嫌なものですね。

実は、自分自身かなり長い期間、自分の血液型を知りませんでした。普通、小さい頃に何かの病気をやったついでに調べてもらうものなのでしょうけど、どういう訳か自分は調べてもらっていなかったようなのです。物心がついた時にはすでに血を抜かれる事に恐怖を覚えてしまい、何と22歳まで血液型不明で通していました。教員採用試験に合格し、健康診断を受ける際のついでに初めて調べてもらうことにしました。「どうせ諸々の検査で血を抜かれるのだから」と軽い気持ちで頼んだのですが、結局余分に1本取らないと調べられないといわれ、親指大の小瓶4本分の血を抜かれました。それだけで頭の中が真っ白になり、次の検査の手前で10分ぐらいうずくまっていました。おそらく40cc程度だと思うのですが、自分は一生献血とかできないなぁと思いました。
後で一緒に受けた友人に聞いてみると、1本しか取られなかったとか・・・一体、自分の血は何に使われたのだろう?

そんな訳で、採血には嫌な思い出が1回あるだけのまま今回を迎えました。
最初に血圧を測りました。こんな状態ですので、低いはずがありません。まあこの結果は全く気にしないまま診察室へ。血管をまさぐられるだけで妙な悪寒が走りました。注射を前にした子どもの心境です。昨年度に同じ検査を受けられた方の噂によると、やたら痛かったとか。少しでも精進してくれていることを祈りつつ、いよいよその時がやってきました。
・・・なるべく見ないようにしていたら、割とすぐ終わりました。その後、血圧について何やらかんやら言われましたが、全くの無視。採血の結果から、後日予防接種が行われるそうです。注射は別にいいのですが、毎年この検査があるのだけは勘弁ですね。何とか逃れる術はないものか・・・

成績「煉獄」へ

2005年07月03日 | Weblog
やってきましたこの季節。でもなぜ「地獄」でないのか?

ちなみに「煉獄」とは、小罪を清める場所。つまり、昨年度よりも早く解放されるということです。
では昨年度までとは何が違うのか。それはずばり「人数」でしょう。何せ去年の10分の1ですからね。
もちろん、少人数ならではの大変さもあります。
普通の学校であれば教科は全て◎○△の3段階や数字の5段階ですが、ココでは全ての教科を100文字程度の言葉で書かなければなりません。これだけでいわゆる「所見」の10倍以上はあります。
さらに、普通の学校の「所見」に関する欄もあり、そこにもかなり詳しく書かなければなりません。
文字を書く量は純粋に15倍ぐらいにはなっています。では、何故それでも楽なのか?

それは、普通の学校で◎○△をつける時でも、やはり機械的ではなく「この子はこういう姿があったから◎だな」といように一人一人の様子を考えながらつけているわけですから、結局の所、こうした文章に相当することは一人一人考えた上で、最終的に記号をふっているというだけだからです。こう考えると、1人分の成績を上げる時間的な手間は前の学校とはそれほど違わない(多くて2倍)程度で済みます。で、人数が10分の1ですから、やはり楽なのです。
また、「個人指導計画」といって普通の学校の要録(参照)のようなものも毎学期作りますが、例に漏れず通知表と大差ない文章を書けば済みますからね。転記は膨大ですが。

そんな訳で、これから残りの子の分を作ってきます。下書き最終提出日は明日。
・・・結局ギリギリ生活なのね。

円周率

2005年07月02日 | 時事
円周率暗唱8万3000桁突破 千葉の原口さん自己世界記録更新
すばらしい。一見無駄にみえても人を魅了して止まないのが、この「円周率」です。

自分が小学校5年生の頃、算数の教科書に円周率が紹介されていました。「終わりなく続く数」という所に興味をもち、友達と競争して覚えました。76桁までだったかな?続きが知りたくて、その後そっち系の本を調べながら100桁まで覚えた記憶があります。
思い返してみれば、この頃からすでに数学の道に進む気満々だったようですね。
そして中学2年の頃、1年下の学年の教科書に250桁まで載っている事を後輩に教えてもらい、再び暗記に繰り出しました。250桁まででは他にも覚えている人がいるといけないので、255桁まで覚えました。これは現在でも言うことができます。
3.14159265358979323846264338327950288419716939937510
  58209749445923078164062862089986280348253421170679
  82148086513282306647093844609550582231725359408128
  48111745028410270193852110555964462294895493038196
  44288109756659334461284756482337867831652712119091
  45648

・・・まあ、ココに打つだけでは証拠にはなりませんけどね。ちなみに、語呂合わせではなく素で覚えました。
その後、300桁まで覚えようとしたのですが、自分の中のブームが去りつつあったのとギネスが4万桁だという事を知りちょっとあきらめたこともあって成就されませんでした。

で、そのギネスが動いたのが今から10年前。「ギミア・ぶれいく」という番組で、4万桁の記録に挑戦する大学生の特番をやっていました。その中で42195桁の記録が生まれ、それ以来9年間この記録がギネスになりました。そして、今回の原口さんが昨年に5万4000桁を達成しギネスを塗り替え、さらに今日83431桁まで暗唱し、自己記録を更新したというわけです。
今までに10年以上円周率のギネス記録を保持した人物はいません。次に区切りの良い数字といえば10万桁ですかね。2015年までに実現する可能性はかなり高いでしょう。果たして誰が達成するのやら・・・

ところでこの原口さん。何と円周率を覚え始めたのは55歳の時からだとか。まだ誰にでもチャンスはあるということですな。