昨日、数時間だけ海に行った。時間も時間だったから、混む事も無く、祭りの後の海は
若そうな男女が数組楽しそうに寄り添っていた。
比較的海は穏やかで、でも足元には相当な数のイカの骨っぽいものがあった・・・
それは夢を追いかけていた者の残骸にも見えるモノだった・・・・
それを1.2個海に向かって投げてみたが、すぐに押し戻される距離しか届かない・・・
風が吹いて砂浜が、今通って来た足跡すら薄っすらと消え去ろうとして行く・・・
何も無かったかのように・・・さっきまで海水浴客で賑わっていた事も何もかも・・・
しかしながらそこはいつしか大人の男女の場所になっていて、また違う意味で賑わっている。 そして遠くを見ると防波堤に釣り人もいる。犬の散歩をする人もいる。
海の家の片付けをする人も・・・周りを良く見ると、人がいたんだな・・・
気が付かなかっただけなのかも知れない。良く見ていなかったのかも知れない。
もしかすると、見て見ぬ振りをしていたのかも知れない・・・・・
ふっと振り返ると遠くに、親しき人が海を見ていた・・・・夕陽の影でシルエットだったけど・・・
1人なんだか、1人じゃないんだか、判らないくらい距離があって孤独なんだか孤独じゃないんだか?不思議な時間だった・・・・
温度差、孤独感、・・色々と言い方はあるが、ただの甘えで、自分が平常心で無いのか?
そうでは無くて、伝えきれないのか? 伝わらないのか?
例えそこに答えがあったとしても、そしてそれを知り得たとしても、そこには何も無い気もするし、ただ憂鬱だけが残る気もした・・・・
いつの頃からか、幸せな場所が苦手になった・・・幸せとは不幸の前フリにも思えてしまって・・・安心すると、そこには安心なんて無く、1日が終わるとほっとした。
何かしないと落ち着かなくて、何かしていないと不安だけが残り、その何かに自然と出会った。それがモザイク・・・これをしていると、自然と人が集まって来て、それなのに
上手く出来なかったり、例え、上手く行ったとしてもまた上手く行くかどうか不安で
常にこれでいいのか? 本当にいいのか?と自問自答していると時は過ぎ、時間が過ぎ去った分だけ、身を削られる。そんな仕事になった・・・・いや正確に言えば、
仕事にしようとしている・・・
子供も奥さんもいないのに、人に教える・・・なんて事までしようとしている。
だからこそ、間違えの無いように・・・とまた考えてしまう・・・結論から言えば、
平常心に近いと思われる事からも、間違っていないと思われる・・・・
しかしながら、ここが問題なのだ・・・間違っていない・・・と言う事は、後向きにも
思われがち・・・人との付き合いにしてもそう。
好かれたい・・・これは前向きに見られやすい。しかしながら、今の考え方はよもすれば
嫌われたくない・・・に取られてしまいがち・・・・・
そしてその誤解を親しくなった人達に本気で接して、願うと今度は卑下させてしまったり
俺が不安にさせているかのごとく・・・・取られてしまったり・・・・
本当なのか? 俺の問題なのか? そこである人と話をした。
すると、普通だと思う。いつも通り・・・と。
色々と聞き方も試したが、安定感はあるみたいだし、その人の言葉は信憑性がある。
ならば、関わった人達の苦悩で、俺はそれを見て憂鬱になっていると言う事になる。
しかも苦悩させているのは俺自身で、その姿を見ている俺が憂鬱とね・・・・
そして人にも己にも厳しい、厳しすぎると・・・・
嵐の前の静けさとはそんなモノものなのかも知れない・・・
この先、俺の考えている以上の事が起こるのか?迎え撃てる準備が整うか?
焦っているのか? 落ち着いているからこそ、こうしているのか?
