katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

外用の流しのリピーターさん教室と東京のコープみらいのサンプル変更

2021-12-23 07:33:45 | モザイクタイル教室

今日は午後から外用流しのリピーターさん教室。それまでの間に、先日彫ったドーナツのカフェトレイを張って見たのね。

そうね、こうして出来ると、先日作ったBEEって文字に小さなハチのサンプルと比べると、BEEって文字をキチンと切り、小さいパーツでハチを作る・・・ってよりも、ドーナツだと、チョコもあるし、ストロベリーも・・・となると、

バリエーションも増えるし、小さなパーツにしても、トッピングとしての丸や、棒状のチョコチップみたいになると、色んな色も使えるし、あれこれと色んな規制があるBEEよりも面白いかな?って感じがしたのね。

そんなこんなでお教室は・・・となると、ちょっといつもよりも内容は変わって来るのね。それは今までと違った事をするからなのね。例えば外側の青や白のタイルを張る・・・って言うのは、どんな色でどんなデザインにする?って事になる

から、好きな色を選んで、それをラインやらトッピングのようにまばらに散らすとか、そんな事でスタートをする。そんな中、切ったのは白いタイルにぶつかった所のみ。つまりデザイン上、ぶつかってしまったから切った・・・になる。

所が今度は鯉となると、同じ切るでも、ぶつかったから切るでは無くて、鯉に見えるように切る事になる。勿論、輪郭だけで鯉に見えるから、ウロコやヒレの形に切らなくても良かったのね。ただそうなると、色だけを変えて、本体も影も

クラッシュって事になる。でもそのランダムのクラッシュを選ばなかった・・・さっきのぶつかったから切るって言うのでも、その形にぶつかった先で狙って切ったんだけど、それは誰がやろうとしても、誰もが同じ形に切る事になるのね。

しかし、ウロコやヒレって言うのは、誰もが同じになるとは限らないのね。場合に寄っては力量不足で出来ないなんて事もあるパーツなのね。だから難易度が上がったパーツを切る事になったのね。しかし、もしランダムのクラッシュを

選んでいれば、それは自由なんで、このパーツじゃ無きゃダメって言う事は無いし、輪郭だけ守れれば良いって言う、難易度は下がる方法もあったのね。ただこれが厄介な話で、一概に自由が簡単って訳じゃ無いのね。

例えば、後は自由です・・・って言われた時に、ラッキーって思うような人には自由って簡単とか、楽とか、お手軽感をも得たりするような気持ちにさせたりもするのね。ただ逆に、えっ・・・指示無しなの。えっ・・・どうしよう?

ってこんな人の場合、自由は不自由になるのね。つまり音楽なら、楽譜通りに弾いて来て、はいそこからソロどうぞ・・・ってのを、ヤッホーって出来る人と、戸惑いを隠せない人みたいな違いね。こんな差になるのね。

つまり言い方を変えれば、自由が好きな人は、楽譜に無い事を待ってましたぁ・・・って解放された感じになるし、逆に自由を不自由と感じた人は、全ての楽譜を難なくこなせる・・・そんな腕を持っている人とも言えるのね。その差は、

考えなきゃならない自由と、考えなくて良い不自由みたいな差なのね。方や、楽譜が無いのだから、自分で考えないとならないのと、方や楽譜通りに弾く事であって、自分の考えなんていらない・・・何しろ遂行みたいな感覚。

ただね、これもバランスなのね。要するに自由側の人は、ソロだけやるの?って事になると、ギターなら、時よりコードを弾いたりもする。つまりリズムを刻むって行為は、自由な事までの前菜みたいな話で・・・。

だから自由な側には、地味な事の練習が必要になり、逆に不自由を感じてしまう側には、自分で考えるって指導になるのね。苦手な事の克服みたいな事になるとね。ただそれに寄って、克服までは行かないが、感じ取る事が出来た場合は、

例えば、キチンとちゃんと・・・って言う事が出来ると、幅を揃えたり、面を取った野菜は見栄えが良くなるし、視覚としての美しさを手に入れるが、自由な味付けだけが売り・・・なんて事を続けると、見た目は悪いが味は良いみたいになる。

まぁただ、それって、のんべだけど、腕は良いみたいな昔の職人みたいな感じなのね。何かべらんめぇって感じ。逆にキチンとちゃんと・・・って言うのが得意な不自由側は、格式伝統、決まりみたいな事を軽くこなす感じなのね。

勿論、軽くは無いんだけれどね。でも、それら全ては楽譜として、キチンと準備して来たもの。つまり予定調和なのね。だからその差はアドリブが利くかどうか?みたいな感覚。そうね、両者はジャズとクラッシックみたいな感じかな?

