今日は棟梁と、久し振りのリピーターさん教室の2つ。ではまず棟梁から。こんな小さなアゲハの場合、まず本物よりも小さい事、しかもガラスタイルな事、そして触覚の細さ・・・こんな事から
物理的に出来る事と出来ない事がふるいに掛けられるのね。まず本物よりも小さい事。これによりまずリアルは不可能に近いと言う事。つまりいくらかのデフォルメって感じになるのね。
いくらかであり、ザコシショウみたいに誇張し過ぎにはならないようにね。そしてガラスな事。ここも小さいに連動するのだけれど、限界のパーツがあると言う事。そして触覚。このアゲハの限界
ってパーツなのね。つまり物理的に・・・って言うのは、まずこの触覚が切れる前提の話であって、これが切れないのに小さくしても、不格好になるのは当たり前の話なのね。
そして俺でもこれが限界のパーツなのね。だからこれ以上いくら頑張っても、精度は上がらない。そんなパーツなのね。まぁここまでの話は物理的な事なんだけれど、ここからは情緒みたいな話で
考える・・・って事をしない人には全く必要は無いし、理解は出来ない事なんだけれど、この先は実力者の領域になるのね。ただ誰にでもその扉は開けるが、考える事しない人には永遠に開かない
ものなのね。まず物理的に・・・って部分で、俺でもリアルにはならない大きさである。って権利は無くなったのね。そこで情緒を含めたここからが個性って話になるのだけれど、一体どうしたい?
って話になると、大抵の人は好みの色を言い出したりする。それは別に誰とでも被る事はあって、個性って程の話では無いのね。本来の個性って言うのは、このアゲハをどう見せたい?って質問は
例えば、このアゲハを使って、どんな比喩に使おうとしているの?って話で、ん・・そうね、例えば、昔から使っている話のネタとしては、昭和歌謡ってのの歌詞なんかがあるのね。
具体的に言えば、ユーミンのやさしさに包まれたなら・・・の歌詞が比喩満載でね、小さい頃は親のやさしさに包まれて何でも叶えて貰ったって。じゃ大人になると叶わないか?って言うと、
あの若さで誰にも気付かれないように、美しい言葉で、巧みに隠すのね。雨上がりの庭でくちなしの香りのやさしさに包まれたら・・・って。具体的には言わないけれど、ただ彼に包まれるのでは
無く、その歌詞の比喩が判ると、その彼とその比喩に包まれたら・・・になるのね。雨上がりとは何か?くちなしの香りとはどんな匂いか?それと共に彼に包まれたのなら・・・子供の頃と同じに
なる・・・と。そして次の日にカーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたら・・・って。こんな事が情緒であり、単に彼が側に居れば、彼のやさしさに包まれたら夢は叶うのなら、
こんな歌詞は要らないのね。わざわざ伝える必要は無いのね。つまりこの歌の一番大事な部分になるのね。しかもきちんと隠してあるから、いやらしさが全く感じられないから、ユーミンの凄さ
だったりする。かと思えば、チューリップの虹とスニーカーの頃って歌では、わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪って何?そして若かった何もかも、あのスニーカーはもう捨てたかい
って何の事?これまた恋愛の歌で名曲なんだけれど、したい・・は男の罪で、駄目・・・は女の罪って事にすると、スニーカーとは一体なんぞや?って事になれば、言うまでも無いのね。
全て名曲って言うのは、曲が素敵なだけで無く、歌詞にこんなに情緒ある、直接表現で無く比喩を使う事だったりするのであれば、このアゲハを入れた理由に沿った美しい比喩が成立すれば良い
だけであり、好きな色を使いたいのなら、ここはアトリエ・・・自分の好きな色にすれば良くなるから、俺は必要ないはずなのね。ただもし自分の思い描く比喩を成立する為の質問なら、自分が
どうしたいか?どう見せたいか?を説明まで行かなくても、伝えようとしないと、文字にも出来ない事が、出来ると思っている事自体が思い上がりなのね。たかだかタイルが細かく切れるだけ。
