katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ピエロの壁画ほぼ張り終わりとくじらの新作

2024-12-12 23:10:34 | モザイク作家

今日は天気も良かったし、本来なら全部仕上げてから取り付けにしたかったんだけど、そうも言ってられないんで、ピエロの玄関の左側面を取り付けたのね。

まっ何とかかんとか逃げ切ったのね。後はここだけになったのね。

上げ裏のとこね。そんな後、くじらの新作の為の銘木を買いに、久しぶりに新木場のもくもく館へ・・・。きっと予算もあるだろうから、なるべくリーズナブルで・・・。

そうなると、店の中全部見るって言うよりも、限定した部分の中だけになるから、能率効率で回る感じになるのね。だから正直味気なくなるのね。

ただ割と簡単にゲット出来たんで、自分の趣味って感じに1つゲットして・・・その足で実家の2階でラストの上げ裏を・・・。

意地で終了・・・これを取り付ければ、いよいよ目地入れとなるのね。まぁポンコツ親父の俺が久しぶりにやっても2日あれば終わると思うんだけど・・・

これで年内完成のメドが付いた感じになったのね。そんなこんなで最後はアトリエに戻って、くじらの下絵を気を写して・・・

まぁ今日はやる事満載だったが、そんな中、来年の話が決まったのね。まぁこれに付いては年内に打ち合わせがあると思うから、その後にご紹介って事で。

 


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くじらとキウイの相席教室

2024-12-12 04:13:52 | モザイクタイル教室

今日はくじらとキウイの相席教室。ただくじらは前回大作だった鯉の作品を完成して新作へ入るはずだったが、忙しくてノープランで・・・。そんな中、

新作の構想的な話をしつつなんで、お気楽なのがやりたい・・・って事で、コースターをしつつ・・・って事になるんだけれど、俳句のイベント的な事があって

画廊で俳句の展示販売みたいな話なんだけれど、こんな時に考える事は、まず画廊・・・この言葉にどんなイメージがあるか?そして次は、その場所。

では想像して見て・・・タクシーとハイヤー、駄菓子と銘菓、江戸川区と世田谷区、お祭り金魚とらんちゅう、大学病院と医院・・・。何が違う?

