katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

色んな下地と小学校の卒業制作の下絵

2022-01-12 08:16:52 | デイ・サービス

今日は朝、父の検診からスタート。小雨の中だったが、時間は割と早めに終わり、お昼前にはアトリエに着いた事も考えれば、ラッキーだったのね。そんなこんなで、まずは昨日のデイサービスのイワシのペンキ塗りから。結果としては体の二度塗りが残ったのね。

それとリピーターさんとdiybase分の下地。これは終了。後はローラのドーナツカフェトレイと来月分のデイサービスのサンプル・・・これで頼まれたものは終了なんだけれど、大きく違うのは、決まった事を彫るって下地と、何しようかな?

って考えるサンプルは意味が違うのね。決まった下地は時間が解決するので、1枚彫るのにどの位掛かるか?も読める。しかし、何しようかな?って考える場合、1日経っても、2日経っても、答えの出ない場合も多々ある。

つまり何かをやりながら・・・みたいになるのね。ただ流石に小学校の卒業記念のような大物の考えるって言うのと、例え小さくても並行して考える・・・って言うのは、嫌なんで、そうなるとまずデイサービスの来月分を何とかしないと。

そんな中、かぐやに来月はかなり厳しい展開もあるだろうから、仕込みに時間は掛けられないし、悩み事は少ない方が・・・って老婆心を聞くと、ここはそうだな・・・って受け入れる所だろうから、切る事や下地を凝るなんて事は、

避けた方が良さそうなのね。となると、張るだけ・・・ってスタイルになり、無難に鍋敷き?みたいな事になったりする。それと、ついでと言っては何だが、シンプルな事になるのなら、タイルを変えてアトリエや他の体験用も一緒に・・・

って事になると、考え方としては、デイサービスは2時間掛からないように・・・アトリエサンプルは、2時間は掛かるように・・・みたいな違いになる。このさじ加減が中々難しいのね。ただ簡単な事は、出張の場合、持って行くタイルが

限られているから、悩んで選ぶ・・・って時間は限られる。でもアトリエの場合、見せるタイルが豊富な分、変更も利くし、悩む事、考える時間って言うのも長くなる。こんな事だけでも、1時間の差なんてものは左右されるのね。

一応、方向性みたいなものは決まったんで、それは明日にでも・・・。そんな訳で深夜の部は小学校の卒業記念の下絵。

40個までは来たんだけれど、アイビーって良く見ると、1枚1枚の葉っぱの形が違っていて、変化させないとならず、しかしながら、みんなで作るって事になると、それが個性って話になり、題材として悪くは無いと思うのね。

ただ厄介なのは、リアル側に寄せると、小さいのもあるし、斜めや横向きだってある。当然重なり合うものだって・・・ただ制作となると、斜めや横向きだと、スペースが狭くなるから正面ドーンとの差が大きいと、さっきの話と同じで、

製作時間が大幅に変わってしまうのはいかがなものか?になる。しかし重なるって事は、葉っぱが手を繋いでいるように・・みたいな感覚で、趣旨からは外れないので、そこはキープしたい。しかしながら、大きく被ると同じ話になる。

ただ今は考える時間の中で、40個まで来ているのはラッキーな話で、校章のデータがまだ手に入っていない段階なので、下絵が進んでいるのは上出来なのね。そもそもデータのあるものは、後は拡大すれば良いだけなんで、考える必要は余り無いのね。

決まったスペースの中で、マッチする大きさにするだけなのだから。ある意味、待っている時間を無駄にしていない事で、ゆとりになっている・・・だから今は貯蓄の時間。ここでデータを受け取れば、あれもこれもと気忙しくなる。

基本的に、人って日常の繰り返しは慣れて来るものなのね。毎日の仕事、毎日の学校みたいにね。大変さはほぼ毎日一緒なのね。しかし、そこに日常プラスイレギュラーな事が入ると、中間や期末試験、そしてクラブ活動での大会だったり、

その忙しさで風邪を引いたり・・・こうした非日常でいつもよりも大変になる。しかも、元に戻ったとしても、取り戻そうとすればするほど、余裕は無く、必然的に重要課題を重視して、何かをはしょる事になる。これが普通。

これを余暇をはしょるって事になると、プロアスリートみたいになり、休日返上なんて事になる。まっほぼ休み無くだから、俺はそっちの側の人なのね。それを日常とすると、今朝の病院送迎は、モザイクをしていないのだから、休んだ事になる。

流石に病院を楽とは思えないが、モザイク以外の事は、娯楽と思い込ませているのね。だから木を彫るなんて事は、娯楽なのね。けれどサンプル作りは、例え小物であろうと、考えなきゃならないのだから、これは気が張る。

ただその繰り返しが、こうした小学校の卒業制作のような大作の役に立つのね。毎日の素振りは、この機会に生かされるみたいにね。つまりいつかその日が来る前提で、準備をして置く事。こんな事にこの歳で気付くとはね・・・。

そもそも試験にしても、中間期末と必ず日程まで判っていた事。それを俺は娯楽に走った。余暇を過ごした。だからその程度の学力だった。けれど、モザイクの20年は毎日の余暇や娯楽を削って準備をしている・・・。

所詮、毎日の繰り返し以上な事は、結果としてそうそう起きない訳で・・・それでもある程度の結果は期待出来る。勿論簡単では無いのだけれど・・・だから準備を怠らなければ、結果は後から付いて来る。ただとは言え、人だからつい欲張ってしまうのね・・

もっと、もっと・・・と。楽な方に行かないから・・・どうしたら奴らが楽しく、そしてOB、OGが納得しそうな所へ行き付くのか?・・・出来たら良いや・・・なんてので、済むはずが無いのね。そして結果としてkatsuが携わった・・・。

そもそも残るって事は、人に知られる、見られるって事・・・であり、素晴らしいと賞賛される事もあるが、何これ?って生き恥をさらす事にもなる。物は残るから残酷なものでもあったりするのね。でも素晴らしい方向になれば、いつかそれを見られる事もある。

そもそも色んなものが展示されたりするが、毎年、毎回入れ替わるのに、残すものを作る・・・それはそれ相応の結果が要求されるものであって、楽しかった・・・だけでは済まされない。だから残された側の気持ちにもならないと・・・。

でももしそんな結果が得られれば、いつか作った子供達が大人になり、自分の子供が通う学校になるかも知れない・・・その時に、また懐かしく、誇れる時間が過ごせるかも知れない・・・そんなものになる為の労力、惜しむはずが無いのね。

だから今は、どうしたらそんな風になるか?・・・それを考えるのが俺の仕事なのね。

 


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