今日はみどりとかるびの親子教室。それがかるびが運転免許を取った事もあって、途中から運転して来たのね。しかもいつもなら乗り換えるんだけれど、アトリエまでかるびの運転で乗せて貰ったのね・・・こう言う体験をする時、あぁ親をやっている人はこんな時、報われるだろうな・・・と思うのね。
その権利を持っている親御さんは、特に感じないのかも知れないし、俺以上に感じているかも知れないけれど、日常では無く非日常は刺激的であるし、こう言う日はその人の成長を感じたりする日であったりするので、見逃してしまえば別に普通の日常だし、あっかるびの運転だ・・・と思えば、そんな日。
それが育てたって権利のある人は、そこまで育てて来たって道のりの上に今日ってものを積み上げるから、一塩と感じられると思うのね。勿論、もっと判りやすい、新入学、成人式、結婚、新居、出産・・・って大きさから言えば、大した大きさでは無いのだろうが、感じ方の問題であって、単純に言えば、
楽しい、嬉しい、怖い、緊張する・・・感じる事はいっぱいある。それを感じられれば、きっともっと気付く事があると思うが、大きい事は誰でも節目で感じられても、小さくなればなるほど、感じられなくなってしまったりもする。そうなるとより大きな刺激にしか反応しなくなってしまうのね・・・。
ただそれでは中々感じる事が少なくなる。勿論日常を暮らすのに、何々記念日が毎週やって来るのも鬱陶しいだろうが、そう言うのでは無く、気付く程度の事であって、若いって事は常に成長が判りやすい。逆に歳を取るって言うのは、無くして行く事が多くなる。からこそ、小さな事に気付かなくなると、
何も感じなくなってしまうような気がするのね・・・勿論、一般的ならそんな感じと曖昧にするが、作家なんて職業であるのなら、そんな事を感じられなくなったらおしまい。何しろ感受性で仕事を成立させようって言うのだから。そんな事が出来るのも家族なんて事が欠落しているからだとは思うのね。
そもそも日常に当たり前のようにあれば、きっと見逃したような小さい出来事はまたすぐにやって来る。でも遠く離れたお爺ちゃんやお婆ちゃんには、些細な事でも何でも新鮮であって・・・そんな違いがあったりする。ただその人達も無くなって判る事が多くなったのなら、そうして知る事になったと思う
のね・・・しかしながら、俺のように最初から無い場合、判らなくて当たり前なんだけれど、判ろうとしたか?が大事で、判らないながら・・・の努力を惜しむと、もはや教えるなんて事すらも権利を失う気がするのね。出来る奴には出来ない人の気持ちにはなれないから。何故なのか?どうしてなのか?何処
が判らないのか?・・・人それぞれだし、もっと言えば望む結果も違う。一律なら簡単だけれど、それはほぼ押し付けに近いし・・・こうして語っている事すらも、これを必要としている人には必要性があっても、何だこりゃ?って言う事には全くいらない事だし・・・。まぁ見なけりゃ良い話でもあるが。
こんな話は竹原ピストルさんの歌に、若い者によぉそこの若けぇの・・・って上から言って、聞いてくれってお願いして、内容は俺も含め誰の言う事も聞くな・・・って。でも主張するのね・・・結局、必要か必要じゃ無いか?は相手が決めるもので、主張する側はそんな責任もあったりする・・・。
だって影響力があったりするから。だから適当だと説得力も無いし、思い付きではね・・・勿論、認められた上での思い付きはひらめきなんて上品にもなり得るが・・・いずれにせよ、そんな気持ちの中、かるびがこの作品の制作時間の長さに、自宅でもやろうかなぁ・・・ちっとも進まないし・・・って。
勿論、向上心って言う事ならとても良い事ではある。けれど、果たして仕事をして疲れて、更にモザイクなんて果てしない事を自宅でするのなら、もっと他にやる事があるのでは無いか?若いのだから・・・と思ったりする。ただ、もっと言えば、何も無かったりするのなら・・・それはそれで良い。
でも、考え方はこれだけの作品を作り、イベントでは人に教える側も経験し、かるびの持っている自由な時間の割り合いを考えたら、それで十分な時間を使っているとも思うのね。それで十分な経験値でもあったりして、もっと長く考えれば、ずぅぅとやっていたとしたら、みどりになる頃には、
大ベテランなのね。だから慌てない、慌てない・・・大事なのは継続する事。このままのペースで。でもね、もし大作疲れなら、小物でもやって見れば・・・きっと楽しいから。ただ、それを何個も作り続けると、どんな気持ちになるか?って言うのも、それはそれでまた勉強にもなる。
いずれにせよ、そう言う気持ちの変化は成長している証拠なのね。って事でみどり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8a/2bcb73f0b99d6e8eae2f7f6977dbe34b.jpg)
