朝、かぐやといきなり技術論。師匠は抜けたんですね・・・まあね。
気が付けば簡単な事だったのね。完全に日本シリ-ズの田中投手から教わった・・・。
当たり前の事だけれど、場面場面、人によっても投げる球を変える。
つまり大作も小物も変えて当然。だけど大事なのは、どう変える?って部分。
これがね、言われると簡単な事なんだけれど、まずは大作って言うのは、沢山のパ-ツで
構成されているよね。けれど、沢山って言っても丸だの四角だのって模様にするのなら、
別にきちんと切れるようになったのなら、難しい事では無い。これが点で描くって意味。
きちんと切れれば、このパ-ツはここでしか使えないって訳じゃないから、
切り置きも出来る。それが線で描くとなると、上級者になる。1つ目を決定してそれに
2つ目を合わせる・・・だから、順番に張って行かないとならず、切り置きは難しい。
当然、大作には両方のテクニックが入っている・・・そもそもかぐやは大作では、
何度も結果を出している。では、その人が小物と向き合うには?・・・となる。
勿論、デフォルメをして簡素化する・・・そう言えば間違ってはいないし、むしろ合っているのだけれど、それを完成形にするには当然デッサン力が問われる。
まず基本から着崩しとなると、きちんとそのモノに見える・・・つまりリアルに掛けた上で、強調すべき場所を選んで大きめにする・・・簡単な説明ならチョロQとかSDガンダム
みたいなあんな感じ。事故にでもあった感じで縮んだ感じって言うのかな?・・・・
難しいでしょ?そう考えると・・・簡単そうなのに・・・可愛く見えるから・・・。
つまり可愛いって言うのは、ある意味安いとも言えるし、簡単でもあったり、
思い込みや勘違いなんだろうけれど、安易に見えるものなのね・・・。
だから、見る人が上目線であるから、そう見えたりするのね。きちんとふざけて、
バランスを崩し、そのアンバランス差を良しに見せるテクニックだとも言える。
だから、完全に絵の上手さが相当要求される。では違う考えで、次はキャラクタ-。
オリジナルで可愛いとか素敵ぃぃって言われるものが描けると、それはそれで完成となる
これはもっと難しい・・・もはやこれが出来るのなら、漫画家やイラストレ-タ-の方が
近道な気もして来る・・・・。これでは小物は難しいままになってしまうのね・・・・
そこで1つアイデアとして、俺はやらないけれど、気に入った写真をコピ-する。
そして輪郭だけを頂く。そうすれば簡単に進める事が出来る・・・
ただそれではリアルなままになる・・・そこで例えば目だけ大きめにする・・・・とか、
その特徴を強調する為に、そこだけ大きくして見る・・・他はそのままで。
つまりこれなら、ほとんど動かさずに1点だけを変えるだけで良いので、デッサン力が
問われる・・・とそこまで追い込まれる事が少ない。
これを大抵、大作の人達には提案をする。これを踏まえて切る事が上手くなった人が、
小物を作るのに、もし同じ様にしていないとするのなら?・・・・
じゃもう少し具体的にすると、上手いと褒めたのは切る、張るの技術と大作の結果。
そしてそのオリジナル感だとすると、要するに手の込んだ事は認められた事になる。
つまり大作の下絵も褒められた事になる・・・下絵とは?図面だったり、楽譜だったり、
いずれにせよ、それさえあれば演奏や作成のみとなる・・・
ほら段々と紐解けて来た・・・じゃ小物の下絵は何分で描いた?・・・・ほらね。
要するに切る、張るが上手いと褒められ、大作の下絵もモザイクにふさわしい下絵となり
結果にたどり着いたとするのなら、その切る、張るの技術に見合った下絵が必要となる。
つまり切る、張るの技術を身に付け始まった様子を見て、今度は下絵を厳しく取り締まる
・・・そんな指導となる。それで結果が出たのなら、小物とて同じ。いかにモザイクを
やる人物に負担を掛けない下絵を描くか?になる。
つまり小物作品って言うのは、大作にも負けない下絵がすべてになる。ではその下絵の描き方となる。まず難しいのはさっきも言ったように流れを作る・・・線で描く・・ここ。
そこで、まず必ず1cmタイルの他に、ガラスタイルやエミリアのような大きいタイルを
併用する事。ここが大事なのね。つまりこの大きいタイルが早さの手助けとメリハリの
