今日はキウイ教室から。そうね、この仕上がりを見ると改めて思うのは、実力ある作品は見応えはあるし、ある意味嫉妬さえ感じたりもする。昔、まだ駆け出しだった頃に、先生と名乗る人のエピソードの中で、生徒さんがメキメキと実力を付けていると、貴方は良いわよね、自分の作品だけ作れる
から・・・こっちは色んな事やらなきゃならないから・・・って言うような話を何件か聞いた事があるのね。確かに同じ先生として判らない訳でも無い。あれこれやれば、準備や支度に時間を取られ、作品作りは疎かになる。ただ人は平等に時間を持っているのね。だから問題は使い方だと思うのね。
そしてこの先生は、先生の時間を多く使い、作家としての時間を取られた・・・そしてそうこうしている間に、実力ある生徒にヒタヒタと迫られているから、脅威すら感じている・・・こんな感じなんだろうね。そうね、何しろ人にものを教えるって言うのは、自分の切り売りなのね。
仮に自分を10とすると、教える事で、生徒さんがプラス1になると、先生に聞かなくても良い事が1つ出来る事になるのだから、生徒さんから聞かれる事が1つ減ると言う事になる。つまり先生は9になっている。こんな仕組みだとすると、関係性が密であれば、どんどんと吸収される事になる。
つまり何の努力も無ければ、数年で技術なんてものは、会得されて行く・・・って話ね。だからこそ、先生側としては、出がらし先生にならないように、常に何か得られるような敏感さが必要で、しかも先生は質問に答える事になるから、見たとか聞いたとかの知識では無くて、それを使った知恵を
教える事になるのだから、当然ながら頭は常にフル回転って事になる。こんなやり取りになるのが常連さんだと思うのね。それがまだ切るやら張るやらを教えている・・・となると、ドレミファソラシドを教えている感じになり、それがクレッシェンドやデクレッシェンドみたいな繊細な記号になり
、繊細なタッチを教える事になる。そんな事までくれば、下絵をコピーしてしっかり真似が出来るようなら、楽譜やレシピ、図面と言ったものをしっかり真似が出来る段階に来る。そしてここらが分岐点。オリジナルに手を出すか出さないか?になる。ただここまではほぼ何も考えなくて良いのね。
しっかり真似をするだから。でもオリジナルは肉じゃがを作るのでは無く、じゃがいもでどうしたら美味しく作れるか?って、レシピもその料理を見た事も聞いた事も無い、名前すら無い料理を考える事なのね。それは誰も教えてはくれないものなのね。ただそれを教えるのでは無くて、こんな感じ
・・・って気付きって言うか、気付き方とでも言うのかな?それを教えている・・・とでも思って頂くと理解しやすいかな。つまり答えでは無くプロセスなのね。つまりこうだ・・・では無く、こうだとしたらこうなるよね・・・なら貴方はどう思う?となるから、そこは人それぞれになるけれど、
考え方は何でも一緒で、ペンキ屋さんが、家一軒分の色を決めるのに、パレット位の分量でこの色ですね・・・って作れるなら、花をひとひら納得すれば、後は一軒分みたいに壮大に広げられるよね・・・って言っているようなもので、それを納得せずに急げば、数が多くなってから、
こんなじゃ無い・・・になる。そんな事を会話の中で微調整して行く。これがオリジナル教室。これが親子程度のやり取りなら、いずれそんなの判ってるぅ・・・って暑苦しい老婆心になり、居なくなった時に多少の寂しさと有難味なんて事になるのなら、必要性はその時にならないと判らない。
ただそれがもし修行と言うのなら、貴乃花や若乃花のように、辞めるまで親子には戻れない。まぁ俺が説明した所で、今それが届く人が何人いるか?となると、俺程度じゃねぇ〜・・・と致し方無いとは思うが、わずかながらいるんだよね・・・これが、有難い事にね。って話を戻して、見逃せ無い事
があって、生徒さんは自分の作品だけだから良くて、私は忙しい・・・ってなんと傲慢なのかなぁって思うのね。そもそもなら辞めちゃえば良いだけ。誰も頼んでいないんだから。もっと言えば、キャンディーズだって吉田拓郎さんだって、ファンがいたって辞めちゃうんだから。
それ以下なら、その程度なんだから、惜しまれたとしてもその程度。だったら好きにやれよってな話。全てが言い訳になる。しかも、教えた生徒が上手くなって追い付かれたように感じたのなら、教え方が上手かったか?その人の才能なのか?先生の器がその程度だったのか?そんな所の話でしょ?
