家に帰ると、家族から巨人の木村拓也選手が亡くなったと言うことを聞きました。人の命のはかなさを感じました。いろんな球団を渡り歩きながら、そして、いろんな守備位置を
こなしながら、試合出場をしてきました。プロ中のプロであると思います。しかし、声援を背にグランドに倒れました
プロの選手としてはそんなに体に恵まれていなかった巨人の「木村拓也」選手。
はかなくも37歳で7日に旅立っていきました。
4月2日、広島市のマツダスタジアムでの広島戦前に行われた練習中に倒れ、病院に運ばれました。木村選手は、決して派手なプレーをする選手ではありません。
しかし、多くの人たちが回復を心から願っていました。インタビューなどを受ける木村選手の言葉などから、全力でプレーをするひたむきさ、熱い心、そして、周りに対する心遣いなどを感じることができました。木村選手の死を伝えるニュースを見るたびに胸が締め付けられる思いです。
原監督が涙を流している姿をみました。そこには、厚い人望があったのでしょう。
今、勤務校の野球部の担当の先生が練習に出ることができるまで、グランドに立って、野球の練習に参加をしています。選手たちを見ながら思うことがあります。
「部活の主な目的はなんだろう。」
技術の習得、勝つこと・・・その目的なしでは野球をする意味がありません。否定することはできません。しかし、それを最大の目的にすると、絶対にチームの力を高めることができません。「うまくなればいい。」「勝てばいい。」では、自己中心的な行動を取る選手が必ず出てきます。
経験の中から思います。たとえば、市の大会で優勝したり、県の大会で優勝したとします。そのときは、自分たちも周りも盛り上がります。しかし、1ヶ月も過ぎれば、過去の栄光にしか過ぎません。時間が経過しても自分は、あのとき、優勝したんだといつまでも人に自慢をするのでは、疎ましく思われます。時間が経ったときに残るものは、勝ったとか負けたということではないと思うのです。
先日も書いたのですが、電力会社に4月から就職をした生徒が、今、研修を受けています。
「今、研修であいさつなどを厳しく指導をされています。しかし、ぼくは、野球であいさつを学んできました。だから、それが今役立っています。」
と言っていました。この選手が、中学3年生の最後の大会。決勝戦で、まさかのエラーからサヨナラ負けをしました。勝負では敗れたのですが、野球を通していろんな人たちから、あいさつやマナー、人に対する思いやり・・・を学んでいきました。それが、彼が今生きていく中で大きな力となっています。
今日、こんなことがありました。
部活が終わり、生徒と一緒にグランドの整備や道具の片付けをしていました。ところが、部室から、笑い声が聞こえてきます。行ってみました。すると、椅子に座り込んで、楽しく談笑をしている生徒たちもいました。
同じ学年でありながら、かたや一生懸命にグランド整備。一方ではくつろぐ生徒がいます。先日も同じようなことがあったので、なぜいけないのかを告げながら、厳しく指導をしました。
ある一部の生徒のわがままが通るようなチームでは、きっと不平不満がでてきます。またそのうちに、技術の高いものが低いものを、強いものが弱いものを言葉や行動で傷つけることがまかり通ってしまいます。ときにそれが「いじめ」というような言葉になるのでしょう。
一部の技術のうまい者が出ても、勝つことが難しいチームになります。勝っても、周りの人と感動や喜びを分かち合えることがことができません。
技術や、勝利の前に、3つのことを話します。
◇心配り お互いがお互いを認めあえるような「友情」。練習は苦しいこともあります。そのときにお互いに励まし合えるようなチームワークが、生徒たちの優しい心へとつながっていきます。とても大切なエチケットです。
◇あいさつ どの部でも試合中には、大きな声であいさつなどをしています。しかし、多くの部では、そのあいさつが部活動の時だけにとどまっています。大切なのは、それを生活とどうリンクさせていくかです。部で学んだマナーやルールを生活で生かすことができる人が、人生においては、人柄になっていくのです。
◇最後に感謝する心です。
野球を続けてためには、多くの人に支えられているのです。朝早く起きて、試合のために弁当を作ってくれるお家の方、応援に来てくれる人たち。暑いときに飲料水などを持ってきてくれる人たち、休みでも家族から離れ、指導をしてくれる先生たち・・・・。自分一人では、野球をすることはできないのです。
