katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

高洲のサークルとデイ・サービスのサンプル

2019-03-13 23:24:09 | モザイク教室
今日は高洲のサークルの日。いつもの6人で、まずはキョンキョン。トレイが完成したのね。ただ本人曰く、上手く切れなかった・・・・って言うのね。ただ、ただなのね。どうしてそう言う気持ちになったのか?なのね、問題は。まぁ簡単な話で、1つは進歩してしまったからなのね。何が?目と腕が。

まずは判りやすい腕の話は、このトレイはほぼ同じ形の繰り返しで構成されている。つまり同じ形を切り続けないとならない・・・きっと普通はそう思うだろうね。だから最初はその感覚で良いと思うのね。その意識でやっていたら、自分で何かが違うって気持ちになった時、張っていてずれる感覚になり、

そんな気持ちになった事が、上手く切れなかったとか、思うように切れずに何度も切り直したり、同じ形に切れたと思ったのに隙間が空き過ぎたり・・・
こんな気持ちになったと思うのね。しかもみんなと同じ下地で終わって行く人達を見たりするし、何しろ自分よりも上手く見えるし・・・。

ただね、まずは最初に手彫りです・・・って事なのね、下地が。だから必ずピッタリ同じに切れたとしても、入らない事が多々あるし、ずれる事もある。つまり上手い人達は、大体平均値の形でその都度合わせていたりしているのね。でもそれはまだ経験値の浅いキョンキョンには難しいのね。

そもそもがリップルってタイルは硬いから切るのも大変だし、鈍角ならまだしも鋭角を2つ同じように作るって言うのは、中々のテクニックがいるのね。何しろ片方が上手く切れても、同じ角度を切ろうとして失敗すると、その時点で例え1つ成功していても2つ揃わないと失敗として使えなくなるのね。

そのダメージは経験不足の人には中々過酷なのね。そんな気持ちの中、終わった2人がお母さんとタピオカ・・・そりゃパーツ切りに関して、メチャメチャ上手い人のを見ている訳で・・・そこと比較しちゃダメなのね。でもそれを見て目が肥えてしまっている訳で・・・。何でも一緒だけれど、例えば味覚

だとすると、美食家じゃなくても、美味しいモノと比べてしまっては味が悪く感じてしまうのね。ただここが難しい所で仲が良くなると、友達感覚となり、親しい分、ついつい同じように出来る錯覚をしてしまったりするのね。みんなそこになるまで時間が掛かっている訳で、比較する必要は無いし、でも

同じものを作ると比較しやすくなる分、そんな気持ちになりやすい。これが同じ事をする欠点。しかしながら利点は、やり方やコツなどがサンプルとして見れる事だったりすると、上手くそこの意識を使えれば、利点も多いのね。つまり、楽しい人達だけれど、腕、半端無いわっ・・・って思えば、側で、

良い腕見られてラッキーだし、どの人にも教われる・・・って思えば、一番下の末っ子って感覚なら、そこを無理に追い付こうなんて思う必要は無くて、むしろみんなと同じ下地で完成したぁぁぁ、結構頑張ったじゃん、私ぃぃって感じで良いと思うのね。そんな中、目地の仕上げをしている時に、次の作品

に入る時に、タピオカに見てあげて・・・と声を掛けたのは、そんな気持ちに見えたからなのね。本来ならキウイが良いだろうけれど、キウイは下絵に忙しそうだったんで、同じ下絵でも、タピオカの方が落ち着いていたから・・・。って事で、新作の縁取りキョンキョンとタピオカの画像。


タピオカもいよいよ張り出したのね。まっ、特に問題は無い滑り出し。ここは切る事に心配はいらないから、やっぱりあるとしたら目だろうな。しかも白目と肌の境目・・・ここは苦労するかも。お次はのりちゃんとお母さんを続けて・・・。


のりちゃんはサークルだけで進めているから、中々進まないけれど、質はまずまずで問題無し。お母さんのテディ・ベアは何個目だったかな?もう何も言う事無いし、しかもまだ下地持っているし・・・それとお雛様も最初から来年飾るって言ってたし・・・まっ、娘ののりちゃんはお嫁に行っている

