![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/b1/8cb50bb07f74d16fa70735e79a029fb1.jpg)
家に帰ると、姉から小包が届けられていました。何かと思い、中を開けてみると、かわいい絵本でした。
すぐに読んでみました。
「うすもも色のランドセル」という本です。はやらなくなったカバン屋「ハイカラ堂」に女の子が、「ランドセルをつくってください。」とお願いにやってきました。店の主人のおじいさんは、喜びます。その女の子のために一生懸命にランドセルを作ります。しかし、その女の子は、実は亡くなったおじいさんのむすめの心を持っていました・・・。というような話です。ほのぼのとするようなまた、ちょっとせつないそんな童話です。
今までにたくさんの童話を姉は書いてきましたが、今回初めて、大分合同新聞社から自分の童話を出版しました。
書評の一部にこんなことが書かれていました。
「・・・(略)・・・今、改めて自分の書いてきた作品を読み返してみると、私の作品のほとんどに「学校」への思いが込められていることに気づきました。「学校」がいつまでも子どもたちにとって憧れの場所であり、温かい場所であることを願ってやみません。
また、この作品には、今は亡き父への思いも込めたつもりです。離れていても子どもたちの幸せと、いつも遠くからエールを送ってくれていました。かけがえのない親と子の絆、父は私の中で今でも生き続けていると思っています。」
前号のかったかくんの冊子「たいせつなもの」の中にも書きましたが、以前姉が創った童話には、こんなエピソードがあります。
連れ合いが熊本の病院に入院をしていたときのこと。子どもを連れて、路線バスで、見舞いに行っていました。数人しか乗っていない路線バスは、ラジオを流していました。
「けんくんのおうちは、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、けんくん、そしておとうとのたくちゃん・・・と六人かぞくです。
でも、いまは、いまは・・・五人しか、おうちにいません。おかあさんはとおくのびょういんににゅういんしているんです。
「さみしいだろうけど、ほんのちょっとだけだから、たくちゃんとなかよくるすばんしていてね。」
っていって、ちかくのびょういんににゅういんしていたんだけど、それからまた、とおくのびょういんにかわって“ほんのちょっと”が“ずっと”になって、もう十ヶ月になってしまいました。
ちかくのびょういんにいるときは、ときどきおみまいにいけたけど、いまのびょういんはとおいからほんのたまにしかいけません。
おかあさんにあえないのは、さみしいけど、おじいちゃんやおばあちゃんがなんでもしてくれるし、おとうさんはべんきょうをおしえてくれたりあそびにつれていってくれたりするし、たくちゃんはおもしろいことばかりいっているし、みんなであかるくがんばっています。・・・・・(略)・・・・・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/be/704c2909bc9fb11b07e6b23b488a8270.jpg)
なんだか自分の家族のことと同じようなことがあるんだなあって思ってしんみりと聞いていました。しかし、最後に作者の名前が出てきました。それは姉の名前でした。そんな童話を作っていることも知りませんでした。驚きました。そして、次から次へと涙が伝わってきました。
連れ合いの病院に見舞いに行っている時のこと、姉の童話が流れたこと、内容も連れ合いが入院をしていること、偶然にも見舞いの途中のラジオで作品を知ったこと。それは、忘れることのできない時間になっています。
姉の活動には憧れるものがあります。姉の童話を読むと、心が温められます。これからも、多くの人たちに、殺伐としたものになりかけている社会の中で、ぬくもりを伝えて欲しいですね。
写真は、姉の童話の本と三光中の校庭に咲いている桜の花です。
すぐに読んでみました。
「うすもも色のランドセル」という本です。はやらなくなったカバン屋「ハイカラ堂」に女の子が、「ランドセルをつくってください。」とお願いにやってきました。店の主人のおじいさんは、喜びます。その女の子のために一生懸命にランドセルを作ります。しかし、その女の子は、実は亡くなったおじいさんのむすめの心を持っていました・・・。というような話です。ほのぼのとするようなまた、ちょっとせつないそんな童話です。
今までにたくさんの童話を姉は書いてきましたが、今回初めて、大分合同新聞社から自分の童話を出版しました。
書評の一部にこんなことが書かれていました。
「・・・(略)・・・今、改めて自分の書いてきた作品を読み返してみると、私の作品のほとんどに「学校」への思いが込められていることに気づきました。「学校」がいつまでも子どもたちにとって憧れの場所であり、温かい場所であることを願ってやみません。
また、この作品には、今は亡き父への思いも込めたつもりです。離れていても子どもたちの幸せと、いつも遠くからエールを送ってくれていました。かけがえのない親と子の絆、父は私の中で今でも生き続けていると思っています。」
前号のかったかくんの冊子「たいせつなもの」の中にも書きましたが、以前姉が創った童話には、こんなエピソードがあります。
連れ合いが熊本の病院に入院をしていたときのこと。子どもを連れて、路線バスで、見舞いに行っていました。数人しか乗っていない路線バスは、ラジオを流していました。
「けんくんのおうちは、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、けんくん、そしておとうとのたくちゃん・・・と六人かぞくです。
でも、いまは、いまは・・・五人しか、おうちにいません。おかあさんはとおくのびょういんににゅういんしているんです。
「さみしいだろうけど、ほんのちょっとだけだから、たくちゃんとなかよくるすばんしていてね。」
っていって、ちかくのびょういんににゅういんしていたんだけど、それからまた、とおくのびょういんにかわって“ほんのちょっと”が“ずっと”になって、もう十ヶ月になってしまいました。
ちかくのびょういんにいるときは、ときどきおみまいにいけたけど、いまのびょういんはとおいからほんのたまにしかいけません。
おかあさんにあえないのは、さみしいけど、おじいちゃんやおばあちゃんがなんでもしてくれるし、おとうさんはべんきょうをおしえてくれたりあそびにつれていってくれたりするし、たくちゃんはおもしろいことばかりいっているし、みんなであかるくがんばっています。・・・・・(略)・・・・・・・
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なんだか自分の家族のことと同じようなことがあるんだなあって思ってしんみりと聞いていました。しかし、最後に作者の名前が出てきました。それは姉の名前でした。そんな童話を作っていることも知りませんでした。驚きました。そして、次から次へと涙が伝わってきました。
連れ合いの病院に見舞いに行っている時のこと、姉の童話が流れたこと、内容も連れ合いが入院をしていること、偶然にも見舞いの途中のラジオで作品を知ったこと。それは、忘れることのできない時間になっています。
姉の活動には憧れるものがあります。姉の童話を読むと、心が温められます。これからも、多くの人たちに、殺伐としたものになりかけている社会の中で、ぬくもりを伝えて欲しいですね。
写真は、姉の童話の本と三光中の校庭に咲いている桜の花です。