いずれにせよ、作品は進んでいる・・・きちんとこの間もやっていた・・・
抜かりは無い。余裕の無さげだが・・・割としっかりしているし、・・・
物作りとは全く正直なものだ。進み具合が悪く無い。腕を上げたものだ。
悩み事があったにせよ、きちんと続けて来た事で腕が助けてくれる。
結果がこうして出て来ると、内容は聞いてみなくちゃ判らないけれど、少しばかりの
自信にもなる。そうなって来ると本当に俺はこれしかないんだろうな・・・とも
自覚する。
人の魅力の1つかも知れないが、今の俺には腕だけの魅力にしか思えない。
人の魅力・・・そんなものも欲しいモノだ・・・少しでも良いからね。
それはきっと一生掛かってしまいそうな果てしない道のり・・・・
人として好かれる。 俺には永遠に無理なのかも知れない・・・・なら責めて願わくば
腕の部分のモザイクだけはいつものように好かれるモザイクになっていると良いんだが
本当の喜びとは、苦悩や憂鬱の上に成り立っていて、それを乗り越えた時にきっと
向こうの方から達成感や充実感なんかと一緒に少しだけ、ほんの少しだけやって来る。
そんな風に思う・・・・
帰って来る頃にはあっちこっちで花火が上がっていて、すっかり夜になってた。
上がっては消え、また消えては上がる。
はかなく映ったのは俺一人だったかも・・・・綺麗ではあったけれど・・・
花、海、花火、女の人・・・・今日見たすべての美がはかなく見えた・・・・
もてはやされ、誉められ、歓声が上がり、そして消えて行く・・・・
美とは時に切なくはかないものだ・・・次々と新しいモノに心を奪われて、何も無かった
ように消えて行く・・・・
安定した永遠の美。この世には無いのだろうか・・・・俺の俺達のモザイクは、
そんなはかないモノになりたくない・・・・
永遠の美なんて夢物語なのだろうか? 先人の芸術家はそんな事を考えたと思うのだが。
流行すたりのものにはなりたくない・・・
しかしながら、こうほざいている事自体、しょぼい事も判っている・・・・
口にすれば有言実行。 己を奮い立たせ後戻り出来ない状況に追い込んで行くやり方。
何と浅はか。 一生懸命さ丸出し。
しかし黙っていると、何一つ判ってはもらえない。・・・不言実行・・・・
普通なら、どちらか?一方を選択するんだろうが、なら間を取る。
すべて語ってひょうひょうと切り抜けて行く・・・・それを選択。
オフサイドトラップのように足を削らせずマイボ-ルにする。
しかしながらこれは、リスクもたっぷりある。
でもそれでもまだ足りず、オフサイドトラップ掛けるよぉ よろしくぅ。
って言ってからやってみたい。
だからこうして手の内を明かしている・・・・そのくせお会いした時には、ひょうひょうとしていて、 えっ?意外と明るいのね・・・・心配していたけど・・・
って思われるくらいひょうひょうとしていたい。どう取られようが、所詮他人さんが
決めるのなら、ひょうひょうと・・・・それが俺らしいとね。
親が死んでも、世界一になっても、ひょうひょうと・・・・それが俺。
安定感が売り。何も変わらずに何もかも・・・・
携わった人がマイナスな気持ちなら、0にするのはいとも簡単。
でも0の人に楽しく・・・・って言われても俺にはどうする事も出来ない・・・・
たった1を楽しくさせる事・・・・・そんな簡単そうな事が俺には無理。
それが今の俺。
いつか、どうか、 夢を売る人になりたい。
若そうな男女が数組楽しそうに寄り添っていた。
比較的海は穏やかで、でも足元には相当な数のイカの骨っぽいものがあった・・・
それは夢を追いかけていた者の残骸にも見えるモノだった・・・・
それを1.2個海に向かって投げてみたが、すぐに押し戻される距離しか届かない・・・
風が吹いて砂浜が、今通って来た足跡すら薄っすらと消え去ろうとして行く・・・
何も無かったかのように・・・さっきまで海水浴客で賑わっていた事も何もかも・・・
しかしながらそこはいつしか大人の男女の場所になっていて、また違う意味で賑わっている。 そして遠くを見ると防波堤に釣り人もいる。犬の散歩をする人もいる。
海の家の片付けをする人も・・・周りを良く見ると、人がいたんだな・・・
気が付かなかっただけなのかも知れない。良く見ていなかったのかも知れない。
もしかすると、見て見ぬ振りをしていたのかも知れない・・・・・
ふっと振り返ると遠くに、親しき人が海を見ていた・・・・夕陽の影でシルエットだったけど・・・
1人なんだか、1人じゃないんだか、判らないくらい距離があって孤独なんだか孤独じゃないんだか?不思議な時間だった・・・・
温度差、孤独感、・・色々と言い方はあるが、ただの甘えで、自分が平常心で無いのか?
そうでは無くて、伝えきれないのか? 伝わらないのか?
