katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

あっ・・・前歯が・・・って事で歯医者さんから。

2023-05-23 00:24:25 | イベント

昨日、夕飯の時にカリッって音がして・・・ただ食べていたものが、そんな音もしそうなものだから・・・でも、何か気になって、舌で探って見ると・・・あー駄目だぁって判ったのね。以前、こうなった時があったから・・・それでそーっと鏡を見ると、欠けていて、しかもヒビも入っていて

ちょっと触ったら、カリッって。取れたじゃん・・・もう完全にドリフのコントみたいだったのね。ただ、いくらマスクをしているとは言え、ほっとく訳には行かないから、朝から歯医者さんに・・・ただ予約ナシで、駐車場がある所とか、いきなりハードル高いんだけれど・・・。

それが実家に用事があっての道中に、みっけ・・・って事で、聞いて見ると、多少待つけれど・・・って言われたけれど、何とか昼までには終わって・・・何事も無かったように元通り。何よりだったのね。その後は、コーナンに小学生とkameyaさんの3人に頼まれたフクロウ下地、そして、

ジグソーの修理が終わっていて・・・後、お婆さんの下地も・・・後はお母さんのだけ。そんな中、FM江戸川のパーソナリティさんから正式にメールが来て、30日に生出演が決まったのね。久しぶりのメディアなのね・・・もっと早く出られたんだけど、告知らしい事が無かったから、ギリギリまで

伸ばしたんだけれど、お陰で港区立郷土歴史館の話が決まったし・・・話すネタが出来て何よりなのね。更にそんな中、新潟の方から看板の依頼を頂いて、それも正式に決まったのね。こっちも電話でやり取りもさせて貰ったし、材料を確認したらスタートって感じなのね。

何しろ後は、サンプルよ、サンプル・・・その歴史館の。これが泥沼にハマった感じになってて、もう一度確認作業をし始めて・・・。まずは何処寄せにするか?例えば、歴史館の箱寄せって言うのなら、内田ゴシックって言うキーワードは外せない。ただスクラッチタイルだのアーチだのって、

建築はゴッツイから小物作品には向いていない。しかも色が無いから、子供相手では地味過ぎる。そこで考えたのは、欄間のようなデザインされたものを使って、その透けている部分をステンドのように見せる・・・そうすれば、箱のゆかりがあるものにもなるし、色も使える。

ただじゃ仮にデザインはそれにしたとして、それって何?って事になると、短い文章でキャッチーなワードって事になると、例えば鏡とか時計とかが付くと、すぐに判るだろうけれど、タイルアートとか、飾るものってワードは、中々判って貰えない可能性が高いのね・・・。

こうやってあれこれ考えては見るものの、これっって思うインパクトが無く・・・ん・・・って感じだったが、例えば高級感なんて言えば、ここの所使っている木では無さそうなのね。柔らかいから加工がしやすいだけで、高級感は無いのね。そしてそう考えたのは白銀台って土地柄・・・。

更に切るの?切らないの?でタイルが変わって来る。切るならお絵描きタイルだけれど、ペンキを塗るスタイルだから、壁掛けならともかく、何かを置くなんて言うのには向いていないのね。そして切りやすさならぺきぺきなんだけれど、色んな色をランダムで入れるのなら、まだ平気だけど、

昔のようにあれこれとは選べない状況では使いづらい。逆に切らないのなら、ハートだのクローバー、丸、葉っぱ・・・となるけれど、技術としては切らせたい所だけれど、1時間の講義を経て・・・となると、全て切るなんて言うのは難しいのね。では良い塩梅って量はどのくらい?

まぁこうしてあれこれやっていると、段々と判る事もあって・・・そんな中、ここん所、体験の鍋敷きが出て・・・その度に聞くのが、鍋なんか置けない・・・って。つまり鍋敷きを作ったのに、勿体無い・・・折角作ったんだから・・・って。だから飾りになるのね。

鍋敷きだったのに、飾りにする。つまり、チラシのうたい文句では、鍋敷きでも使う人次第。こんな考え方でも良いのなら、子供だから鍋敷きは要らないだろうが、鍋敷きって言葉で無ければ、どう使おうと勝手な訳で。ただ普通だと、その時点で、要らないだろうから、目に入りづらいと考える。

しかしながら、配信が主流の時代に、カセットやレコードが売れる時代でもあるし、選択肢が多いのだから、それなら選ばれるようなモノに見えるようにすれば良い・・・って考えれば、予定調和の常識的な考え方では無くて、非常識な子供に鍋敷きって言うのもありなのかな・・・と。

ただそこに至るまで、先日の打ち合わせからずっと、かぐやとこの話ばかり・・・しかも数日に期限が迫っているのね。中々追い込まれている感じなのね。ただこれが俺の仕事だから、考えるって言う事からは離れられないし、常にこれの繰り返しなのね。

これが古典落語と新作落語の違いで、新作を目指すと、常に新しい事を考え続けないとならず、これが中々大変なのね。それが仮にデイ・サービスだったとしてもね。ここで勘違いしやすいのは、あれだから簡単だとか、これだから難しいって言うのは、単なる思い込みなのね。

例えば、どうして簡単って思えるのか?なのね。それが子供だから・・・とか老人だから・・・みたいに思ったりする人は、そこまで拘る必要は無いって、気持ちが見下している方向の考え方だと思うのね。でもそれは間違っていて、例えば、簡単な話で子供もいないのに、子供に教えるとか、

奥さんもいないのに、女の人に教えるとか、どれをとっても俺に有利な展開は無いのね。でも1つで考え方で、良い事も悪い事も背中合わせなのね。要するにいるって人達は、いるから経験値があるって事になるし、いないからその経験値が乏しいって事になる。ただ、って事は、いない良さもある。

つまり親になってしまうと、子供では無くなる。俺はこの歳で子供しかやった事が無い。つまり子供なおじさんなのね。でも大人って言うか、還暦間近なおじいさんなのね。ただ達郎さんの方がおじいさんなのに、若い人達にも支持されたりするって事は、優れればチャンスはあるって事。

優れたいねぇ〜。そうなると、いない分、いる人よりも考えないとって事になる。そうね、例えば女の人が女性を演じるってのは普通だけれど、俺の場合、おじいさんが可愛いモノとか、お洒落なモノを提案する場合、余程工夫をしなきゃ、所詮おじいさんの提案って事になるのね。

つまり女性よりも本気な時間を費やさないと・・・って事になるのね。そうね、梅沢富美男さんが女形を演じるようにね。これが成立すれば、幅広い芸風になるのね。だから油断なんか無いのね。ただね、今回の場合、格式、伝統、建築・・・っていつも以上にハードル高いのね。

でもその中に建築なんてワードがある事だけでも、救いはある。

     


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