要するに教える前に、教えるとは・・・って意識が足りなかっただけなのね。まぁこれが腕ばっかの人ってその程度って話で、自分が出来るとか、結果として良かった人ってのは、簡単な話、相撲は相撲取りなら教えられても横綱の所作なんか教えられるか?って思うとか、横綱になった人が言うんだから
疑わずして正しいと思うか?なのね。この仕組みが、信じる者は救われるのか?触らぬ神に祟りなしなのか?になるのね。つまり名選手名監督にあらず・・・を意味しているのね。簡単に言えば、お金持ちと貧乏の関係なんかも同じで、人は見掛けで判断する・・・なんてのも一緒なのね。
まずエリート側、お金持ち、成功者、名選手・・・こっちサイドは、何か信じられそうでしょ?第三者としてね。聞いた事も無いメーカーの食品ってどう?やっぱりテレビの宣伝をしている所は安全みたいなね。そんな考えがあると、こっち側に付きやすいでしょ?って事は、その反対側サイド。
つまり非エリート、非お金持ち、非成功者、非名選手・・・つまりパッとしない側ね。こっちは叩き上げとか、ハングリーとか、負けん気、根気、元気・・・もはや気だけみたいな話ね。さぁ何も紹介しないで、これだけの情報でどっちを選ぶ?これが見た目の判断って話で、だから食べログになる。
人の意見ってね。だからレビューって大事だったりする。これがエリートと非エリートの見掛けの差ね。当然、見つかりやすい所に存在するから、より好条件の話が舞い込んで来るのね。簡単な話、日ハムに居続けたら大谷さんは世界に届いたかな?って話ね。ただそもそも実力が無ければ、プロ野球
の世界にも入れないんだけどね。この権利を勝ち取る為に、目指している人達は、より精進してエリートの肩書側を手に入れる者と、そうで無い者に分かれて行く。そして、そのいずれでも無い人と・・・。見守りの人とでも言うのか、第三者とでも言うのか・・・。
そしてプレーヤーの時期を終えると、現役を終えて、今度は指導者として・・・って道になる。ただ平等とはこんな話で、エリートサイドの人は、自分が頑張ったから、自分の成績が伸びたけれど、果たしてその技術の説明をして、みんなにそれが伝わるか?となると、どうして出来ないのかな?
と、出来ない人の気持ちにはなれなかったりする場合もある。勿論、エリートには伝わるのかも知れないけれどね。それでは、相手任せって話で指導とは言えない。ただ取っ掛かり、成績が人に知れ渡っているから、聞いてくれようとする姿勢は整っているのね。逆に非エリートは、何の実績も見せられないから、
元、何とか・・・としか言えない。つまり個人成績で判断されるから、例えば、名乗らなくても、あっ・・・って発見されるのと、元どこどこのプロ選手・・・みたいに名乗っても、へぇそうなんだ・・・って反応では、指導の前に利く耳に相当な差になる。ただもし指導が始まって、今日だけの場合、
憧れのまま終われるから、楽しかったぁ・・・って事で良いが、1年を通してとなると、毎日の繰り返しは憧れは薄れて行く。それが慣れ。そうなると、いよいよ本当の指導内容って事になる。勿論、みんなの結果が上がれば信用度は益々上がり、やっぱり凄い人は凄いね・・・になる。
逆に非エリートの場合、教わる前の気持ちに大きな差があり、聞く耳もいかがなものか・・・となる。しかしながら、もし信じる者は救われる側にいる人が、今の現状よりも上がれば・・・と聞く耳を持ち藁にもすがる姿勢だとしたら、その気持ちだけは、非エリート側の先生は、痛い程に、
その気持ちが判る。しかも、自分の失敗を伝える事が出来て、しかもその是正すらも持っていたとしたら?師弟関係は成立したりする。こんな事例は山程ある。恐らく仕組みとしてはこんな事なのね。所が誤った組み合わせになると、諦めたり、理解出来なかったり、指導までたどり着けない事も、
多々ある。まぁ先生は挿げ替えして選べるけれど、先生側としては生徒は選べないのね。だから学校の先生って本気だと大変だと思うのね。ただ、塾では無いから、大きく成績伸ばせるわけも無く、一般的には弱者救済であるのなら、優秀な者としては物足りなくなる。そのエリートの救済が塾。
勿論、非エリートの救済って逆もあるが、いずれにせよ学校じゃ無いんで、どちらにしても地獄の沙汰も金次第って事になるんだろうね。とめども無く、生徒側、先生側の気持ちを考えて見たが、こんな事を踏まえて、改めてキウイの大作を見ると13年だったかな?本当に有り得ない作品なのね。
俺も数年なら掛かった作品はあるが、どんな形であっても、途中抜けたとしても、たどり着いた凄さ。良く完走したものだと思う。それからすると、あれが出来た人・・・と思えば、猪木さんじゃ無いが、元気があれば何でも出来る・・・とは言ったが、とは言えそんな月日・・・良くしのいだ。
とは言え、この作品だって何ら悪くないし、素敵なんだけれど、あれを知っちゃうと小物に見えたりもする。そうね、実力者の鍋敷きみたいなね。ただぺきぺきなのに格式すらも感じる。そうね、あの大作は大間のマグロみたいに凄さがあるのなら、これは金谷の黄金アジみたいな、庶民な感じも
するが、単なるアジでは無い・・・みたいな。どちらにしても、キウイくらいになると、作品に威圧感も感じられ、作家katsuが十分嫉妬出来る仕上がりになっているのね。良いじゃんってね。お見事なのね。そんな後、先日のタイル屋さんと連絡が取れ、9月末に会う事になったのね。
俺はあの人とどんな話が出来るのか?何を見せるのか?見せて貰えるのか?・・・いずれにしても、あの人が思うkatsuを越えられると良いんだけれどね・・・人としてでは無く、作家としての腕前がね・・・人としてよりは自信が無い訳じゃ無いからね。