川本ちょっとメモ

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臨時大統領 ジョンソンの北爆とトルーマンの原爆投下

2005-10-24 04:43:02 | Weblog


1963年11月、アメリカのケネディ大統領が暗殺され、ジョンソン副大統領が大統領に昇格しました。1965年、トンキン湾事件の報復として、アメリカは北爆を開始しました。

トンキン湾事件は、1964年8月、北ベトナム(当時)魚雷艇がアメリカ駆逐艦を魚雷攻撃したもので、アメリカによるデッチ上げ事件といわれています。北爆は1965年2月に始まり、北ベトナム(当時)の首都ハノイなどをB52による大規模爆撃でした。この北爆以後、アメリカはベトナム戦争にのめりこみました。10月18日のブログで書いた「ワンス・アンド・フォーエバー」は1965年11月、カンボジア国境に近い南ベトナム(当時)のイアドラン渓谷であった戦闘の記録です。

1945年4月、アメリカのルーズベルト大統領が死去し、トルーマン副大統領が大統領に昇格しました。そして同年7月、原爆投下を命令しました。

北爆は、B52による猛烈な破壊力で北ベトナムを屈服させようとするものでした。原爆は地獄の破壊力で日本の息の根を止めようとするものでした。二つともに、政策上、軍事作戦上の数多くの選択幅があったにちがいありません。にもかかわらず、強者にとって最も単純な結論をとったのです。

ジョンソンが北爆を実行したのも、ルーズベルトが原爆投下を実行したのも、思いがけず昇格した臨時大統領のときでした。選挙を経ていません。必要以上に自分の能力を誇示したかったのかもしれません。

国内のいろいろな政治勢力を統御するために、最も過激な方策をとる必要に追い込まれていたのかもしれません。

強国の権力者にとって最も安易な方策-圧倒的な軍事力を行使するしか、大統領の能力がなかったのかもしれません。なにしろ、元々副大統領なのですから。

いずれにしても、対戦国民の不幸の根に、「臨時大統領」があるように思います。

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