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今日は高洲のサークルって事で、キウイとのりちゃんとお母さんの3人。抜糸も終わったようで、キウイはぺきぺきなら・・・って事で、リハビリがてらに、ハートの作品に戻って、のりちゃんは
お母さんは
お絵描きタイルでお楽しみ作品。そうね、ある意味キウイのぺきぺき作品はこうなるだろうな・・・と思う仕上がりになる事は、やる前から判っていて、やっぱりこうなったのね。それは腕利きがこう切れば、こうなるし、色選びも薄味になりがちなキウイが、濃い緑を使えれば、パンチも出るし、
もはや教える事はほぼ無いのね。ちょっと悩んだときの相談相手くらいな話なのね。そう言う点では、のりちゃんにしても、お母さんにしても、タイルを切る事に関して教える事は無いのね。ただ、ぺきぺきと違って、色を付けてグラデーションがあるお絵描きタイルは、いつもと雰囲気が違うし、
そもそも切る前提のぺきぺきと、全てを切らなくても良いお絵描きタイルでは、少し意味合いが変わるのね。この微妙な感覚が難しいのね。恐らく・・・。例えば、初めての人なら、どんどんと張って行くと思うのね。それは既にクラッシュの形になっていて、角が丸い分、可愛いから。
でも割ったって感じのぺきぺきは、鋭利な感じで可愛い形では無いから、緩やかなカーブを描きたくなるから、切りたくなる。そうね、簡単に言えば、ベテラン主婦がカット野菜を買うとしたら、時短な感じがしないかな?しかも、切れるんだけれど・・・って前提でね。
これが出来て切らないのと、切るのが上手くないからとでは、全く意味が違って来るのね。勿論、料理ではそれを誰かに振る舞う事でも無いのなら、味さえ良ければ家庭料理なら何も問題無いのね。しかも機械でカットしてある状況は、もしかすると美としての綺麗さに問題が無いだろうから。
しかも、自分で切ったか?なんて別に関係無いしね。けれど、厄介なのは、毎日の繰り返しで、ベテラン主婦となった人って、ほぼ強制で上手くなった人達なのね。だってやらなきゃならないんだから・・・って。でもモザイクは趣味なのね。しかも毎日じゃ無いのね。
この感覚の違い・・・判るかな。毎日強制で繰り返す事で、手際も良くなり、まっ良いかなんて判断も素早く出来る。しかも、多少何かが足りなくても立て直せる・・・しかも状況の悪い時・・・例えばいつもの時間が掛けられないとかね。それでもいつも通りに見せられる・・・ベテランとは、
こんな感じなのね。しかも反復って言うのは、仮に嫌々だったとしても、何しろ毎日だから、上手くなるものなのね。そこにもし、割と苦にならないし、割と好きなのよね・・・なんてニュアンスだとしたら・・・もはや相当な腕前なのね。それが好きこそ物の上手なれって事に繋がるのだから。
これがベテランと言われる仕組みの説明だとして、それからすると、趣味って言う事と月に1回って事からすると、どんな感じの違いがあるか?になるのね。これが趣味だから・・・と楽しみを重視するのなら、音読み訓読みってルールで言うなら、楽しいって事は楽である事になるのね。
つまり体験って言うのは、難しい事は一切無しであって、出来たら良し・・・これが一般的ルールで、もっと理想を言えば、苦労無しで、より良い完成度みたいなね。所が1年、3年、5年、10年・・・となって行った時に、体験の完成度的で楽しめるか?となると、辞める人は、もう良いわ・・・に、
になり、続ける人は、もっと上手く・・・ってさらなる上を目指そうとするもので、考え方1つなのね。最初は同じであってもね。これが学校なら、同じ先生に、同じ時間を過ごすのだから、同じように進級をするのね。だから判りやすいのね。ただそれでも落第なんて満たない人も出るのね。
