かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

子どもたちのエネルギー満開

2010年04月11日 | Weblog
 4月8日(木曜日)は、一学期の始業式でした。
 春休みは、部活に来る生徒たちは、いっぱいいましたが、でもなんとなく、学校に、にぎわいを感じることができませんでした。しかし、ついに新学期。学校に生徒たちににぎやか
な声が響き始めました。桜の花は満開を過ぎましたが、学校は、生徒たちのエネルギーが満開となりました。



 新学期がスタートしました。春休みまで静かだった校舎に活気が出てきました。生徒たちの元気のいい声が響いてきました。


 一年のスタートです。この日は、欠席者も0でのスタート。本当に久しぶりのことです。
 生徒たちは、まず、担任が誰なのかが気になります。ちょこちょこ職員室を訪れては、様子を探ります。机の位置などを確認?!
「あんたたち、用事もないのに、職員室にこないの。」
と注意を受ける姿も何となくほのぼのとしています。



 始業式では、新しい先生たちの紹介などがありました。



 校長先生たちのあいさつなどが終わると、いよいよ、担任の発表。しかし、教室に戻ってから、紙にクラス名簿が発表されています。担任が発表されても、自分がはっきりどの先生なのかはわかりません。しかし、学年2クラスなので、間違いなく担任2人のうちのどちらかです。サプライズ学年もあったので、発表の時は、いろいろわき上がりました。



 教室も変わり、クラスメートも変わり、そんな中で、また一年のドラマを生徒たちは創っていきます。熱く感動すること、一人では心細くなるような悲しいこと、ぼろぼろになりそうになるくらいつらいこと・・・いろんなことを受け止めていくことが生徒たちの成長につながっていきます。それが生徒たちにとって生きていく長い道のりの中でのエネルギーになっていきます。



 この一年間、生徒にエールを送りながら生徒とともに歩んでいきたいです。


かったかくん流学級経営論・学力論⑪

2010年04月11日 | Weblog
「わたしの学習」「課題学習」を自主学習に入れる


 わたしは、家庭学習の自主学習に「わたしの学習」「課題学習」の2つを必ずするということを取り入れてきました。


「課題学習」は「何を勉強したらいいかわからない」子どもに、こんな勉強の仕方があるんだよという支援です。中学校に入学して、いきなり自主学習を家庭学習でしてくるといってもどんな学習をしたらいいのかわからない生徒が大部分だと思います。自分で見つけて勉強をしてくることは、とても難しいことなのです。



 家庭学習を充実させるためには、まず勉強法を知らせなければなりません。そのために、その布石として自主学習の中に課題学習を取り入れるのです。そうすれば、受験期を迎えたときに、学習法も身につけていることになります。
例えば、
・漢字のドリルノートのP18を覚えるまで書いてくる
・社会のドリルの解説をていねいに写してくる
・計算ドリルのP20を取り組んでくる
・理科のプリントを取り組んでくる
などを指定します。



課題学習の内容を少し説明をします。知識が足りない子どもがドリルだけをしても効果が薄いし、知識がないのに、問題はとけません。だから、解説(まとめ)を写す・・・問題を解くこの繰り返しを行います。知識を持たせるトレーニングとドリル学習を交互にしていきます。



また課題学習では、みんなが同じ課題をしてきているので、教えあいができます。次の日の帰りの会の中の10~15分間、「なるほどコーナー」を持ちます。


あまり長い時間をとると、部活動の先生から、「あのクラスは部活に出てくるのが遅い。」と苦情が出てきます。
「知識を持たせるトレーニング」の次の日には、班の中でお互いに問題を出し合います。時には、班対抗クイズ大会と銘打って先生が、課題の中から問題を出してもいいと思います。




「ドリル学習」の次の日には、わからなかったところを班の中で、お互いに聞き合います。教えあいます。理解できた生徒は、まだ理解できていない生徒に教えます。これで理解できる生徒をどんどんと増やしていきます。



友だちが理解できるように教える・・・確実に自分が理解できていないと教えることができません。


ここで先生の何人かは言います。
「わからない生徒が恥ずかしい思いをするではないか。」
そんな先生は、そういうことを言いつつ、なにも対策を講じないのです。


だから、そこでふだんからの学級づくり、集団づくりが問題となってくるのです。間違ったところを恥ずかしいと思わすような、授業中に間違った生徒を嘲笑するような経営をしてはいけないのです。聞く方も自然に聞くことができるし、教える方もていねいに教えられるような学級でなければならないのです。



「わからない生徒が恥ずかしい思いをするではないか。」
一理あるようですが、実は、学級経営ができていないのかも知れません。



 授業時間の確保と同時に集団づくりがしっかりしていなければ、学力はつきません。「今年の生徒はできが悪い。」で一年間が終わってしまいます。「間違ったところが分かることで成績はあがるんだ」「わかりやすく友だちに教えることができたとしたら、確実にあなたは理解できているよ」ということを徹底して子どもに教えます。


クラスの雰囲気が大切です。ここで、学力の最低のラインが上昇します。わからない子ども、一人ひとりに先生一人が教えることは、どう考えても不可能です。クラス全員で取り組めば、可能となります。



「クラス全員の学力をつける」要素がここにもあるのです。先生である以上、このテクニックを身につけることは重要です。この取り組みをするためには、わからない、間違ったからといって、叱ってはいけません。そこで、この取り組みは、ストップしてしまいます。




 常に学年通信や学級通信に「間違いは成績をあげるための宝だ。」と伝えています。