かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

校内百人一首大会がありました

2009年01月10日 | Weblog
1月8日(木曜日)の始業式の日の午後に、生徒会文化委員会主催で校内百人一首大会を開催しました。冬休みを中心に生徒たちは真剣に覚えていきました。図書委員会の人たちが百人一首の句を手書きのプリントを作成してくれていました。意味まで書いています。ここまでくりゃすごい。生徒たちも覚えている人が多くいました。


また小学校で取り組んでいるところもありました。もちろんその生徒は取るのが早い。さらにすごかったのは、校長先生です。完全に百首を覚えています。その早さは、下の句から上の句が言えるレベルの早さです。先生たちだけでも試合をしましたが、校長先生の圧勝です。生徒たちの大会は白熱したものとなりました。たくさん覚えている人は、やはり早く札を取ることができます。

かったかくんは、写真係と読み手です。久しぶりに読みました。伝統文化も大切にしながら、また友だち同士の交流も深めながら時間が過ぎていきました。
 個人優勝と学年優勝は、なんと1年生でした。3年生は最後の年でしたが、1,2年生は、来年は、さらに覚えて今年より何枚でも多く札を取って欲しいですね。
閉会式では、感想発表がありました。

 1年生 
   ◇来年は、今年以上にたくさん取りたいと思います。百人一首をたくさん覚   えたいです。とても楽しく大会ができました。
 2年生 
◇楽しく大会を行うことができて、満足です。
 3年生 
   ◇中学校時代最後の百人一首大会でした。楽しくいい思い出となりました。  ありがとうございました。

 T先生
   ◇平安時代にさかのぼったような体育館の空気がありました。盛り上がった   大会でした。そんな大会が全校でできる五馬中学校は豊かな学校だなと感    じました。句を覚えると、もっと楽しめるし強くなります。文化委員会の    みなさん、おつかれさまでした。
 Y先生
   ◇ 日本伝統文化を大切にすることは、いいことだと思います。みんなでや   ると楽しい競技です。たくさん覚えて、得意な札を作って欲しいと思いま    す。テストにも出すぞ。
 
 
 学校行事は少なくなってきていますが、途中の取り組みも充実し、そして、当日、みんなで楽しむことができ、有意義な会でした。

先生との声の再会

2009年01月06日 | Weblog
 教えた生徒に毎年年賀状を出しています。自分の一年のまとめや近況などを書いています。最近は、教えた生徒も多くなり、毎年ぎりぎりででしか書いていないので、一人ひとりになかなかメッセージを書くことはできません。
 申し訳なく思っています。しかし、生徒から送られてくる返事などで、頑張っている様子を知ることができて、年に一度のコミュニケーションとなっています。一人ひとりの生徒の年賀状を丁寧に読みながら、成長している姿をみることができます。転居して住所がわからない生徒もいます。返送されてくる年賀状も毎年何枚かあります。またどこかで会えればいいなあって思います。


 今年の年賀状でうれしかったことの一つに、受け持ちだった先生からの言葉です。小学校5.6年生の先生がいます。かったかくんたちにとって、あこがれの先生でした。

 前回の本にも掲載をしましたが、かったかくんが教師の道を歩んで先生が自分たちにしてくれていたことがベースになっていることに気がつきます。今までにしたことがなかった体験を多くさせていただきました。
 
 かったかくんの実践は先生の影響を多く受けています。かけがえのない先生の一人です。野球やサッカーに興味を持たせてくれたのも先生です。ソフトボールの大会にも出させてもらいました。たくさんノックを受けました。
 
 急遽野球のチームもつくり本耶馬溪のチームなどと対戦をさせてくれました。また当時はスポーツ少年団の出来立ての頃でした。出身の小学校は、サッカー部か剣道部しかなかったので、5年生からサッカー部に入りました。先生が指導してくれたおかげで、中津では強豪のチームとなりました。耶馬溪鉄道に乗っていろんなところに試合に行きました。また大分県の大会に出場したりしました。ディフェンスを守っていました。そんなにサッカーは得意ではなかったのですが、試合に出させてもらいました。先生から教えていただいた野球やサッカーが今でも生かされています。大切な2年間の思い出の宝物が今でもたくさん残っています。


 時間がたち、先生と同じ学校に勤務することはありませんでしたが、会ったときには、いろいろと声をかけていただきました。
 
 その後退職をされてからは、一枚の年賀状が唯一の先生とのあいさつとなっていました。先生が病気をされてから年賀状がとだえていました。どうしているのかなあとずっと思っていました。

