katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今年最後のkameyaさん教室

2024-12-22 03:14:56 | 出張教室

今日は今年最後のkameyaさん教室。まずはラパンさんから。本当に1年も休んでいた・・・って思えないくらい、スイスイと切っているんで、それなら・・・

と、もう少しグレード上げに行こう・・・って事で、ちょっとしたアドバイスとして、良く使う手は、タイルを切るんじゃ無くて、両手を使って花びらを表現

して見て・・・。って言うのがあるのね。そもそも切るって技術の話でしょ?つまりニッパーで切るって技術じゃ無くて、言葉で表現して・・・とか、両手を

使って表現して・・・って言う事なら、棟梁もりょうさんも一緒って事になるのね。平等って事にね。これなら子供でも、全くモザイクをやった事の無い人も

一緒ね。ただそれを聞いた事の無い人は、ポカーンとしちゃうだろうけれどね。でもキチンと根拠はあって、両手で表現して・・・とは、こんな感じかな?

ってダンスでは無いが、両手を使って花ビラに見せようと考える事であって、棟梁の技術を封印させる狙いになる。口で表現となると、手を使えないように

なるから、体を使わせないとなると、表現は俳句のように巧みな言葉を使って相手に想像させるテクニックが必要になるのね。これもまた考える事になる。

つまり両者どちらも考える・・・って事であって、フィーリングやニュアンスなんて前に考える前に、まず観察をしてどうなっているか?の特徴を考える。

その時に花びらはこう・・・って考えたようでも、戸惑いながら、何だか良く判らない・・・ってやると、おっかなびっくりとか、恥ずかしいとか、色んな

思惑の中、やっては見るものの、たどたどしくなる。実はそんな気持ちで切っているって表れなのね。だってそんな気持ちで、切っているって事でしょ?

ただ良い事と悪い事は背中合わせで、ラパンさんは1年のブランクでも切れている・・・ここなのね。普通なら休んでいた分、たどたどしくなっても良いでしょ?

なのに切れるのは何故?そもそも本人も最初は、しばらく振りだから・・・って予防的に警戒さえしている気分だったのにね。つまり平気な理由があるのね。

つまりそもそも休んでいようがいまいが、タイルを切るって事に躊躇が無く、そもそも会得していた事は、ラパンさんの中ではハードルが低かった・・・。

そう言う事になる。つまり例えば、2年生で1年休んでいたとしても、本当は休む前から、3年生の実力だったとしたら、休んでいても変わらないって事になるでしょ?

つまりみんなと一緒の指導をしても、気持ちだけの問題であって、ついて来られる実力がある・・・って事なのね。だから今、アトリエに独りで来たりょうさんに言っているような事を指導する事が可能って事・・・。

それがニッパーを使わずに考える事だったり、良く見て思い込まずに・・・つまりそれが、洞察力、観察力、想像力を使ってから切る習慣付けになるのね。

手慣れをしない・・・って事。ついつい切れる人は、切る技術に頼って、いきなりタイルを切るのね。意識せずに切る。ロボットでも花びらでもタイルを切る

のは一緒・・・ってね。違う違う、ロボットはカクカク、花びらはグネーとか、ヒラヒラとか、最低でも柔らかい・・・って意識が無いと。その時点で、

カクカクさせているのね。根本的にタイルは□で固くて、カクカクしているものを切っただけでは当たり前に、更にカクカクさせているのね。それを意識

出来るようになると、だからそのカクカクを直して・・・これ。直すって言うのは、切ったパーツを整えるとか、くびれさせるとか、バチンって1回で切れる

パーツでは無くて、バがパに変わって、バチン、パチン、パチン、カリカリ・・・って言う、何度かいじらないと、繊細なパーツにはならないもんなのね。

つまり進むって事は、バチンで終わっている可能性があるって事。つまりこの意識を持つ事で、進む事よりも美しさの追求に時間を割く練習になる。

それは進級を意識した指導になるのね。ただ自宅でもやる・・・って言っていたから、ここで進まなくても、家でいくらかやるのなら、質も量も上げられる。

まぁ本当にやるのなら、月に1回が、自宅で復習・・・つまり倍になる事になるのだから、質を上げても量は減らないって事になるのね。期待値は上がるのね。

当然、この指導を一番生々しく聞いているのはりょうさん。

何を言っているのか?が判るだろうし、耳に入れば、もし意識が薄ければ、あっ・・・って思い出すだろうし、もし意識してやっているのなら、判ってます

・・・って進めているだろうし。まぁ子供の頃に、お母さんがハンカチとティッシュ持ったぁ・・・って言われて、判ってるぅ〜ってあんなやり取りになる。

やってます・・・っていちいち言葉にはしなくても、心の中でやり取りが出来るし、もっと言えば棟梁なら、言われてるぅ、言われてるぅって大昔に言われた事

を思い出す事になるのね。つまりそれが初心を忘れずに繋がるのだから、意識はもっと高い事になる。今の棟梁なら、その花びらは風をどっちから受けて、

その花はどんな意味を持つのか?だからこの色なんだ・・・そう見えますか?って高度な質問をして来るだろうし・・・。

ラパンさんが来て、良い意味でピリッとしたスパイシーな時間になったと思うのね。まぁそれも時間が経てば慣れてしまうだろうけれどね。でも良い刺激にはなると思うのね。お陰様でここも中々のツワモノ揃いである。

そんなこんなでアトリエに戻ってからは、ちょっとした野暮用の後は、看板の構想・・・どんな事をしようか?・・・まず何処から様子を見るか?・・・

今が一番悩み所なのね。


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