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セピア色に包まれた大切なもの

2016年08月16日 | 大分県
今、テレビのハードディスクたるものがあるので、非常に便利がいいです。設定をしておけば、定期的に同じ番組を録画できますし、いい時間に見ることができます。


そのおかげで、テレビがデジタル化されてから、ずっと朝のテレビ小説を見ています。

その日、見ることができなくても、「まとめ見」もできます。

今は、「とと姉ちゃん」が放映されていてはまっています。9月の終わりまでなので、あとちょっとです。戦前から戦後の動乱期に家族で生き抜いていく姿をドラマ化しています。
 

ちょうど、戦後の時代の生活の様子が「とと姉ちゃん」の中で描かれています。

幼い頃、高度経済成長期時代でした。


しかし、昭和30年代は、今のように、コンピュータで制御されているものがなくアナログな時代でした。ドラマの中の「あなたの手帳」の編集会議をしている様子を見ると、懐かしい機器が出てきます。


洗濯機が出回る前、どの家も川や水路に、洗濯板、洗濯石鹸を持って行って、ごしごしと洗う姿がありました。我が家も川に降りて洗濯をしている母を道の上から見たり、洗っているときに、川辺で遊んだりしていました。
 


洗濯機も次第に普及していましたが、最初は、脱水などの機能もなくて、ローラーの中に洗濯物を挟んで、回して、水を切るという仕組みでした。
 

台所を思い出すと、土間には、かまどがありました。まきを使って、釜でご飯を炊く時代でした。今、考えると、夕飯を作ることは、ひと仕事でした。


たいていの家が風呂もまきなどでたいていたので、家族が夕方くつろぐ時間を作る母の役割は、ひと仕事でした。


冷蔵庫もあるようなないようなものがありました。冷蔵庫は、電気製品でなく、木の箱の中に、氷を入れて冷やすものでした。


戦後71年ですが、この71年の間に、生活スタイルは大きく変化しています。あっという間に、アナログからスイッチ一つでご飯も炊けるし、風呂も沸かせるようなデジタル時代になりました。


うちは、店を営んでいたので、近所の人がよく電話を借りにきていました。

逆に電話がかかってきて、近所の人を呼びに行くことも一日の中に何度もありました。



セピア色に包まれた時の中に、家族同士、近所同士が結びついておかないと、社会が成立できない状況がありました。それが当たり前の時代であったし、いいように考えれば、人の深いつながりが存在していました。
 

便利さの中で、「無駄」と思われがちな、人として大切な本質的なものがたくさんあります。時代が変わろうと、人として失なってはいけない心は大切にしていかなければなりません。



「形」「モノ」だけでなく「心」も住みやすい時代を創っていきたいものです。


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