その程度で上手く出来るのなら、たかだか包丁が器用に使えるだけで、最高の味覚が出せるのなら、修行は要らないし、楽器を楽譜通りに弾けるだけでは、名曲は作れないのね。
つまりその腕を持ってして、いかにそこに自分なりの情緒が出せるか?って事がオリジナルなのね。まぁ最近の棟梁はこのやり取りをいくらか理解しているので、こう思っているんだけれど・・
が少し出来るようになって来たから、質問らしくなって来たのね。これが出来るようになると、多少俺の存在って言うのも役立つとは思うのね。何故なら、ここまで切れる人は、いちいちどう切る
って質問はしないし、切れない事も少ない。しかもさっきの話では無いが、好きな色選びなら、好きにすれば良いだけだから、俺の出番は無い。つまり材料を用意する人の事を先生って呼んでいる
だけなのね。ただこのやり取りをするのであれば、この腕を持ってしての指導は情緒を一緒に考える・・・って人として役立つはずなのね。ただこれはオリジナルの場合であって、つまり作家katsu
に習いたい人になるのね。これが体験のようなみんな一緒の作品とか、まだ切るのがままならないとか、手がボンドだらけになるとか、思った形に切れないとか、ボンド選びとか、外部に張るとか
・・・そんな場合の相談なら、それは全て先生katsuに習いたい人であり、ここには情緒なんて一切要らないのね。そしてまだその段階では無いし、もっと言えば、そこまでで良い人なのね。
だから難しいのね・・・教えるのは。どっちのkatsuが必要なの?になるから。ただ中々それを理解出来る人は少ないし、そこまで必要なのか?となると、どうなのかねぇ・・・っな話。
少なくと趣味ならそこまで要らないし、生き甲斐って話になるのなら、慌てて無いから、ガッチリ時間が使えるし、本物のオリジナル作品に向かう事が出来るから、指導が大きく変わって来る。
その対比としては丁度良い事例として、久し振りに料理の先生がいらしたのね。
どうだろうか?まだこれが1作目なんだけれど、文字の美しさは抜群だし、オリジナル性としても、ここまでは申し分ないのね。じゃ次には描き込んであるモチーフは終わるから、後はバックって、
考え方なら、今まで使っていない色で、クラッシュを入れるのなら、後1、2回で終わると思うのね。これはすぐに終わらせたい人への指導ね。ではアイデアを使って終わらせたい人への指導ね。
これは料理の先生の看板だから、自宅に飾るのなら、前者で終わらせすぐに使える。所がもし出張先にも持って行くのなら、両サイドにマグネットを付け、そこに今日の献立のように、入れ替える
そんな物を作れば、例えば、今日の食材がさつまいもを使う料理の時は、さつまいものマグネットを差し替えられるとか、今日はケーキって言うのなら、いちごとかのフルーツに変えられる。
そんな風にすれば、楽しくなるのね。ただ時間は掛かるのね。だから続ける人へのアドバイスになる。これが続ける人へのアイデアの指導ね。この可愛いってベースを踏まえて、使う人が先生って
前提のね。オリジナルって言うのは、こうした考える・・・ってアイデアもその1つだし、この下にホワイトボードや黒板で使った材料とか、レシピがぶら下げられると、振り返るのに便利だし、
次回はこれ・・・って告知も出来る。こんな事を考える時に、相手の気持ちになって、どんな事があると良いか?って常にこれとか、これとか・・・って次々に出せる事が役目だったりもする。
個人レッスンとはその人その人で変わるものなのね。そんなこんなで金魚の壁画は・・・
いくらか前進はしているのね。あぁこんな事してたっけな・・・って思い出すのが大変でね、時間を開けると、その時に思い描いていた事を思い出さないとならないし・・・大作ってのはね。
ただあぁそうか・・・こんな感じだった・・・って事になれば、いちいち探さなくて良いから、元に戻れる。元に戻ればただ繰り返せば良いだけ。もうコンセプトは決まっているから配置のみ。