例えそこに答えがあったとしても、そしてそれを知り得たとしても、そこには何も無い気もするし、ただ憂鬱だけが残る気もした・・・・
いつの頃からか、幸せな場所が苦手になった・・・幸せとは不幸の前フリにも思えてしまって・・・安心すると、そこには安心なんて無く、1日が終わるとほっとした。
何かしないと落ち着かなくて、何かしていないと不安だけが残り、その何かに自然と出会った。それがモザイク・・・これをしていると、自然と人が集まって来て、それなのに
上手く出来なかったり、例え、上手く行ったとしてもまた上手く行くかどうか不安で
常にこれでいいのか? 本当にいいのか?と自問自答していると時は過ぎ、時間が過ぎ去った分だけ、身を削られる。そんな仕事になった・・・・いや正確に言えば、
仕事にしようとしている・・・
子供も奥さんもいないのに、人に教える・・・なんて事までしようとしている。
だからこそ、間違えの無いように・・・とまた考えてしまう・・・結論から言えば、
平常心に近いと思われる事からも、間違っていないと思われる・・・・
しかしながら、ここが問題なのだ・・・間違っていない・・・と言う事は、後向きにも
思われがち・・・人との付き合いにしてもそう。
好かれたい・・・これは前向きに見られやすい。しかしながら、今の考え方はよもすれば
嫌われたくない・・・に取られてしまいがち・・・・・
そしてその誤解を親しくなった人達に本気で接して、願うと今度は卑下させてしまったり
俺が不安にさせているかのごとく・・・・取られてしまったり・・・・
本当なのか? 俺の問題なのか? そこである人と話をした。
すると、普通だと思う。いつも通り・・・と。
色々と聞き方も試したが、安定感はあるみたいだし、その人の言葉は信憑性がある。
ならば、関わった人達の苦悩で、俺はそれを見て憂鬱になっていると言う事になる。
しかも苦悩させているのは俺自身で、その姿を見ている俺が憂鬱とね・・・・
そして人にも己にも厳しい、厳しすぎると・・・・
嵐の前の静けさとはそんなモノものなのかも知れない・・・
この先、俺の考えている以上の事が起こるのか?迎え撃てる準備が整うか?
焦っているのか? 落ち着いているからこそ、こうしているのか?
いずれにせよ、作品は進んでいる・・・きちんとこの間もやっていた・・・
抜かりは無い。余裕の無さげだが・・・割としっかりしているし、・・・
物作りとは全く正直なものだ。進み具合が悪く無い。腕を上げたものだ。
悩み事があったにせよ、きちんと続けて来た事で腕が助けてくれる。
結果がこうして出て来ると、内容は聞いてみなくちゃ判らないけれど、少しばかりの
自信にもなる。そうなって来ると本当に俺はこれしかないんだろうな・・・とも
自覚する。
人の魅力の1つかも知れないが、今の俺には腕だけの魅力にしか思えない。
人の魅力・・・そんなものも欲しいモノだ・・・少しでも良いからね。
それはきっと一生掛かってしまいそうな果てしない道のり・・・・
人として好かれる。 俺には永遠に無理なのかも知れない・・・・なら責めて願わくば
腕の部分のモザイクだけはいつものように好かれるモザイクになっていると良いんだが
本当の喜びとは、苦悩や憂鬱の上に成り立っていて、それを乗り越えた時にきっと
向こうの方から達成感や充実感なんかと一緒に少しだけ、ほんの少しだけやって来る。
そんな風に思う・・・・
帰って来る頃にはあっちこっちで花火が上がっていて、すっかり夜になってた。
上がっては消え、また消えては上がる。
はかなく映ったのは俺一人だったかも・・・・綺麗ではあったけれど・・・
花、海、花火、女の人・・・・今日見たすべての美がはかなく見えた・・・・
もてはやされ、誉められ、歓声が上がり、そして消えて行く・・・・
美とは時に切なくはかないものだ・・・次々と新しいモノに心を奪われて、何も無かった
ように消えて行く・・・・
安定した永遠の美。この世には無いのだろうか・・・・俺の俺達のモザイクは、
そんなはかないモノになりたくない・・・・
永遠の美なんて夢物語なのだろうか? 先人の芸術家はそんな事を考えたと思うのだが。
流行すたりのものにはなりたくない・・・
しかしながら、こうほざいている事自体、しょぼい事も判っている・・・・
口にすれば有言実行。 己を奮い立たせ後戻り出来ない状況に追い込んで行くやり方。
何と浅はか。 一生懸命さ丸出し。
しかし黙っていると、何一つ判ってはもらえない。・・・不言実行・・・・
普通なら、どちらか?一方を選択するんだろうが、なら間を取る。
すべて語ってひょうひょうと切り抜けて行く・・・・それを選択。
オフサイドトラップのように足を削らせずマイボ-ルにする。
しかしながらこれは、リスクもたっぷりある。
でもそれでもまだ足りず、オフサイドトラップ掛けるよぉ よろしくぅ。
って言ってからやってみたい。
だからこうして手の内を明かしている・・・・そのくせお会いした時には、ひょうひょうとしていて、 えっ?意外と明るいのね・・・・心配していたけど・・・
って思われるくらいひょうひょうとしていたい。どう取られようが、所詮他人さんが
決めるのなら、ひょうひょうと・・・・それが俺らしいとね。
親が死んでも、世界一になっても、ひょうひょうと・・・・それが俺。
安定感が売り。何も変わらずに何もかも・・・・
携わった人がマイナスな気持ちなら、0にするのはいとも簡単。
でも0の人に楽しく・・・・って言われても俺にはどうする事も出来ない・・・・
たった1を楽しくさせる事・・・・・そんな簡単そうな事が俺には無理。
それが今の俺。
いつか、どうか、 夢を売る人になりたい。