そうね、作家katsuの時って本当に何も無くてね・・・しかも下絵も終わって、下地も
彫って、更に張り始まってしまえば、悩んでも終わってしまう・・・それが小物作品。
しかもこうして終わってしまうと、次の下絵や下地が出来ていない事には、続けての制作は不可能になる。しかも、彫った後のペ-パ-掛けや油を塗らないとならない。
って事は、それをやってからの帰宅なのね・・・毎日。
流石にこの展開も見飽きているだろうと思うのだけれど、何しろ12月1日に来る人達は、
金魚好きばかり。だからその日の為に・・・なのだから、katsuを知っている人よりも、
まだ知らない人へのアピ-ル・・・・申し訳無いのだけれど・・・。しばらく。
何しろ、隣は生体を扱うびれっじさん。本物の金魚なのね・・・そりゃ簡単では無い。
本物と並べるのだから、それ相応の完成度は問われる訳で・・・。
けれど同じ1点モノで・・・・と、考えるのなら、条件は一緒とも言える・・・。
まず気持ちで負けないように・・・なのね。
ここも良く考えると、方や養魚場の主人が、この親とこの親って掛け合わせて、後は
神のみぞ知る・・・って生まれた稚魚を間引き、間引きと繰り返し、その一部が
びれっじさんに選ばれ、ここへ来ている。方や俺の場合、作り手が本当に優秀であれば、
間引きされる必要も無ければ、きちんと何万分の一では無く、一分の一になるはず。
何処まで悩んでも、結局自分の腕だし、自分が選別した稚魚を育てた生産者か?であり、
どちらにせよ、優秀か、そうで無いか?・・・を問われる。がしかし、それが売れるか?
売れないか?は価格にもよる。どんなに素晴らしくても、手の出ない値段ってものも、
あるし、いや、どんな事をしても・・・って言わせる事が出来るか?でもある・・・・
そうかと思うと、今の時代の販売と購入者の関係を考えると、同じCDを同じ人に何枚も
買わせる購買意欲をそそるようなシステムだったり、昔ながらのブランド全体を良しと、
認識させて、やはりリピ-タ-として、何度と無く新製品に手を出させる・・・
そんな手法もあったりする・・・それもやはり値段設定のテクニックもある。
大量生産のCDのように、1つの楽曲を写真1つを変えたり、付加価値を変えてみたりして、
何枚も購入・・・そんな時は、値段は比較的安い。
方やブランド品は、高級感が問われ、そのもの自体の本来の品質と言うよりも、マ-ク
が先行しているようにも思えるが、そこまで登りつめれば、美術とて同じで、贋作なんて
ものも出て来る。つまりそこまでたどり着かないと、1点モノの高額商品とまでには、
なりづらい。そんな事も踏まえると、まだそこまでたどり着いていない以上、
出来るだけ購入の方向に近づけ、それを手に入れて貰って、自慢して貰う・・・・
それこそが最高のクチコミに繋がる・・・と考える。今回の趣旨はそんな感じになる。
ただリスクも多い。何しろ画像のみを見る・・・そんな感じの人なら、毎日楽しみに
観ているのに、金魚ばかり・・・と思う人も相当いるだろうし、
文章にも付き合ってくれるのなら、訳あってやっている事とご納得されなくとも、
仕方無いなっ・・・と思って頂けるだろうけれど、何しろ作品予約の方々をお待たせした
上での行為なのだから、かなりこちらとしてもプレッシャ-も掛かる訳で・・・・。
更にそれだけ量産しても、何1つ保障の無い事をするのだから、正直怖いと思うのは、
正直な所だけれど、折角ユ-ミンママの作品で得た、しばらく振りの勝負出来る資金が
入った・・・・ここは博打を打たないって訳には行かない・・・。
ここがタイル屋の時とは全く違うのである。ただ大工さんからの依頼で、ひたすら
張っただけ・・・それでまた電話が掛かって来るのを待つのみ。今の俺は仕掛ける事が
出来る。しかも、こうして自分の好きに・・・。腕を買って貰うにも・・の意味が違う。