 昨年、ゲートボールの大会で中津市代表となっていることや写真展で最優秀賞になっていることが新聞に掲載されていたので、回復をされたのがわかりうれしく感じていました。先日、先生から電話がかかってきました。懐かしい先生の声でした。

 「病気で大変だったけれど、ジムに行きながらリハビリもがんばっているよ。」
 
 エネルギーいっぱいの先生と元気になっていく先生と声の再会をすることができました。

正月からありがとう

2009年01月05日 | Weblog
 元旦の夜、雪が降っていました。昨年に引き続いての正月の雪です。ホワイトクリスマスではなくて、ホワイトハッピィーニューイヤーとなりました。なんとなく趣きもありました。


 夜は、ゆっくりと子どもとテレビを見ていました。静かな夜に突然、


「ドーン、バリーン。」


という激しい音がテレビを見ている部屋の屋根あたりからしてきました。「おっ、なんだ、なんだ。」とは思ったけれど、それが一回だったので、そのままにしていました。ところが、子どもは、懐中電灯を持って、調べに行っていました。携帯電話が鳴りました。調べに行った子どもからです。

「屋根のかわらが割れている!!」


ということです。

えっ!
 外は、すごい雪です。しかし、かわらが割れているということは、雪がとけたとき、そこから雨漏りの恐れもあります。

 元旦からピンチです。靴をはいて屋根に上りました。すべって落ちたら大変です。子どもに命綱?の片方を持ってもらいながら、割れたかわらを下に落としました。理由は、上の屋根のかわらが、下のかわらに落ちかかったのです。ビニールをかわら代わりにして、とりあえず雨漏りがしないように修理をしました。雪が体にふりかかり、腰がひけた正月のサンタになりました。よその人が見たら、変な人が雪の降る中屋根に登ってなにしてんだろう・・・って不審に思われるかもしれません。

 困ったときの教えた生徒のいっくん。
「いっくん、かわらが割れて、雨漏りがしそう。」

と次の日の朝、緊急の電話。「正月が明けてから、見に来てくれんかな。」OKの返事。よかった。


 3日は、法事のお菓子を日田に買いに行っていました。日田から戻っていると、電話が。いっくんが来て、修繕をしてくれているとのこと。帰り着くと、屋根の上から、「先生、おめでとう。」いっくんがかったかくんの屋根の上から、新年のあいさつ。ちょっと風変わりでしたが、本当に感謝です。

 正月にもかかわらず、奥さんの実家からよそいきのおしゃれな服装で来てくれていました。それで高い屋根の上まで上ってくれて、修繕をしてくれました。

 きれいになりました。コーヒーを飲みながら、かわらの手入れ法などを教えてくれました。なるほど・・・。

 いっくんには、いろんなアイデアを出してもらいながら、子どもの部屋もリフォームしてくれました。ちょっとしたことも全部いっくんに頼っています。
「俺、大工なんだけど・・・。」
と言いながら、以前、無理に頼んだ風呂の改修もしてくれました。

 これからもいろいろお世話になるでしょう。いっくの小学校の時の先生の立場が、今では、完全にいっくんに移譲されました。家は、いっくんを中心に保たれています。本当にいつも感謝をしています。今年もよろしく。

お年玉?!

2009年01月05日 | Weblog
 父が6年前に亡くなったあと、父の看病に付き添っていた母が病気になりました。それ以来、老人福祉施設にお世話になっています。最近、母のところに行くと、今までとは違って、かったかくんの名前を母の口から聞くことはなく、それを何となく寂しく感じていました。自分で自分を指さしながら、

「この人誰?」

と質問します。

「・・・名前?むずかしいね・・・。」

 正月明け、父の七回忌の法要が行われ、母も久しぶりに家に帰ってきました。きょうだいもそろいにぎやかな一泊二日の帰宅でした。施設でも本当によくして頂いているのですが、家に帰ってからの母の表情もにこやかな時が多かったです。ふと母の横にいたときのことです。

「ちょっと。ちょっと。」

「ちょっと」の用事はわからなかったのですが、名前を連呼してくれているのです。もう母の口から私の名前を聞くことはないだろうとあきらめかけていた言葉でした。感激をしました。その呼ぶ言葉の響きが懐かしく感じられました。

