今日はしばらく振りのくじらが、キウイに相席・・・何しろコロナ渦に加えて俳句でも忙しかったらしく・・・中々折り合いが付かなかったらしいのね。まぁしばらくって事になると、色々と面白い事も起こったりするもので・・・。
例えば、久しぶりにタイルを切る・・・なんて事になると、あっ上手く切れた・・・あっ入ったぁなんてセリフ。どんな感じに聞こえる?って話になると、それを俳句で表現すると、後2文字足んないんだよね・・・かな・・・でも入れとくかぁ。
みたいな感じで素敵な感じじゃないねぇ・・・って言うと、苦笑い。完全に言葉通りの意味になるのね。それをこの話で理解してくれて・・・判っちゃうから笑いが出るって話。こんなやり取りが、くじら教室になるのね。
つまりモザイクを習うと言うより、作家katsuの感性みたいな話で、それを聞いてくじらはどう感じるか?なのね。それはオリジナルを創作するに当たって、感じ方の練習になるのね。その話を広げるに当たって、くじらの好きなベイスターズと俳句を多用
して、全ての話に絡めて行く・・・そんなやり取りをキウイは聞いてて、何か似ているんですね・・・と言うから、何かを志すって言うのは、全てが所詮、人のやる事であって、その分野のテクニックや技術の違いはあっても、オリジナル
って言うものを選択すると、自分の好き嫌いや意思とは関係無く、どうしても普通とか、一般的みたいな表現から逸脱する事になるから、波風立たないなんて事は絶対にあり得ないのね。更に付け加えると、それを目指す人達はみんな、ギラギラと狙っているものだったりするのね。
そもそもが水戸黄門の3番の歌詞に、後から来たのに追い越され、泣くのが嫌ならさぁ歩け・・・ってのがあるが、競い合う全ての者達へのメッセージであって、野球だって、毎年入団して来る新人の若者達は最少は高卒の18歳。
それを迎え撃つ40歳超えなんて事もあったりする訳で・・・年齢など関係無いのね。しかもボクサーだって、お笑いだって、チャンスをものにするのと、チャンスすら回って来ない者・・・その道で飯を喰うなんてのはごくわずかなのね。
それは個人事業って感じになるからであって、組織の中での話なら、安定ってものと引き換えに、群れのルールや習慣などがあり、縛られるような規制があったりするのね。更に切磋琢磨なんてもんは競い合いな話で、和気あいあいな表現では
無いもので・・・。そう言う自覚は必要だろうし、上に上がれば上がったで、妬みや嫉みなんてもんに巻き込まれるだろうし・・・でも自分の身を下げれば下げるほど円滑には進んだりもするけれど、果たしてそれで良いのか?ってな事になると、
納得出来るか・・・?みたいな気持ちになるだろうし・・・。単純にその分野が好きで・・・と始めても、上を目指すって言うのは、楽しいだけじゃ無いのね。それと腕がいくら良いって上手くても、凄くても、そんなものはその分野に、
いくらでもいるのね。最後の最後まで、どんな事があっても気持ちを切らさずに、続ける・・・そんな事が出来た人がプロって認められるもので・・・ただね、どんな事も所詮、人がやる事・・・。ほぼ一緒なんだけれど、生き方って言う
ものがあって、どんな分野だってそうなんだけれど、例えば野球だと、鳴り物入りで入団すれば、みんなが注目し、複数の球団から指名されたりする。当然その知名度や、期待料込みの契約金なんかが貰える。とても華やかである。
逆に育成枠なんて下位指名になると、正式選手って訳では無く、派遣とかパートのようなもので、正式な社員では無く、しかしながらプロへの可能性を一歩駆け上がれた事だけで、契約金など無しの厳しいスタートなんて事がある。
もはや身内以外誰も知らない・・・同じ入団にしてもこんな差があったりする。しかし何事も良い事と悪い事は背中合わせ・・・華やかな入団選手は常に注目され、そのプレーはファンで無くても一喜一憂させる。