金魚まで来れば、時が解決する・・・って時間帯に入れるとは思うのね。
物理的に出来る事と出来ない事がふるいに掛けられるのね。まず本物よりも小さい事。これによりまずリアルは不可能に近いと言う事。つまりいくらかのデフォルメって感じになるのね。
いくらかであり、ザコシショウみたいに誇張し過ぎにはならないようにね。そしてガラスな事。ここも小さいに連動するのだけれど、限界のパーツがあると言う事。そして触覚。このアゲハの限界
ってパーツなのね。つまり物理的に・・・って言うのは、まずこの触覚が切れる前提の話であって、これが切れないのに小さくしても、不格好になるのは当たり前の話なのね。
そして俺でもこれが限界のパーツなのね。だからこれ以上いくら頑張っても、精度は上がらない。そんなパーツなのね。まぁここまでの話は物理的な事なんだけれど、ここからは情緒みたいな話で
考える・・・って事をしない人には全く必要は無いし、理解は出来ない事なんだけれど、この先は実力者の領域になるのね。ただ誰にでもその扉は開けるが、考える事しない人には永遠に開かない
ものなのね。まず物理的に・・・って部分で、俺でもリアルにはならない大きさである。って権利は無くなったのね。そこで情緒を含めたここからが個性って話になるのだけれど、一体どうしたい?
って話になると、大抵の人は好みの色を言い出したりする。それは別に誰とでも被る事はあって、個性って程の話では無いのね。本来の個性って言うのは、このアゲハをどう見せたい?って質問は
例えば、このアゲハを使って、どんな比喩に使おうとしているの?って話で、ん・・そうね、例えば、昔から使っている話のネタとしては、昭和歌謡ってのの歌詞なんかがあるのね。
具体的に言えば、ユーミンのやさしさに包まれたなら・・・の歌詞が比喩満載でね、小さい頃は親のやさしさに包まれて何でも叶えて貰ったって。じゃ大人になると叶わないか?って言うと、
あの若さで誰にも気付かれないように、美しい言葉で、巧みに隠すのね。雨上がりの庭でくちなしの香りのやさしさに包まれたら・・・って。具体的には言わないけれど、ただ彼に包まれるのでは
無く、その歌詞の比喩が判ると、その彼とその比喩に包まれたら・・・になるのね。雨上がりとは何か?くちなしの香りとはどんな匂いか?それと共に彼に包まれたのなら・・・子供の頃と同じに
なる・・・と。そして次の日にカーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたら・・・って。こんな事が情緒であり、単に彼が側に居れば、彼のやさしさに包まれたら夢は叶うのなら、
こんな歌詞は要らないのね。わざわざ伝える必要は無いのね。つまりこの歌の一番大事な部分になるのね。しかもきちんと隠してあるから、いやらしさが全く感じられないから、ユーミンの凄さ
だったりする。かと思えば、チューリップの虹とスニーカーの頃って歌では、わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪って何?そして若かった何もかも、あのスニーカーはもう捨てたかい
って何の事?これまた恋愛の歌で名曲なんだけれど、したい・・は男の罪で、駄目・・・は女の罪って事にすると、スニーカーとは一体なんぞや?って事になれば、言うまでも無いのね。
全て名曲って言うのは、曲が素敵なだけで無く、歌詞にこんなに情緒ある、直接表現で無く比喩を使う事だったりするのであれば、このアゲハを入れた理由に沿った美しい比喩が成立すれば良い
だけであり、好きな色を使いたいのなら、ここはアトリエ・・・自分の好きな色にすれば良くなるから、俺は必要ないはずなのね。ただもし自分の思い描く比喩を成立する為の質問なら、自分が
どうしたいか?どう見せたいか?を説明まで行かなくても、伝えようとしないと、文字にも出来ない事が、出来ると思っている事自体が思い上がりなのね。たかだかタイルが細かく切れるだけ。