から、まっ良いかって話だし・・・あはははは。お次はキウイ。


こちらは苦戦中。ハートのリースに見えるようにしたいのだけれど、輪郭がハートに見え過ぎる余白部分が、自分のイメージと違うらしく、何度も描き直して・・・かなり近づいている感じではあるんだけれど・・・さてさて・・・。ただもうそろそろ見えてはいるようなのね。

そして最後は、アルル改めナオミぃぃ。当然ナオミぃぃは、わざわざカタカナなんだから、テニスのナオミで、直美じゃ無いから渡辺では無いのね。そんなボヨォーンじゃないし、むしろシュっとしている感じのスラっとした人なのね。そんなナオミぃぃは・・・


中々の苦戦中。とは言え、進んではいるのね。そうね・・・例えば任意の点Pを打って・・・ってそこから・・・と話を広げようとすると、任意って何処に打てば良いですか?って感じになっちゃうのね。任意はあくまで任意だから自由にどうぞ・・・なのね。その任意をある程度判りやすくしたのが、

この作品に平行になる線をいっぱい描いて貰ったのね。そもそも形がいびつだから、何処を基準にして良いか?判りづらいだろうから・・・って事で。所がこの線がナオミぃぃを苦しめちゃうのね。ついついこの線に合わせようとしてしまうのね。この線はあくまで平行なだけで、幅がタイルと合って

いるとは限らない。しかも全部合わせてしまってはデコボコな雰囲気は出ないのね・・・まだ若干ルールが呑み込めないらしく、このリップルの特性に馴染めていないのね。折角大きさがランダムで、折角、形がレロレロって波打っているのね。つまりなるべく切らずに、テトリスチックに進めたい

のね・・・しかも四角いのじゃなくて、クイッって横にしたりして・・・更に場合に寄っては切っても良いし・・・ただ場合に寄っては・・・ね。そりゃ花にぶつかれば切らずには入らないからね・・・でも至る所を切ってしまっては、良さのレロレロが無くなってしまうのね。とは言え、ここまで

終わって来た・・・まぁその内に慣れれば、急に終わりが見えて来るはずなのね。まあ今日はいつものサークルじゃない感じで、キウイ会長がモザイクサークルっぽい・・・って感想を言ってたのね。あはははは。そんなサークルの後は、ホームズに行って描いて置いた下地を彫りに・・・。

戻ってからペンキ塗りをして、タイルを張って・・・。


来月のデイ・サービスは鯉のぼりぃぃ。

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いつだったかな・・・休んだの?

2019-03-13 06:14:52 | 休み?
丸々1日休んだのって、いつ以来だろう?・・・かぐやとかぐやのせがれとのんびり遊んでた・・・こんな時しか休まないからね。そうね・・最後に奴と会ったのは高2だったかな?・・・そんな帰り際に実家に顔を出す事になり、俺と同じような事を両親は口にしてた・・・いつ以来かな?って・・・。

そんなたわいも無い事だけれど、父には母がいて、でも子供達はみんな家を出て、まっ俺は例外だけれど、各々家族を持って、いつも父も母も見送るばかり。そんな俺も最後はいつも羽田で見送っている・・・ただいつもならかぐや1人だけれど、今日はかぐやのせがれもいる。

ただこんなシーンは何度が経験したが、それとは違って、かぐやもせがれとは別の場所に帰る・・・同じ時間に出発して別の飛行機・・・じゃな・・って2人を見送り、じゃあね・・・とかぐや達2人も反対に歩く・・・何か見送り方がいつもと違うんで、気持ちに変化があるのね・・・。

今回退院した父は元気になったから、こうして2人に会えた。いつものように2人を見送った後でも、何ら変わらずにまた父と母に戻れる。それは2人が元気だから。ただいつ会えるか?となると、かぐやにはきっとすぐにまた会えても、せがれとは・・・って言うと、それはね・・・。

