安倍首相の『集団的自衛権』憲法身勝手解釈について、四つの観点から賛成できません。
第一点に、日本の行政は法律に準拠して執行されています。日本の行政府のトップには、法律に準拠して行政を執行するべき責務があります。
しかし、安倍首相は日本の行政府のトップでありながら、法律の上位にあって法律を律するものである憲法に準拠しない行動を取っています。
安倍首相の「集団的自衛権」に関する憲法新解釈にはそういう性質があります。憲法9条変更の壁に穴をあける代替策略として、「新解釈」を強弁しています。あくまで策略の結果としての「9条新解釈」です。
日本の行政機構のトップが憲法や法律を自分の都合のいいように使うならば、大げさに言うなら、日本の行政機構が崩壊します。
日本の行政機構のトップが身勝手な憲法解釈で憲法を運用するならば、日本の中央・地方の行政機構の各段階の行政執行者の身勝手な法令解釈による身勝手な運用が広がっていくでしょう。
第二点に、自衛隊のPKO派遣のこれまでの経緯を顧みると、一度足がかりを得るならば、政府はその足がかりをじりじりと広げていきます。「集団的自衛権」のことも、突破口を切り開いた後には、そうなるでしょう。政府を信頼できません。
第三点に、「安全保障政策」というものは、軍事力(=自衛隊の武力)とともに、外交力がそれ以上に大切だということは常識です。
外交力の裏付けは国力です。国力とは、経済力であり文化力です。安倍首相にはこれまでのところ、大転換期に苦しんでいる日本の将来を見渡す国力のあり方について、明らかなメッセージがありません。
今のところ、『円安』で株式相場高、輸出産業の好況、円安起因で波及しつつある物価騰貴、国民負担増を生みだしただけです。
第四点に、「平和」という考えを尊重する様子が見えません。「平和」であることは、しあわせな国民生活を守るための基盤です。
安倍首相の「積極的平和」とは、単純に軍事力を前面に押し出すことにすぎません。日本の軍事力だけでは中国に勝てる見込みがないので、アメリカ軍に助けてもらおうというのが、「集団的自衛権」の本質でしょう。
また、北海道から沖縄まで、わが国の地理的位置は大陸の出口を塞ぐ形になっていて、中・露・朝・韓・台の5カ国に干渉できる位置にあります。アメリカはアメリカで、日本の自衛隊(軍事力)をもっと使い回しよく利用できるようにしたいでしょう。
安倍首相の強がりな姿には、アメリカに勝てそうなことを言ってボロ負けに負けた太平洋戦争を思い起こします。
安倍首相が中国にかっこ良く張り合っても、戦争の実績では、白村江でも、豊臣秀吉の朝鮮戦争でも、昭和の中国本土での戦争でも、最後は負けています。日清戦争には勝っていますが、それは清国内戦(太平天国の乱)の後の事であり、すでに列強の干渉や侵略が始まって清国が弱体化していた、特別な時期でした。