今日はキウイ教室から・・・まずはウエルカムボードのプレゼント作品が張り終わって目地入れして完成したのね。まぁこんな上出来な作品がプレゼントって言うんだから、そりゃ頂ける人は、
ビックリするだろうね・・・きっと。まぁ上手くなったもんだなって感心するのね。そんな後は、
スノーマンのリースが張り終わったのね。後は目地入れのみなんで、次回のサークルで完成って事になるんだけれどね、ここでは、中々難しい話になるんだけれど、確認として全てキウイの作品。
しかも同時進行なのね。つまり同じ人が同じ腕で完成させている・・・ここをマメに見てくれている人が覚えているかどうか?なんだけれど、まだ始めたばかりのご近所さんの小3のお母さんが、
先日ぺきぺきでスノーマンのリースを張り終えたのね。そうまだ始めたばかりのね。ちなみにキウイはお絵描きタイルを使っているのね。お絵描きタイルって言うのは、そもそもがランダムで形が
出来ているから、なるべく切らない方向で作る方が可愛いのね。方やぺきぺきは柔らかいから、初心者向きで、切る練習には持って来いのタイル・・・条件は全く違うのね。勿論腕前としても、
キャリアとしても大きく違うのね。でもそれを第三者のモザイク未経験者に見せた時、その差が判るか?となると、きっと判らないものなのね。所が、腕がある人が見れば、その差が判るのね。
それは技術が判るから。例えば、童謡をピアノで余計なアレンジなしで、楽譜通りに弾く・・・ってルールで、練習をして中々上手く弾けるようになったね・・・って人と、先生の区別が出来る耳
を持っている素人って何人いる?と言う事と、今度は自分の得意な曲を自由に演奏して貰って比較した時に、両者の違いを聞き比べて、判る人の人数はどっちが多い?って話になれば、完全に後者
になるでしょ?自由になればなるほど、実力がハッキリするのね。つまりサンプルがあって、少し切れるようになった・・・って人だと、形のある下地ありきでは差が出づらいのね。
つまり見た人の感想は、全て可愛い・・・で片付けられてしまうのね。参考で使った童謡の話も同様で、幼稚園の伴奏のような場合、自由を奪うと聞き分けられる素人なんてそうはいないのね。
所が自由度が増すと、そりゃベテランはプロ顔負けの腕を持っているのね。それがウエルカムボード。この位の作品になると、キウイではもはやプロとして売っている人達と比較しても、全く遜色
が無い所か軽く肩を並べられるのね。ただ良くご存知の人なら、そんなのは当たり前の話で、あの大木の女の人の作品を作った人なのだから、別にそんな事は不思議じゃ無いのね。
では今の比較とは違う方向で考えると、俺もプロとして活動しているから、ではこのウエルカムボードと比較される作品を作ったとする。恐らく100対0で勝てる事は無いだろうね。
つまり小3のお母さんと同じで、キウイと同じように見える可能性がある作品に見える・・・って事が、形のある下地では無くても、オリジナルとしても俺と左程変わらないように見えるはず。
つまりこの程度では、もはや簡単には勝てない所か危ういんじゃ無い?って話なのね。そこで更に60cm、90cm・・・と作品を大きくした時に、あの大作を完成させた人だから、1m位までは、
そう簡単では無くなったかぁ・・・って腕前になったと思うのね。そんな人が30cm程度の作品を作るのだから、余裕すら感じられる。それじゃ気ままに作れるのだから、ノープレッシャーになる
のね。だもの上手く見えて当然でしょ?所がもし何年も掛かる大作なんて場合、どうしようかな?失敗したくないし・・・これかな?あれかな?って悩んだりすれば、当然手も止まり、何度も考える。
それが今の棟梁なのね。上手くなる仕組みってのは、こんな事の繰り返しなのね。だから、同じようなものを繰り返し作ると、慣れるほど上手くなるし、ノープレッシャーだから、気楽に作れる。
しかも慣れから、テクニックも付くし、時間も読めるようになる。勿論、良い事があれば、悪い事もある。慣れから落とし穴って言うのは、いつも同じような物しか作らない。ただ好みだけ。
そうなると、新鮮味が無くなるし、簡単に感じる事になれば、簡単だからチョチョイのちょい的な感じになる。それを何回か繰り返せば飽きも来る。続けるって言うには、刺激ってものが必要なのね。
では刺激って言うのは何?となると、キウイ位になると、プレゼント作品を全力で終わるのが読めずに、いくらでも時間を掛ける事は禁止ね・・・になる。時間制限を自分なりに想定する。
これ以上は掛けない・・・ってね。そうするとちょっと緊張感も出るし、焦ったりもする。いきなりやろうとはせず、まずは構想・・・考えてこうしよう、あぁしようって事になる。