もう少しなのね。
その権利を持っている親御さんは、特に感じないのかも知れないし、俺以上に感じているかも知れないけれど、日常では無く非日常は刺激的であるし、こう言う日はその人の成長を感じたりする日であったりするので、見逃してしまえば別に普通の日常だし、あっかるびの運転だ・・・と思えば、そんな日。
それが育てたって権利のある人は、そこまで育てて来たって道のりの上に今日ってものを積み上げるから、一塩と感じられると思うのね。勿論、もっと判りやすい、新入学、成人式、結婚、新居、出産・・・って大きさから言えば、大した大きさでは無いのだろうが、感じ方の問題であって、単純に言えば、
楽しい、嬉しい、怖い、緊張する・・・感じる事はいっぱいある。それを感じられれば、きっともっと気付く事があると思うが、大きい事は誰でも節目で感じられても、小さくなればなるほど、感じられなくなってしまったりもする。そうなるとより大きな刺激にしか反応しなくなってしまうのね・・・。
ただそれでは中々感じる事が少なくなる。勿論日常を暮らすのに、何々記念日が毎週やって来るのも鬱陶しいだろうが、そう言うのでは無く、気付く程度の事であって、若いって事は常に成長が判りやすい。逆に歳を取るって言うのは、無くして行く事が多くなる。からこそ、小さな事に気付かなくなると、
何も感じなくなってしまうような気がするのね・・・勿論、一般的ならそんな感じと曖昧にするが、作家なんて職業であるのなら、そんな事を感じられなくなったらおしまい。何しろ感受性で仕事を成立させようって言うのだから。そんな事が出来るのも家族なんて事が欠落しているからだとは思うのね。
そもそも日常に当たり前のようにあれば、きっと見逃したような小さい出来事はまたすぐにやって来る。でも遠く離れたお爺ちゃんやお婆ちゃんには、些細な事でも何でも新鮮であって・・・そんな違いがあったりする。ただその人達も無くなって判る事が多くなったのなら、そうして知る事になったと思う
のね・・・しかしながら、俺のように最初から無い場合、判らなくて当たり前なんだけれど、判ろうとしたか?が大事で、判らないながら・・・の努力を惜しむと、もはや教えるなんて事すらも権利を失う気がするのね。出来る奴には出来ない人の気持ちにはなれないから。何故なのか?どうしてなのか?何処
が判らないのか?・・・人それぞれだし、もっと言えば望む結果も違う。一律なら簡単だけれど、それはほぼ押し付けに近いし・・・こうして語っている事すらも、これを必要としている人には必要性があっても、何だこりゃ?って言う事には全くいらない事だし・・・。まぁ見なけりゃ良い話でもあるが。
こんな話は竹原ピストルさんの歌に、若い者によぉそこの若けぇの・・・って上から言って、聞いてくれってお願いして、内容は俺も含め誰の言う事も聞くな・・・って。でも主張するのね・・・結局、必要か必要じゃ無いか?は相手が決めるもので、主張する側はそんな責任もあったりする・・・。
だって影響力があったりするから。だから適当だと説得力も無いし、思い付きではね・・・勿論、認められた上での思い付きはひらめきなんて上品にもなり得るが・・・いずれにせよ、そんな気持ちの中、かるびがこの作品の制作時間の長さに、自宅でもやろうかなぁ・・・ちっとも進まないし・・・って。
勿論、向上心って言う事ならとても良い事ではある。けれど、果たして仕事をして疲れて、更にモザイクなんて果てしない事を自宅でするのなら、もっと他にやる事があるのでは無いか?若いのだから・・・と思ったりする。ただ、もっと言えば、何も無かったりするのなら・・・それはそれで良い。
でも、考え方はこれだけの作品を作り、イベントでは人に教える側も経験し、かるびの持っている自由な時間の割り合いを考えたら、それで十分な時間を使っているとも思うのね。それで十分な経験値でもあったりして、もっと長く考えれば、ずぅぅとやっていたとしたら、みどりになる頃には、
大ベテランなのね。だから慌てない、慌てない・・・大事なのは継続する事。このままのペースで。でもね、もし大作疲れなら、小物でもやって見れば・・・きっと楽しいから。ただ、それを何個も作り続けると、どんな気持ちになるか?って言うのも、それはそれでまた勉強にもなる。
いずれにせよ、そう言う気持ちの変化は成長している証拠なのね。って事でみどり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/8a/2bcb73f0b99d6e8eae2f7f6977dbe34b.jpg)
もう少しなのね。