まだ奴が幼い頃から何度か会った事があるから、情も沸く。しかも年老いた2人だから、こうした訪問は楽しいだろうし・・・ただそこには見送る場面も来る。きっと2人はそんな気分なんだろうな・・・と見送る2人の気持ちも判る歳になり、何と無くだけれど。そんな気分の後、いつもなら同じ見送りを

俺も体験してお開きとなるのだけれど、親子が一緒の家に帰らないシーンの見送りを見るのは余り無い体験で、いつもの自分の気持ちだけの見送りとは違って、かぐやはどんな気持ちなんだろう・・・って思うと、切なさは増す。勿論、みどりや棟梁のように娘さんが結婚して所帯が別って言うのも見たが、

会った時に既に大人だったし、嫁ぎ先も近いし、少なくとも俺は笑って見送れる。それが子供の頃から知っているせがれは、俺とかぐやの歴史だったりもする。何せ奴が年長だった時の幼稚園の壁画がかぐやとの出会いなのだから。それが引っ越してからは、数年に1回なんて感じだから、もうそんなか?

って感じだったりする訳で・・・。だからその時に思い出の上書きをするのね。あぁもうこんなに大きくなったのかぁ・・・って。それがかるびだったり、キウイの娘達だったりすると、2か月会わないって事も無いから、またね・・・は割と楽に言えたりする。そんな見送りは随分と慣れた。

でも、何かね・・・もし俺が名残惜しいのなら、かぐやはもっと名残惜しい訳で・・・早く俺が帰った方が良いのか?いた方が良いのか?も考えてしまうし・・・以前ゴチになります・・・って番組で羽鳥さんが司会なのに、辞めて行く人の前に泣いてしまった時に、やぺっちがお前が先に泣いたら、辞める

人が泣けないだろっ・・・って言われたシーンはとても印象的で、こんなシーンの時に思い出してしまうのね・・・名残惜しいのは俺じゃない・・・かぐやだろっってね。でもね、父にも母がいて、かぐやにも家に戻れば娘もいる。でも奴は俺と同じで戻っても他人しかいないのね・・・。

そんな中、2人に、俺は家族がいないから見送る事ばかりやっている・・・少しだけれど見送られる側もやった事があるからその気持ちもいくらか判る。
けれど見送るばかりはいささか切ない。仮にもしそう思う事があった時、寂しいな・・・って気分になるのなら、そうなりたくないと思うのなら?

自分が魅力的であれ・・・これ1点。そうすれば人は自ずとやって来る。そうすれば少ししか寂しくは無い。ただそうなったのなら、自分の時間は無くなると思えば良い。魅力があるのなら、自分の時間はみんなのものになる・・・そう言う意味なのだろうから。

俺はそうやって生きているのね・・・あんまりお勧めはしないけれど・・・って、そんな話をしたのね。まぁ、また次に会いたくなるようにするしか無いわな・・・と。今、帰る場所のあるかぐやよりも、せがれに言った話は、いつかそんな日が来た時のかぐやに言ったつもりなんだけれど・・・。

気が付いていると思うけれど・・・だからこそ、正直に俺は今こんな気持ちだよ・・・って言わないと、いつかこんな時が来た時の参考例を見せられない・・・今の俺にはこんな事しかする事出来ないのだから。そんなこんなでそんな見送りの帰りは、いつもよりもダメージは大きく、体の疲れも、

心も、自分の分とかぐやの分と、両親の分と・・・みたいにいつもよりも何か疲れた・・・。誰にも頼まれていないのに・・・あはははは。感受性ってのは作品作りには恵まれた力だが、人としてはしなやかに強くならないと、寂しさや切なさに押し潰されて孤独になるもので・・・。

それが嫌なら孤独にならない努力をするべきなのね・・・日々精進って言うのは、本来こんな時に使う話で、1人なってから向き合う方が良いのか?備えあれば憂いなしなのか?はどっちが正しいのかな?って話であって、それは各々が考えるべき事なんだろうが・・・。

ただ俺に関わった人は、知らなかった・・・では無く、知ろうとしなかった事になる。何故ならこうして毎日更新しているのだから・・・。あっ、完全休業した後じゃ、説得力無いかっ・・・あはははは。

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