katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

デイ・サービスの下地と陸前高田の仕込み

2022-04-15 07:19:54 | デイ・サービス

今日はまず来週のデイ・サービスの下地の続きの鯉のぼり。

まずは鯉を切り抜いて、ペーパー掛けをしてペンキ塗り。いっぺんに続けて・・・って訳では無く、夜までにちょこちょことやりつつ、平行に陸前高田の仕込みも。

2匹目のヤマメもイワナも輪郭までは何とかかんとか。この2匹が終われば随分と気持ちは楽になれるとは思うのね。ただ最初の時のように、どうすれば・・・と考える時間が2匹目は必要が無いので、その分は楽ではあるのね。

まぁサンプルがある・・・って言うのはそう言う事なのね。既に方向性が決まっているって事はね。そう言う点では、次のデイ・サービスのサンプルはどうしよう?って事は、まさにそれ・・・であって、どうする?なのね。

この繰り返しは、常に追い掛けられるような考える・・・って構想の特訓みたいな話で、更に同じ場所での開催は、同じデザインの繰り返しでは飽きて来るし、飽きられても来る。だから常に新車や新曲の発表が必要になるのね。

その悩みを毎月定期的にする事になるって言う練習だと思っているのね。この考えるって行為を持っているのと、いないのでは、大きいのね。常に定期的に考える練習がやって来るって言うのは、歯磨きしなくちゃ・・・って思うのでは無く

当たり前な習慣にする事と、さぁ磨かなきゃ・・・って、たまに来た依頼の為に考えなきゃ・・・って言う考え方では無くて、常に依頼の時の反復練習になるのね。その感覚は定期的に当たり前になるのだから、改めて磨かなきゃでは無くて、

磨いてた・・・みたいな無意識に近いものになる。習慣って言うのはそんなものなのね。そして更に、デイ・サービスのサンプルなのに、ここを張る事にしたら、他の会場の下地にもなるなぁ・・・とか、ここを改善なのかな?とか、

是正するともっとより良くなるなんて事も得られるのね。こんな理屈から考えると、悩むじゃ無くて、考える。悩むって言うのは、えっと・・・って言っているだけで、何の方針も決められない状況であって、何1つ進まない事なのね。

それが考えるって事は、良くも悪くも結果として作って提出しないとならない。当然時間もお金も制限がある中でね。そんな中の結果は、満点なんてあり得ないし、必ず納得出来るとも限らないのね。しかし悩んでいるのは0点だけど、

考えた結果は、0点では無い。つまり基準が出来た事になるのね。これをベースにより良く考えられるか?ここまで止まりなのか?そして期限はやって来る・・・こんな事をしてたのね。例えば試験、試合、教習所・・・反復して備えるって。

ただそれを無意識でやってて、こうした説明の上で、納得してやっていたか?となると、俺は全く持って何にも考えていなかったのね。まぁそれじゃ常に結果は流動的で、ライブのノリ的なスタイルになる。ノリの場合は、

その中で出来たものは、当然完璧なものでは無く、その時の最大限を提出した事になるのだけれど、残酷なもので、例え自分であっても、それを踏まえて時間やお金が増えれば、もっとより良くなったりするものなのね。

この仕組みが、CDとライブみたいな関係で、CDなら何度も取り直せるから、失敗した所をやり直したり、追加する事も可能だから、作り込むってスタイルになるが、ライブって言うのは、ノリなんてものもあったりするし、失敗もする。

ただそれは聴く側も聞き逃しもあったりするし、アレンジが変わっている事を聞き分けたりも出来る。耳が肥える、目が肥えるって言うような、お客さんにはこんな事が起こるもので・・・作り手はそれに育てられるものだったりする。

いずれにしても、オリジナルを作るって言うのは、こんな事の繰り返しで洗練されるものだったりするのね。そう言う点では、この鯉のぼりの下地は、かなり完成度が良いと思うのね。掛かる時間、見た目、そして体験側の制作時間・・・

恐らくどれを取っても、バランス良く丁度良いって言う感じがするのね。勿論、やって見ないと判らないけどね。逆にこれでもか・・・って言う作り方が、陸前高田の方で、簡単に言えば作家katsuは真似出来ないものを作りたいと考える。

逆にお教室サンプルは先生katsuとして、みんなが出来るように・・・だから、全くスイッチが違うもので・・・。勿論、サンプルだって真似されないって点では一緒なんだけれど、大きく違うのは体験する人はデイ・サービスの人達。

作家katsuは何でも自由に考えられるが、サンプルは、見栄え良く、時間は掛かり過ぎず、大きく難しく無く・・・みたいな事になるから、やり過ぎ禁止になる。常にその規制の中で・・・になる。この違いの練習を毎月のデイ・サービスの

サンプルって言うのは、させて貰っているって意識でやっているのね。常にそうした意識の違いなんて事も踏まえて、考える・・・って行為と向き合わないとならず、これが中々大変だったりするのね。ただ、そうした繰り返しは、先生としてのkatsuを鍛える事にもなる。

何故ならここでつまづいた事、成功した事は、常に生徒さんの質問に反映される訳で・・・先生って言うのは、先人として既に生徒さんの前に、体験している人の事で、けれどその成功と失敗の切り売りなのね。つまり育てれば育てただけ、

先生は削られて行くのね。まぁ鰹節みたいなもん。だから削った分、足さないと、いつか要らなくなるのね。追い付いて来るのだから・・・。まぁ何をしても常に勉強なのね。こんな事を教えてくれる人がいたら、もう少し洗練されたんだろうが・・・若い時のkatsuが。


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