切るって技術のみで乗り切らずに、考える・・・って構想力やアイデアをしっかり構築する時間をしっかり取ってから、制作時間を大きく取らない・・・まぁ気まぐれ禁止って事なのね。
考えた事を遂行するだけ・・・そうしないと、上手いのは切る張る技術であって、デッサン力があるのでは無いのね。そうなると、考えずにいきなりスタートすると、やっぱりこっちかな?みたい
に、まるで大作の時と変わらなくなる。しかも小さい作品になれば、じゃもっと細かく切れば良いかっ・・・と簡単に出来たりする。もはやエンドレスになる。つまり小さな大作になっちゃうのね。
それを防ぐには、考えた末・・・ここに時間を前持って始めて、時間を割き、制作時間に限界を決めれば、掛かる時間が読めるようになる。つまり自分がこんな文字にすると、この位掛かるとか、
4分の1丸程度は、1時間で何個くらい切れるとか、勿論焦ってグレードを落としては何の意味も無いから、最高何個では無くて、常に最低何個くらい・・・とか、目安って事ね。それが自分を知る
って基本的な考え方だと思うのね。もっと掘り下げれば、病は気から・・・つまり気1つでいくらでも左右する。だったら、気分が良い時は、こんな・・・気分が落ちるとこんな・・・って事も、
判るだろうし、ある意味、凄い人って言うのは、結婚式でも葬式でも差は無しなんだろうね。気で左右されない・・・それも鍛錬とかになるんだろうけれどね。まぁそこまで言うつもりは無いけれど、
まぁこのウエルカムボードにはそんな事も含まれた制作だったのね。しかも人の気持ちも左右する作品が作れる・・・こっちのが良いってね。勿論好みはあれど、どっちでも良いよ・・・なんて、
言ったら俺なら迷わず、ウエルカムボードにするね。しかも、本人が私が欲しいんだけど・・・って作品になったらしいから、それは最高のプレゼントになるね・・・って話。そもそも、簡単に
あげられるってのは、まだ全力では無いし、まだその程度なのね。人に上手いだの、凄いだのって言われるようになると、あの人が作った作品・・・って意識しないと、向上心には繋がらない。
そんな意識を持てるようになると、へっぽこなものは作らなくなるのね。それをもっと越えると、技術を持って、へっぽこに見える作品が作りたくなるんだけれどね・・・。まぁそれについては、
後々に・・・。そんな後は、サンタのリースのペーパー掛け・・・これでサンタは全部終了。
ビックリするだろうね・・・きっと。まぁ上手くなったもんだなって感心するのね。そんな後は、
スノーマンのリースが張り終わったのね。後は目地入れのみなんで、次回のサークルで完成って事になるんだけれどね、ここでは、中々難しい話になるんだけれど、確認として全てキウイの作品。
しかも同時進行なのね。つまり同じ人が同じ腕で完成させている・・・ここをマメに見てくれている人が覚えているかどうか?なんだけれど、まだ始めたばかりのご近所さんの小3のお母さんが、
先日ぺきぺきでスノーマンのリースを張り終えたのね。そうまだ始めたばかりのね。ちなみにキウイはお絵描きタイルを使っているのね。お絵描きタイルって言うのは、そもそもがランダムで形が
出来ているから、なるべく切らない方向で作る方が可愛いのね。方やぺきぺきは柔らかいから、初心者向きで、切る練習には持って来いのタイル・・・条件は全く違うのね。勿論腕前としても、
キャリアとしても大きく違うのね。でもそれを第三者のモザイク未経験者に見せた時、その差が判るか?となると、きっと判らないものなのね。所が、腕がある人が見れば、その差が判るのね。
それは技術が判るから。例えば、童謡をピアノで余計なアレンジなしで、楽譜通りに弾く・・・ってルールで、練習をして中々上手く弾けるようになったね・・・って人と、先生の区別が出来る耳
を持っている素人って何人いる?と言う事と、今度は自分の得意な曲を自由に演奏して貰って比較した時に、両者の違いを聞き比べて、判る人の人数はどっちが多い?って話になれば、完全に後者
になるでしょ?自由になればなるほど、実力がハッキリするのね。つまりサンプルがあって、少し切れるようになった・・・って人だと、形のある下地ありきでは差が出づらいのね。
つまり見た人の感想は、全て可愛い・・・で片付けられてしまうのね。参考で使った童謡の話も同様で、幼稚園の伴奏のような場合、自由を奪うと聞き分けられる素人なんてそうはいないのね。
所が自由度が増すと、そりゃベテランはプロ顔負けの腕を持っているのね。それがウエルカムボード。この位の作品になると、キウイではもはやプロとして売っている人達と比較しても、全く遜色
