katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

亀有カルチャ-のクリスマスリ-スとかぐや来日

2013-11-09 23:33:36 | モザイク教室
まずはいつものように、第2土曜日はオ-ドリ-と一緒に亀有カルチャ-。
いつもの3人で2人は30cm位の大きさだから、まだもう1回掛かっても良い・・・って、

作り方で、この方のは14cmで本日完成しないとならない。それには理由があって、
彼女だけはここのみでのモザイクで、自宅ではやらないから・・・。

そうなると、来月まで延ばしてしまったら、1週間しか飾れない・・・なんて事になる。
だからこそ小物作品はお手軽簡単に・・・なのね。

そうなると、申し訳無いが、バックミュ-ジックは、この方が大好きなサザンではあるが
・・・・テンポの速いものばかりが掛かる・・・・

何しろ目地まで終わらせるのだから、1時間40分後には張り終わらないと・・・・ね。
そんなこんなで、同じ部屋で、同じリ-スであっても、ペ-スが変わるのね・・・

では、後の2人は・・・そうねぇ・・きっと20時間は掛かるかな・・・?いや、もっとかな
・・・そんな感じの2人は・・・・



こんな感じになる。どうかな?

これらを見て、判るのは何が良くて、何が悪いか?なんて事じゃなくて、何に満足感を
憶えるか?なのね。1回完結が、若干慌てても、結果が早く楽しい・・・って思うのか?

それとも、時間を掛けてでも納得するもの・・・勿論、自宅でも進める・・・・
当然、内容は大幅に変わって当たり前で、けれど小物は楽しむ・・・であり、

大作は自分探し・・・一体どんなものが作れるのだろう・・・私って・・・って感じ。
それをきちんと理解出来れば、今は小物の気分、さっ大作・・って出来るはず。

それが思わぬ事で確認する事になる。かぐやが合流しアトリエに戻り、オ-ドリ-と俺の
3人で話していると、かぐやが私の作ったリ-スは?・・・と言うのね。

あっ、あれは今の30cmリ-スの方の定期的出張でのサンプルとして、展示に渡した・・・
と言うと、写真を撮り直したかった・・・と言うのね。

そんな訳で連絡すると、どうぞ・・・と快く受け入れて貰えて、伺う事になる。
実は2人にその方のレンタルスペ-スに飾ってある仏像彫刻を見せたかったのも、

理由の1つ。実はかぐやは1度行った事はあるのだが、観た事は無く、オ-ドリ-に至っては、そこに行った事が無かったから、良い機会かな・・・とも思ったのね。

そんなこんなで2人が見た瞬間、す、凄いって声を上げた。それでは、これは・・・と、
同じ彫刻だが、クリスマスツリ-を見て、素敵ぃぃと言うのね。

それは先生の作品です・・・とその方が言うのね。そして更に10cm程度のサンタを見て、
可愛いぃぃと言うのね。ちなみにそれは彼女の作品だったんだけれど。

さて、これらの表現すべてがオ-ドリ-の言葉なんだけれど、明らかに大作で仏像彫刻を
凄いと言い、これはかぐやも勿論、見せたかった俺もそう表現をした。

けれど、先生の作ったクリスマスツリ-は素敵と表現を変えて来た・・・凄くでは無く。
そして10cmのサンタは可愛いぃぃと表現を更に変えた。

その時に、照れ臭そうにした作った本人がいて、確認の為に何年程やっていますか?と
質問をすると、4年くらいかな・・・?と言ったのね。はい、事実確認を終えます。

それでは、これを見て・・・・と2人にさっき作っていたクリスマスリ-スが出ていたので、見て貰うと何も言わないと・・・えっ、これは・・・と苦笑いしながら本人が言う。

だってこれは・・・って。じゃ申し訳無いけれど、犬の作品も見せて貰えますか?と
出した瞬間、2人が、それは・・・凄いに決まっている・・・と言わんばかりに表情を

変えるのね。何とも素直な人達なのである。三者三様なのである。では説明。
まず弟子の2人は弟子なのだからモザイクは上手い。そして仏像彫刻の彼女は、

仏像彫刻は4年のキャリアがあっても、モザイクは1年である。比較するまでも無く、
上手いのは仏像彫刻でしょ?ここまでは当たり前だよね?

