今日は午前中にご新規さんのお教室。それと確か今日、明日あたりが産卵だと思い早めの出勤・・・・すると、エースじゃない、お前なの?ってのが、2匹軽く産卵・・・えっとエースの雄は・・・まだ大丈夫・・・と人工授精。
そんなこんなひと仕事を終えて・・・・って、あれ?もしや・・・とアトリエの前に女の人・・・・少し早めに着いちゃって・・・と言う事で、ちょっとバタバタしつつ開始。では・・・と言うと、実はこの方モザイクが初めてでは無くて、海外でやった事があって・・・・って。
そんな訳で問診みたいな話をひとしきりした後、それで今日どうしますか?・・・・になる。何しろ何作か画像も見せて貰ったが、楽しむモザイクには困る事は無さそうだし、もっと言えば今更、ぺきぺきからやっても・・・何しろガラスタイルの作品だらけだったし・・・・。
もしぺきぺきをやるにしても、1作ここのスタイルで終わってから・・・って言うのもあり。何故なら体験しに来た訳じゃないって。
すでに続ける気で来たから・・・って。もうそうなると、ある意味今日で完結なものを提案する必要は無いし、むしろ2.3回掛かるものが良い。
そんな訳で、色々聞いた上で、下地作成。
そんな話の中で、どうやら絵を作るよりも模様が・・・って事になり、それなら・・・と山周タイルとエミリアの鍋しきを見せると、これをやって見たいって事になるが、ハートに切ったパーツは自分の雰囲気に似合わないから・・・って言うのね。
まっそこは無理に言う必要も無く、それじゃ何しろ切ればデザインはお好きに・・・になる。何しろ切る・・・そこで外側の棒みたいな形で一回り。
そもそも、海外で使っていたニッパーはハサミみたいな形で、今みんなが使っているものとは違うのね。
確か俺も1本持っていたけれど、切りづらい事を覚えていたから、逆に言えば今、お客さんがあの時の自分だから、良く判るのね・・・。
きっと切り慣れないからやりづらいだろう・・・ってね。ただ、はっきり1から習おうと思って来ているので・・・って。
そう言う姿勢で臨んでくれるのなら・・・多少は初回からでも何か言う機会もあるかな・・・なんて感じだったが、さてそれじゃ2列目に入って、エミリアを・・・となると、黒に緑に紫を選択したのね。別に色は好みと言っちゃ好みなんで、普通はサラッと流す所だけれど、実はすでに言いたい事を1つ
流していたのね・・・だからこれで2度目。そこで少しだけ判って貰おうかな・・・・と2つ目の色についてお話をしたのね。
黒はお好きですか?・・・と聞くと、海外の先生に黒は何でも合うって言われた・・・って。そうね、その通り。俺もそう言っているのね。
そこで好みで合う、合わないは別にして白も同様です・・・・と付け加え、黒を使いたいのであれば、紺なんて相棒の選択もありますよ・・・って言うと、好きじゃないって言うのね・・・・そうこれが2つ目・・・。つまり指導の対象は単なる好み・・・って話。
そもそも体験なら、お好きなものを作って楽しんで結果が出る事が大事になる。がしかし、この教室は習いに来た・・・って色が強い。
確かに好みを作るって言うのも大事だけれど、モザイクは色が混ぜられない。しかもその上、色数が少ない・・・そこにこれは嫌、これは嫌では、
これから作るものに制限が加わる事になる。それが1つ目の形の時の話のハートは嫌の場合、これは仕方無し。形は主張の仕方が半端じゃない。
だから地味な色の山周タイルであっても、嫌な人にはたまらなく嫌だろうから。
ただこの場合でも、棒もハートも切る練習としたら、クローバーのタイルの2箇所を切れば良いだけで、どちらも出来るんだから、どっちで練習しても一緒じゃん・・・って考え方もあるだろうが、実は同じじゃないのね。棒の方が簡単なのね。
棒は同じ事をひっくり返して同じ向き、同じ要領で切る事が出来るのね。しかし、ハートは1つ目を切る所までは棒を切るのと一緒で、棒での練習が生かされているから、上手く行くが、ハートは逆側を切る事になる。つまりタイルを移動させてしまうから、さっきまでの要領とは違うのね。
