川本ちょっとメモ

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沖縄戦、軍司令官の自死は「自決」 住民の自死は「集団自殺」でも、沖縄戦に限って「集団自決」と言います

2023-06-27 19:48:17 | Weblog

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 私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。



 1945年6月13日、沖縄守備第32軍海軍沖縄根拠地隊司令官大田実海軍少将(死後中将に昇進)が豊見城の司令部壕内に於いて拳銃で自決しました。


 大田司令官はその最期に際して、後世読む人の感涙を誘う有名な「沖縄県民カク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電文を打電しています。しかし残念なことに大田司令官の「特別ノ御高配」遺言はまだ実現していません。

 

 1945年6月19日、沖縄守備第32軍司令官牛島満中将は最後の軍命令を発しました。

「今や刀折れ矢尽き軍の運命旦夕(たんせき)に迫る。…(略)…爾今(じこん)各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」


1945年6月23日未明、第32軍の軍司令官牛島満中将と参謀長長勇少将は割腹して自決しました。

 こうして軍司令官は死にましたが、「生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し」という第32軍命令が死ぬことはなく、6月23日以後も8月15日以後も抵抗をつづけた将兵がいました。

 第24師団本部は6月30日全滅、第24師団第32連隊本部は8月25日投降、独立混成第44旅団国頭支隊の残存将兵は10月1日投降、という記録が残っています。

 
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