その程度で上手く出来るのなら、たかだか包丁が器用に使えるだけで、最高の味覚が出せるのなら、修行は要らないし、楽器を楽譜通りに弾けるだけでは、名曲は作れないのね。
つまりその腕を持ってして、いかにそこに自分なりの情緒が出せるか?って事がオリジナルなのね。まぁ最近の棟梁はこのやり取りをいくらか理解しているので、こう思っているんだけれど・・
が少し出来るようになって来たから、質問らしくなって来たのね。これが出来るようになると、多少俺の存在って言うのも役立つとは思うのね。何故なら、ここまで切れる人は、いちいちどう切る
って質問はしないし、切れない事も少ない。しかもさっきの話では無いが、好きな色選びなら、好きにすれば良いだけだから、俺の出番は無い。つまり材料を用意する人の事を先生って呼んでいる
だけなのね。ただこのやり取りをするのであれば、この腕を持ってしての指導は情緒を一緒に考える・・・って人として役立つはずなのね。ただこれはオリジナルの場合であって、つまり作家katsu
に習いたい人になるのね。これが体験のようなみんな一緒の作品とか、まだ切るのがままならないとか、手がボンドだらけになるとか、思った形に切れないとか、ボンド選びとか、外部に張るとか
・・・そんな場合の相談なら、それは全て先生katsuに習いたい人であり、ここには情緒なんて一切要らないのね。そしてまだその段階では無いし、もっと言えば、そこまでで良い人なのね。
だから難しいのね・・・教えるのは。どっちのkatsuが必要なの?になるから。ただ中々それを理解出来る人は少ないし、そこまで必要なのか?となると、どうなのかねぇ・・・っな話。
少なくと趣味ならそこまで要らないし、生き甲斐って話になるのなら、慌てて無いから、ガッチリ時間が使えるし、本物のオリジナル作品に向かう事が出来るから、指導が大きく変わって来る。
その対比としては丁度良い事例として、久し振りに料理の先生がいらしたのね。
どうだろうか?まだこれが1作目なんだけれど、文字の美しさは抜群だし、オリジナル性としても、ここまでは申し分ないのね。じゃ次には描き込んであるモチーフは終わるから、後はバックって、
考え方なら、今まで使っていない色で、クラッシュを入れるのなら、後1、2回で終わると思うのね。これはすぐに終わらせたい人への指導ね。ではアイデアを使って終わらせたい人への指導ね。
これは料理の先生の看板だから、自宅に飾るのなら、前者で終わらせすぐに使える。所がもし出張先にも持って行くのなら、両サイドにマグネットを付け、そこに今日の献立のように、入れ替える
そんな物を作れば、例えば、今日の食材がさつまいもを使う料理の時は、さつまいものマグネットを差し替えられるとか、今日はケーキって言うのなら、いちごとかのフルーツに変えられる。
そんな風にすれば、楽しくなるのね。ただ時間は掛かるのね。だから続ける人へのアドバイスになる。これが続ける人へのアイデアの指導ね。この可愛いってベースを踏まえて、使う人が先生って
前提のね。オリジナルって言うのは、こうした考える・・・ってアイデアもその1つだし、この下にホワイトボードや黒板で使った材料とか、レシピがぶら下げられると、振り返るのに便利だし、
次回はこれ・・・って告知も出来る。こんな事を考える時に、相手の気持ちになって、どんな事があると良いか?って常にこれとか、これとか・・・って次々に出せる事が役目だったりもする。
個人レッスンとはその人その人で変わるものなのね。そんなこんなで金魚の壁画は・・・
いくらか前進はしているのね。あぁこんな事してたっけな・・・って思い出すのが大変でね、時間を開けると、その時に思い描いていた事を思い出さないとならないし・・・大作ってのはね。
ただあぁそうか・・・こんな感じだった・・・って事になれば、いちいち探さなくて良いから、元に戻れる。元に戻ればただ繰り返せば良いだけ。もうコンセプトは決まっているから配置のみ。
金魚まで来れば、時が解決する・・・って時間帯に入れるとは思うのね。