片や相手の出かた次第で、どう切り返そうかな?ってジャズ的なセッションのように常に考えるやり方と、何しろいつも予定通りの楽譜のクラッシックの差。それがアドリブの差になると思うのね。それが自由と不自由の比喩的な説明なんだけどね。

って話を戻して、じゃ今日は?となると、波紋に入ったんだけれど、前回コンパスで円は描いてあったのね。じゃ切るだけじゃん・・・こうなると楽譜通りって事になるのね。ちょっと待ったぁ・・・なのね。その波紋って何?って質問。

もしヒレや尻尾が動いたから・・・って言うのなら、波紋を付ける事に寄って、動かない鯉を動かそうとした・・・つまり動いているように・・・ってね。動作の表現なのね。まぁ意識はせずに何と無く・・・って感じなんだけれどね。

それを意識して貰う為の質問なのね。じゃ波紋を付けると動いたように見えたとして、ヒレも尻尾も大きな鯉でも小さな鯉でも、波紋は大きさ、太さも一緒なの?って質問。これを音楽に例えると、タン、タン、タン、タン・・・ずっと強弱無し。

これは単調じゃ無い?これを、ドン、タン、タン、タン・・・みたいに、ドンと強い部分を入れて叩くと、メリハリが付いたりする。そのドンの位置を変えても、雰囲気は変わったりもする。これは音楽だから聴覚への刺激の話なんだけれど、

モザイクは視覚の話。つまりもし音楽にそんな事があるのなら?当然視覚でそんな事をすれば、上手く行けば、寄り上の表現になる訳で・・・つまり太さの幅、波紋の大きさ、全てを繋いで丸にしちゃうと、ただの標的の的になっちゃうのね。

あくまで波紋を作っているのね。もしこれが雨が降って来た波紋なら、小雨なの?大雨なの?って言う雨粒の大きさで、変えないとならないし、繊細な表現って言うのは、こんな事を考えてからスタートするのね。

そもそもこれだけ切れるようになった人は、楽譜やレシピ、図面を渡せば、そこそここなす人になったのね。それなら、こうして、ああしてって言えば、ある程度理解して簡単では無いだろうが、左程困らず切れるのね。

問題はそこからいかに上手くなるか?になった時に、ジャズ的セッション要素のそれで?それを?どうする?みたいに常に考える・・・って部分だと思うのね。何をどうやって描くか?みたいに、ただ鯉が2匹いるってだけなら、後はバックって

考え方でおしまいなのね。そこから先の進歩は無いのね。そうじゃ無くて、この鯉を泳がす・・・動かないものが動いて見せられれば、リアルになる。でもただ動いたように見えても中々なんだけれど、例えばもし冬を感じさせるものがあったとする・・・

例えば氷とかね。そうすると、見る側が感受性ある人であると、あぁこの寒さをしのいだ先には、春に卵でも産むのかな?とか、そうね、面白さなんて言うのなら、下の方に人の顔に見える影を入れたりすれば、覗いている自分みたいな感覚に

なるだろうし・・・何しろ考えれば、ありとあらゆるバックを想像出来る。その中で自分が考える、どう見せたいか?を見つける事が、オリジナルとしての作品の向上なのね。まぁこんな事って俳句っぽい話になるんだけれど、たった17文字の世界。

まぁモザイク並みに窮屈なのね。しかも昔っからあるのも共通で、題材のモチーフも先人が結構やり尽くしているのね。ただ逆にスマホなんてのは無かったから、そう言う新しいモチーフも増えたとは思うけれどね。

そんな中、たった17文字しか無いから、もうさぁ言わなくても判る事は、感じ取ってよ・・・ってルールがあって、それが季語。金魚って言ったら夏だろっ・・・判んだろっみたいな。多分、知らなくても、つららなら冬なんじゃ無いの?って

想像出来るでしょ?そんな感覚が、感じる・・・って事なのね。そうした感じるって行為を、音で感じ取るとか、目で感じ取るとか・・・って五感を使って作り、五感で感じ取って貰う訳ね。そうした時にこだわりを持つ人相手だと、中々大変でね、

例えば金魚の場合、バックの水は?って一般の人なら、水色とか透明みたいな事を思い浮かべるんだけれど、愛好家の人達の水は緑っぽい色なのね。かと思えば、アサリの三番瀬カラーなんて言葉だったり、地元御宿のアワビと三陸のアワビとか、

何しろただ似てるだけ・・・なんて簡単な事を頼むお客さんがいなくてね・・・俺には。こだわるって言うのは果てしないのね。勿論、そうしたら?なんて言うつもりは無いし、こうした作り方もあるよ・・・的なお知らせなのね。

ただそうした意識を持つだけで、行動が変わるものでね・・・中々行動から入っても続かないのね。何しろ単調になると飽きるから。そんな後は、ドーナツの目地をして、送る為の写真を撮って・・・ひとまず急ぎは終わったのね。

 


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