あたたかな生き方求めて日々過ごし
最期に思う幸せだったと
先日、合同誕生日会を行いました。かつては、家族は、ほとんどが夏でした。しかし、連れ合いのそして子どもたちが、冬の誕生日・・・勢力??を出してきました。冬そして夏に分けられます。
今回は、冬の誕生日の人の会をしました。
子どもたちがインターネットなどで場所などを決めてくれていました。車で連れて行ってくれました。ちょっとしたプチ日帰り旅行です。別府にある隠れ家的なところです。そこで、みんなで集合して食事をしました。おしゃれな感じのお店で、おしゃれな時間を過ごしました。
家族がまた子どもたち同士がまとまって、互いを思いやりながら過ごせてもらえることがとても幸せに思います。昨日の、読売新聞のエッセイのコーナーに下のような記事がありました。
父の思いがけないがんの発症の中で、今、
「父に残された時間を意識し、家族で支え合うようになったことは不幸中の幸いだと思っています。」
幸せな時間がたくさん共有できるには、温かな生き方を少しでも心がけていきたいと思いました。
特に、9月にわたしの母が亡くなり、親を見送り、次はいつかは自分の番だと思うと、身につまされた作者の話だと感じました。
最期に思う幸せだったと
先日、合同誕生日会を行いました。かつては、家族は、ほとんどが夏でした。しかし、連れ合いのそして子どもたちが、冬の誕生日・・・勢力??を出してきました。冬そして夏に分けられます。
今回は、冬の誕生日の人の会をしました。
子どもたちがインターネットなどで場所などを決めてくれていました。車で連れて行ってくれました。ちょっとしたプチ日帰り旅行です。別府にある隠れ家的なところです。そこで、みんなで集合して食事をしました。おしゃれな感じのお店で、おしゃれな時間を過ごしました。
家族がまた子どもたち同士がまとまって、互いを思いやりながら過ごせてもらえることがとても幸せに思います。昨日の、読売新聞のエッセイのコーナーに下のような記事がありました。
父の思いがけないがんの発症の中で、今、
「父に残された時間を意識し、家族で支え合うようになったことは不幸中の幸いだと思っています。」
幸せな時間がたくさん共有できるには、温かな生き方を少しでも心がけていきたいと思いました。
特に、9月にわたしの母が亡くなり、親を見送り、次はいつかは自分の番だと思うと、身につまされた作者の話だと感じました。