常に言っている比較対象をする時には、きちんと悪意を持ってみんなの嫌いな格差を持って考えるのね。その時に大抵は傷付けないとか、遠慮したり、

何しろ曖昧にする事で平和に事を進めようとするのね。実はその前に落語の枕的な話として、ポストにワークマンのチラシが入っていたのね。

ではワークマンってどんなイメージ?って2人に聞いたのね。すると、建築作業着屋さんだけど、女子って言うのもあるから、ユニクロみたいな感覚って。

そうね、その通りで見事な説明だと思うのね。ただ俺が聞きたいのはそう言う事じゃ無いのね。自分だけの言葉で、自分しか考え付かないオリジナルの

小話とでも言うのかな?・・・そこで俺はこんな話をしたのね。キウイの娘みたいな年頃の女の子が明日初めてのデートでは買いに行かないんだけれど、

山とか川とかハイキングとかキャンプに行く時に、丈夫だったり、暖かかったり、涼しかったり、機能性に長けてて、お洒落じゃ無いけどダサくない。

こんなイメージ・・・ってね。すると2人はそんな悪くない・・・って頑張るのね。ん・・・それじゃ本編に入っても話が判らないだろうね・・・。

世の中ってスカした表現にTPOに応じて・・・なんてのがあるのね。例えば旬なら何だかちっとも良い評判を聞かない朝ドラの中でギャルの話がある。

ギャルは貫き通すと言いつつ、就職するのに面接の為に、真っ先に髪を黒く染め、メイクを落とし、付け爪を辞め・・・ダサっって話ね。まっいつの世も

一緒で、昔ならバンバンのいちご白書をもう一度の歌詞の中に、学生集会に顔を出していたような奴が彼女に、髪を切って就職を決めた時に、もう若く無い

・・・って言い訳したね・・・って話。言い訳したのを後悔してんじゃん。朝ドラもそう。きちんとTPOを考えて、誰もが見栄えで判断するから、って、

表面を変えた所で、考え方が曖昧だとそう言う事になるのね。当たり前の話なのね。常に曖昧にしないで、自分はどっち寄りで考えるってやらないと、

その時の都合良く出来るのが曖昧なのね。そもそも個性って何だ?って言うのなら、万人受けの曖昧では無く、自分自身の考え、自分だけの考え、思想って話

・・・そんなもんじゃ無いの?それを広辞苑見りゃ判るような言葉を並べた所で、そんなもんは優秀な奴らより見劣りする事しか表現出来まい。

ここに何年来てんだ・・・って話。もっとエグれ。しかも、個人レッスンみたいなもん。誰にも聞かれちゃいない。もっともっと本心で語らないと。

ただね、少なくとも聞かなくても、俳人くじらと言うのなら、毎日そうしているはずなのね。もしそれをしていないのなら、詰まんない奴だなって思うのね。

だって読むまでも無いじゃん。そもそも何でもそう。音楽だって先人の決めたコード、音符、記号ってその中で、個性を出さないとならないのね。

俳句もそう。芭蕉の頃とは違って英語やカタカナ、ポケベル、携帯、スマホ・・と言った変化で消えて行くものや、切り替わりがあったり、野球に詳しければ

良いが、ゲッツーって言葉で俳句を作って判るかな?・・・みたいに、通にしか判らない言葉で出来るものだろうか?とか、音楽だって、1音一文字のように

さいたぁ・・・さいたぁ・・・ドレミ、ドレミみたいな歌で、小さな石鹸カタカタなったり、学生運動に参加したり、キャベツを食べて四畳半だったり、

って貧乏臭いとフォークソングになるって時代に、拓郎さんの早口言葉みたいな同じフォークでも斬新な切り口だったり、おっさんで顔は良くなくても、

って時代に松山千春さんのようなお洒落な顔立ちで見栄えの良い人が出で来て、ニューミュージックと変化して見たり・・・先人達が自分らしさを追求して、

個性を出して葛藤するのね。こうした感想を言うと、悪意があってトゲがあるように聞こえるが、こっちはキチンとCDを買ってファンでは無いが、その当時

どんな葛藤があったか?時代背景はどんな感じだったか?って想像はするし、そもそもどれもこれもがその当時、一斉を風靡したものなのね。こっちはそれを

追い掛ける者として、好きじゃないから・・・とか好みで語っているつもりは無いのね。ある程度、受け入れた者の感想だったり、表現であって、先生を

やっている者としては、ただただ詰まんない説明で、聞いて貰えんの?って話なのね。個性って言いつつ、個性なんか出しゃ叩かれる時代にね。それを

多様性なんて言葉を使って曖昧にして、便利だわー。そうすりゃ政治と同じで自分の都合の良い解釈出来るもんねー。だから仲間ん時は、右に同じぃぃって

言えても、違うってほころび出来りゃさっさと乗り換えぇぇ。それを昭和の時代なら、お得意さんとか常連さんとかいちげんさんってキチンと分けたりして、

扱いは違います・・・って分かりやすかったのに、嫌乗り換えてくれる人の方を優先しますぅ・・・だって乗り換えない人はどうせそのままだからぁ。って