しかし育成は、二軍の試合すら出られないルール・・・これを下剋上を常に意識して、いつか・・・いつか・・・と気ってものを維持し、日々の練習に・・・そもそも試合には出られないが、華やかな選手と野球をするって点では一緒なのね。
しかも先人に育成枠から一流選手にのし上がった例が何人も出て来ると、その気ってものを維持する気力も沸くだろう。しかしながら、一度もチャンスの来なかった人もいるだろう。つまり華の無いプレーヤーの中からも下剋上を成し遂げる
人もいれば、エリートとして名をはせて、鳴り物入りで何度と無くチャンスを貰っても、結果が出ず退団するものもいる・・・プロで生きるとはそう言うもの。そのどちらなんだ?自分は?って話なのね。
俺は自分では華の無いプレーヤー側だと思っているのね。タイル屋の頃からね。どちらかと言うと、タイル屋として独立はしたものの、同業者のタイル屋さんには重宝がられた・・・まぁ信用だけはあったから。ただ信用だけね。
穴を空けた事は無かったし、下手では無かっただろうから・・・何度と無く声が掛かった。つまり鳴り物入りの4番でも無ければ、エースでも無い。ただ送りバントをキッチリと決められて、守備要員としても、代走でも中継ぎでも投げる。
いついかなる時でも、自分の仕事があっても後回しにして、場合に寄っては、自分の仕事を無くしても・・・なんて事もあっても、一宿一飯の恩義ってものを大切だったりした。つまり石原裕次郎では無く、最高に上り詰めても渡哲也。
まぁ勿論、判りやすい人物を使った比喩であって、とても2位狙いなんて話では無く、その親分に仕える人としてって役割であって、親分になる気も無く・・・とは言え、そんな気持ちで独立したって、所詮仕事は出来たとしても、そこそこの
結果になる訳で・・・ただ必死にやってただけの20年。馬鹿にもしないし、まぁ良く続けたね・・・って言えば、良く続けられたね・・・って理由は1つで、みーちゃんって妹と一緒にやって、その内に親父も一緒になって、責任を負ったから。
ただそれだけ。そうね、弟弟子の死って言うのにダメージを大きく受けた事も離れる理由だったりもしたが・・・。ただね、これら全部は主観の話で、人から見た場合、一応進学校を出たのにタイル屋?って事もあり、親父がタイル屋って事で
修業先の職人からも腰掛けで、いつか戻るんだろうとも思われていたし、独立にしてもお前がぁ?って思っただろうし、俺ごときが小生意気にテレチャンで優勝って思った人もいっぱいいただろう。つまり他人からはもしかすると、エリート
側に見えていたかも知れないし、そうであるのなら、自分の評価との温度差ってものが常にある事になるのね。しかも性格柄、俺が俺がとグイグイ行かないタイプ。それを謙虚と取る人もいれば、自信が無いように見られる事もあったりする。
まぁそんなの関係無いって言い切れる人はそれで良いし、そこを触れるつもりも無い。そこは俺とは住む世界の違う人だから。ただもしここまでの話に当てはまるようなら、そうなのか?と受け入れた上で、そしてどうする?なのね。
打開策、是正策・・・何でも良いから、何しろ同じ失敗の繰り返しをしない事。何しろ成功なんて意識をせずに、昨日と違う失敗をして行くと、遠い道のりではあるけれど、失敗だらけが手に入って行くのね。あれもこれもダメと・・・。
しかしながら、きっと今日もまた失敗なんだろうな・・・と悲観する事があっても、それでもいつか続けて行くと、今までに見た事の無い事例が出て来たりするのね。それを見逃さない事ね。あの時の未熟さと、考え方だったりしたものが、
今の腕と知恵で洗練されると、あの時に気づけ無かった事に気付ける事もあったりするもので・・・いずれにしても、くじらが満足する話は出来なかったかも知れないが、何かのきっかけやヒントになれると良いのだけれど・・・。
そんな後は明日のイベントの為のかぐやのお迎え・・・。