じゃ何故、弟子の2人はモザイクしかきちんとした技術を評価出来ないはずなのに、
仏像彫刻他3点を見て、すべての表現を変えられたの?凄い、素敵、可愛い・・・と。

そして、その評価をされた本人も、キャリアのある彫刻では照れ臭そうに笑い、モザイクでは、苦笑い・・・もう判ったかな?これがいつも言っている小物と大作のすべて。

そもそもイチお母さんとして、仏像彫刻って言葉だけでどんなものなのかな?・・・と
考えた時に、えっこの人が・・・って思えば、それを越えた表現が凄いとなる。

ほらかぐやがそうでしょ?えっ、この人があの大作?・・・って。ただそれはいずれも大作
である。仏像彫刻であってもモザイクであっても、きちんとしたキャリアを持ってね。

しっかりとした技術、時間、そんなものが格式や品格、重量感などを生む。それが例え
技術など判らなくても凄さまで伝わる・・・それが大作。

当然、作り手の苦労も技術など判らなくても、同じモノを作る人間として、簡単なはずが
無いのは、感でも判る。では、先生の作ったクリスマスツリ-では?・・・

先生の作品にも関わらず、威嚇が無い。つまり題材が優しいのである。つまり技術の判らない人達には、ここまで止まりになる。勿論、彫刻をしていればその評価はきちんと

出来るはずだし、それが証拠に2人はきちんとモザイクは判ったはず。そうリ-スは、
可愛く、犬は凄いとね。しかも技術を判った上での評価なのだから、この犬のモザイクは

相当なものであると言う事になる。ほらね。つまり小物は楽しむであり、大作は批評対象にもなる。こんなものなのね・・・・全く違うものなのね。

ここまで来れば10cmのサンタは、私もやってみたい・・・と思うような、でも実は
やって見ると難しいものなのである。ほら?すべて俺のモザイクにも言える事だらけ。

これがタピオカならパンって・・・となり、お母さんってくくれば、子育てって・・・と
なり、仏像彫刻もモザイクもモノ作りって・・・となり、細分化するのなら、

小物と大作って・・・となる。きちんとくくれれば、何がどう大変で、何がどう楽しいか?って話になる。お手軽簡単なら、たまに来る生徒の子供にお菓子を買って楽しいね。

で十分だが、所詮楽しいってのはその程度。本気で大作って言うのは子育て。
辛くて、面倒でね手間隙を掛けて、旅立って行く・・・その楽しさは計り知れない・・・

違うかな?・・・生意気でごめんね・・・子供もいないのに。でもそう思うのね。
オ-ドリ-やかぐやが仏像彫刻を見て感じるものがあるのなら?・・・・俺にも、

子育ては仏像彫刻のようにも見えるし、モザイクの大作も同じ様に見える・・・。
けれど、小物のような、お爺さんやお婆さんの孫を構うような小物の付き合いも、

十分判るつもりなのね・・・何せ1人だから・・・その大切さも有難さもね・・・。
何かこの説明で3人が掴んでくれると良いな・・・って説明して見たのね。

そうそう、こんな話もある。先日かぐやの家に配達人の人が来た時に、もしかして・・・
新聞に載ってた人じゃないですか?・・・・って言われたんだって。

そしたら、その人がまるで芸能人を見たように、凄いぃぃって言ったんだって。
作品じゃなくてかぐやを見て・・・あははははは。作品のが凄いんだけどね。

大作ってのはそう言うもの。楽なんて事は1つも無い。だから凄いのね・・・。

そうそう、先日いらした鹿児島のkobito先生。しっかり看板作ってるのね。
小物は小物、そして初めて自分と向き合っている大作看板・・・・実に困りながら、

楽しんでいる・・・きちんとね。頑張れっ・・・って声を掛けたくなった。
勿論、小物で楽しんでいる人にだって、頑張れ・・・って言うよ・・・けれどね、

辛い事、大変な事、そんな事には連れて行かないように努力をするから、そっちには
連れて行かないのね・・・・努力してね。ただ、ひとたび大作へ来たのなら・・・・

こっちの水は甘くは無いぞぉぉぉぉぉぉ・・・・って言う事になる。どうするぅぅ?
あはははは。これらをよぉぉぉぉく、踏まえて、私もやって見たいぃぃって思う人が、

増えるのを期待しちゃう俺もいる・・・・それも事実。
でも、明日のように俺の下地で楽しんでくれる、何と無くやってみたいぃぃって、

思う体験教室もそれはそれで、嬉しいのも事実。いずれにせよ、どんなきっかけであっても、続けられた人に結果が出ているのも事実。そこに確かなる技術が宿るのも事実。

そしてこの空間の話に先生としていられるのが、楽しくて有難くてって思えるのも事実。
俺はこんな場所にいたいと思うから、続けているのね。まるですがるように・・・

あははははは。

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