携帯会社システムみたいな考え方もあったりして・・・多様性だからぁ、良いじゃん。かと思えば、ダフ屋って言うと悪に聞こえたものが、今は素人ダフ屋

なのに、転売ヤーってもはや、ダフ屋よりダフ屋じゃん素人の癖にって、意地汚い奴らとか、それも多様性と言えば良いし、だって買えたから儲かるしって、

別に金品を暴行して取ったり、オレオレ詐欺でも無いし・・・って、きっとそっち側にはそっち側の言い分があるんでしょ・・・きっと。じゃ多様性なのね。

だっていっぱいいるんだから・・・俺しかいませんって言うのは、多様性って言葉には属さないと思うのね。天の邪鬼的な扱いだから、簡単に真似されるような、

誰もが簡単に出来るような、安易とかそんな表現には当てはまらないのね。個性的って言うのは。そうやって考えれば、矛盾だなぁ・・・って思って、俺は

世の中を変えるんだ・・・って思うのなら、政治家として立候補すりゃ良いし、俺は音楽で人を癒やすんだぁって言うなら、歌手になりゃ良いし、

別に特技も思想も何も無ければ、ひとまず嫌々でも働いて、それで得たお金で好きな事や、美味しいものをささやかに楽しめば良いとか、多様性ならみんなと

一緒じゃ無くても良いんでしょ?格差社会も多様性じゃん。お金持ちはたらふく楽しんで沢山税金収めて貰って、俺みたいな貧乏人は、その人達の税金で、

道路も使わせて貰って、お金持ちと同じ空気も吸わせて頂いて、トイレにも行く・・・それを悔しいと思うなら、ムカつくって思うのなら、貧乏人の特権。

それがハングリー精神。お金持ちは使えない言葉。成り上がりに、下剋上。こんな言葉は特権なのね。まぁ団体でやりたきゃ、ええじゃないか・・・って

一揆を起こせば良いし、ムーブメントとかってカタカナの方が、聞こえが良いならそれも良いが、やっぱ昭和の残党としては一揆かなぁ。話を戻して、

こう言う事が理解出来ると、それを受け入れて自分の言葉に置き換えると、そこにゲスとか上品とか、お洒落とか、気品とか、高級とか庶民とか・・・

何とか風って言うのが確立出来るのね。これにこれが合うぅぅって安ぅって感じなのね。そうじゃ無くてTPOなんて気にするなら、きちんと好みなんてもんの

前に、そこの背景を理解する事。例えば、あくまで個人の見解ね。何せ個性だから。例えば駄菓子って言うと、庶民な感じで、銘菓って言うと、お祖父様

お祖母様って呼ぶような、マンションでは無くて、一戸建てのお家があるようなお宅の人達で、三越の地下で売っている由緒正しいお菓子で、風呂敷とか

そのブランド名に匹敵する柄で、全てを味すら語るような威嚇にも感じる威力抜群で、先方の名前に恥じないもの・・・駄菓子はホレって食べろって、

物は投げては行けないけれど、何しろ作っている業者もギリギリでやってるから、なるべく包装にはお金を掛けずに、でもインパクトとして派手に・・・。

こうやってしっかり差別、区別をする事で、ではその案件どっち寄り?って話なのね。その時に曖昧にすると、まぁ何しろフィーリングなんて曖昧でやるから

今日はこっちで明日はどっち?って安っぽくなるのね。勿論確立の問題だから、当たる時もある。じゃ何割?その確立が良ければ中島誠之助さんみたいな、

目利きよ。作れなくても良い仕事してますねぇ〜って本物を見極められる。それなら良い銘柄の株も見極められるし、無名の新人もスカウト出来る。

まぁ何しろ、こうやってキチンと分ける。だから今回のくじらの話は、カジュアルじゃ無いのね。だから格式。ライブやフェスじゃ無くて、歌舞伎や帝劇。

ただ何をどう言っても17文字の俳句。あれこれ言っても野球って言っているようなもので、俺でも出来る。ただ足を止めさせる事が出来るのか?感情を揺さぶる

事が出来るのか?欲しいと思わせる事が出来るのか?要するにただ出来たじゃ無いのね。つまりいつものくじらの俳句を結婚式に参加するような、衣装が必要

になる。いつも見慣れた17文字では無くて、公民館とかの句会じゃ無くて、格式・・・見せる俳句なのね。アイデアは伝えたから、後はすり合わせのみ。

こうやって相談って言うのは、相手が気が付かない事を提案する事で、それをお金も期限も場所も考える事だったりする・・・コーディネイトとはそう言うもの。

いずれにしても、後はくじらの問題。そんな中、キウイが

これを進めつつ、今の話に文字を彫るってこんな所は彫れないとか、大きさを説明したり、コースターでも、視覚だけじゃ無く触覚を使うって指導していて、

やるじゃん・・・って茶化すと、何かベテランっぽいね・・・って言うから、ベテランじゃんってくじらと2人で突っ込んだんだけど、何も知らない人では、

この絵馬からとんでも無い腕利きって思えないだろうな・・・まっ人は見掛けで判断するものだから・・・まぁそう言う俺も見栄えはへっぽこだから・・・。


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