1月22日付け読売新聞の全国版に、母のことを書いた記事が掲載をされました。東京にいる母の弟になる叔父から、姉のところに記事が出ていることを伝えてくれました。また新潟にいる父の姉にあたる叔母からも手紙が届きました。小さな記事だけど、見てくれていてとてもうれしく感じました。
もう二度と自分の名前を母から聞くことはないだろうと思っていたけれど、正月に戻ってきたときに思いがけず、母の口から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。それは、懐かしい言葉でした。
母が名前を呼んだときに、家族から「よかったね。」という言葉が返ってきました。家族も自分には、直接言いませんでしたが、いろいろと気を使ってくれていたようです。
この間、母のところに行ったときも、法要のことなどもよく覚えていました。家に帰るということは大きな影響をもたらすと思いました。しかし、家族の仕事や病状のことを考えると、そうできない現実との壁の厚さを痛感します。暖かくなれば、また日帰りなどもしてもらいながら家族の中での生活を一緒に楽しみたいと思っています。
もう二度と自分の名前を母から聞くことはないだろうと思っていたけれど、正月に戻ってきたときに思いがけず、母の口から自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきました。それは、懐かしい言葉でした。
母が名前を呼んだときに、家族から「よかったね。」という言葉が返ってきました。家族も自分には、直接言いませんでしたが、いろいろと気を使ってくれていたようです。
この間、母のところに行ったときも、法要のことなどもよく覚えていました。家に帰るということは大きな影響をもたらすと思いました。しかし、家族の仕事や病状のことを考えると、そうできない現実との壁の厚さを痛感します。暖かくなれば、また日帰りなどもしてもらいながら家族の中での生活を一緒に楽しみたいと思っています。