私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。
改訂版 沖縄戦 民衆の眼でとらえる戦争 P153から
慶良間諸島の中の慶留間(げるま)島では米軍上陸(1945年3月26日朝)と
同時に一斉に自決がおこなわれた。
同島に配属された海上挺身隊の舟艇壕は部落とは反対側の北海岸にあるので
住民と部隊との接触はない。
男たちはほとんど防衛隊にとられて島外に出ており、女と子どもと老人だけ
の島になっていた。それでも敵が上陸してきたら竹槍で戦うように教えこまれ
ていた。そして、最期の覚悟について防衛隊の男たちは家族の者たちに言いふ
くめていたのである。
いざ、敵が上陸してきたとき、上陸用舟艇の陣容の前に竹槍ではどうするこ
ともできなかった。人びとは雪崩をうって山の中に逃げこんだ。山といっても
標高一五七メートルの森である。どこといって逃げ場はない。
山の中ではすでに家族ごとに殺し合いがはじまっていた。手榴弾は配られて
いないので、子どもは親が手にかけて絞め殺し、ネコイラズ(殺鼠剤)を奪い
合って口にふくみ、木の枝に縄をかけて首をくくり、あるいは砲爆撃で燃えつ
づけている炎の中にとびこんで自殺した。
一時間とたたないうちに慶留間(げるま)島の総人口約一〇〇 名のうち五三名
が命をたった。
※当時の「陸軍防衛招集規則」では、満17歳から満45歳までの男子で兵役にもれ
た者が防衛隊に招集されることになっていました。
た者が防衛隊に招集されることになっていました。