だから棒よりもはるかに難しいのね。だから常に棒をやってから、ハートなんて感じで切る練習にしていたのね。けれど、確かに切る練習にはなるけれど、恐らく嫌いな以上、ハートがこの先のモザイクに生かされるか?となると、切った事が無い・・・って経験値よりはあるって位の話で流したのね
。けれど、色はそう言う訳には行かない。今後もずっと黒に紺は使わない・・・ってスタイルは幅を狭くし過ぎになる。そうね、俺のトマト嫌いみたいなもん。トマト嫌いで料理の幅広がる?・・・ただ俺の場合、ケチャップもミネストローネやミートソースはOKなのね。
つまり生のトマトは嫌いでも、こうした感じならば、全く無理よりはマシになるでしょ?つまりこの方も黒に紺は嫌じゃなくて、ちょっとだけでも使えるくらいの感じにならないかな?・・・って話。それを説明するに当って、黒、緑、紺を3つ並べて段々と離れて行くと・・・違いが判らないって。
でしょ?つまり嫌いだからそればかりを見ていただけで、馴染んじゃったでしょ?・・・そう見えたのなら、少し入れて見て・・・って。
何しろこれでおしまいなら、黙っているけれど、続ける前提なのだから、全てが上手くなる練習であって、好みを作るだけなら幅を狭める。
今日から・・・1から・・・と言う姿勢であると言われたのだから、遠慮なく行かせて貰います・・・って言って見たのね。
すると、笑ってよろしくお願いします・・・って。こう言うやり取りは中々最初からは出来るものでは無くて、場合に寄っては気分を悪くさせる。
正直、そこはいつも悩む・・・一体何処まで必要なのか?・・・これが弟子になりたいとか、先生になりたいとか、自宅を作りたいとか、目的意識がはっきりしているのなら、言いようもあるが、趣味って言われれば、趣味にそこまで必要なのか?・・・とも思うし、思われてもその通りだと思う。
毎回、どの人にも同じように思ったりする・・・けれど、続いて来ると、上手くなりたいとかになって、最初の何と無く楽しそうだったから・・・とか、何かやって見たい・・・って感じから変わったりすると、それじゃ・・・って気分になる。
そもそもきちんと切れない人に厳しく言う事自体、いじめのようになるし、楽しみたい人にあれ駄目、これ駄目って言うのもね。
それが楽しみながら続いた人が上手くなりたい・・・って言った場合、楽しみながら基礎を作って来たのでその実力も持ち合わしていたりする。
ただこの作品が大事なのか?上手くなる為の捨石なのか?考え方1つでそれも変わって来る。だってこの作品の仕上がりが大事って言う場合、リスクを犯してチャレンジ出来る?ってな事になるよね?これが上手くなる為の捨石って言う気持ち1つでチャレンジが出来る。
そのチャレンジするしないが分岐点になる。もしチャレンジをしないのなら、自分が思い描く予定調和に近くなり、チャレンジをする事で新しい事を失敗のリスクを背負って挑む事で、自分の想像を超えた時にその予定調和が壊れて新しい自分の扉が開く・・・って言う可能性が広がる。
つまり上手くなるって言うのは、その予定調和を壊し続ける事になる。だから確固たるものがあればあるほど、壊す事に違和感や拒否が発生する。
その時に大事なのは、先生と生徒の信頼関係となるが、楽しみで・・・と言われれば、3年やっていても、これは嫌、これは嫌と言われれば、
楽しみだし、ある程度の実績でそこそこの結果は間違いなく出るし、それ以上はこちらとしても言いづらいし、必要性も無い。
何しろ予定調和を壊すなんて趣味の域なら、やる必要は無いのだから。何せ辛いだらけで果てしないのだから。
しかも言う側にもリスクが多いしね。そんな中、いつしかアトリエに通う人達は自分越えの作品だらけになった・・・。間違いなく自分の作品の中で、一番凄い作品を作っている・・・・そんな人達だらけになった。
そんな中、例えばイベントなら徹底的に楽しく・・・って出来るけれど、わざわざアトリエでの個人レッスンって事になると、イベントと同等って訳には行かないでしょ?・・・・そう言う事も踏まえて考えれば、すでに楽しむ以上の作品を作れる人にどの程度必要なのか?・・・
ほら、さっきも言ったように続いた人は、段々そうなった・・・として、ならば段々と・・・となりたいが、もう飛び級って感じじゃない?
