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今回と次回は、湾岸戦争の後方支援について引用紹介します。引用元は、
W・G・パゴニス著『山動く』、1992年11月20日同文書院刊、です。
著者パゴニスは湾岸戦争において米軍第22後方支援司令部司令官でした。これは湾岸戦争後方支援総責任者です。そして、『山動く』執筆当時は現役陸軍中将でした。この本からは、アメリカの戦略を読み取ることができて、安倍政権の安全保障政策を批判的に判断する道具としても有益です。
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻占領しました。これを受けて、湾岸戦争は1991年1月17日に始まりました。猛烈な空爆と巡航ミサイル攻撃が1ヵ月以上続けた後に、地上軍の進攻を始めました。
下に上掲書219ページ~222ページを転記しました。これはめったに見られない大軍の、後方支援司令官・陸軍中将の記録です。そのため、戦闘の酷い現場のイメージがわきません。しかし、自衛隊が海外派遣される後方支援任務とは、スケールがこれより遥かに小さいことでしょうが、こういうものと類似のことであると想像できます。後方支援任務は、戦闘任務と密接につながっています。
『山動く』 W・G・パゴニス米陸軍中将(湾岸戦争当時)
■武力による駆逐作戦
国連の撤退期限は過ぎていたが、フセインはクウェートから引き揚げていなかった。サウジアラビア時間の1月17日午前0時を過ぎたばかりのとき、多国籍空軍はイラクとクウェート領内の戦略・軍事目標への攻撃を開始した。イラクの南北を結ぶ補給ラインを攻撃した。レーダー基地と情報能力を破壊した。そして、戦車、スカッド・ミサイル発射台、飛行機、ほかの兵器と軍用車両を組織的に破壊した。攻撃は掛け値なしに恐るべき規模で行われた。最初の24時間だけで2500トンの砲弾を使ったのである。イラク軍は事実上、目を奪われたのだ。
一方、米国海軍艦艇はペルシャ湾内での活動レベルを上げ、多国籍軍が海から攻撃するつもりだと思わせるための陽動作戦を開始した。イラクは残っている指揮・統制能力を、ペルシャ湾の水平線に見え隠れする脅威に集中せざるをえなくなっていた。
大空爆が2日過ぎたところで、ブラボー段階、すなわち「部隊の移動」が始まった。
1月10日未明、人員、戦車と装甲車、武器、弾薬、燃料、そして補給品を搭載したトラックがエンジン音を鳴り響かせて出発していった。それから1ヵ月、輸送ルートでは週7日、1日24時間、交通が途絶えることはなかった。
補給ラインの流れがピークに達したときには、北側ルートのある地点を毎分平均で18台のトラックが通過していた。この状態は優に1ヵ月続いた。あるとき、輸送の移動管制所を視察していてヘリコプターをハイウエーの西側に着陸させた。東側に渡ろうとしたが交通量があまりに激しくてできず、結局ヘリコプターで反対側に渡ることになった。
2月3日には、2個の軍団とも攻撃開始地点に近づいていた。第7軍団は500キロ以上、第18軍団は800キロ以を、これといった障害もなく進んでいた。これは関係者全員の功績だ。軍団、師団、軍団後方支援司令部、第22後方支援司令部の人員、そして、時計のように正確に米軍の隊列に加わったり離れたりしていた多国籍軍部隊などの協力なしにはありえなかった。生物化学兵器やスカッド・ミサイルによる無作為攻撃の脅威が常にあったにもかかわらず、これが達成されたことは、記憶しておいていい。とりわけ、輸送を請け負って主要補給ルートを往復してくれたサウジアラビア、韓国、パキスタン、エジプト、フィリピン、インド、バングラデシュをはじめとする十数カ国の民間人に感謝したい。この輸送では、チャーリー、エコー両補給基地への補給で敵国領土に入ることも少なくなかった。また、地上戦が始まったころ、多くの運転手は、危険を十分に承知しながらガスマスクなしで働いていたのである。
2月20日、軍団は攻撃開始地点に到着した。あらゆる補給物資もそろい、
攻撃態勢も整った。第1、第2軍団後方支援司令部は、それぞれザート、マクファーレン両将軍の非常に的確な指揮、そしてゲスト、ウェーリー両将軍の監督の下、いつでも補給・支援を開始できる態勢になっていた。第18軍団と第7軍団のそれぞれに再補給する目的で設置されたチャーリー補給基地とエコー補給基地には、第1種(食料と水)、第3種(燃料)、そして第5種(弾薬)
の補給品が大量だがいつでも移動できるように蓄えられていた。一方、イラクの奥深くにもさらに4カ所の補給基地を設ける計画を立て、場所も特定していた。予定されている基地は90マイル(約144キロ)ルールに基づいて配置されることになっていた。2つの基地をトラックが24時間以内で往復できるように、ある基地から次の基地までの距離を90マイル未満にしなければならなかったのである。紛争が長引いた場合には、オスカー、ロメオの両補給基地から第18軍団へ再補給される。第7軍団への補給は、ホテル、ノベンバー両補給基地を経由することになる。