2つを補ってくれる事になる。勿論、ぺきぺきの併用でも良いのだけれど。
そして下絵。例えば花だとして、ぺきぺきのように葉脈を1ブロックで区切ったり出来る
・・・だから最低6パ-ツで何とかなる。これが1cmタイルだったら?・・・・ほら、
必然的に流れは作らないとならないし、何十パ-ツの集合体になるのかな?・・・・
そこにグラデ-ションなんて言い出したら、考え抜かないとならなくなる・・・・
さっきのぺきぺきの場合、下絵の通りに切れば良いだけ・・・と考えずに進めたのに。
ほらね、時間が掛かる・・・。そこで小物の場合、大きくでもガラスタイルやエミリアを
3.4枚使うと、葉脈の半分には届く・・・こんな程度の大きさで下絵を描く。
そんなのを目指すと良い。勿論、画力があれば、そんなに悩む必要は無いが、もし無理なら、描きやすい大きさで描いて、後は拡大、縮小のいずれかをして完成・・・
これがしっかり出来れば、図面や楽譜に相当する下絵が出来る方向にある。
これを理解出来れば、かなりしっかり進めるようになると思うのね。
では、ついでにこんな比喩も入れて置くとして、例えば大作って言うのが交響曲とする。
何か音楽に精通しなくても、時間は掛かるし、格式高く、凄いんだろうなって・・・・
そんな気がしないかな?それを作ってしかも演奏するなんて・・・もはや達人?って、
感じ無いかな?じゃ小物ってどんな感じだろうか?・・・・
可愛いぃぃなんて表現されるのだから、童謡や子供向きアニメ・・・じゃアンパンマン。
可愛いねェェ・・・一緒に歌おうかぁ・・・って感じになるでしょ?
それそれ。さっきと違って簡単お手軽・・・マネすんの簡単・・・そうなるでしょ?
楽譜無くても歌えるし、絵だって描けるよね?・・・・ここが大きな勘違いなのね。
つまり、それを考える・・・それを作り出すのは、どちらとて一緒。
けれど方やフォ-マル、方やカジュアルって感じだけれど、きちんと作り込んでいる。
ニュアンスで言えば、方やフォ-マルの方は、頂点を目指しているように思われ、
追従を許さない・・・って感じで、己の腕を見せびらかす・・・どうだと言わんばかり。
方や、カジュアルはそこを崩して行き、いかに親しみ易く、みんなにも出来るよっ・・・
ほら、簡単でしょ・・・ほら、歌って見よう、描いて見よう・・・ってそそのかして、
くれるような感じ・・・って言うのかな?そうね、出来るかも・・・って思わせてくれる
・・・そんなもの。いずれにせよ、きちんと出来る人が両者ともやっていると思うのね。
これを踏まえたら、切る、張るが上手くなった人は演奏が上手くなったとか、図面が
描けたとか、料理が上手いとか、・・・そんな感じなのね。
けれど歌が作れる?肉じゃがじゃなくて、創作料理作れる?・・・ここなのね。
つまりその技術が演奏する、料理をする、だけでなく、オリジナルなのね。
つまり図面、レシピ、楽譜があれば、スイスイ出来るようになっただけで、それがきちんと出来ないのに、いきなり演奏を始めたり、いきなり料理を始めたり、のこぎり持ったり
・・・・そんなやり方をしてしまった事になる。これが楽しかったのは体験教室。
ノリで作っちゃった・・・ササッと。お手軽簡単に・・・まずまずで。
けれど、上手くなっちゃうと、納得のハ-ドルは上がってしまう。その自分が満足するには、相当な出来栄えじゃないと満足しなくなるのね・・・・それが向上した人達。
それを時間を掛けて、手間隙惜しまず、焦らず、しかも追従を許さない妥協無い大作・・
それは交響曲のようなものなのね・・・それが出来た人や目指してやっている人に、
小物も作るんだよ・・・って意味は、すべてここにあったのね・・・・。
上手くなった人達へ、楽しみと自分の腕試し・・・小物だよ・・・って目線で、
作品には飲まれない・・・で、それでいて難しい・・・上手くなった自分と向き合うって
・・・って意味を判って貰う為にね・・・・。ただ得意、不得意が人にはあってね、
大きな作品はやりたい事を満載に出来るけれど、小物はそんな作り方は出来ない・・・
こんな葛藤の中で、素敵な自分探し・・・・となる。
当然、これだけ言うのだから、こうしてまた1つ結果は出した・・・可愛くリアル・・に
両者共に成立する・・・そんなものが俺のスタイルなのかな・・・小物って。