技術や勝つこと以上に大切な意味が、部活動には含まれています。あなたが部活を終えたときに、何が残っていると思いますか?素敵な財産を身につけてほしいです。
こなしながら、試合出場をしてきました。プロ中のプロであると思います。しかし、声援を背にグランドに倒れました
プロの選手としてはそんなに体に恵まれていなかった巨人の「木村拓也」選手。
はかなくも37歳で7日に旅立っていきました。
4月2日、広島市のマツダスタジアムでの広島戦前に行われた練習中に倒れ、病院に運ばれました。木村選手は、決して派手なプレーをする選手ではありません。
しかし、多くの人たちが回復を心から願っていました。インタビューなどを受ける木村選手の言葉などから、全力でプレーをするひたむきさ、熱い心、そして、周りに対する心遣いなどを感じることができました。木村選手の死を伝えるニュースを見るたびに胸が締め付けられる思いです。
原監督が涙を流している姿をみました。そこには、厚い人望があったのでしょう。
今、勤務校の野球部の担当の先生が練習に出ることができるまで、グランドに立って、野球の練習に参加をしています。選手たちを見ながら思うことがあります。
「部活の主な目的はなんだろう。」
技術の習得、勝つこと・・・その目的なしでは野球をする意味がありません。否定することはできません。しかし、それを最大の目的にすると、絶対にチームの力を高めることができません。「うまくなればいい。」「勝てばいい。」では、自己中心的な行動を取る選手が必ず出てきます。
経験の中から思います。たとえば、市の大会で優勝したり、県の大会で優勝したとします。そのときは、自分たちも周りも盛り上がります。しかし、1ヶ月も過ぎれば、過去の栄光にしか過ぎません。時間が経過しても自分は、あのとき、優勝したんだといつまでも人に自慢をするのでは、疎ましく思われます。時間が経ったときに残るものは、勝ったとか負けたということではないと思うのです。
先日も書いたのですが、電力会社に4月から就職をした生徒が、今、研修を受けています。
「今、研修であいさつなどを厳しく指導をされています。しかし、ぼくは、野球であいさつを学んできました。だから、それが今役立っています。」
と言っていました。この選手が、中学3年生の最後の大会。決勝戦で、まさかのエラーからサヨナラ負けをしました。勝負では敗れたのですが、野球を通していろんな人たちから、あいさつやマナー、人に対する思いやり・・・を学んでいきました。それが、彼が今生きていく中で大きな力となっています。
今日、こんなことがありました。
部活が終わり、生徒と一緒にグランドの整備や道具の片付けをしていました。ところが、部室から、笑い声が聞こえてきます。行ってみました。すると、椅子に座り込んで、楽しく談笑をしている生徒たちもいました。
同じ学年でありながら、かたや一生懸命にグランド整備。一方ではくつろぐ生徒がいます。先日も同じようなことがあったので、なぜいけないのかを告げながら、厳しく指導をしました。
ある一部の生徒のわがままが通るようなチームでは、きっと不平不満がでてきます。またそのうちに、技術の高いものが低いものを、強いものが弱いものを言葉や行動で傷つけることがまかり通ってしまいます。ときにそれが「いじめ」というような言葉になるのでしょう。
一部の技術のうまい者が出ても、勝つことが難しいチームになります。勝っても、周りの人と感動や喜びを分かち合えることがことができません。
技術や、勝利の前に、3つのことを話します。
◇心配り お互いがお互いを認めあえるような「友情」。練習は苦しいこともあります。そのときにお互いに励まし合えるようなチームワークが、生徒たちの優しい心へとつながっていきます。とても大切なエチケットです。
◇あいさつ どの部でも試合中には、大きな声であいさつなどをしています。しかし、多くの部では、そのあいさつが部活動の時だけにとどまっています。大切なのは、それを生活とどうリンクさせていくかです。部で学んだマナーやルールを生活で生かすことができる人が、人生においては、人柄になっていくのです。
◇最後に感謝する心です。
野球を続けてためには、多くの人に支えられているのです。朝早く起きて、試合のために弁当を作ってくれるお家の方、応援に来てくれる人たち。暑いときに飲料水などを持ってきてくれる人たち、休みでも家族から離れ、指導をしてくれる先生たち・・・・。自分一人では、野球をすることはできないのです。
技術や勝つこと以上に大切な意味が、部活動には含まれています。あなたが部活を終えたときに、何が残っていると思いますか?素敵な財産を身につけてほしいです。