軍団は攻撃準備姿勢のまま3日間待機した。その間も、われわれは補給品と食料を補給基地に運び続けた。2月24日の地上戦突入のころには、部隊を29日間維持できるだけの食料と水を運んでしまっていた。燃料も5・2日分あった。また、弾薬は少なくとも45日間もちそうだった。4日後に停戦が発効したときには、29日分の食料、5・6日分の燃料、65日分を超す弾薬をまだ備蓄していた。
つまり、100時間戦争の間に、後方支援の状況はよくなる一方だった。再補給ラインはほぼ完全だった。食料備蓄は一定水準を保ち、燃料の補給はやや増加、弾薬の備蓄は著しく増加した。2個軍団の1日の燃料消費量が1700万リットル近く、つまりトラック880台分に達していたことを考えると、これは驚異的である。第7軍団の1日分の弾薬は9000トンで、これはトラック450台分に相当する。第18軍団ではそれより少なく、1日5000トンの再補給を必要とした。
これは、緻密な計画作りと懸命の努力のたまものである。機甲部隊と戦闘部隊が攻撃のために前進している間、トラックは絶え間なく主要補給ルートを走り、燃料、武器をはじめとする必需補給物資を、港と飛行場からエコー、チャーリー両補給基地へ、そこからさらに戦場へと運んでいた。21日分の弾薬が増加するということは、29万4000トンの資材を運ぶことである。わかりやすく言えば、トラックが1万7850往復するだけの荷に相当する。
もちろん、これは後方支援の立場からの見方である。戦場では、陸軍と海兵隊の師団が地雷原、有刺鉄線、戦闘壕をものともせずに前進し、イラク軍の不意を突いて側面から包囲した。多国籍軍は、敵が立てた防壁を難なく撃破して進んでいった。数時間のうちに、敵の捕虜は5500人以上に上った。その後2日間にわたって、多国籍軍は同じような快挙を打ちたてた。あまりにも見事で、結果的にはわれわれの計画は必要なかったほどである。たとえば、前方のオスカー補給基地とノベンバー補給基地は、比較的小規模の燃料と弾薬を運ぶトレーラーの積み替え地点としてのみ利用された。攻撃の勢いがあまりにも速く、あまりにも急に終わってしまったために、イラク領土内に完全な補給基地を設置する必要はまったく生じなかった。後方支援活動については、第7軍団のいくつかの部隊の燃料が底をつきそうになったという批判があった。しかし、この批判は的外れのように思える。ゲスト准将はわずか40キロの地点まで300個の5000ガロン(約1万9000リットル)入りの燃料タンクを運んできており、戦場のどの重要位置に移動すべきか、後方支援作戦本部の指示を待っていたのである。 (『山動く』から転記、終わり)
■海外派遣先は危ない所
自衛隊の海外派遣が「絶対に安全」というわけがありません。これまでに「犠牲者が出なかったから」という理由では、危険な環境の中で必死の努力を続けているであろう派遣中の自衛隊員があまりに可哀そうです。
そもそも絶対に安全なところでの海外協力ならば、これまでから政府の海外協力機構(JICA)から多くの技術者が派遣されてきています。青年海外協力隊員も派遣されてきています。海外援助資金の投入にともなって日本企業も海外に出向いています。……それなのに、たとえPKOであっても、なぜ、自衛隊の海外派遣が必要なのでしょうか? 海外派遣先が、「安全・平和な環境ではない」からです。
■「防御戦闘」の覚悟
外国軍への「後方支援」があたりまえのように議論されています。私たちは改めて、「後方支援」が戦争行為そのものの一環であることを、再認識しておかねばなりません。戦闘部隊を支える後方支援作戦に従事することは、相手方にとっては敵対行為なのです。こちらに正義があるかどうかは関係ありません。
したがって、「攻撃戦闘」に関わらない後方支援作戦にあっても、「孫子 火攻篇」にあるように、補給線への攻撃を受けて応戦する「防御戦闘」に巻き込まれる覚悟だけはしておかねばなりません。
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<私のアピール>
2012年末の安倍政権成立以後の短年月、武器輸出3原則を廃し、特定秘密保護法の新設、憲法9条解釈変更の7・1閣議決定(※憲法違反です)と、先行き不安な政策ばかり急激に推進されています。安倍内閣はデモクラシー日本を食い破りつつある危険な内閣です。その政治手法は民主主義下の独裁と見えて、危険です。安倍総理退陣まで、来年7月参院選で自民党に“No”を!
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