気が付けば簡単な事だったのね。完全に日本シリ-ズの田中投手から教わった・・・。
当たり前の事だけれど、場面場面、人によっても投げる球を変える。
つまり大作も小物も変えて当然。だけど大事なのは、どう変える?って部分。
これがね、言われると簡単な事なんだけれど、まずは大作って言うのは、沢山のパ-ツで
構成されているよね。けれど、沢山って言っても丸だの四角だのって模様にするのなら、
別にきちんと切れるようになったのなら、難しい事では無い。これが点で描くって意味。
きちんと切れれば、このパ-ツはここでしか使えないって訳じゃないから、
切り置きも出来る。それが線で描くとなると、上級者になる。1つ目を決定してそれに
2つ目を合わせる・・・だから、順番に張って行かないとならず、切り置きは難しい。
当然、大作には両方のテクニックが入っている・・・そもそもかぐやは大作では、
何度も結果を出している。では、その人が小物と向き合うには?・・・となる。
勿論、デフォルメをして簡素化する・・・そう言えば間違ってはいないし、むしろ合っているのだけれど、それを完成形にするには当然デッサン力が問われる。
まず基本から着崩しとなると、きちんとそのモノに見える・・・つまりリアルに掛けた上で、強調すべき場所を選んで大きめにする・・・簡単な説明ならチョロQとかSDガンダム
みたいなあんな感じ。事故にでもあった感じで縮んだ感じって言うのかな?・・・・
難しいでしょ?そう考えると・・・簡単そうなのに・・・可愛く見えるから・・・。
つまり可愛いって言うのは、ある意味安いとも言えるし、簡単でもあったり、
思い込みや勘違いなんだろうけれど、安易に見えるものなのね・・・。
だから、見る人が上目線であるから、そう見えたりするのね。きちんとふざけて、
バランスを崩し、そのアンバランス差を良しに見せるテクニックだとも言える。
だから、完全に絵の上手さが相当要求される。では違う考えで、次はキャラクタ-。
オリジナルで可愛いとか素敵ぃぃって言われるものが描けると、それはそれで完成となる
これはもっと難しい・・・もはやこれが出来るのなら、漫画家やイラストレ-タ-の方が
近道な気もして来る・・・・。これでは小物は難しいままになってしまうのね・・・・
そこで1つアイデアとして、俺はやらないけれど、気に入った写真をコピ-する。
そして輪郭だけを頂く。そうすれば簡単に進める事が出来る・・・
ただそれではリアルなままになる・・・そこで例えば目だけ大きめにする・・・・とか、
その特徴を強調する為に、そこだけ大きくして見る・・・他はそのままで。
つまりこれなら、ほとんど動かさずに1点だけを変えるだけで良いので、デッサン力が
問われる・・・とそこまで追い込まれる事が少ない。
これを大抵、大作の人達には提案をする。これを踏まえて切る事が上手くなった人が、
小物を作るのに、もし同じ様にしていないとするのなら?・・・・
じゃもう少し具体的にすると、上手いと褒めたのは切る、張るの技術と大作の結果。
そしてそのオリジナル感だとすると、要するに手の込んだ事は認められた事になる。
つまり大作の下絵も褒められた事になる・・・下絵とは?図面だったり、楽譜だったり、
いずれにせよ、それさえあれば演奏や作成のみとなる・・・
ほら段々と紐解けて来た・・・じゃ小物の下絵は何分で描いた?・・・・ほらね。
要するに切る、張るが上手いと褒められ、大作の下絵もモザイクにふさわしい下絵となり
結果にたどり着いたとするのなら、その切る、張るの技術に見合った下絵が必要となる。
つまり切る、張るの技術を身に付け始まった様子を見て、今度は下絵を厳しく取り締まる
・・・そんな指導となる。それで結果が出たのなら、小物とて同じ。いかにモザイクを
やる人物に負担を掛けない下絵を描くか?になる。
つまり小物作品って言うのは、大作にも負けない下絵がすべてになる。ではその下絵の描き方となる。まず難しいのはさっきも言ったように流れを作る・・・線で描く・・ここ。
そこで、まず必ず1cmタイルの他に、ガラスタイルやエミリアのような大きいタイルを
併用する事。ここが大事なのね。つまりこの大きいタイルが早さの手助けとメリハリの
