katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

シドさんのテーブル

2015-06-09 06:33:27 | モザイク作家
今日は1日ずっと作品作り。白のガラスタイルのクラッシュを何とか入れ終わって、次は内側のグルグルを・・・となるが、1cmタイルの紺なのか?
エミリアの艶無しの青なのか?・・・迷った末にエミリアを選択して、1ブロック切って見て・・・違うなっ・・・と思い、1cmタイルの紺に変更。

そうね1cmタイルの9分の1よりちょい小さ目・・・けれどそれをいつものように台形の形にすれば、このラインもきちんと出来そうだったが、
昨日も言ったように、目地幅を取りたい訳で・・・今回は。きちんとする事が目的では無く、点々みたいに見せたいのね。

そうすると、流石に細かくしても下絵のラインのままは無理だったのね・・・そこでいくらか変更。こう言う事が昔とは違ってるのね。
昔は下絵を描くのがやっと・・・って画力で描いていたから、全てがフリーハンドって感じだったけれど、今は計ってあったり、

トレーシングペーパーなんかを使って、繰り返しの部分を描いてみたりしているから、幅とかも一定だったりする。昔はその粗雑な下絵を切る、張るってモザイクの方でカバーを常にしていたって感じだったが、今はほぼ下絵通りに切って張るだけになっているんだろうね・・・。

ただこうして時より思い描く事とモザイクをやろうとしている現状と一致しない・・・そんな時に、任せといて・・・って何も無かったようにカバー出来る・・・そう、単なるカバー程度で負担が少なくなった。昔の下絵はモザイクを進めれば進むほど、描き直しだらけだった・・・・。

そんなこんなで是正の部分が少し出来たのを見ると、ぐるぐるが減って、何かしっくりして来た感じになって・・・


外のラインと同じタイルになったので、わざとセットに見せようと、少し下げたりして・・・まっここまでは特に何も無い。
更に言えば、紺にした事で、エミリアの青もピンクもまた使える・・・何処かに軽く入れると、外だけって単独で使ったようには見えなくなるだろうし、

下絵よりも良い感じに見える。そうね、すっきりした感じ。そうなると、次のデザインを考えないと・・・同じ事の繰り返しは時間だけの問題だし。
でもこれから先、どうしようかな・・・って話なのね。例えば、こうこうこうだからこう・・・って考え方には根拠があって、足りなければ足すし、

足りているなら押さえる。料理だって、スポーツだって戦略みたいなもんがあるじゃない?適当に感でやってたら確立を落とすでしょ?
ただそれはレシピや楽譜、監督なんてもんがありきの確立を良くして安定を望む場合。

それがそこはソロね・・・みたいな部分は、CDとは違って流動的な部分が良くなる。ただライブと言うのは完全にファンである事、演奏は取り直しをして完成させたCDよりも落ちる事、そんな事も踏まえると、図面や楽譜やレシピには説明があって判って貰いやすい。

そんな事を踏まえると、最初のエミリアは流動的な演奏で始まって、楽譜を書いた・・・になった。音楽みたいにこれを引き継ぎまた流動的に戻すって考えれば、外の青を少なめにして呼び戻して、一旦ここまでのセットを完結させて、転調させるって考えもあるだろうし・・・・

恐らく後半は白いガラスタイルに頼るだろうから、どんな色を選ぼうがかぶる事は無いから、色の氾濫はやりやすい。だから形の問題になる。
こんな時に、本来ならさっきのこうこうこうだからこう・・・・って根拠でやりたいのね。

そもそもイメージから入って作ろうとするのがkatsuのやり方の1つだからね・・・昔、ニューゆみちゃんに妄想ヘキあり・・・みたいに言われたくらいだからね。あはははは。この妄想が想像って言って貰えないと・・・って言ってたのに、今朝、NEWSの加藤くんが自分の本を妄想って言ってた。

げっ、カッコいいと妄想でも良いんじゃん・・・・まっ、いずれにせよ、そう言う思い入れ的発想が芸術と言うのであれば、工芸にはそう言う感情はいらないから腕の繰り返し、そのモヤッとした感じって中で、何がそこにあるとしっくり来るのかな?・・・・

何も考えなければ、前フリに使った黄色の花みたいなのを、ちょっと大きめに中心に入れれば、はい終わり・・・って言うのが安全なんだけれど、普通過ぎるだろうし・・・それで良いならおしまいだけど・・・。さてさて・・・。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする