katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ教室とプチ金魚の壁画

2023-05-11 08:41:27 | モザイクタイル教室

今日は久しぶりのキウイ教室。ただ右手を痛めている事もあって、ニッパーが使えないのね。だから体験用の鍋敷きをやったんだけれど、いつものようには上手く行かないのね。そこへ持って、サンプル通りにやるはずも無く・・・当然そうなると、真似をするのでは無いから考えないとならない。

しかも、それがキウイとなると上手いのは判っているのだけれど、何がどう上手いか?って言うと、タイルを切るとか張るって技術がすば抜けている。ここが一番大事な所で、それは俺にも言える話でね、手前味噌になるけれど、仮でも良いから、そうだと話を進めると、良い事と悪い事は背中合わせ。

つまりその切るって言う部分を封印されるって事は、デザイン性みたいな事や色合いで変化させる事になるのね。ただチラッと見えている鍋敷きは、五角形のレトロなタイルを使用しているもので、デコボコな輪郭が出来てしまうのね。更にこのデコボコに中央部に葉っぱのタイルを張ると、

更にデコボコな感じになるのね。そうなると、切る事が上手ければ、このデコボコを埋めるような切り方をしたくなるのね。しかもすんなり切れるし・・・ただ切れない・・・。そうなると、あれこれもどかしいのね。こう出来るし、こうも出来るはずなのに・・・切れないってね。

まぁそれが非常に大変なのね・・・そしてそれが体験用サンプルを考える、先生katsuの悩みなのね。常にサンプル通りにやろうとすると思われる前提で考えると、切る事が上手い人が簡単に切れる事が、初めての人ではそうは行かない前提で考えると、それを封印して考えるのね。

だからなるべく切らないように、デイ・サービスでのお絵描きタイルを張るだけのサンプルになるのね。もはやそこには、作家katsuはいないのね。だから誰にでも簡単に真似出来るのね。これが作家katsuだと、逆に個性オンリーみたいになるのね。だからいかに、他の人はやらないだろう・・・的になる。

考え方が全く違うのね。こうした違いを毎月経験しているから、俺の場合はスイッチを切り替える練習をしているって感じだとすると、今のキウイはその感覚の経験は無く、戸惑いはあると思うのね。更に言えば、手を痛めているから切れない・・・こんな文章くらいの事だと思っているのね。

きっとね。でも俺には、相当上手い人が切れない・・・って感じになるのね。はぁ?何が違うの。って思う人は、こう感じると理解出来るのね。例えば前者は、切れないだけ・・・つまり子供であっても良いし、お母さんでも良いし、ただ怪我をしているって感じね。

でも後者は、達者な人って感じだから、子供だろうが、大人だろうが、腕利きの人が怪我をしている・・・この違いはエース級が怪我に値する。つまり先生である俺は、実力者と考えているのと、本人の自覚との差はとても大きいのね。それが使えないって言うのはね。そこが凡人になるって事。

つまりいつものキウイを保つって言うのは、いつも以上に考える事に特化して、いかにデザインを考えるか?それとも何にも考えずに、色違いにしてのん気でやるか?が安心なんだけれど、ここが一番難しい事を選んでしまうのね。それがちょっと変える・・・ここね。

勿論、いつものキウイなら、いとも簡単に変えるだろうが、いつものキウイじゃないのね。切れないのね。気が付いた人もいるだろうが、つまりいつものサンプル作りの俺なのね。しかも俺も散々考えて、サンプルを作ったのね。しかも5粒しか切らないってね。しかしながらキウイはそれすら出来ない。

それではいつもの俺よりも大変なのね・・・だから、何なら多少のパーツは俺が切るよって事になったのね。そもそも切らない方向で俺も相当考えた上のデザインだったのだから、少し変えるって言うのは、一体どの程度になるんたろうか?って思うと、キウイの少し・・・なのね。

つまり達者な人の少しになるのね。更に複雑なのは、切って貰うのは悪いな・・・って気持ちが働くと遠慮もあるだろうが、その遠慮にしても、最初のデザイン次第なのね。そこの考え方が大きく違ったりするのね。俺は切る枚数のMAXを最初に考えるのね。例えば5、6枚程度みたいにね。

何故ならサンプルは1枚でも、デイ・サービスは切らないように・・・なら、全部俺が仕込まないとならないから、10個それをやる事になるのね。だからやり過ぎないサンプルにしないとならないのね。つまり怪我したキウイの感覚で、サンプルを考える・・・って感じにね。

それをもっと下げないと、難しい・・・となると、パーツを切るだけで無く、事前に張って置かないと・・・になったりもする。こんな事を考えて作るって言うのは、やる人の事を考慮してなのね。つまりキウイもデザインをいつものキウイが出来る事で考えてしまうと、今は出来ないになる。

なんとももどかしいだろうね。だから、キウイの腕の代わりをするよ・・・にしても、遠慮のキウイがいる。でもデザインのキウイが仮に遠慮のキウイが入っていたとしても、さっきの考え方で、遠慮して考えなきゃ・・・って言うのと、達者な人なんだから、相当遠慮して考えなきゃ・・・では、

全く違うものになるのね。付いて来られるかな・・・人の考える事って言うのは、単純なものでは無いのね。これが体験なら、とても単純で、出来たぁ・・・で楽しい人もいるし、思い通りに出来なかった・・・と思う人もいるし、一度で充分な人もいて、おかわりみたいに、またなんて事になる。

でもね、こうした言葉で普通は片付けるものだけれど、もし警察ならプロファイリング的になるのなら、もし受験で傾向と対策って事で過去問を解くのなら、みたいな感覚なら、どうして色々と変化するか?同じ人が教えていて、同じサンプルなのに・・・はこうした背景があるからなのね。

その人が一体、どんなグレードで完成させるか?出来上がりの満足度なのか、新鮮さなのか、今日の時間を埋めるだけなのか、趣味探しなのか、それとも生き甲斐探しなのか・・・勉強と同じなのね。目的意識の高さの違いで指導も変わって来るし・・・。みんな同じな訳では無いのね。

それが一番判りやすいのが、労作展なのね。みんな良いのが持って行きたいんだからね。だからその人が使う時間の中で、最高に見えるアイデアや方針を相談するから、みんな完成して、ある程度の完成度もキープ出来ているのね。勿論、必ず受賞出来る訳では無いけれどね。

それがいつものキウイなら、大作は勿論、小物であっても、やっぱりキウイだな・・・って作品になるが、今回は異例の封印となる。ここまでの説明をすると、勘違いをしてしまうのだけれど、別に俺は最高のキウイを常に・・・って言っているんじゃ無いのね。

違うのね。ちょっと変えた時点で、相当考えなきゃいけないんだよ・・・のお知らせなのね。だってそこに行き着くまで、先生の俺が相当考えてそれになったのは、なるべく切らないように・・・と考えた上の事で、つまり今のキウイが考えるような事はやり尽くした上なんだよ・・・って事。

もっと言えば、あのサンプルを考えてた俺が、その時浮かばなかったアイデア・・・それ以上のアイデアを考えないとならないんだよ・・・って、言うお知らせなんだけれどね。しかも譲歩して、それでもちょっと足りない・・・って言うのなら、俺でも5粒切ったから・・・って。

この鍋敷きの難しさが判るかなぁ。って言うか、本人の自覚なんだけれどね・・・どの程度のが作れると、自分が満足出来るか?ってね。レベル高くって意識なら、いっぱい切って上げれば良いし、この関係は、設計士と施工の関係なのね。設計士は作れない。図面引きだからね。

しかも、自分で描いた事が、どんなに大変か?なんて一切関係ない人なのね。だから容赦無し。ある意味、心無い人って言い方でも良いのね。何故なら、どんなに大変だろうが、最初から金額は決まっているのだから、好き放題描けるのね。それは施工しないからなのね。

逆に施工側は、自分で一切デザインなんて出来ないのに、文句を言うのね。場合に寄っては、こんなの・・・ってケチを付けたりしてね。まぁそれも建築で沢山見て来たから言えるんだけどね。こんな事を一人でやるのね・・・オリジナルを作るって言うのはね。

切らないキウイ・・・このいつもと違う体験は、非常に勉強になるはずなのね。剛速球を封印した、変化球を編み出す為の時間でも考えてね。ウイルスでワクチンを作るように・・・もし手に入れたら、切れるように戻れば、切れるキウイと、切らないキウイの2つになる訳で・・・。

ただそこは結構難しいのね。どっちも良いよね・・・って思わせるにはね。俺もデイ・サービスのサンプルに何年も練習させて貰って、ここまで来たんだからね。そんな後は、プチっと金魚の壁画。

 


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