そう言う場合、いつもと同じじゃないんだから、その人に合った教え方があるだろうし・・・・ってね。
正直にそう言う話もしたのね・・・そんなこんなだもの、そんなに進むはずも無く、けれどそんな中でも楽しみつつ出来たようで、次回の予約も入れて頂き、何とかかんとか終わりとなって・・・同じ事の繰り返しなんで、宿題なんて事にもなって・・・・無理せずに何しろ続けて貰う事が大事って
話を伝えて終了。その後はシドさんのテーブル。
そんなこんなひと仕事を終えて・・・・って、あれ?もしや・・・とアトリエの前に女の人・・・・少し早めに着いちゃって・・・と言う事で、ちょっとバタバタしつつ開始。では・・・と言うと、実はこの方モザイクが初めてでは無くて、海外でやった事があって・・・・って。
そんな訳で問診みたいな話をひとしきりした後、それで今日どうしますか?・・・・になる。何しろ何作か画像も見せて貰ったが、楽しむモザイクには困る事は無さそうだし、もっと言えば今更、ぺきぺきからやっても・・・何しろガラスタイルの作品だらけだったし・・・・。
もしぺきぺきをやるにしても、1作ここのスタイルで終わってから・・・って言うのもあり。何故なら体験しに来た訳じゃないって。
すでに続ける気で来たから・・・って。もうそうなると、ある意味今日で完結なものを提案する必要は無いし、むしろ2.3回掛かるものが良い。
そんな訳で、色々聞いた上で、下地作成。
そんな話の中で、どうやら絵を作るよりも模様が・・・って事になり、それなら・・・と山周タイルとエミリアの鍋しきを見せると、これをやって見たいって事になるが、ハートに切ったパーツは自分の雰囲気に似合わないから・・・って言うのね。
まっそこは無理に言う必要も無く、それじゃ何しろ切ればデザインはお好きに・・・になる。何しろ切る・・・そこで外側の棒みたいな形で一回り。
そもそも、海外で使っていたニッパーはハサミみたいな形で、今みんなが使っているものとは違うのね。
確か俺も1本持っていたけれど、切りづらい事を覚えていたから、逆に言えば今、お客さんがあの時の自分だから、良く判るのね・・・。
きっと切り慣れないからやりづらいだろう・・・ってね。ただ、はっきり1から習おうと思って来ているので・・・って。
そう言う姿勢で臨んでくれるのなら・・・多少は初回からでも何か言う機会もあるかな・・・なんて感じだったが、さてそれじゃ2列目に入って、エミリアを・・・となると、黒に緑に紫を選択したのね。別に色は好みと言っちゃ好みなんで、普通はサラッと流す所だけれど、実はすでに言いたい事を1つ
流していたのね・・・だからこれで2度目。そこで少しだけ判って貰おうかな・・・・と2つ目の色についてお話をしたのね。
黒はお好きですか?・・・と聞くと、海外の先生に黒は何でも合うって言われた・・・って。そうね、その通り。俺もそう言っているのね。
そこで好みで合う、合わないは別にして白も同様です・・・・と付け加え、黒を使いたいのであれば、紺なんて相棒の選択もありますよ・・・って言うと、好きじゃないって言うのね・・・・そうこれが2つ目・・・。つまり指導の対象は単なる好み・・・って話。
そもそも体験なら、お好きなものを作って楽しんで結果が出る事が大事になる。がしかし、この教室は習いに来た・・・って色が強い。
確かに好みを作るって言うのも大事だけれど、モザイクは色が混ぜられない。しかもその上、色数が少ない・・・そこにこれは嫌、これは嫌では、
これから作るものに制限が加わる事になる。それが1つ目の形の時の話のハートは嫌の場合、これは仕方無し。形は主張の仕方が半端じゃない。
だから地味な色の山周タイルであっても、嫌な人にはたまらなく嫌だろうから。
ただこの場合でも、棒もハートも切る練習としたら、クローバーのタイルの2箇所を切れば良いだけで、どちらも出来るんだから、どっちで練習しても一緒じゃん・・・って考え方もあるだろうが、実は同じじゃないのね。棒の方が簡単なのね。
棒は同じ事をひっくり返して同じ向き、同じ要領で切る事が出来るのね。しかし、ハートは1つ目を切る所までは棒を切るのと一緒で、棒での練習が生かされているから、上手く行くが、ハートは逆側を切る事になる。つまりタイルを移動させてしまうから、さっきまでの要領とは違うのね。
だから棒よりもはるかに難しいのね。だから常に棒をやってから、ハートなんて感じで切る練習にしていたのね。けれど、確かに切る練習にはなるけれど、恐らく嫌いな以上、ハートがこの先のモザイクに生かされるか?となると、切った事が無い・・・って経験値よりはあるって位の話で流したのね