方や、言われたまま・・・今は提案・・・小物でこの腕なんですけれど・・・・・
何かもっと他の腕を買っては頂けませんか?・・・・と。
それが建築物でも、指導としての先生としての腕でも・・・・と。それには幅広く、
何でも出来た方が良い訳で・・・・。何もかも考えた上で、ギリギリの手前まで・・・・
それが、人に出来ない・・・・に繋がって行く。
良く小さい時に、人に出来ない事を・・・と口癖のように親父が言ってた・・・。
親父は田舎から1人出て来て、当時少なかったタイル屋を選んだ・・・ここが斬新だった
それこそが、人に出来ない事だったのだろう・・・それ位の事で良いのなら、
俺は芸術家だの、先生だの、とんでもなく馬鹿げた事を目指しているのだから、
もはや、同じ以上にはなっていると思われる・・・・ただ足らないのは成功した証。
人に認められても購入まで至らないと、成功したとは言えないし、それでは単なる上手いと言われただけ。もっともっと、きちんと隅の隅まで知られた上で無いと、土俵にすら
上がっている気がしないし、全くお話にならない。見せる腕がそこそこ付いたのだから、
きちんと今度は宣伝に時間を掛けないと・・・。
真の評価とは言えない。もっともっと、しっかり考えないと・・・。
ここが非常に難しい。そもそも我慢は限界があるが、期限がある・・・辛抱なのだから。
こんな言葉一つ取っても、考えてしまう・・・・そもそも我慢なんてもんは、自我なんて
言葉があるのだから、我は、われである。慢は怠慢のまん。と考えれば、
自分自身を怠らないように、取り締まれば良いだけだし、辛抱は辛いのを抱える訳で、
明らかに後者の方で生きるべきで・・・・ただ考え方をしっかり持たないと、
12月1日まで持たない。そう言う点では、色んな事を掘り下げている中、また1つ、また1つ・・・と、ただ作るのではなく、小物としての時間の中で、手を変え品を変え・・・と
すべてが練習であり、すべてが明日に繋がる小さな種・・・・これをあっちこっち
に購入して頂いて花を咲かせて・・・そんなイメ-ジ・・・・
CDのようには量産は出来ないが、俺なりには量産なんだけれど・・・・。
そんな中で、作った今日の土佐錦・・・今日は自分越えとは言えないけれど、
それでも互角くらいの仕上がりになった・・・。明日は今までと少し変えて・・・
彫って、更に張り始まってしまえば、悩んでも終わってしまう・・・それが小物作品。
しかもこうして終わってしまうと、次の下絵や下地が出来ていない事には、続けての制作は不可能になる。しかも、彫った後のペ-パ-掛けや油を塗らないとならない。
って事は、それをやってからの帰宅なのね・・・毎日。
流石にこの展開も見飽きているだろうと思うのだけれど、何しろ12月1日に来る人達は、
金魚好きばかり。だからその日の為に・・・なのだから、katsuを知っている人よりも、
まだ知らない人へのアピ-ル・・・・申し訳無いのだけれど・・・。しばらく。
何しろ、隣は生体を扱うびれっじさん。本物の金魚なのね・・・そりゃ簡単では無い。
本物と並べるのだから、それ相応の完成度は問われる訳で・・・。
けれど同じ1点モノで・・・・と、考えるのなら、条件は一緒とも言える・・・。
まず気持ちで負けないように・・・なのね。
ここも良く考えると、方や養魚場の主人が、この親とこの親って掛け合わせて、後は
神のみぞ知る・・・って生まれた稚魚を間引き、間引きと繰り返し、その一部が
びれっじさんに選ばれ、ここへ来ている。方や俺の場合、作り手が本当に優秀であれば、
間引きされる必要も無ければ、きちんと何万分の一では無く、一分の一になるはず。
何処まで悩んでも、結局自分の腕だし、自分が選別した稚魚を育てた生産者か?であり、
どちらにせよ、優秀か、そうで無いか?・・・を問われる。がしかし、それが売れるか?
