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「町の忘れもの」 なぎら健壱

2019-10-10 | 読書

フォーク歌手のなぎら氏が10年ほど前、新聞に連載したフォトエッセィ。

街の片隅に残る、昔を思い出させるもの、眺めなどを自分の思い出とともに語る。

私はたぶん同世代か少し上かなと思うけれど、そうそう、こんなものがあったと懐かしかった。

アトランダムに引用します。

洗濯機、冷蔵庫、テレビが初めて家に来たときのことをはっきり覚えているのが私たちの世代。つまり、そういう電化製品のない暮らしも知っている、もう歴史の生き証人のような私たちの世代。ほんとに、いつの間にこんなことになったんでしょうね。

我家では洗濯機、テレビ、冷蔵庫の順でやって来た。

洗濯機は近所中で一番早く、五年生のころ。

今こんなこと言っても誰も信じてくれないと思うけど、わが家が洗濯機買うと、地元のラジオ局が取材に来た。たぶん西日本放送。

だから、本当なんですって。

父がインタビューに答えて、「朝の洗濯の時間が短くなって、家内も農作業に早く取り掛かれるようになった」とか言っていた。

うーーーん、この話、孫にしてみましょうか。きょとんとしていることでしょう。

デパートの食堂で食事するとき、お皿のライス、フォークの背中にのせて押し付けて食べるのがマナーと教えられたのも私たちの世代。

夏休み、農協の婦人部の社会見学で、電車で町の三越に行って買い物と食事なんていう行事もありましたね。

それほどデパートは特別な場所でした。おもちゃ売り場の一番上にある金髪のソフトビニールのお人形が欲しかったけど、3,000円くらいだったかな。庶民には高根の花、ねだることもしない庶民の子供でした。

二股ソケットもこの本で思い出した。何それって、天井からぶら下がった白熱電灯のソケットが二股になっていて、照明と外の電気製品を同時に使える優れもの。パナソニック創業者の松下幸之助が考案したと、学習雑誌で読んだことがあります。

それからテレビのUHFアンテナ、UHF放送ってどうなったんでしょうか。

木造二階建てのアパート、わが家周辺にはかろうじて残っているのも何棟か。貴重な文化遺産ですね。

大学時代、一般の家の二階に間借りするか、木造アパートが学生の標準の住まい。私は前者でした。

世の中は古いものを壊して新しく建て直し、古い製品を捨てて新しい便利なものに買い替えるその連続。

その時代なりに工夫して、頑張っていた。そのことを思い出した。

著者は銀座の生まれだそうですが、昔は銀座の一般家庭には神奈川や千葉から行商人が来るし、路地裏は舗装されていなくて、子供がベーゴマしたりして遊んでいた。そうです。舗装しているところでは蝋石で絵を描く。

蝋石って・・・だからおじいちゃんおばあちゃんに聞いてみてね。

蝋石は近所の文房具屋で5円、私は炭俵に手を入れて描きやすい炭探して書くことも多かったです。人形とか、お城の中のお姫様とかいろいろな物語を。

 

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