「名前をおぼえちょってくれたんやね。」

きっと父と母からの久しぶりのお年玉だったに違いありません。

父の法要

2009年01月04日 | Weblog
新年早々ではありましたが、今日は父の七回忌の法要を行いました。身近な親族で行いました。時間が過ぎていくのは早く、あっという間に七回忌となりました。父が他界したのは、1月の終わりですが、みんなが集まりやすい正月明けにとりおこないました。

 姉たちそして、父にとっては、孫たちが昨日から来てくれていました。そのために母も久しぶりに昨日から老人施設から戻っていました。母のことについては、また後日話すことにします。母を囲んで前日から、にぎやかな夜となりました。

 父の姉たちは、遠くにいたり、入院をしたりしているので来ることはできませんでしたが、いとこたちが来てくれました。また母の兄弟の方たちおいやめいを連れて来てくれたり、いとこたちが参列をしてくれました。お経が終わってから、ささやかな食事会をしました。ふだんは、それぞれに仕事や生活があってなかなか会えないのですが、今日は、ゆっくりと語り合うことができました。

 父や母となじみな方は承知だろうと思いますが、両親ともにカラオケが大好きで正月は、家族でカラオケ大会をすることが恒例でした。父の思い出のビデオを見ると、たいていが歌っている姿です。にぎやかな父でした。

 その父はいませんが、こうやって懐かしく人を集めてくれて、父のことを思い出しながら、にぎやかにひとときを過ごせました。父のおかげです。人の死によって、初七日、一周忌、3回忌、七回忌・・・とゆかりのある人を集めてくれます。何もなかったら会う機会も少ないのですが、法要を行うことによって会える場を作ってくれます。こういったことも大切なことだと思いますし、よくできた風習とつくづく感じます。結びつきを深めてくれます。

 父方、母方の親戚の紹介もしていきました。その中で、父の思い出も声を詰まらせながら語ってくれていた方もいました。父の姿はないけれど、きっと喜んでいただろうと思います。おばさんが、「これを機会にまたたびたび会いましょうね。」と言ってくれました。

 多くの人に支えられながら法要を終えることができほっとしています。

明けましておめでとうございます

2009年01月03日 | Weblog
 2009年の幕開けです。2008年は、いろいろお世話なりました。今年もよろしくお願いします。

 ブログを開始して2年目を迎えます。ブログの記事をまとめて製本もしています。日々の思いや自分自身の歴史をつづることができています。このブログを通しながら、またいろんな方々との交流もできたらいいなあと感じています。

 正月は、家でゆっくりしています。でも正月明けには、父の七回忌があるので、その準備なども今まで少しずつしてきました。

 年末年始には恒例行事もあります。大晦日は、毎年、教えた生徒のご家族が遊びに来てくれます。夜遅くまで楽しくみんなで話をしていました。そのあとは、家族で近くの神社に初詣に行きました。神社には、くじがあります。お参りをしたあとにくじをひきました。今年もティッシュをたくさんもらって帰りました。つまりはずればっかりです。


 朝は、11時から、地区の年始があります。これも恒例行事です。お神酒が出て短時間ですが顔合わせをします。年末年始は、そんな時間を費やします。今は、年末年始はのんびりしていますが、先生になって間もないころまで、父母が建材店を営んでいました。田舎のよろずやです。
 大晦日は、店もごったがえしていました。田舎では掛売りがほとんどだったので、学生時代までは、集金などに回っていました。小学生の頃から一人でお盆や正月前には、集金袋と領収書を持って、地区を歩いて回って集金をするのが当たり前でした。だから年末は、友だちと遊びに行くといくことはありませんでした。それがなんとなく嫌でもありましたが、店は人を雇ってまで経営する余裕もなかったので生活するためには仕方がないことは子ども心には分かっていたのかもしれません。

 それから我が家の年末の正月もずいぶん様変わりをしました。


 今年の目標は、「日々を大切に生きる」ことかな。一日一日を大切にしていきたいと思います。健康に、そして周りにいる方々を大切に過ごす・・・そのことを心がけていきたいです。高校時代の先生が、年賀状で、
「我以外皆師なり」
と書いてくれていました。自分に与えてくれたメッセージだと思っています。ありがたいことです。

新春から、雪が積もっています。


「年が明け 歴史のはじまり ゆきつもる
    
                真っ白なページに 綴りはじめる」

    元旦から雪が積もっています。真っ白な雪景色です。
    元旦は今年の歴史の幕開けの日です。今年の歴史も今日の景色と同じでま    だ真っ白な雪景色です。これから大地には、緑の草がはえ、花が咲きま     す。今年の歴史も同じですね。