。けれど、色はそう言う訳には行かない。今後もずっと黒に紺は使わない・・・ってスタイルは幅を狭くし過ぎになる。そうね、俺のトマト嫌いみたいなもん。トマト嫌いで料理の幅広がる?・・・ただ俺の場合、ケチャップもミネストローネやミートソースはOKなのね。
つまり生のトマトは嫌いでも、こうした感じならば、全く無理よりはマシになるでしょ?つまりこの方も黒に紺は嫌じゃなくて、ちょっとだけでも使えるくらいの感じにならないかな?・・・って話。それを説明するに当って、黒、緑、紺を3つ並べて段々と離れて行くと・・・違いが判らないって。
でしょ?つまり嫌いだからそればかりを見ていただけで、馴染んじゃったでしょ?・・・そう見えたのなら、少し入れて見て・・・って。
何しろこれでおしまいなら、黙っているけれど、続ける前提なのだから、全てが上手くなる練習であって、好みを作るだけなら幅を狭める。
今日から・・・1から・・・と言う姿勢であると言われたのだから、遠慮なく行かせて貰います・・・って言って見たのね。
すると、笑ってよろしくお願いします・・・って。こう言うやり取りは中々最初からは出来るものでは無くて、場合に寄っては気分を悪くさせる。
正直、そこはいつも悩む・・・一体何処まで必要なのか?・・・これが弟子になりたいとか、先生になりたいとか、自宅を作りたいとか、目的意識がはっきりしているのなら、言いようもあるが、趣味って言われれば、趣味にそこまで必要なのか?・・・とも思うし、思われてもその通りだと思う。
毎回、どの人にも同じように思ったりする・・・けれど、続いて来ると、上手くなりたいとかになって、最初の何と無く楽しそうだったから・・・とか、何かやって見たい・・・って感じから変わったりすると、それじゃ・・・って気分になる。
そもそもきちんと切れない人に厳しく言う事自体、いじめのようになるし、楽しみたい人にあれ駄目、これ駄目って言うのもね。
それが楽しみながら続いた人が上手くなりたい・・・って言った場合、楽しみながら基礎を作って来たのでその実力も持ち合わしていたりする。
ただこの作品が大事なのか?上手くなる為の捨石なのか?考え方1つでそれも変わって来る。だってこの作品の仕上がりが大事って言う場合、リスクを犯してチャレンジ出来る?ってな事になるよね?これが上手くなる為の捨石って言う気持ち1つでチャレンジが出来る。
そのチャレンジするしないが分岐点になる。もしチャレンジをしないのなら、自分が思い描く予定調和に近くなり、チャレンジをする事で新しい事を失敗のリスクを背負って挑む事で、自分の想像を超えた時にその予定調和が壊れて新しい自分の扉が開く・・・って言う可能性が広がる。
つまり上手くなるって言うのは、その予定調和を壊し続ける事になる。だから確固たるものがあればあるほど、壊す事に違和感や拒否が発生する。
その時に大事なのは、先生と生徒の信頼関係となるが、楽しみで・・・と言われれば、3年やっていても、これは嫌、これは嫌と言われれば、
楽しみだし、ある程度の実績でそこそこの結果は間違いなく出るし、それ以上はこちらとしても言いづらいし、必要性も無い。
何しろ予定調和を壊すなんて趣味の域なら、やる必要は無いのだから。何せ辛いだらけで果てしないのだから。
しかも言う側にもリスクが多いしね。そんな中、いつしかアトリエに通う人達は自分越えの作品だらけになった・・・。間違いなく自分の作品の中で、一番凄い作品を作っている・・・・そんな人達だらけになった。
そんな中、例えばイベントなら徹底的に楽しく・・・って出来るけれど、わざわざアトリエでの個人レッスンって事になると、イベントと同等って訳には行かないでしょ?・・・・そう言う事も踏まえて考えれば、すでに楽しむ以上の作品を作れる人にどの程度必要なのか?・・・
ほら、さっきも言ったように続いた人は、段々そうなった・・・として、ならば段々と・・・となりたいが、もう飛び級って感じじゃない?
そう言う場合、いつもと同じじゃないんだから、その人に合った教え方があるだろうし・・・・ってね。
正直にそう言う話もしたのね・・・そんなこんなだもの、そんなに進むはずも無く、けれどそんな中でも楽しみつつ出来たようで、次回の予約も入れて頂き、何とかかんとか終わりとなって・・・同じ事の繰り返しなんで、宿題なんて事にもなって・・・・無理せずに何しろ続けて貰う事が大事って
話を伝えて終了。その後はシドさんのテーブル。