2つを補ってくれる事になる。勿論、ぺきぺきの併用でも良いのだけれど。
そして下絵。例えば花だとして、ぺきぺきのように葉脈を1ブロックで区切ったり出来る
・・・だから最低6パ-ツで何とかなる。これが1cmタイルだったら?・・・・ほら、
必然的に流れは作らないとならないし、何十パ-ツの集合体になるのかな?・・・・
そこにグラデ-ションなんて言い出したら、考え抜かないとならなくなる・・・・
さっきのぺきぺきの場合、下絵の通りに切れば良いだけ・・・と考えずに進めたのに。
ほらね、時間が掛かる・・・。そこで小物の場合、大きくでもガラスタイルやエミリアを
3.4枚使うと、葉脈の半分には届く・・・こんな程度の大きさで下絵を描く。
そんなのを目指すと良い。勿論、画力があれば、そんなに悩む必要は無いが、もし無理なら、描きやすい大きさで描いて、後は拡大、縮小のいずれかをして完成・・・
これがしっかり出来れば、図面や楽譜に相当する下絵が出来る方向にある。
これを理解出来れば、かなりしっかり進めるようになると思うのね。
では、ついでにこんな比喩も入れて置くとして、例えば大作って言うのが交響曲とする。
何か音楽に精通しなくても、時間は掛かるし、格式高く、凄いんだろうなって・・・・
そんな気がしないかな?それを作ってしかも演奏するなんて・・・もはや達人?って、
感じ無いかな?じゃ小物ってどんな感じだろうか?・・・・
可愛いぃぃなんて表現されるのだから、童謡や子供向きアニメ・・・じゃアンパンマン。
可愛いねェェ・・・一緒に歌おうかぁ・・・って感じになるでしょ?
それそれ。さっきと違って簡単お手軽・・・マネすんの簡単・・・そうなるでしょ?
楽譜無くても歌えるし、絵だって描けるよね?・・・・ここが大きな勘違いなのね。
つまり、それを考える・・・それを作り出すのは、どちらとて一緒。
けれど方やフォ-マル、方やカジュアルって感じだけれど、きちんと作り込んでいる。
ニュアンスで言えば、方やフォ-マルの方は、頂点を目指しているように思われ、
追従を許さない・・・って感じで、己の腕を見せびらかす・・・どうだと言わんばかり。
方や、カジュアルはそこを崩して行き、いかに親しみ易く、みんなにも出来るよっ・・・
ほら、簡単でしょ・・・ほら、歌って見よう、描いて見よう・・・ってそそのかして、
くれるような感じ・・・って言うのかな?そうね、出来るかも・・・って思わせてくれる
・・・そんなもの。いずれにせよ、きちんと出来る人が両者ともやっていると思うのね。
これを踏まえたら、切る、張るが上手くなった人は演奏が上手くなったとか、図面が
描けたとか、料理が上手いとか、・・・そんな感じなのね。
けれど歌が作れる?肉じゃがじゃなくて、創作料理作れる?・・・ここなのね。
つまりその技術が演奏する、料理をする、だけでなく、オリジナルなのね。
つまり図面、レシピ、楽譜があれば、スイスイ出来るようになっただけで、それがきちんと出来ないのに、いきなり演奏を始めたり、いきなり料理を始めたり、のこぎり持ったり
・・・・そんなやり方をしてしまった事になる。これが楽しかったのは体験教室。
ノリで作っちゃった・・・ササッと。お手軽簡単に・・・まずまずで。
けれど、上手くなっちゃうと、納得のハ-ドルは上がってしまう。その自分が満足するには、相当な出来栄えじゃないと満足しなくなるのね・・・・それが向上した人達。
それを時間を掛けて、手間隙惜しまず、焦らず、しかも追従を許さない妥協無い大作・・
それは交響曲のようなものなのね・・・それが出来た人や目指してやっている人に、
小物も作るんだよ・・・って意味は、すべてここにあったのね・・・・。
上手くなった人達へ、楽しみと自分の腕試し・・・小物だよ・・・って目線で、
作品には飲まれない・・・で、それでいて難しい・・・上手くなった自分と向き合うって
・・・って意味を判って貰う為にね・・・・。ただ得意、不得意が人にはあってね、
大きな作品はやりたい事を満載に出来るけれど、小物はそんな作り方は出来ない・・・
こんな葛藤の中で、素敵な自分探し・・・・となる。
当然、これだけ言うのだから、こうしてまた1つ結果は出した・・・可愛くリアル・・に
両者共に成立する・・・そんなものが俺のスタイルなのかな・・・小物って。