売れないか?は価格にもよる。どんなに素晴らしくても、手の出ない値段ってものも、
あるし、いや、どんな事をしても・・・って言わせる事が出来るか?でもある・・・・
そうかと思うと、今の時代の販売と購入者の関係を考えると、同じCDを同じ人に何枚も
買わせる購買意欲をそそるようなシステムだったり、昔ながらのブランド全体を良しと、
認識させて、やはりリピ-タ-として、何度と無く新製品に手を出させる・・・
そんな手法もあったりする・・・それもやはり値段設定のテクニックもある。
大量生産のCDのように、1つの楽曲を写真1つを変えたり、付加価値を変えてみたりして、
何枚も購入・・・そんな時は、値段は比較的安い。
方やブランド品は、高級感が問われ、そのもの自体の本来の品質と言うよりも、マ-ク
が先行しているようにも思えるが、そこまで登りつめれば、美術とて同じで、贋作なんて
ものも出て来る。つまりそこまでたどり着かないと、1点モノの高額商品とまでには、
なりづらい。そんな事も踏まえると、まだそこまでたどり着いていない以上、
出来るだけ購入の方向に近づけ、それを手に入れて貰って、自慢して貰う・・・・
それこそが最高のクチコミに繋がる・・・と考える。今回の趣旨はそんな感じになる。
ただリスクも多い。何しろ画像のみを見る・・・そんな感じの人なら、毎日楽しみに
観ているのに、金魚ばかり・・・と思う人も相当いるだろうし、
文章にも付き合ってくれるのなら、訳あってやっている事とご納得されなくとも、
仕方無いなっ・・・と思って頂けるだろうけれど、何しろ作品予約の方々をお待たせした
上での行為なのだから、かなりこちらとしてもプレッシャ-も掛かる訳で・・・・。
更にそれだけ量産しても、何1つ保障の無い事をするのだから、正直怖いと思うのは、
正直な所だけれど、折角ユ-ミンママの作品で得た、しばらく振りの勝負出来る資金が
入った・・・・ここは博打を打たないって訳には行かない・・・。
ここがタイル屋の時とは全く違うのである。ただ大工さんからの依頼で、ひたすら
張っただけ・・・それでまた電話が掛かって来るのを待つのみ。今の俺は仕掛ける事が
出来る。しかも、こうして自分の好きに・・・。腕を買って貰うにも・・の意味が違う。
方や、言われたまま・・・今は提案・・・小物でこの腕なんですけれど・・・・・
何かもっと他の腕を買っては頂けませんか?・・・・と。
それが建築物でも、指導としての先生としての腕でも・・・・と。それには幅広く、
何でも出来た方が良い訳で・・・・。何もかも考えた上で、ギリギリの手前まで・・・・
それが、人に出来ない・・・・に繋がって行く。
良く小さい時に、人に出来ない事を・・・と口癖のように親父が言ってた・・・。
親父は田舎から1人出て来て、当時少なかったタイル屋を選んだ・・・ここが斬新だった
それこそが、人に出来ない事だったのだろう・・・それ位の事で良いのなら、
俺は芸術家だの、先生だの、とんでもなく馬鹿げた事を目指しているのだから、
もはや、同じ以上にはなっていると思われる・・・・ただ足らないのは成功した証。
人に認められても購入まで至らないと、成功したとは言えないし、それでは単なる上手いと言われただけ。もっともっと、きちんと隅の隅まで知られた上で無いと、土俵にすら
上がっている気がしないし、全くお話にならない。見せる腕がそこそこ付いたのだから、
きちんと今度は宣伝に時間を掛けないと・・・。
真の評価とは言えない。もっともっと、しっかり考えないと・・・。
ここが非常に難しい。そもそも我慢は限界があるが、期限がある・・・辛抱なのだから。
こんな言葉一つ取っても、考えてしまう・・・・そもそも我慢なんてもんは、自我なんて
言葉があるのだから、我は、われである。慢は怠慢のまん。と考えれば、
自分自身を怠らないように、取り締まれば良いだけだし、辛抱は辛いのを抱える訳で、
明らかに後者の方で生きるべきで・・・・ただ考え方をしっかり持たないと、
12月1日まで持たない。そう言う点では、色んな事を掘り下げている中、また1つ、また1つ・・・と、ただ作るのではなく、小物としての時間の中で、手を変え品を変え・・・と
すべてが練習であり、すべてが明日に繋がる小さな種・・・・これをあっちこっち
に購入して頂いて花を咲かせて・・・そんなイメ-ジ・・・・
CDのようには量産は出来ないが、俺なりには量産なんだけれど・・・・。
そんな中で、作った今日の土佐錦・・・今日は自分越えとは言えないけれど、
それでも互角くらいの仕上がりになった・・・。明日は今までと少し変えて・・・