こんな事もみんな知っているんだけれど、習い事って趣味なのね。だからプロになる・・・なんて言わなければ、今一体私は何年生なんだろうか?みたいな感覚も無いし、でもみんな一緒って言う事でも無いのね。ただ同じ部屋にいる仲良しって感じになるのかな。でも、これが、同じ事をするような、
カルチャー的になると、その予定調和が楽しい人と、人とは違うってものが作りたい人って言う、心持ちの違いって言うのが差となって現れるものなのね。それが学生なら、学校だけって人もいれば、塾って人もいれば、家庭教師って言う個別指導なんて、差も判りやすいのね。
ただ全て違う先生だし、当然授業内容も変わるのね。当たり前なんだけれど・・・でも厄介なのは、俺はそれを全部一人でやっているのね。体験の楽しいってスタイルから、例え中学生の宿題だとしても、200時間をゆうに超えるような作品指導もね。その人が望むスタイルでね。
問題はこれを前提に、カルチャーなら楽しみ・・・って事だとすると、この高洲のサークルとか、kameyaさんのような出張教室って、どの位置付けになるのかな・・・ってね。このさじ加減は非常に難しいのね。そんな中で、キウイやタピオカ、そしてのりちゃんや母さんみたいなアトリエ教室も
やっていたような人達に囲まれれば、アトリエに来なくても、アトリエ風味の人達が多いって事は、自然と上手い人達の中にいるから、学校とか趣味とかの雰囲気であるはずの場所が、どえらく優秀な塾みたいな雰囲気になるのね。しかもギスギスでは無く、ぼんやりとね。
緩やかにビシッって感じだから、緩い分、気が付かないのね。ただいざ始まると、そこは・・・って、俺よりも厳しい人達がいるのね。そうすると、いつの間にか、美って感覚が養われるのね。それを文字にすると、綺麗とか美しいとか、揃っているとか、滑らかとか・・・。
こう言う言葉が並ぶと、自然にきちんと・・・ってして来るでしょ?ここのなのね。この心持ちを持っている人達だとするでしょ?そんな心持ちの人にお絵かきタイルを渡したらどうなる?・・・普通に切ろうとしてしまうのね。ここなのね、上手い人の欠点は・・・。
何も考えずに、特に苦労とも思わずに、何事も無いように、すんなり切ってしまう・・・ここの意識が薄いのね。何故なら出来るから。切れるから。でもね、ベテラン主婦の感覚なら、すぐに判るはずなのね・・・全て食材を活かす・・・ってね。ガンガン加工する事が正しい訳じゃ無いのね。
つまりお絵描きタイルの特徴を活かすには・・・なのね。それがペキペキに無い丸みなのね。つまりこの丸みをバチバチ切ってしまっては、結局ペキペキと違うのは色合いとか、切れ味的な硬さだけになる。つまり意識としては、なるべく切らない方向で・・・って感覚なのね。
所が、このなるべく切らない感覚って言うのが、また更に難しくなるのね。何故なら単純に考えてしまうから・・・なるべくなのね。絶対じゃ無いのね。このなるべくって言うのは、どの程度であって、何処で使うか?みたいな事を、切らなきゃ良いのね・・・って思い込んでしまうのね。
でも切らずにこの絵が作れるか?となれば、作れないのね。だから切りたくなる。でも切っちゃ行けないって言ってた・・・違うのね、なるべく切らない・・・なのね。その感覚が、良く判らない・・・。それがここは切ろう、ここは切らない・・・みたいなものがさじ加減なんだけれどね。
まだお絵描きタイルって言うのは、出たばかりの素材。それをのりちゃん親子のように切る事に困らない実力で、どの程度の仕上がりになるのか?って、仕上がりが楽しみだったりするのね。一体どんな感じになるのか?勿論、道中の過程も見たいし、これからの指針にもなるしね。
そんな後は、金魚の壁画。ホテイアオイが始まったのね。