が無い所か軽く肩を並べられるのね。ただ良くご存知の人なら、そんなのは当たり前の話で、あの大木の女の人の作品を作った人なのだから、別にそんな事は不思議じゃ無いのね。
では今の比較とは違う方向で考えると、俺もプロとして活動しているから、ではこのウエルカムボードと比較される作品を作ったとする。恐らく100対0で勝てる事は無いだろうね。
つまり小3のお母さんと同じで、キウイと同じように見える可能性がある作品に見える・・・って事が、形のある下地では無くても、オリジナルとしても俺と左程変わらないように見えるはず。
つまりこの程度では、もはや簡単には勝てない所か危ういんじゃ無い?って話なのね。そこで更に60cm、90cm・・・と作品を大きくした時に、あの大作を完成させた人だから、1m位までは、
そう簡単では無くなったかぁ・・・って腕前になったと思うのね。そんな人が30cm程度の作品を作るのだから、余裕すら感じられる。それじゃ気ままに作れるのだから、ノープレッシャーになる
のね。だもの上手く見えて当然でしょ?所がもし何年も掛かる大作なんて場合、どうしようかな?失敗したくないし・・・これかな?あれかな?って悩んだりすれば、当然手も止まり、何度も考える。
それが今の棟梁なのね。上手くなる仕組みってのは、こんな事の繰り返しなのね。だから、同じようなものを繰り返し作ると、慣れるほど上手くなるし、ノープレッシャーだから、気楽に作れる。
しかも慣れから、テクニックも付くし、時間も読めるようになる。勿論、良い事があれば、悪い事もある。慣れから落とし穴って言うのは、いつも同じような物しか作らない。ただ好みだけ。
そうなると、新鮮味が無くなるし、簡単に感じる事になれば、簡単だからチョチョイのちょい的な感じになる。それを何回か繰り返せば飽きも来る。続けるって言うには、刺激ってものが必要なのね。
では刺激って言うのは何?となると、キウイ位になると、プレゼント作品を全力で終わるのが読めずに、いくらでも時間を掛ける事は禁止ね・・・になる。時間制限を自分なりに想定する。
これ以上は掛けない・・・ってね。そうするとちょっと緊張感も出るし、焦ったりもする。いきなりやろうとはせず、まずは構想・・・考えてこうしよう、あぁしようって事になる。
切るって技術のみで乗り切らずに、考える・・・って構想力やアイデアをしっかり構築する時間をしっかり取ってから、制作時間を大きく取らない・・・まぁ気まぐれ禁止って事なのね。
考えた事を遂行するだけ・・・そうしないと、上手いのは切る張る技術であって、デッサン力があるのでは無いのね。そうなると、考えずにいきなりスタートすると、やっぱりこっちかな?みたい
に、まるで大作の時と変わらなくなる。しかも小さい作品になれば、じゃもっと細かく切れば良いかっ・・・と簡単に出来たりする。もはやエンドレスになる。つまり小さな大作になっちゃうのね。
それを防ぐには、考えた末・・・ここに時間を前持って始めて、時間を割き、制作時間に限界を決めれば、掛かる時間が読めるようになる。つまり自分がこんな文字にすると、この位掛かるとか、
4分の1丸程度は、1時間で何個くらい切れるとか、勿論焦ってグレードを落としては何の意味も無いから、最高何個では無くて、常に最低何個くらい・・・とか、目安って事ね。それが自分を知る
って基本的な考え方だと思うのね。もっと掘り下げれば、病は気から・・・つまり気1つでいくらでも左右する。だったら、気分が良い時は、こんな・・・気分が落ちるとこんな・・・って事も、
判るだろうし、ある意味、凄い人って言うのは、結婚式でも葬式でも差は無しなんだろうね。気で左右されない・・・それも鍛錬とかになるんだろうけれどね。まぁそこまで言うつもりは無いけれど、
まぁこのウエルカムボードにはそんな事も含まれた制作だったのね。しかも人の気持ちも左右する作品が作れる・・・こっちのが良いってね。勿論好みはあれど、どっちでも良いよ・・・なんて、
言ったら俺なら迷わず、ウエルカムボードにするね。しかも、本人が私が欲しいんだけど・・・って作品になったらしいから、それは最高のプレゼントになるね・・・って話。そもそも、簡単に
あげられるってのは、まだ全力では無いし、まだその程度なのね。人に上手いだの、凄いだのって言われるようになると、あの人が作った作品・・・って意識しないと、向上心には繋がらない。
そんな意識を持てるようになると、へっぽこなものは作らなくなるのね。それをもっと越えると、技術を持って、へっぽこに見える作品が作りたくなるんだけれどね・・・。まぁそれについては、
後々に・・・。そんな後は、サンタのリースのペーパー掛け・・・これでサンタは全部終了。